英語の早期教育への新たなる提言!これまでの英語教育の一歩先へ
GLOBAL JAPANESE育成の最前線。

(2013.11.22)

オーラル重視の昨今の英語教育に「待った!」。実は、「文法」「構文」重視の従来の英語教育はこれからのグローバル社会を生き抜くための基礎を養う上で重要だという。課題は、その次のレベルへの押し上げ。ネイティブ講師との二人三脚にそのカギがあった。英語教育の第一人者が語る。

かつてもてはやされた「聴く」「話す」
しかし、今のビジネスシーンは「読み」「書き」

—まず、英語教育の現状についてお話ください。

松井:21世紀に入って、英語の用途が大きく変わってきました。かつての日本では「聴いて話せる」英語こそが重要だ、という考えが主流で、学校で習う英語では実践力は身に付かないため、英会話学校が大いに流行しました。ビジネスシーンにおいても、相手と会話を交わせる英会話スキルこそが重要だと思われていました。

ところが今、英会話学校は衰退の一途をたどっています。NOVAは法的なトラブルがきっかけで経営破綻しましたが、今世紀に入り、英会話のニーズが減少してしまったという問題が背後にはありました。

ニーズはなぜ減少したのでしょうか。今や、ビジネス英語の舞台はインターネットです。そこで必要とされる英語力は2つ。1つは「ネットに流れている情報の中から、いかに早くに、自分にとって必要な情報を読み込む事ができるか」、そしてもう1つが、「メールで、ビジネスポイントをいかに的確に発信できるか」。つまり、「読み」「書く」英語です。会話ではなく、文字の英語力のニーズの方が、はるかに重要になっています。相手と顔を合わせる機会など、交渉の最終段階にならないとありません。それも、丁々発止と言葉を交わすというより、積み重ねて来た内容の確認レベルです。

また、ビジネスシーンにおいて重要な「プレゼンテーション」も然り。今やPower Pointにいかに的確にまとめられるかが、プレゼンのカギとなっており、口頭での説明は補足程度のものに過ぎません。

近年の日本では、英語アレルギーを克服すべく、オーラル中心の英語教育に力を入れる傾向が続いていましたが、この教育では、今のビジネス社会のニーズに応える事ができなくなってきているのは明らかです。

そこで今、再び見直されてきているのが、「構文」「文法」中心に進められて来た日本のかつての英語教育です。つまり、「実用的な英語力」を養えないとして批判されてきていた、大学受験を焦点に定めた「文法」「構文」を徹底して教える日本の英語教育は、実は、これからのビジネスシーンを生き抜く人材育成のために不可欠の要素になってきたわけです。インターネットがビジネスの舞台の主流になった事によって、「読める」「書ける」重要性が飛躍的に高まったのです。

従来の英語教育は無駄ではないが
それを引き継ぐネイティブこそカギ

—とはいえ、やはり「文法」「構文」中心の教育では、これまで同様、「英語コンプレックス」を払拭する事ができないのでは?

松井:もちろん、従来の「文法」と「構文」を学んだだけでは、十分とは言えません。大切なのは「読み」「書き」できるようになった上で、いかに「聴ける」「話せる」というところにもっていけるか。私が指摘しているのは、従来の英語教育が決して無駄ではない、という部分にあります。その上で、そこからもう一つ、上のレベルへもっていくための継続性が重要なのです。

つまり、日本人の先生が教えた内容のレベルで、英語の学びがストップしてしまった点に問題があります。

端的に言うと、日本人の先生が教えたものを、ネイティブの先生が引き継ぐ事が重要だといえます。しかし、今、日本の英語教育の現場では、ネイティブの先生たちをうまく使いこなしていません。単なる日本人の先生の助手として使っているか、あるいは日本の英語教育とは無縁の英会話だけ教えている。まさに宝の持ち腐れというような状況です。

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—どのような連携が望ましいのでしょう?

