片岡英彦のNGOな人々 (Non-Gaman Optimists)目立つから生まれるチャンスもある
和製パティシエ コヤマ ススム
(2011.11.25)
「NGOな人々」とは、”Non-GAMAN-Optimist”。今の世の中に、とにかく「ガマン」していられず、チャレンジをし続け、決して諦めない 「楽観人」です。そんなNGOな人々へのインタビューを毎回コラム形式でご紹介しています。第10回は「Club des Croqueurs de Chocolat品評会(※1)タブレット5枚獲得のコヤマススムさんです。
ロールケーキブームの火付け役となったロールケーキ「小山ロール」を生み出し、1日3000人もの来客を誇るお菓子の王国『パティシエ エス コヤマ』をプロデュースするコヤマススムさんが、チョコレート版ミシュランとも呼ばれる『Club des Croqueurs de Chocolat(クラブ・デ・クロクール・ド・ショコラ)』品評会(※1)(以下、C.C.C.)で最高位にあたるタブレット5枚獲得(いわゆる『五つ星』)の偉業を成し遂げた。さらに10月20日には『2011 SALON DU CHOCOLAT AWARD』にてパティシエとして最も栄誉のある「外国人部門最優秀賞」を受賞しました。
そんなコヤマススムさんの偉業をまるで予想していたかのように、私はコヤマさんがパリに旅立つ1ヶ月ほど前に、貴重なお時間を頂き、出展予定の作品をこっそりと(?)試食させて頂いていました。役得、役得。
■ コヤマススム プロフィール
1964年、京都で洋菓子職人を生業とする父の元に生まれる。大阪あべの調理師専門学校を卒業後、1983年「スイス菓子ハイジ」に入社。その後神戸代表として数々の洋菓子コンクールに入賞。2001年『TVチャンピオン』のケーキ選手権で、ロールケーキブームの火付け役となった日本一のロールケーキ「小山ロール」を生み出す。2000年に独立し、『パティシエ エス コヤマ』を設立。全国10数社の商品開発や技術指導を行う。コヤマがプロデュースすると必ず売れると海外からの依頼が多数。また、人材育成や教育を重視し、若手パティシエの育成やお菓子スクールの開催など、スイーツ文化の発展に貢献。2003年、兵庫県の三田(さんだ)にKingdom of Sweets「PATISSIER eS KOYAMA」(お菓子の王国『パティシエ エス コヤマ』)をオープン。1500坪もの広大な緑あふれる敷地に点在する店舗は1日3000人も来店する超人気店となった。
お菓子好きの記者ならば……
少しでもお菓子やケーキ作りに携わったことのある人ならば知らない人のいないコヤマススムさんが、満を持してC.C.Cに出展予定のチョコレートを、ご本人を目の前にして一足先に試食させて頂きました。温度管理に気を配って特別に届けてくれた貴重な品。舌触り、色、風味、香り……もしも私がスイーツの専門知識をもったライターだったらもっと気の利いたコメントのひとつできたのでしょう。もちろん、私がいつもコンビニやスーパーで買うチョコレートとは全く違うのですが……そもそも、こんなに美味しいチョコレートを私は食べたことがないので、他と比べようがない。だから言葉が出ない。ん?大徳寺納豆の味??木苺??感謝の思いと共に、私は1つの「予想」をしました。
私の1ヶ月後の「予想」
・ コヤマさんはパリで最高位を受賞する。
帰国後、様々なメディアに出展作品が取り上げられる。
取材の多くは、この出展したこの作品へのこだわり、お菓子作りの難しさ、これまでの苦労話、そういう「お菓子」の話が中心になる。
せっかく頂く貴重なお時間だから、コヤマさんに普通のインタビューではあまり聞かないような話を伺ってみたい。あえて「お菓子以外の話」も伺ってみたい。そんな私の思いに、コヤマさんは気さくに、そして、快く応じてくれました。
そして11月。私の「予想」は全て現実になっています。
コヤマにとっての「価格」とは?
ー僕はいつも突拍子もない質問ばかりするのです。すみません。(私は先にお菓子に関する自分の無知を詫びた。)
「あ、ぜんぜん構わないですよ。何でも気にしないで聞いてください」。
(この一言で私はホッとした。)
ーコヤマさんのお店って、「小山ロール」を 1260円で売っていますよね。そして毎日お客さんが、大勢来店して行列ができているって伺っています。僕はいつもこういう時に思うのです。何でもっと販売価格を上げないのですか?価格を上げれば、行列もできず、プレミアム感も出せる。もっと儲けられるじゃないですか。
「価格を高くしようとか儲けようという考えは、まったくありません。私の価値観は育ってきた環境の影響をかなり受けているように思います。育った環境といっても2つあります。1つは子供の時から仕事をするまでの環境。もうひとつは仕事を始めた修行時代の環境です。自分を育てた両親の考えであったり、修行した会社の社長のお考えであったり、あとは僕が修行した土地の価格感や価値観。そういったもの全てが背景にあるのは間違いないです。でも経営者となった今、改めて深く考えると、本当にどの価格が正しいのだろうとか、本物って一体どういうもののことだろうという思いは常に持っています。
今、1日にロールケーキは1600本売っているのですが、それを毎日続けていると、毎日50本売っているお店と比べると、材料もパッケージも良いものが安く手に入るようになります。抹茶もアーモンドプールもチョコレートも他よりも良い物が安く仕入れることができます。スケールメリットが出るから、もっともっと良い素材で“質の高いもの”を作り出せるのです」。
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“商売している”という感覚で仕事をしたことはない。
「僕は今まで一度も“商売している”という感覚で仕事をしたことがありません。自分の根底にあるものは”もの作りの人”なんです。これを“職人”って呼ぶのがいいかどうか分からないのですが、自分の誇りといいますか、ものすごく大事にしたい思いというのが“多くの人々の口に入るケーキ”を作り続けたいという気持ち。多くの人から愛されるケーキを提供したいんです。
特に安く売っているつもりはないのですが、やはり今の1260円という価格が僕たちの店で売るロールケーキの”適正価格”だと思います。そして、良い意味での”価格破壊”が行われたらいいなと思うのです。一粒200円で食べられるチョコレートに一粒400円を払う必要はない。何が”本当の価値”なのかという話になった時に、『誰もが本当に良いものだと思っていただける』そういうお店作りをしていきたいです」。
コヤマにとっての「立地」とは?
