Magazinehouse Digital Gallery vol. 14 1982年 5月『Olive』 創刊号より
その2 Summer Savvy

(2011.07.20)

『Olive』創刊号、第2回は女性誌の核であるファッション特集を紹介したい。当時の『Olive』が、いわゆるガーリーなテイストの雑誌ではなかったことは前回書いた通りだが、ではどんなファッションを提案していたのか。何風と呼べばいいのか言葉が見つからないが、要するにトラッド的な『POPEYE』の女性版スタイルだった。スタイリストは『POPEYE』『BRUTUS』のファッション・ディレクターだった北村勝彦さん。テーマは「Summer Savvy」。わかってる女の夏のスタイルってことだが、マドラス・チェックを中心に、ジャケットやベストにタイまで組み合わせるという、男目線のコーディネイトだった。

それにしても1982年当時、東京の女子大生がこんな服を着たのだろうか。答えは否。男子学生のファッションは『POPEYE』的なものが主流だったが、当時の女子学生はコンサバ女性誌の草分け『JJ』の影響下にあった。「ポパイ少年」に対して「JJガール」という言葉も生まれ、『JJ』風は女子の典型的なスタイルとなっていた。「ミハマ」の靴に「キタムラ」のバッグで有名な「ハマトラ」、トラッドベースに「グッチ」や「フェンディ」などブランド物を合わせる「ニュートラ」。そして、ファラ・フォーセット・メジャーズ風のサーファーカットがキャンパスを闊歩していた。

当時のファッション誌、たとえば『anan』は、外国人モデルを使って先端モードを提案していたが、『JJ』は素人の女子大生やOLが着るリアルなファッションとして「ニュートラ」を取り上げ、幅広い支持を得た。’81年には『CanCam』’83年には『ViVi』が続き、キャンパスは「赤文字系」全盛となる。そんな状況の中では、いくら『POPEYE』の勢いを借りたとしても『Olive』はさすがに苦戦、軌道修正を迫られることになる。翌年には「Magazine for Romantic Girls」のキャッチフレーズで、ガーリーなテイストに大変身した。「オリーブ少女」の原点となった第29号もいずれこのコーナーで紹介するつもりだ。

 

Magazinehouse Digital Gallery 過去の名企画をライブラリーから

1945年創刊の『平凡』に始まり、『週刊平凡』、『平凡パンチ』、1970年代になると『anan』、『POPEYE』、そして『BRUTUS』『Olive』『Hanako』、最近では2011年3月創刊の『Lips』まで、マガジンハウスは時代とともに歩み、時代にあった雑誌を作り続けてきました。その間、それぞれの雑誌ライフスタイルを体現した読者たちは「みゆき族」「アンノン族」「ポパイ少年」「ハナコ族」などと呼ばれ、時代を象徴する存在となりました。『Magazinehouse Digital Gallery』は、マガジンハウスの豊富なライブラリーの中から、過去の雑誌の名企画を拾い出し、資料画像として限定公開する企画です。すでに入手困難となった創刊号、また世間を騒がせた名企画など、興味深い企画を順次公開していく予定です。