片岡英彦のNGOな人々 (Non-Gaman Optimists)ジャーナリスト 櫻井よしこさん
誠実な情報を提供したい(前編)

(2013.10.27)

「NGOな人々」”Non-GAMAN-Optimist”とは「ガマン」していられず、チャレンジをし続け、決して諦めない「楽観人」のこと。第34回目のゲストは、ジャーナリストの櫻井よしこさんです。櫻井さんは、昨年、インターネットテレビ『言論テレビ』を立ち上げました。毎回ゲストを招き、日本が抱える諸問題を「君の一歩が朝(あした)を変える!」という番組で公開されています。昨年10月26日の番組開始からちょうど一年を迎え、これまでの手応えや、今後の可能性についてお話を伺いました。櫻井よしこさんは、インタビュワーの片岡が日本テレビ在職中の新人記者時代に、『きょうの出来事』のメインキャスターを勤められていたご縁がありインタビューに応じて頂きました。前編と後編の2回に分けてお届けします。

■櫻井よしこ プロフィール

(さくらい・よしこ)ジャーナリスト、国家基本問題研究所理事長。言論テレビ株式会社 取締役会長。ベトナム生まれ、新潟県立長岡高等学校卒業、ハワイ大学歴史学部卒業。クリスチャンサイエンスモニター紙 東京支局の助手としてジャーナリズムの仕事を始め、アジア新聞財団 DEPTH NEWS 記者、東京支局長、NTVニュースキャスターを経て、現在に至る。2007年にシンクタンク、国家基本問題研究所を設立し、国防、外交、憲法、教育、経済など幅広いテーマに関して日本の長期戦略の構築に挑んでいる

言論テレビ「君の一歩が朝(あした)を変える!」


ジャーナリスト、国家基本問題研究所理事長 櫻井よしこさん。photo / 渡辺遼
◆損得感情なしに「誠実な情報の質」を提供したい

片岡:『言論テレビ』が10月26日で初回の配信から一周年を迎えられました。改めてですが、番組を始められたきっかけを教えて下さい。

櫻井:私は7年前に「国家基本問題研究所」(国基研)というシンクタンクを作りました。これは当時の福田内閣時代に、日本が国として、社会として、人間の集合体としてもおかしくなっていること、おかしいことが瑣末な現象に留まらずに、基本的なことにまで及んでいて、日本全体が液状化しているという実感を持ったことがきっかけでした。そこで、国として、日本人として、「どうあるべきか」を指し示せるような考え方を提示したいと思って活動してきました。

ところが、国基研の活動に関心を抱いているのは比較的高齢者層であり、年齢の若い層へのアピールが不足していることに気づきました。次の世代にこそ色々なことを伝えていかなければいけないと思い、そのために若い人を対象にしたメディアを考えなくてはいけないと思うに至りました。そのことが『言論テレビ』を始めたきっかけです。

言論テレビ「君の一歩が朝(あした)を変える!」が昨年10月26日の放送から1年を迎えた。

片岡:『言論テレビ』のコンセプトはどのようなものですか。

櫻井:『言論テレビ』では、どういうふうに考えたら物事がより真実に近い形で見えるだろうかと考えながら、その真実に近い形に導いてくれる情報を提供しています。みんなに考えて頂くために出来るだけ幅広く、また掘り下げた情報を提供しています。そして情報の受け手である皆さんが、どうした情報に基づいて考えた結果、どちらの方向に行くのか、それは各々の判断です。全員が同じ方向に行くというのは期待もしていません。それはありえません。

ただ、どちらの方向に行くにしても、しっかり考えた末に一歩二歩進むのであれば、変な社会、変な国、変な家族、変な人間はあまり出てこないだろうと思います。自分で自分に責任を持つことのできる、独り立ちのできる人間、社会、国が生まれてくるのではないかと思うのです。

片岡:櫻井さんがよく仰る日本の未来への「危機感」というのは、「自ら考えて決める」ということができていないという点でしょうか?

櫻井:戦後の日本に足りないのはそこだと思います。一番基本的なことを外圧で決めるという流れが、なんとなくできてしまいました。今、様々なメディアをみても、自主独立を促すのに十分な情報が報道されているとは言えないと思います。

政治家の発言には政治的な思惑がありますし、経済誌には経済的な思惑があります。個々の利益に沿った発言をしています。言論テレビではそういった思惑から開放されて、損得感情なしに質の高い「誠実な情報」を提供できたらいいなと思います。


毎回、様々なゲストを招き、日本や世界が抱える諸問題を論じている。

◆現行の憲法では国が国民を守れない

片岡:先ほど、国の基本的なところがちょっとおかしくなってきているとおっしゃいましたが、それは国家観、歴史観、そして日本という国の在り方を示す「日本国憲法」のことだと考えてよろしいでしょうか。

櫻井:まさに憲法そのものです。現行憲法のことです。うちには若いスタッフもいますけれども、彼らにとって現行憲法は生まれた時からの日本国憲法です。私も戦後の生まれなので、現行憲法の下で生まれ育ってきましたが、一人の大人として憲法を読むと、とても「いびつ」な憲法だと思います。むしろ「いびつ」というより「異常」です。

片岡:「いびつ」「異常」というのは、具体的にはどういう点ですか?

