片岡英彦のNGOな人々 (Non-Gaman Optimists)コミュニケーションプロデューサー
片岡 英彦とは?

(2011.09.10)

コラム片岡英彦の「NGOな人々」とは、”Non-GAMAN-Optimist”(今の世の中に、とにかく「ガマン」していられず、チャレンジをし続け、決して諦めない「楽観人」)を、毎回インタビューさせて頂き、コラム形式でご紹介していく新連載企画。第5回はコトバ&グラフィックデザイナーのくすきはいねが逆取材として本企画を連載するコミュニケーション・プロデューサー片岡 英彦さんをインタビューします。

■片岡 英彦プロフィール

1970年、東京生まれ、神奈川育ち。京都大学卒業後、日本テレビにて報道記者、宣伝プロデューサーとして勤務。後にアップルコンピュータ、MTV、日本 マクドナルド、ミクシィなどでプロモーション活動などの責任者を務める。この9月よりフランス・パリに本部を持つ国際NGO「世界の医療団(MDM)」の広報責任者に就任。併せて自らの個人事務所「片岡英彦事務所」を設立し、企業・団体等のプロモーションの他、「日本を明るくするため」 の各種プロジェクトに参加。趣味は「会いたい人に会いに行くこと」「人の相談にのること」「人のお役に立ちたいと思うこと」


「聖人」か? ただの「腹黒いオッサン」か?
みんながなぜか気になる、敏腕プロデューサーの謎を解く。

くすき「どうもおひさしぶりです」(と、いいながらカメラとレコーダーをセット)
片岡 「どうもどうも。あ、ここに座ればいいの?」(iphoneいじりながら着席)
くすき「じゃ、先に二人で話してるところを何枚か押さえます」(シャッタータイマーをセットして慌てて着席)
片岡:「話してる感じをだせばいいのね。僕あたま薄くない?」パシャ
くすき「後で画像修正しておきます」

1年とすこしぶりにお会いした片岡さんとの取材は、昨日も会っていたようなテンポの会話と作業スピードで始まった。

●さて、なぜNGOに転職を?

「ひとことで言うと『自分がやったことのないこと、人がやらないことをやりたい』。
時代の大きな流れの中で、社会が必要としているのに人があまりやろうとしないことをしたい。そこが行き着く先なんじゃないかなと」
片岡さんは笑うと目が糸のように細くなる。昔から変わらない。

「3月11日、今日で震災からちょうど半年が経ちました。(ちなみに10年前のこの日にはアメリカで大きなテロが起きました)震災は我々日本人にとって、『何かが大きく変わった日』であるように感じています。例えばお金の使い方が変わった。

『贅沢』の方向性が、高いものを食べて、高い車に乗って、ブランドの服を着るという自己のステイタスを誇示するようなことから『なにが本当の幸せか』とか『心を満たしてくれるような時間の使い方』という価値観へとかわってきた気がします。その時代の変わり目に立った時、なんというか、もう自然に僕はここかな、って思いましたね」

「転職をする、ということに対して抵抗感をもつ人も多いけれど、僕は会社という枠にそんなに捕われる必要はないと思う。会社を辞めてもそこで得た本物の人間関係はちゃんと付いてくるんですよね。今まで勤めてきた会社やそこに残る人たちとはいまでも一緒にお仕事させてもらっているし。

はいねさんとの関係もまさにそんな感じ。そういう意味でいうと、今回の転職は自分よりも若い世代の方たちへの『新しいライフスタイルの提案』なのかな。
こういうやり方もあるよっていう。」

●正直なとこ、NGOで働いて生活していけるもんなんですか?

