Another Quiet Corner Vol. 12 優しい歌声でルーマーが見せる
60〜70年代音楽の魅力。

(2012.07.09)

PMCスピーカーに映える声。

先日、元レコード会社の知人から「マスタリング・スタジオに遊びにきませんか? スタジオ用のPMCスピーカーがあるので聴きましょうよ」と連絡があり、昨年からオーディオ微熱が続いている僕はそれを断る理由もなく友人と共にそのお誘いを喜んで受けました。ハイエンドの機器と防音設備が整った中で大きな音量で聴くことができるということもあり、普段からよく聴いているCDを何枚か持って行ったわけですが、歌声の息づかいや楽器の一音一音が生々しく響く様子は、さながら“CDコンサート”とも言える貴重な体験でした。エンジニアの方にもお付き合いをいただき、持参したCDを順番に聴いたのですが、その中でもみなさんの賛同を得たのが「ルーマー」でした。カレン・カーペンターを彷彿させるふくよかで優しい歌声と、70年代のA&Mレコーディングを蘇らせたような贅沢なストリングスを配したサウンドが、空間を包み込みました。

消えた幻の7インチ「Come To Me High」と鮮やかな復活。

今から5年ほど前、いつものように新譜チェックをしていると、鮮やかなオレンジ色を背景にギターを抱えた女性がモノクロで写ったジャケットの7インチが気になり、さっそくMYSPACEで試聴してみました。これがずばり好みの感じで、社内の仲間たちの間でちょっとした話題となったのです。この盤には「Come To Me High」という曲だけがアレンジ違いで2曲収録されていました。ゆるやかでフォーキーな手触りは「ファイスト」に近いけど、深みのある声の力はただ者ではないというのが当時の感想でした。調べるうち発売元はイギリスのLITTLE LEAGUEレーベルで、彼女がパキスタン人であることもわかりました。歌唱力は高く、メロディも良く、アレンジも素朴だけどセンスがいい。もしフル・アルバムが出たらとてもいいのになりそうだと、その時をずっと待っていたのですが結局アルバムは発売されず、いつのまにか彼女のMYSPACEも閉鎖されていました。1枚の7インチで消えた幻のミュージシャン…。以前僕が選曲を手掛けたコンピレイション『From Melancholy Garden』を制作する最中に、彼女の楽曲を収録させたくて許諾を取ろうとしたのですが、結局コンタクトすら取れなかったのでした。

その2年後、意外なところで彼女とふたたび出会えたのです。2009年にドイツの老舗レーベル「!K7」から発売された、ブーズー・バジョーの『Grains』というアルバムに収録された「Same Sun」で、あの歌声が聴こえてきたのです。クレジットを見るとたしかにルーマーの名前がありました。どうやら彼女は音楽活動を続けていたのです! この再会は本当にうれしいものになりました。ちなみに『Grains』は、ほかにもいい曲がたくさん収録されていて、南部の土の香りと、チルアウト・メロウビーツな空気感が見事に合わさった、隠れた傑作です。


ルーマー
いい音楽は時を超えて愛され続ける。

そうして彼女の復活を喜んでいたら、その1年後にはなんとメジャー・デビューをはたします。しかも名門アトランティックから。この時ルーマーは31歳で、“遅咲きのシンデレラ”なんて言い方もされていました。いろいろと彼女に関する情報もわかってきて、イギリスで音楽活動をしていたことや、本名はサラ・ジョイスであることなど…。ファースト・シングルの『Slow』はバート・バカラックの音楽にも似た流麗な旋律が染みる美しいトラックで、彼女の実質デビュー作にはふさわしい内容でした。実際バカラックも彼女の歌に賛辞を述べています。もちろんイギリスでも大ヒットを記録し、世界中に彼女の存在が知られることになりました。あの7インチで彼女の虜になった人たちは、シンデレラとなった彼女にすこし淋しい気持ちを抱いたかもしれません。しかしファースト・アルバム『Season Of My Soul』の2曲目にはあの幻の1曲「Come To Me High」が再びリアレンジで収録されていたので感激です。