櫻井:前文を読んでも、「日本国が責任を持って国民を守る」とはどこにも書かれていません。ただ「国際社会の善意に依拠する」と。国家としてこんな無責任なことはありません。国際社会は善意の塊であり、日本自身が悪いことをしない限り、誰も日本に対して悪いことをするはずがありませんという主旨のことが書かれています。当然、日本国が他国によって攻め入られることや、危害を及ぼされることを前提としていない法体系となっています。

しかし、現実には尖閣諸島ですでに中国の侵略行為が起きているわけです。対馬の仏像を盗まれた事件もありました。こういったことを日本国憲法は一切想定していない。仏像が盗まれるだけではなく、本当に何らかの戦闘行為が起こった時に、日本という国は日本国民をどうやって守るのでしょうか。自然権としての自衛権はありますが、国家として戦う準備が何も出来ていません。では、その時どうするかというと、日米安保条約に頼るというのです。しかしアメリカ政府は日本政府ではありません。

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櫻井:初代の内閣官房安全保障室長の佐々淳行さんが書いておられましたが、60年代に香港で大暴動が起き、現地にいる日本国民、商社マン等何万人もの人をどうやって救出するかという問題が発生しました。その当時香港の領事館にいた佐々さんは外務省から「お前がやれ」との指示を受けました。「船もない飛行機もないのに具体的にどうしましょうか」と聞いたら、本省からの通達は「アメリカに頼め」とのことだったそうです。その次が第一次湾岸戦争の時のイラクです。クエートにいる日本人をどうやって日本に無事に連れて帰るかという時も、外務省の基本路線は「アメリカに頼め」だったそうです。

今でも日本国民が海外で災難に巻き込まれた時、日本政府は何もしてくれないということが定評になっています。例えば中国でアメリカ人が捕らえられる、オーストラリア人が捕らえられる、そうすると大使や公使が刑務所に何回も行って、死刑判決を受けた自国民を救うために北京政府と徹底的にやりあいます。日本政府はそれをしないわけです。

自己責任といえば自己責任ですけれども、日本国民は国に守ってもらうということができない国民なのです。「アメリカ軍に頼め」と日本国政府が言う。これは「異常」です。国民を守る気概もない、守るための法体制もない、力も持っていない。こんな「異常」な国の大元が現在の「憲法」です。ですから私は日本国憲法を変えなければならないと思っています。ご質問の通り、「国のあり方」といえば究極的には憲法に行き着くと思います。

◆ハワイの椰子の木陰で気づかされた「国」の重要性

片岡:私事で恐縮ですが、私の母は櫻井さんとほぼ同じ生まれ年です。いわゆる「戦後教育」を受けてきました。祖父が防衛官僚だったのですが、母は今でもずっと朝日新聞を読んでいます(笑)。あまり「国の存亡」に対する危機感はありません。あくまで私の視点ですが、この世代の方々には総じてそういう印象を持っています。櫻井さんは、いつ、どこでこの「危機感」を持つに至ったのですか。

櫻井:「教育」と「経験」だと思いますね。私はハワイ大学を卒業しました。ハワイ大学というとフラダンスを教えているのかというイメージを持つ人もいるかもしれませんが(笑)、海外に何年間か住んだ体験が、とても大きい意味を持ったと思います。

なぜならば日本にいると、日本という国の体制についてはあまり疑問を感じないのです。世の中というのはこういうものだという価値観で日々暮らしていました。私はノンポリで、典型的な平和教育の申し子であり、理想の人間の姿は国際人であると思っていました。国際人というのは地図に例えて言うと「国境のない真っ白の地図」です。国境を越え、文化を越え、文化の違い、歴史の違い、すべての違いを乗り越えて私たちはひとつになれる。それを実現していくのが真の国際人だと当時は思っていたのです。

ところが、ハワイに行ってみたら日本での生活との違いに圧倒されました。私はそれまでは新潟県長岡市という保守的な地で過ごしてきました。外国人もあまり見たことがありませんでした。教会がありましたからそこにいる白人のアメリカ人は見かけたことがありましたが、黒人を見たことなど一度もなかったのです。

