Magazinehouse Digital Gallery vol. 17 1988年6月『Hanako』 創刊号より
その1 ROOM FOR RENT

(2011.08.04)

今回は先頃通刊1000 号を迎えた『Hanako』の創刊号を取り上げたい。『Hanako』の誕生は、バブルまっただ中の1988年。「27歳独身女性。海外旅行は年2回。靴とバッグはブランド物で。キャリアと結婚だけじゃイヤ」というOL向けに企画されたリージョナル(地域)情報誌だった。ちょうどその2年前、1986年に「男女雇用機会均等法」が施行され、キャリア女性という新たな階層が誕生した時期でもあり、創刊はその流れに乗っていた。彼女たちはブランドものを求め、グルメに、海外旅行にとアクティブに活動する女性たちで、『Hanako』のブレイクに絡めて「ハナコ族」と呼ばれ、翌年には流行語大賞まで受賞することになる。

『Hanako』は女性誌ではあったが、生活情報が核になっていた。創刊号も巻頭は「”陽当たり良好・徒歩5分”だけじゃいや。すぐ借りられます。厳選27物件」という賃貸物件情報。他には、舞浜のホテルやデパ地下、おいしいパンの情報など、首都圏の雑多な情報が詰め込まれていた。それにしても創刊女性誌のトップが、ファッションでもコスメでもなく不動産特集、「なぜ部屋も着替えないの」と、時代の気分を気取っていたが、はたしてどのぐらいリアリティがあったのか。『Hanako』は、想定読者のイメージこそはっきりしていたものの、彼女たちが何を求めているか、この時点ではまだ捉え切れていなかったように見える。

***

だが『Hanako』のブレイクは、意外に早かった。7/21発売の第8号「賢くシャネルを買う方法」という特集で、ホノルル、香港、シンガポールのシャネル・ブティックを取材して話題を呼び、9/8の第14号で「いま東京で買えるエルメスのすべて」、翌週の第15号で「ティファニーのすべて」とブランド特集を連発。同時に7/7の第6号で「銀座」、第12号「新宿」、第14号「大手町、丸の内、有楽町、日比谷、内幸町」、第15号「横浜」と、エリア特集を立て続けに組んだ。そして秋口には、「ブランド特集」と「エリア特集」というふたつのキラーコンテンツを獲得し、上昇気流に乗っていた。

創刊編集長は『POPEYE』『Olive』の創刊にもかかわった椎根和。副編集長としてコンビを組んだのが柿内芙仁子。『Hanako』のブランド路線は柿内のネットワークによるものだという。そして表紙のイラストレーションとタイトルロゴは、オーストラリアのイラストレーター、ケン・ドーン。彼の明るくて元気な作風は「ハナコ族」のイメージに見事にフィットしており、雑誌のブレイクにあわせて、ケン・ドーン・ブランドのアパレルまで販売された。椎根は退社後、『平凡パンチの三島由紀夫』『POPEYE物語』という著作で、マガジンハウスの雑誌作りを振り返っているが、いま『週刊読書人』で『銀座を変えた雑誌Hanako !』を執筆中である。その中で椎根は、銀座が海外ブランドの街になったのは『Hanako』がブランドブームに火をつけたからだと書いている。多少言い過ぎな気もするが、『Hanako』が大ブレイクした当時の現場には、そのぐらいの実感があったのだろう。興味のある方は、ぜひ当事者による誕生秘話をお読みいただきたい。

 

Magazinehouse Digital Gallery 過去の名企画をライブラリーから

1945年創刊の『平凡』に始まり、『週刊平凡』、『平凡パンチ』、1970年代になると『anan』、『POPEYE』、そして『BRUTUS』『Olive』『Hanako』、最近では2011年3月創刊の『Lips』まで、マガジンハウスは時代とともに歩み、時代にあった雑誌を作り続けてきました。その間、それぞれの雑誌ライフスタイルを体現した読者たちは「みゆき族」「アンノン族」「ポパイ少年」「ハナコ族」などと呼ばれ、時代を象徴する存在となりました。『Magazinehouse Digital Gallery』は、マガジンハウスの豊富なライブラリーの中から、過去の雑誌の名企画を拾い出し、資料画像として限定公開する企画です。すでに入手困難となった創刊号、また世間を騒がせた名企画など、興味深い企画を順次公開していく予定です。