片岡英彦のNGOな人々 (Non-Gaman Optimists)気持ちいい家 伝統工法の魅力
きらくなたてものや 日高 保

(2012.03.23)

「NGOな人々」”Non-GAMAN-Optimistとは「ガマン」していられず、チャレンジをし続け、決して諦めない 「楽観人」。NGOな人々へのインタビュー第15回は、一級建築士で伝統工法『きらくなたてものや』の代表・日高 保さんです。

私、片岡英彦の祖父と祖母は、戦後70年間、広い平屋の持ち家に住み続けていました。15年程前に祖父を亡くしたのを機に、自宅の土地が借地だったこともあり、地主さんと交渉の上、土地の半分を返還した上で、半分の敷地に住居を建て替えることになりました。築100年以上の古い建物でしたので、本当は住居を全て取り壊してから建て直した方が早かったのかもしれません。

しかし、長年祖母が住み慣れた家でしたので思い出も詰まっています。多くの思い出の詰まった自宅を全て取り壊してしまうことに抵抗があり、どうしたらよいものやら親族は困っていました。

すると、遠縁にあたる「伝統工法」の大工さん(故人)が「リフォーム」に一役買ってくれることになりました。私が「伝統工法」という言葉を知ったのはこの時が初めてでした。

■日高 保 プロフィール
きらくなたてものや 代表

神奈川湘南地区を中心に『きらくなたてものや』として、日本の伝統的な建築方法(伝統工法)によるセルフビルド方式での住宅建築を行っている。「伝統的な工法で現代の空間を表現」「職人との対話で家を作る」「自然素材を基調に快適な空間を作る」「建物づくりの過程を大いに楽しむ」がモットー。京都大学工学部建築学科卒業。一級建築士。大手都市計画コンサルタント会社に勤務した後、2004年に独立。現在に至る。インタビュアーの片岡英彦とは藤沢市立藤が岡中学校、神奈川県立湘南高等学校、(お互いに一浪した後で)京都大学に入学し、東京の(しかも近所の)企業に就職後独立したという同じような経歴でありながら、なぜか同じクラスには一度もならず平行線を辿ってきた希有な同窓生でもある。

きらくなたてものやホームページ

子供にアピール、
職人はかっこいい!

―何で「きらくなたてものや」っていう屋号にしたの?

日高 事務所を始める前、これから取り組んでいきたいことを踏まえて、結構マジメに考えたんだけど。(笑)いろんな反応があって、手たたいて笑われたり、領収書もらうときに「ほんとに全部ひらがなでいいんですか?」とか聞かれたり、年配のかたの中には「○○設計」という方がいいんじゃないかとか、色々アドバイスしてくれる人もいたり。とにかく反応が面白いんです。(笑)面白がってくれるっていうのは、ある意味で「当たり」だったのではないかな。

「なんでそんな名前にしたの?」って尋ねられたら、その時はある意味こちらの思うツボなのです。僕の思い入れがあるから10分くらいは平気で話してしまう。自分の言葉で「きらくなたてものや」の屋号の思いを説明させてもらうと、それだけで伝わることもある。

―「狙い」だったんだ。

日高 とくに子どもたちに向けて「文化の種蒔き」をしたかった。

小学生の頃に「なりたい職業って何?」って聞かれると「大工!」って答える子どもは結構いる。けれど、中学生以上になると、「おれ、職人目指しているんだ」っていう子って、よほどのことがないかぎり、ほとんどいないよね。世間一般の学生たちのめざすべき方向は、大手企業だったり、管理する側のほうだったり、近代化の路線に向かっている。そして「近代化の路線にのれなかった人」が職人の道を選んでいるというイメージがある。

でも、どんな建築でも現場に行けばホントによく分かるんだけど、今でも実際に現場で活躍しているのは職人なんだ。職人が現場にいなければ、何も作れない。だから、子どもたちと関わることを通じて、職人の世界の格好よさを伝えていきたい。もっとストレートに「俺、職人になりたいんだよ」って言う子どもたちを作っていきたいんだ。だから子どもたちも読めるように、全部ひらがなってわけ。(笑)

木や土などの身近な素材で、
職人が手仕事で作り上げる「伝統工法」

―「伝統工法」は一般の家づくりと何が違うの?