「僕には専業主婦の妻と子供が2人います。家のローンってやつも一緒に住んでます(苦笑)。給与所得という意味では以前より大幅に減りました。だけど住む場所やら子供の学校や幼稚園やら、生活水準を下げて家族を不幸にするようなことになるのならば、転職は諦めようと思った。

そういった理由でギリギリまでNGOへの転職を迷っていたら、いろんな人が僕を助けてくれました。直接ではなく影で動いてくれるひともいれば、どうしてここまで助けてくれるんだろう、ってくらい世話してくれるひともいて、ああ、僕はほんとうに人に恵まれているんだなと感じた。

それで週3日はNGOで、残り2日は個人事務所を設立してマーケティング活動ができることになりました。これで当面のお財布のメドがたった。

実は転職のたびにいつも反対していた妻が、なぜか今回だけは反対しなかったんだよね。いつかこういう選択をするんじゃないかと思われてたのかな(笑)」

●片岡さんは腹黒い人間ですね。

私の片岡さんの最初の印象は「腹黒い人」だった。それは今でも変わらず、いつ会っても明確に「裏」があるので「今日はごちそうするよ」と彼が言うとき、私は警戒度最大でその場に臨むのである。

「腹黒くないとね、やっていけないと思ってるんですよね。ノー天気なだけじゃ、やっていけない。

お互いがそう感じてる人との人間関係はほんとうに困った時にすごい力を発揮するし、じつは互いが人情に熱い。

「貸し借り」を大事にするのって古くから日本人がやってきたことですからね。
なんっていうのかな、『貸し借りなし』より『たくさん貸して、たくさん借りて、プラマイゼロ』のほうがずっといい人間関係であるような感じ。

『実は影で助けてくれてること、わかってますから』ってさ、面と向かって言うのは粋じゃない。でもそれとなく臭わせる。本当に心から感謝してるから、そういう『裏』ってちょっといいよね」

小学2年生になる長男が道場に通うほど将棋にはまっているそうだ。最近、時に自分を負かすくらいぐんと上達したらしく「その卑怯な奇襲戦法、どこで習ったんだ」と聞くと嬉しそうに「お父さんがよく使う裏ワザだよ」と答える。子は親を見て育つ。片岡さんは腹黒い父親でもある。子供の話をするともっと目は細くなる。

●この連載って

雑談ついでにこの連載についてと、先の展望について話を聞いてみた。

くすき「撮影して取材してノーギャラとかないと思う」
片岡「僕もそう思う。ブッキングとか結構大変なのに」
くすき&片岡「(笑)」
くすき「さておき、これまで取材した方に共通点というか、シンパシーとかってありますか」

「インタビューをしていて『これから何をやりたいですか?』って未来系の質問をするとホントにみなさん目が輝くんですよ。これまでも輝かしい経歴を十分お持ちなのに、これまでやってきたことの何倍も強いエネルギーを「これから」に感じる。

僕は本当に相手が伝えたいことを引き出すこと、つまり相手のNGO(Non-GAMAN-Optimist)を引き出すことに全力を注いでいます。インタビューの最中、実は自分も結構しゃべっているんですが、原稿からはあまり感じられないのはそのせいですね。

片岡さんの目は結局最後まで細いままだった。取材が終わるなり、さっさと帰り支度をする。
世間話をしながら駅まで歩き、別れ間際に彼は言った
「ありがとね」

会う度に背筋が伸びる感じがする。
いえいえ、こちらこそ。
誰よりNGO(Non-GAMAN-Optimist)な片岡さんの益々のご活躍を楽しみにしております。

インタビュアー
くすきはいね

コトバ&グラフィックデザイナー
東京生まれ。
広告代理店勤務ののち、コトバ&グラフィックデザイナーとして活動。
ひょんなきっかけで片岡英彦氏とSNSカンパニーで仕事をともにすることになる。
前代未聞のお騒がせ「入社祝い&忘年会」を共同で企画し、たった4ヶ月で退社。現在に至る。
趣味は身分不相応なグルメ三昧。苦手は正対するポートレート。
退社後も片岡が最もお気に入りのクリエーターの1人である。

Web:http://kusukihaine.com/
twitter:http://twitter.com/#!/kusukihaine