ハワイには、64ヵ国から留学生が集まっていました。アフリカ人からフィンランド出身の肌が真っ白な人、ミャンマー(当時ビルマ)、ラオス、カンボジア人もいました。そこにぽんと放り込まれてみたら、人間というのはこんなにも違うのだと感じました。外見だけで、自分が黄色人種であるということを意識しました。私は小さい頃は大分県中津市におりました。福澤諭吉の生誕の地です。駅に「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と書いてあります。しかし、天は人間を「違うふうに」お作りになったのだとハワイで感じました。

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そしてさらにショックだったのは、私は「国際人」であることが一番良いことだと思っていましたので、そのことを話したら本当に馬鹿にされました。特にベトナムの学生からでした。当時、南ベトナムは北ベトナムと戦争していました。南ベトナムの学生と仲良くなり、よくキャンパスの椰子の木陰でサンドイッチを食べながら話をしたのですが、「よしこの考え方はすごくおかしい」と言われました。「私の国は今二つに分かれて戦争をしている。私の兄は軍隊に取られ、弟ももうすぐ軍隊に取られるだろう。お父さんとお母さんはいつ砲弾が飛んでくるかわからない危険な場所で暮らしている。私はとにかくハワイでものすごく勉強して、良い成績を取って、良い企業に入り、アメリカの永住ビザを取得してアメリカに住みたい。そして、たくさんお金を稼いで、一日も早く親と兄弟を呼び寄せて安全なアメリカで暮らしたい。国がしっかりしてないとこういうことになる。日本という国はあんなに栄えて素晴らしい国なのに、どうしてあなたは国の存在を無視するの」と散々に言われました。

その頃の私にとっては「コスモポリタン」という言葉が大事なキーワードだったのですが、こういう経験をするうちに、国というのはとても大事な存在だということに否応なく気づかされました。

その次に民族固有の文化の大事さということにも気づかされました。大学では二ヶ月に一回位、学生のフェスティバルが開催されます。例えば今月はビルマの学生が中心になって、バザーをしてお芝居をして食べ物を出して収支トントンになるという程度のイベントです。その時に、東南アジアから留学してきた学生達に驚かされました。留学にはお金がかかりますから、かなり豊かな階層の学生なのですが、日本でいうと歌舞伎みたいな民族の伝統芸能を、キャンパス内にあるケネディシアターという劇場で見事に演じたのです。日本の学生の中で、お能や歌舞伎とは言わないまでも、ちゃんとした日本の芸能を、例え1ドル2ドルでもお金を取ってみんなに見せることができる人はいませんでした。

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もう一つは歴史の授業でのことです。J.P.シャルマ先生というインドの先生がいらっしゃいました。この方は留学生である私達を可愛がってくださって、歴史を勉強しなさい、僕のコースを取りなさいとおっしゃいました。先生の授業はインド哲学の難しい話でしたが、先生は歴史を勉強することは大事だから取りなさいと。そして、どうしても単位が取れないなら、ひとつ条件をクリアしたら点数が悪くても考えてあげるとおっしゃいました。その条件とは「自分の国について一時間英語でレクチャーしなさい」でした。

ところが、これも大変難しい。他の国の学生はインド哲学がよくわからないとなると、そうやって単位を取るのです。先生は私に、お前はどうすると聞かれました。「歌舞伎でいいじゃないかと」と仰いましたが、私が歌舞伎について英語で一時間話せるわけがありませんでした。「能でも狂言でもいい。それがダメならじゃあ芸者ガールでもいいじゃないか」と言われましたが、日本人の学生は私も含めて誰もできませんでした。つまり、自国の文化、伝統について余り勉強していなかったのです。

その時に、日本人ってなんだろうと感じました。そして「私は日本人だ」「日本人なら日本についてもっと学ばなければならない」という意識が明確に生まれてきました。そうした学生時代の経験が、日本について考える原点になったと思います。

◆「歴史を知らない人間は全き意味での日本人ではあり得ないのではないか」

片岡:教育と経験とおっしゃいましたが、海外に出なくても正しい国家観や歴史観を持った日本人もいると思います。日本の戦後教育は、具体的に何が悪かったのでしょうか。

櫻井:私の時代もすでにそうでしたが、私の世代以降、世代が若返るに従って、日本の歴史や文化から遠ざかっていると思います。今の教科書を見ると、これはもう「馬鹿を育てる教科書」としか、思わざるを得ない。教科書に意味のあることが書かれていない。これは歴史だけでなくて、例えば理科についても言えます。私たちは「直流」と「交流」があることを知っていますが、今の子供たちは「直流」と「交流」を習わないのです。