日高 技術的なことを言えばいろいろあるけれど、端的に言えば、木や土などの身近な素材を使って、職人が手仕事で作り上げる工法のことかな。今は特殊になってしまったけど、数十年前は当たり前の世界だった。

また「伝統工法」とは少し話が逸れるけど、一般の家づくりの場合、元請けには工務店などがなる。建て主から一括して施工を請け負う。建て主が希望する全体予算の中で、いろいろな職人に仕事を発注する。一方、僕らが行っている「直営方式」は、建て主が工務店に全てを委託するのではない。建て主がそれぞれの職人と直接の契約を結んでいく。その中で、僕のような設計者が施工全体の流れを取り仕切っていくんだ。

「伝統工法」と家づくりって、案外結びつかないようだ。「伝統工法」と聞くと、多くの人は古民家の空間や宮大工の世界などをイメージするんだ。たまたま建て主になってくれた方に言わせると「僕たち、『きらくなたてものや』にたどりつくまでほんとに大変でした」ってよく言われる。(笑)

「伝統工法」っていうキーワードがそっくりそのまま頭に思い浮かぶ人にとっては、すぐ僕たちのところにすぐにたどりつくのだろうけど、そうじゃない人は「伝統工法」というキーワードにたどりつくまでが、とにかく大変みたいなんだ。

―「伝統工法」は建て主にどういうメリットがあるの?

日高 もしも伝統工法で家を造ると、建築材となる土や木がそのまま生活上で見える。それは空間的な「見える」だけでなく、建築中の職人の仕事ぶりや、苦労や、建て主さんたち自身の家に対する本当の思いなども。そういう「すべて見える」というところが、伝統工法の家づくりの一番の良さかな。

ー「伝統工法」っていう呼び方からはイメージしにくいのかもしれないね。

日高 「在来工法」との違いを明確にするために「伝統工法」って呼んでいるんだけど、実はこう呼ぶことには迷いがある。それは、僕らがやりたいことは実は「未来の家づくり」だから。「伝統工法」というのはあくまで手段であって、目的ではない。「伝統」を残したいから「伝統工法」なのではなくて、住む人にとって気持ちいい家をつくる手段としての「伝統」だから、その手段として使っている。だから多くの人がイメージする「伝統工法」は、鎌倉のお寺だったり茅葺きの民家だったりするけど、実際はそうとも限らない。そこがすごく悩ましい。なんか他に良い呼び方ないかねえ。


『きらくなたてものや』による、鎌倉た邸。©畑拓
コンサルティング企業から
「伝統工法」の世界に。

―大学卒業して、大手の都市計画などのコンサルティング企業に就職したのに、どうして、退職して「伝統工法」の世界に入ったの?

日高 何てったって、面白いから。もちろん「作り方」が面白いっていうのはあるけど、それ以上に、伝統工法という手段は「物語」を作るのにすごく面白い手段だ。

家づくりの際、何で木造を選ぶのかってことを考えたときに、例えば、木材は単位体積当たりの生産エネルギー量が一番少ないエコマテリアルだからといって選ぶ人はほとんどいないだろう。もちろん伝統工法の背景には、現代が抱えている社会的な問題や環境的な側面もあるけど、僕が一番感じてもらいたいのは「気持ちがいいでしょ!? 居心地もいいでしょ!? 」ということ。

そうした「心地よさ」を求めた結果、究極の手段として伝統工法に行き着いたと思っている。実際に「なんだか気持ちよさそう」とか「落ち着くわ」ということから始まって、建て主さんたちは伝統工法による家づくりを望んでくる。そこから、その人なりの色々な「物語」に僕たちが関わっていくんだ。

もちろん、その過程で「ああ社会的にこういう位置づけがあったのか」と気がつくこともある。実は木材にはこういう役割もあるのかとか。現在の林業とか環境問題を考えたときに、伝統工法にはこんな意義もあるんだとか。「物語」の中で建て主を社会問題や環境問題に結びつけていくという意味でも「伝統工法」というのは面白い手段だと思う。


『きらくなたてものや』による、横浜こ邸。©畑拓
いかに建て主が家づくりを
楽しんでもらえるのかを追求。

―具体的にどうやって建て主の「物語」に関わっていくの?

