Magazinehouse Digital Gallery vol. 1 1970年3月『anan』創刊号より その1
はじめまして! アンアン代表です

(2011.04.04)
Magazinehouse Digital Gallery 過去の名企画をライブラリーから

1945年創刊の『平凡』に始まり、『週刊平凡』、『平凡パンチ』、1970年代になると『anan』、『POPEYE』、そして『BRUTUS』『Olive』『Hanako』、最近では2011年3月創刊の『Lips』まで、マガジンハウスは時代とともに歩み、時代にあった雑誌を作り続けてきました。その間、それぞれの雑誌ライフスタイルを体現した読者たちは「みゆき族」「アンノン族」「ポパイ少年」「ハナコ族」などと呼ばれ、時代を象徴する存在となりました。『Magazinehouse Digital Gallery』は、マガジンハウスの豊富なライブラリーの中から、過去の雑誌の名企画を拾い出し、資料画像として限定公開する企画です。すでに入手困難となった創刊号、また世間を騒がせた名企画など、興味深い企画を順次公開していく予定です。

Magazinehouse Digital Gallery vol.1 
1970年3月『anan』創刊号より その1
「はじめまして! アンアン代表です ユリとその撮影隊 ヨーロッパ訪問」

1970年の『anan』の創刊は、センセーショナルなものでした。それまで見たこともないようなオールグラビアのファッション誌だったからです。『anan』は記事の内容やビジュアルの美しさはもちろん、作り方からサイズまで、すべてが新しい雑誌でした。まずフランスの女性誌『ELLE』と提携し、パリから送られてくる最新モードが掲載されたこと。またデザイン優先の雑誌作りが導入されたのも初めてでした。堀内誠一さんがアートディレクターに就任、編集長と同格の立場で誌面のすべてをディレクションしたと伝えられています。さらに判型も特別でした。いまでは女性誌のスタンダードとなったL判と呼ばれるサイズですが、当時日本にはこのサイズを刷れる印刷機がなく、千代田グラビアが『anan』のために導入することによって、オールグラビアの大判雑誌が誕生したのです。

創刊号のトップ企画は、「はじめまして! アンアン代表です ユリとその撮影隊 ヨーロッパ訪問」。当時の『anan』を代表するファッションモデルである立川ユリさんが登場。スタッフとともに、パリ、ロンドン、ヴェネツィアにファッション撮影に行く様子が紹介されています。立木ユリさんは、『anan』のファッション・ディレクターだった金子功さんの奥さん。このご夫婦のコンビで作り上げた新しいファッションは、『ELLE』のファッションとともに、当時の『anan』の大きな柱となりました。