また、私達は、北海道から沖縄まで、県や川の名前を書かされましたから、どの県がどこにあるということがわかります。今の子供たちは3つか4つ県の名前を教えられて、あとは自分で研究しなさいとなります。教科書をよく見ると「教えない」という方向に向かっています。今は多少の軌道修正がなされたようですが、人間として必要な知識を教えようとしていない。その民族が持っている宗教、文化、歴史を、制度として「教えない」ようになっています。

日本の教育で歴史というのはもはや独立した教科ではなく、社会科の一部です。社会、公民、地理、歴史、これらがひとつになって社会科。社会科の教科書の一部が歴史。歴史は小学校6年生で初めて教えられますが、45分間の授業が48時限だけです。その中で古代から現代までを教えようとします。

2年間現場に行って取材しましたけれども、これでは絶対に日本の歴史は理解できないだろうと思うような「飛び石」での授業なのです。歴史というのは連続していますから、一度飛んでしまうと興味が保てません。中学に行っても興味が途切れているために生徒の気持ちが続かない。授業の内容も繋がらない。高校に行きますと義務教育ではありません。いくら教えようとしても、基礎知識のない生徒に教えるのは難しいのです。ですから高校は苦肉の策で選択制を取りました。すると、選択制で歴史を選択しない学生が大勢出てきました。この生徒たちが今度は大学に行くと、もう大学はそんなこと構ってくれません。こうして日本の歴史を知らない日本人が生まれているのです。

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櫻井:日本国の歴史を知らない人間は、全き意味での日本人ではあり得ないのではないでしょうか。自分は何者であるのか。私はどういう民族の一員で、どういう価値観を引き継いでいるのか、どういう価値観を大事にしなければいけないのか、どういう価値観を次の世代に伝えていくかということを分かっていない人は、その分、自分の足下が脆弱だと思います。

日本の戦後教育の欠点は、意図的に日本人であることを捨てさせる教育をしてきたことだと思います。誰がしたか、占領軍です。占領軍が仕掛けた構造的な罠に落ちこんだままここまで来たと私は解釈しています。それに都合よく乗ってきたのがたとえば、朝日新聞でしょうか。そのような朝日新聞を読まれている片岡さんのお母様には、読売新聞や産経新聞など、朝日とは異なる論調の新聞を併読することをお勧めしたいですね。比べ読むことで新しいものが見えてくると思います。

◆「櫻井よしこ」というスタイル

片岡:『言論テレビ』に話を戻します。伝達ツールとしてインターネットのテレビ(動画)という手法を取られていますが、地上波が全国ネットですと同じ時間帯に同時に4,500万世帯に情報を伝達できるのと比べると、じわりじわりとしか広がらないことなど、ある種の「面倒くささ」もあると思います。一年間継続されてこられての手応えはいかがですか。

櫻井:今もって試行錯誤と言って良いと思います。私はアナログ人間で、原稿も手書きです。コンピュータは遠い存在でした。ですからインターネットの世界はこれ以上ないほど漠然とした想像の世界でした。実際に仕事をしてみると、かなり違う世界があることを日々学ばされています。毎回、様々なメッセージを込めて全力を尽くして真面目にやってきているつもりですので、少しずつ広がってきているという手応えには確かなものがあります。その一方で、未だに慣れてはいません。もっともっと私自身がネットの世界を闊達に活用できるようになれればいいなと思っています。

ネットの世界が、私が馴染んできた活字や地上波の世界とはかなり違うことはわかりましたが、ネットの世界に媚びるようなことはしたくないとも思っています。『言論テレビ』のコンセプトをしっかりと守りながら、私たちのあるべき言論、情報をお伝えし続けることが何よりも大切だと思っています。

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片岡:『言論テレビ』での櫻井さんのようなお仕事のことを「キャスター」、あるいは「アンカーパーソン」と呼んでいいのか悩みます。「出演者」とお呼びしていいのか「インタビュアー」あるいは「司会者」とお呼びすればいいのか、そのあたりはいかがですか。

櫻井:どんな時にもどんなタイトルを付けられても、私は「櫻井よしこ」ですから、色々な呼び方をされることについてはあまりこだわっていません。日本テレビの『きょうの出来事』では、当初は「アンカーパーソン」という表現でした。アメリカの報道番組でも同じ表現をしていました。「キャスター」という言い方がその後、広まってきましたが、役割の本当の意味では「アンカーパーソン」が正しいのだろうと思います。ただ「キャスター」の方が言葉は短いですし(笑)、その方が文字に書くにしても文字数が少なくて楽なのだろうと思います。ただ、「責任ある言論人」という意味であり、責任ある言論人として取材をし、発信しているという風に考えていただければと思います。(後編に続く)