日高 どんな家にも、建て主がいる。その建て主が住み始めてから、いつかその家を手放す、あるいはその家で死ぬ時まで、家の「物語」は続く。ということは、僕らが関わることになる家を建て始めてから完成するまでの1年2年間というのは、物語全体のほんの序章にすぎない。実は何十年も先の物語も含めて、本当の家としての物語になる。だから僕らにできることは、その人の物語の一部として、「家づくり」というものを、いかに面白いものと思ってもらえるか。家づくりに愛情をもってもらえるか。

よくこうした造りは何年持ちますか? と聞かれるんだけど、物理的には100年いけるかもしれないけど、結果的には住んでいる人次第、と答えている。というのも、家がどんな古くなってもボロ家になっても、それでもやっぱり自分はこの家のことが好きで残したいと思えば、手を入れ続けて家は残る。逆にどんなに見た目を立派にしつらえても「俺もう気にいらないから要らない」って言われれば、その家の寿命はその時点で終わってしまう。

僕らは、将来のことをあまり「ああしなさい、こうしなさい」とは言えないけど、最初の導入部分は重要だと思います。そのイントロダクションの部分をいかに美しいものとして、また面白いものとして、建て主の心をつかめるかが僕らの役目ですね。そういう意味では僕らの役割の一つは、エンターテイナーです。いかに建て主が家づくりを楽しんでもらえるのかを追求していきたい。

ー例えば一生住む気はない家だって言われたら作らない?

日高 さすがに「投資」ありきの建築だったら、ちょっと考えてしまうかもしれないな。だけど、建て主の将来の物語は、僕たちが強要するべきものではないから、建て主が心に描いているストーリーに合わせて自分が器をあてこむということには全く抵抗はないです。そのかわり、どういう家族構成を想定しているかとか、ここで何をしたいかとかということも含めて、家づくりの前に相当話し込む。

***

―どうやって建て主からヒアリングをするの?

日高 必ず建て主さんには作文を書いてもらう。もちろんそういう過程で色々とイメージをふくらませてもらうための方法ですけど。伝統工法って実際には「型」(フレーム)ありきのところもあって、空間としての制約も大きい。

例えば、木の長さの限界が決まっていたりする。だから空間としての選択の幅はそんなに自由ではない。だからこそ、色々建て主さんから話を聞いて、一緒に色々考えた結果、平面にしろ、空間にしろ、結果としてはどうしてもある程度は似たような造りになる。

だけど、そこに至るまでの過程が大事なんだ。話し込んでいくなかで、こういう要望があって、こういう将来のことを考えていて、家族構成や、ペットを飼うつもりかどうか、食品の宅配をとっているかどうかとか、その家で自分たちが、どういう行動(動線)をイメージするのかなど。だから話し合った結果、最終的にはこれですねっていうのと、いきなり僕らが考えたプランを提出して、このプランどうぞと言うのとでは、空間に対する思いが全く違ってきます。逆にその過程がないと僕には設計ができないんだ。

***

―途中で「物語」がぶれてきたりしない?

日高 誰だって感性は揺れ動く。体験を通じて、あるいは世代が動くと、感性は変化する可能性がある。

日高 世代のことを言うと、僕らの世代って木造での空間を体験しているかっていうと、実はあまりしていない。小学校で、僕らの5つ上くらいだとまだ木造校舎もあったけれど、僕らの世代の校舎はほとんどが鉄筋コンクリート造だったよね。椅子ももうパイプ椅子だった。僕らの世代は本当の「木」の世界を肌で知らないんだ。僕らのような世代は、そういう空間としてのノスタルジーがあるから、木造がいいんじゃないと思える部分もある。でも、例えばおじいちゃん、おばあちゃんの世代の家を造らせていただくと、彼らは、木の建具をいやがる傾向にある。アルミサッシがいいって。楽だから、木の建具だと動かなくなるからって。(笑)