松井:例えば、日本人の先生の授業が週3日、ネイティブの先生が週2日。そして、ここがポイントですが、同じ教科書を使って授業を行う。こうする事によって、「読んで」「書ける」英語を、さらに「聴いて」「話せる」英語へとつなぐ事ができるようになるはずです。

私は昨年4月から、このメソッドに基づいて、中高一貫の英語プログラムを実験的にスタートさせました。初年度に参加したのは、いずれも中学受験勉強に忙しく、英語早期教育とは無縁だった中学1年生たち。

週1回集まってもらって、最初の90分を日本人の先生による文法構文中心の授業を行い、次の90分でネイティブの先生による授業を行いました。ネイティブの先生の授業では、正しく読めているかを確認。次に耳で聴いて理解できるかの確認。さらに内容について英語で質問をし、英語で答えてもらう。そして、似たような英文を聴かせて理解できるかどうかの確認。最終的には英語でそのテーマについてディスカッションを行います。こうした授業を繰り返す事によって、わずか1年後、部活動が忙しくて勉強をペンディングした生徒を除いてほぼ全員が英検の準2級を取得したので、私は驚いてしまいました。特に、最初は英単語をイヤイヤ暗記していた男の子が、意欲が沸き始めた冬頃から一気に伸びましたね。

「構文」「文法」は大切だけれども、そこでストップしていては、「話せた!」「理解できた!」「伝わった!」という高揚感は得られず、意欲も沸きにくい。これまでの英語教育がつまずいたのは、ここだったわけです。

何も、私は新しい事を提唱しているわけではありません。今や、多くの英語教育の先駆者たちが、同じ課題を共有しています。「読めて」「書ける」その上で「聴けて」「話せる」、この四位一体が重要なのです。

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—日本人の英語教育者のスキルの問題がありますか?

松井:日本人の英語の先生が英語を話せないのが問題だといった批判がありますが、それは何の問題もありません。日本人の先生が教えている「構文」「文法」の英語教育はそれ自体、大変重要なものです。冒頭で述べたように、ビジネスシーンで役立つ「書く」「読む」基礎を作るものだからです。しかし、その上で、ネイティブの先生によって「聴く」「話す」レベルまで引き延ばす必要があるという事です。

—小学校からの早期教育はどのようにお考えですか?

松井:来年3月から我々が開講する予定のMASKイングリッシュアカデミーでは、小中高一貫英語習得プログラムを提供します。小学校の低学年では、まず英語が好きになる事。楽しいな、と思える体験が大切です。そして4年生からは、読める英語が中心になってきます。いずれ、中学の教育に引き継いでいけるような英語力、つまり、自分で論が展開できる英語を身につける必要があるからです。その意味では、テレビ番組などでやっている、ネイティブの人の話す言葉を音楽と一緒のような感覚で楽しむ、という英語では全く不十分です。
そして、中学からは、昨年から実験的に始めた日本人とネイティブによる二人三脚の授業を徹底していきます。高校1年までに、ほぼネイティブと同等の読解力、表現力が身に付くはずです。

これからの社会を牽引するのは
「自分」だと言い切れる自信を若者に

—松井さんは、英語教育の目的として、GLOBAL JAPANESE(グローバルジャパニーズ)の育成を掲げておられます。

松井:私は、英語は単なる手段だと考えています。今の時代、大国ニッポンを目指す必要はないと思います。しかし、戦後の日本が築き上げて来た良い遺産、例えば“テクノロジー”“戦後体験から生じた平和志向”といった価値観を、世界で共有していく事が大切だと感じます。

グローバル社会への流れは止めようがありません。今や、国境を超えて、“GLOBAL CITIZEN”という発想が重要です。日本人も、世界市民としての発想を持たねばなりません。平和な国際社会は、黙っていて実現できるわけではありません。GLOBAL CITIZENとしての努力が結実して、初めて一歩近づいていけるような理想です。みんなが利益を共有できるようなグローバル社会を志向するためにも、そこで日本人が果たす役割は大きいと考えます。

私は、若い頃から、国際ジャーナリストとして中東を中心に各国を飛び回って取材し、原稿を書いてきました。日本のパスポートを手にして世界を飛び回っていると、未だに「日本ブランド」が健在である事を感じます。入国の際に、信頼性の高さが実感できる。米国人ジャーナリストなどと世界を旅していると、彼よりも私の方が入国時にスムーズな場合がほとんどです。この日本への信頼性を、世界とより深く共有する、発信するためにも、GLOBAL JAPANESEの育成は、私の使命と考えています。
それが、私が来年度からMASKイングリッシュアカデミーで小中高一貫の英語習得プログラムをスタートさせる事に踏み切った理由です。