彼女の音楽は普遍的です。過去から継承される大衆音楽=ポップスの良質な部分を体現したような音楽家です。何も無いところから新たな音楽を探したりするのではなく、過去の遺産から新たな魅力を見つけるような、それも堂々と彼女なりの解釈で表現をしています。「だって60年代とか70年代の音楽って素敵でしょ」という素直な声さえ聞こえてきそうです。キャロル・キング、ローラ・ニーロ、ジョニ・ミッチェル…どんなに有名な音楽でも初めて耳にする人にとっては新しい音楽です。僕はルーマーとは同世代なので彼女の音楽を聴いていると共感できるところがあります。(過去から現在への音楽のサイクルについては、Quiet Cornerの2012年春号の中で清水久靖さんが「音楽の循環、再び古典の中へ」と題して素晴らしいコラムを書いているのでぜひ読んで頂ければと思います)。


『Quiet Coner』2012年春号より

ルーマーの2作目は、音楽の道しるべ。

今年になって届けられた待望の2枚目のアルバム『Boys Don’t Cry』は、さらに過去の音楽への敬意が表れたカヴァー集でした。驚くことに男性ミュージシャンの楽曲ばかりを選曲しています。一聴して耳馴染みのよいポップスでありながら、根底にはソウルやジャズが流れる良質なサウンドには彼らの影響があるのでしょう。ジミー・ウェッブ、リッチー・ヘヴンス、トッド・ラングレン、ポール・ウィリアムス、スティーブン・ビショップ、ホール&オーツ、タウンズ・ヴァン・ザント、クリフォード・T・ウォード、ロン・ウッド&ロニー・レイン、テリー・レイド、ギルヴァート・オサリヴァン、ティム・ハーディン、レオン・ラッセル、ニール・ヤング、ヴァン・モリソン(国内盤のみ)は70年代音楽ファンには嬉しい人選であり、新しい音楽ファンは彼女の歌を聴いてきっとそれらのオリジナル楽曲も聴きたくなるでしょう。

僕は学生の頃、ブランニュー・へヴィーズの「Midnight Oasis」のカヴァーを聴いて、そのオリジナルであるマリア・マルダーを知りました。それからマリア・マルダーを通して、ダン・ヒックスやライ・クーダー、ドクター・ジョン、ロン・デイヴィス、レニー・ワロンカーという60~70年代のアメリカン・ミュージックを代表する重要なミュージシャンを知ることができて、一気に扉が開かれたのです。ルーマーの『Boys Don’t Cry』もそういった素晴らしい道しるべとなるかもしれません。親切にもブックレットにはそれぞれのオリジナル・アルバムのジャケットも掲載されています。

ここ最近、家に帰るといつも『Boys Don’t Cry』を聴いています。6曲目のスティーブン・ビショップは、やっぱりいい曲だな…。このアルバムを聴き終えたら、こんどは彼の『Careless』をレコード棚から探して久しぶりに聴いてみよう。この曲は先日スタジオに誘ってくれた元レコード会社の人もきっと好きなはずだから今度会ったら、このルーマーのカヴァーを教えてあげようと思います。

Another Quiet Cornerとは

このコラムはHMVが季刊で発行するフリーペーパー「Quiet Corner」の編集長・山本勇樹さんが、「Quiet Corner」で書ききれなかったアルバムやアーティストにまつわる話しを伝えてくれるコラムです。2009年10月、HMV渋谷店に伝説の売り場「素晴らしきメランコリーの世界」が誕生しました。この売り場は「心を静かに鎮めてくれる豊潤な音楽」をジャンルや国籍に関係なくセレクトするものでした。2010年1月に、bar buenos airesという選曲会で、その売り場の中心的な存在であるアルゼンチンの音楽家カルロス・アギーレと共鳴する音楽をかけて聴くというシンプルなイベントがスタート。イベントごとに制作、配られたフリーペーパー「素晴らしきメランコリーの世界」はHMV渋谷店閉店と同時に終了、2011年春「Quiet Corner」と名前を変え、まったく同じコンセプト&選曲者によって静かだけではない豊かでQuietな音楽を紹介し続けています。