僕らの世代が木造を懐かしいと思うのは、なまなましい生活体験としてあるからではなくて、おじいちゃん、おばあちゃんの家のほんのかすかな記憶の中で、空間としての共感やあこがれがあるからだけど、逆に僕らの世代がそういう伝統的な遺伝子を新しく作っていかないと、「伝統工法」の技術が全くなくなってしまうかもしれない。20代30代の僕たちよりも若い世代が、木の世界に触れる機会を作っていかなくてはならない。


『きらくなたてものや』による藤野の家。©畑拓

『きらくなたてものや』による藤野の家。©畑拓
「伝統工法」には参入しない
大企業。

―何となく木の家をつくりたい、という「ゆるい」出発点もあり?

日高 ありだね。逆にそれくらいの出発点のほうが健全かもしれない。そういう感性で選んでもらっていい。この家は木造で社会的にこういう意義があるから建てたとか、環境的にこんなにいい建材だから使わせて頂きましたっていうよりも、「なんとなくここいいよね」とか「落ち着くね」とか、「これ触り心地がいいよね」みたいなそういうところから入って欲しい。最初から伝統工法っていうことにも固執しなくてもいい。「ああいいな〜」って感覚的に思ってもらえるような、そういうゆるい感じで構わないというか、そういう出発点でいいと思う。

―建て主の方にはどういう人が多いの?

日高 最近の傾向としては、これだけインターネットで調べられるから、いろんなことを調べてから問い合わせいただく方が多い。最初にお会いする時、建て主さんに言うのだけど、僕は建て主さんとパートナーとして「家」と「物語」を一緒に長い時間をかけて作っていくから、どうせだったらいろいろな方とお会いして、人間として相性が合うかどうかっていうのをよくみてくださいと逆に言うんだ。人間として共感できるかどうかとか。

―大企業は「伝統工法」には参入できないの?

日高 まずやらないだろうね。というかできないね。これだけ生産性が悪いと参入するのは難しい。それに、これ言うとみんなはびっくりするんだけど、木造の建築技術って、大学の建築学科でほとんど勉強しないんだ。鉄筋コンクリートだったり、鉄骨だったり、いわゆる大きなビルや建築物、美術館などはたくさん勉強するんだけど、木造のことを学ぶ機会はほとんどなかった。「伝統工法」はなおさら。では、僕が誰に教わったかっていうと一緒にやってきた職人たち。やっぱり職人や現場がいちばん色々なことを教えてくれる。そこから本当にいろんなことを教えてもらった。

目指すものは
建て主に「気持ちいい」と言ってもらえること。

―いつも現場にいるの?

日高 部分的にではあるけれど建て主にもいろんなことをやってもらって、家づくりに参加してもらっている。こっちもある程度一通り教えられるようにしている。設計は設計で担当者がいるけど、大工、左官、基礎、板金、電気、水道、いろんな業者や職人を全部分離発注してもらっていて、建て主がそれぞれ職人たちと直接契約を結ぶから、工事現場のマネージメントの面倒も自分がみている。いわゆる現場監督めいたこともしているので、現場にいる機会は多いかな。

―最終的にめざすものは?

日高 一番嬉しいというか、やっていて良かったなって思うのは、建て主に「気持ちいい」と言ってもらえることですね。

それと、まず建て主さんとの関係や、その次には家づくりの過程で作られる職人さんたちとの関係性がたまらなく楽しいですね。その楽しさを伝えていきたい。

建て主と職人と設計の三者がひとつのチームになって参加型で一緒に物語を作っていくと、当然、将来にわたって建て主さんとの関わりができてくる。

また参加型ワークショップなどを通じて、建て主さん同士が仲良くなることもある。建て主同士の関係がつながっていけば、いずれは「まちづくり」にもつながっていく。今、近場で3軒仕事をさせてもらったけど、同じ町でそういうところができていくと、いつか連々と連なっていくかもしれない。

