島根への旅#1 縁とはなにか?を楽しく美しく。
~出雲、神々の心優しき宴。

(2016.08.05)
出雲大社御本殿を裏から。
出雲大社御本殿を裏から。

ここから始まるなにか。出雲、そして島根を歩くと、そんな縁をいろいろな場所で感じることができる。その感じたことがおそらく、訪れた人にとってもさまざまな縁がうまれるきっかけになる。人生に遅すぎる縁はない。あのころはあきらめていたけれど、今こそタイミングが合って生まれる縁もある。縁という言葉を意識せざるを得なかった島根の不思議な旅を、シリーズで綴ります。

出雲大社、縁とは、今は知らない何かと出会うこと。

男女の縁、運命の赤い糸。「縁結び」という言葉には、ロマンチックなイメージもあるけれど、考えてみれば、私たちの毎日は、多くの縁が支えてくれている。仕事での縁を得て自分の才能が開花する。大人になってから出会った友人との縁は人生を豊かに彩ってくれる。ある国や土地との縁が生まれ思わぬ人生の転機を迎えることもあるだろうし、自分とは違う個性や才能との縁によって不思議なケミストリーが生まれることもある。「ひょんなことから」、とか、「なにがきっかけとなるかはわからない」とか、そういうすべてがきっと「縁結び」の結果なんだろう。

島根、出雲大社といえば、甘くもあり切実でもある縁を求めてくる女性たちの聖地、というのが定番。訪れてみれば、確かに、女性たちをつつんでくれるやわらかい空気があり、神々しさを押しつけてこない優しさがある。美しくも緩やかな独特の長い下り参道を歩くと、その色合いと高低のゆえか、ふわっと軽やかな気持ちになるし、拝殿もスケール感は間違いなくあるのだけれど、圧迫されるような荘厳さではなく、どこか人の気持ちに寄り添ってくれるような柔らかなフォルムに感じる。

そういった情景からは確かに甘酸っぱい恋物語が良く似合うのだけれど、見渡してみれば、一人旅の男性や、初老のご夫婦、外国人の観光客など、さまざまなキャラクターの人たちが、急ぎ足になることもなくにこやかに歩いている。仁侠映画の名脇役みたいなちょっと強面の男性たちも、コートを脱いで微笑んでの記念写真。たくさんの人はいても、にぎやかではなくにこやか。

出雲大社拝殿。
出雲大社拝殿。

静かにたたずんで気を感じる時間もスペースも確保できる。のんびりと拝殿から本殿へ、そして本殿の裏側へ。右側から見る表情は美しい建築物で、因幡の白うさぎをモチーフにした像と一緒に裏から見る姿はかわいらしく、左側に回ると自然と一体化した古代のレガシーであることを実感する風景となる。なんとも不思議な視点の変化。

恋の縁結びもあるけれど、誰もが、それぞれに感じられる出雲大社があって、それぞれに求める縁がある。おそらく僕が感じた出雲大社と、誰かが感じた出雲大社は違って、僕が求める縁と誰かが求める縁は違う。春の陽光の中での出雲大社はほがらかでちょっとのんびりしていて、きっと初夏、梅雨、夏、初秋、晩秋に厳冬。雨の日と晴れの日と、表情を変える。恋だけの縁じゃなくて、縁とは、今は知らない何かと出会うこと。10年前に訪れた出雲大社では感じられなかったこと、見つけられなかった風景を見られたこと。それだけでも新しい縁が生まれた瞬間なんじゃないかと思う。

出雲大社を後にして、神門通りで飲んだテイクアウトのしじみスープ。島根の恵みであるしじみで前日の深酒で、神話の中のヤマタノオロチよろしくダメージを負った胃袋を癒しながら思うことは、良い縁と出会うためには、自分の心をいかに柔らかく優しくしておけるかということ。親しみやすく、右も左も裏側までを見せてふところに近づかせてくれる優しい出雲大社を見習って。

御本殿に最も近づける裏側では、二羽のうさぎも仲良く並んで参拝。
御本殿に最も近づける裏側では、二羽のうさぎも仲良く並んで参拝。
神様の宴会「直会(なおらい)」の場所、万九千神社。

そうだ、神様も人間も、きっと楽しい気持ち、相手をリスペクトする気持ちから新しい縁を生み出すんじゃないか。ここからはちょっとファンタジーを交えて。

10月、神無月は神々が集まる出雲では「神有月」。そのとき、会議の場所である出雲神社では神々に宿泊場所を提供する。東側の神様は「東十九社」西側の神様は「西十九社」。現代風に書かせてもらえばイーストサイドホテルとウェストサイドホテル。共に年に一度、会員が集まるこの場所で、会議中だけではなくオフタイムにも神々同士での縁が結ばれるようだ。神々のサミットのフィナーレは、出雲大社から、我々、現代の人間の移動手段である車でいうと10分ほど離れた『万九千(まんくせん)神社』で。

ここで、神様の宴会、打ち上げである「直会(なおらい)」が行われ、気分よく全国に帰っていく。東の大豆を扱う神様と西の水を扱う神様がこの場で盛り上がって、醤油でも作ろうか! 西の米を扱う神様と東の麹を扱う神様、古株の土を扱う神様と新しい種を扱う神様…、責任をもった重い会議が終わってのお神酒を酌み交わしながらの打ち上げだからこそ生まれる縁。そんなことを想像してしまったのも、この神社から生まれたあるアイテムとは無縁ではないだろう。

錦田宮司と、出雲生姜屋の南浩二さん。
錦田宮司と、出雲生姜屋の南浩二さん。

「じんじゃエール」。誰もが一度は思いついたような駄洒落がそのまま商品名になったドリンクが生まれたきっかけは、直会(なおらい)。地元産の生姜を通じて小規模農家の未来を切り開く取り組みをしている「出雲生姜屋」の南さんと、お酒を召し上がらない方にもお神酒を楽しんでもらいたいという思いを持っていた宮司の錦田さんが、酒席で意気投合。元々南さんは市の職員で、錦田さんは県の仕事をしていたということで、農業、神事だけではない柔軟な発想をもっていたということはあっただろうけれど、いつ、どこで、どんなタイミングで会うかで、素敵なアイデアが生まれ、発展するかはわからないものだ。

10年前、僕が出雲を訪れたときは、僕自身が出雲には求められていなかったタイミングだっただろうし、僕自身もその意味をわかっていなかったが、今回の訪問で彼らと出会い、その姿をこうして書くことがきる。お互いにとって、それは、今だからこその縁。恋心の素敵な縁もあれば、神々が繁栄や豊かな国を目指して結び合う縁もある。

右が出雲生姜屋の「出雲生姜じんじゃエール」、左が万九千神社オリジナルラベルの「御神酒代」(中身は同じ「じんじゃエール」)。
右が出雲生姜屋の「出雲生姜じんじゃエール」、左が万九千神社オリジナルラベルの「御神酒代」(中身は同じ「じんじゃエール」)。