—このGLOBAL JAPANESEの要件の一つが、先ほどの「使える」英語力という事でしょうか。

松井:世界市民となるために、欠かせぬ手段が英語である、と考えます。特に、単に「英語が話せる」ではなく、その英語で「何を」話せる人間になるのか。論理的に考えを構築する、という事ももちろんですが、その上で“教養”というものが欠かせないと考えます。私は、河合塾という予備校で英語講師となって15年、その後は中高の英語教科書の執筆・開発や、大学生や幼児の英語教育にも取り組んできましたが、長年の英語教育を経て、その事は強く実感しています。

そこで、英語で読む事を学び始める小学校4年頃から、社会科学、人文科学、自然科学の3つの学問体系に分けて、3つの基礎を英語で学んでいく事も大切でしょう。自分は将来、どのような分野を深めて行きたいのか。教養と国際センスのあるGLOBAL JAPANESEこそ、これからの日本社会を牽引していく人材であると思います。

日本人は、国際政治の舞台などでも、日本人の政治家たちの「未成熟=immature」が指摘される事も少なくありません。しかし、matureかどうかは、本人が決める事ではなく、相手が判断する事です。そして、政治の指導者の国際センスは置いておくとしても、海外での日本人の評価、「時間に正確である」「物事に慎重である」「口が堅い」といった信頼感、そしてビジネスでも海外援助でも、まさに現場で働いている日本人たちへの信頼感の高さは特筆すべきと考えます。

最後に、一つ、大学の心理学の授業などで問われる質問を提示しましょう。

「一人だけ治す事のできる万能医療器具がありました。そこに4人の死にそうな患者が運び込まれました。あなたは、誰を選びますか」という質問です。

①小さな子どもたちを育てている母親、②間もなく、大勢の命を救うガンの特効薬を発明するであろう若き研究者、③発展途上にある国で独裁的ではあるが素晴らしいリーダーシップを発揮している指導者、そして最後は④あなた自身。

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—大変難しい質問です。

松井:そうですね。アジアの仏教国の人々は、涙を流しながら①を選びます。そして、①を選ばない人を「どういう事だ!」と糾弾します。アフリカ大陸の人々は、ヒトラーにならないという前提で③を選びます。そして、南米の人々は迷いなく「自分!」の④を選び、キリスト教精神に支えられた北米の人々は②を選ぶ。

では、日本人はどうか。多くの偏差値の高い日本の若者たちは、②を選ぶそうです。この選択の背景にある考えは、北米のそれとは違います。つまり、徹底的に学校や予備校で「点数が悪いのはお前の責任だ、できないのはお前の努力不足だ、自己責任だ!」としごかれて続けた彼らは、自分自身への自信を喪失しています。

「②の人は素晴らしい。しかし、自分はそんな人間にはなれやしない。そうであれば、自分が生き残るよりも、もっと賢い人に託そう」と考えるのです。

しかし、これからのグローバル社会、何でも起こりえるボーダレスの社会において、薄っぺらい人道主義は通用しないと私は考えます。下克上の世界、弱い者はどんどん落ちて行く世界にあって、人類の利益を共有できるような社会を構築していく、そのために有為な人材に自らがなってやる。だから、託すべきは、どこかの誰かではなく、この「自分だ」と言い切れるような、その役割を引き受ける覚悟を持てるような人間を一人でも多く育成していきたいのです。

■松井道男プロフィール
(まつい・みちお)1944 年群馬生まれ。シカゴのThe Ecumenical Institute Academy Courseで学び、71年哲学と神学、古典言語学の研究を専門とする大学院Lutheran School of Theology at Chicagoに入学。神学、哲学、言語学の習得に没頭。’74 年に中退。以降は国際ジャーナリストとして主にアジア、中東の抑圧されている人々を取材し記事を執筆してきた。’85 年から河合塾英語非常勤講師になり、半年後に専任主任講師に。中高一貫校用検定外教科書『TREASURE』の開発・執筆者として英語教育界で注目を集める。現在は一般社団法人英語教育研究所代表理事、夙川学院短期大学学長、神戸夙川学院大学副学長を務める。有料メルマガ『松井道男のグローバル英語ニュース』を週2回配信、英語教育活動の中心的プログラムとして展開している。
http://theory.ne.jp/michio_matsui