よく近所の人たちに話しかけられるんだ。昔はもっとそうだったと思う。家づくりって、以前は村の「大事件」だったし「エンターテインメント」でもあった。さっき「エンターテイナーでもある」って言ったのは、町の「大事件」でもあるんだから、もっと楽しくやろうよっていう思いもある。

最近はどうしても「性能表示」とか「瑕疵担保責任」とか、契約、法律が制度化されていて、伝統工法による家づくりも、その流れに乗って色々と面倒な制度ができている。それはそれで大事にしなければいけないけど、それよりもっと大事なことがあるのではないか。建て主と職人たちと設計屋の関係性がないところで家づくりを行おうとするから、そういう制度にばかり頼らざるを得ないんじゃないかな。

***

―もし伝統工法をやりたいという学生がいたら、どうすればなれるの?

日高 今、建築業界はみんな疲れている。建築雑誌なんかみても、だんだん薄くなってきていて、しかも去勢されたようなデザインばかりに感じる。バブルの時代を肯定するわけじゃないけど、今の建築業界に魅力があるかどうかと言われたら、正直自分は当時のような「ワクワク感」を感じない。コストや性能や機能的な面を考えると、斬新なデザインを考える余地がないという面もあるだろう。

だけど建築っていうのは、本気で関わっていこうと思う人間からすればこんなに面白いものはない。自分が思い描いているものがリアルな形になっていく仕事っていうのは他にあまりない。とくに木造っていうのは手仕事のダイナミズムを身近に感じやすいから、ワクワク感をもって始めやすい。現に鉄筋コンクリートの現場とでは、現場の雰囲気が違う気がする。

特にうちの現場は、みんな笑いながら仕事している。キャーキャー言いながらやっていることもある。建築ってそういうものだよって提案していきたい。その魅力を伝えていきたいし、感じてもらいたいし、それを感じる学生さんも最近でてきているって感じがしている。
 

―最後の質問です。100人中99人がダメだっていう家でも、たった1人の建て主の人がいいって言ってくれれば、自分としてはOK?

日高 その建て主の人がいいって言ってくれたことに自分も共感すれば、自分としてはOK。やっぱり建て主の人と共感できるってことが重要だと思う。建築の世界にもマーケティングっていうものはかたや存在する。だけど僕たちの建築スタイルにおいてはまったく意味をなさない。実際それを使う人なり住む人なりが目の前にいるから、その人との対話の中で答えが出てくるから。


柿渋塗りの作業現場。

泥にダイブする日高さん。
■インタビューを終えて

冒頭の祖母の家の話の続きをしたいと思います。祖母の家を建て替えると決まってから、その大工さんは、日高くんと同じように、他の誰とでもなく、「建て主」である祖母を相手に何度も話し合いを行いました。

その結果、改築後の家は私たち親族の予想とは全く異なるものでした。広い客間や離れの部屋など住居の大半を取り壊し、祖母が日常使っている茶の間と寝室と台所のわずかな空間だけがそのまま残りました。私が驚いたのは、いつも祖母が座る茶の間から庭先を眺めると、建て替え前と全く変わらない景色が広がっていたことです。

大工と祖母は、広い客間や離れよりも、祖母が毎日、茶の間に座って眺める庭の景色を優先したのです。さらに玄関は以前の倍ほど広さの立派なつくりになりました。やがて地主さんに返還した土地に新しく「お隣さん」として引っ越してきたご家庭の奥さんと子どもたちが、自分のおばあちゃんの家に立ち寄るかのように、気軽に祖母の玄関先にやってきて何かと面倒をみてくれるようになりました。この大工さんは祖母に「新しいご近所さんと仲良く」「昔の思い出を大切に」という2つのことを伝えかったのでしょう。

その後、ひとり暮らしとなってから15年も経ちますが、祖母は一度もその家を離れたいとは言いません。狭くはなりましたが、きっと祖母にとっては昔のままの「気持ちのいい家」なのでしょう。