ーコヤマさんは京都で生まれ育って、一度も海外でケーキ作りの修行をされていません。そして、東京や大阪の一等地ではなく兵庫県の三田(さんだ)という、こう言うとちょっと失礼かもしれないですけれど、少しマイナーな(笑)場所にあえてお店を構えてらっしゃる。そこにパリや東京から見学者が来られたりする。何でまた三田という地にお店を出されたのですか?
「兵庫県の三田(さんだ)っていう自然いっぱいの郊外で、お店をやっているのですけれど、敷地面積が1500坪というかなり広い店舗です。お客様が最初からたくさんおられる場所がケーキ作りにとって一番良い場所だとは全く思っていないんです。自分のからだに流れている水みたいなものに、その地の水が一番合うような、そういうケーキ屋を作りたかった。それは大好きなこの町の風景のことだったりもします。それがたまたま三田という場所だったのです。
確かに、経営コンサルタントのツアーで来られた方たちとかが、私達の解説付きでうちの店を一周まわられた後に、『夢があっていいですね』と言いながらも『何でこんな場所なんですか?』ってよくおっしゃられます。そういう方たちは費用対効果がどうとか、そういった事ばかりを聞かれます。私もお答えはさせていただくのですが、心の中では『なんで? わかりませんか?』って一生懸命に言っている別の自分がいるんです。(笑)
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場所というのは、表現するものを具体的に生み出す所。
店をどこにオープンするか決める前に、実は5箇所くらい他にも候補地があって、図面まであがっていました。専門の調査会社に診断を依頼しました。ただ、いい場所が分からないから調査を依頼したのではないんです。彼らが『あかん』という場所は、絶対僕にとってはいい場所だと思っていました。なぜなら僕達は“自分の表現したい事”を基幹に場所を選んでいるから。場所というのは、表現するものを具体的に生み出す所なんです。何を表現したいかで違ってくる。自分の住みたい場所に似ている気がします。今の店の場所は彼らの評価としては最低評価の物件だったんですよ。
僕は当時、商売っていう意味では初心者だったから、本当にうまくいくかはわからなかったですが、立地も含めてどんな物語をこれからこの広いキャンパスに描いていくのかって考えました。僕のものの考え方とか、育ってきた環境などを『お菓子』という形に変換して、ここでどんな風景をスタッフたちと一緒に描いていけるかっていう思いが見えない人に、机上で売上予測だけを算出されてもなって思いました。だから、自分の一番大好きな場所で、彼らの一番悪い評価だったここの物件に、結局は決めたんです」。
コヤマにとっての「開発」とは?
ーコヤマさんのお菓子作りのきっかけって何ですか? デビュー作は何ですか?
「プリンです。粉を溶かして冷やして固めるよく家庭で作るハウスプリンが僕のスイーツのデビュー作です。普通は裏に書いてあるレシピ通りに作ります。でも、これちょっと濃いなと思ったのか、半分水に変えたらどうかとか、色々なアレンジを加えました。そうするとプリンの冷たさが変わることに気がつきました。牛乳に含まれている固形分が半分になって、水になるわけですから、その分つるんとした食感になりました。味覚が薄くなるはずだと思っていたのに全く逆でプリンの味がむしろ濃くなった。体感温度が変わったことに幼いながら気がついたんです。
人に食べて頂いたっていう意味でいいますと、子供の時に作ったチャーハンがデビュー作です。何でチャーハンだったかっていうと、母が作る作り方を見ていてとてもシンプルで自分も出来るんじゃないかと思ったのと、アレンジが簡単にできること。母はハムを刻んで入れていましたけど、僕はなんか違う物を入れてみようと。玉ねぎを僕はもっと入れた方が美味しいとか。そういう実験をずっと繰り返すのが好きなんです。
19歳からはケーキを作っていますが、卵泡立てて、砂糖入れて、粉入れてっていうプロセスは今でも何ら変わりません。それを飽きずに僕がずっとできているのは、そのスタンダードな作り方の中に自分を楽しませ、飽きさせないような味との出会いがあったり、ちょっとした変化であったり、僕にとってのケーキ作りとはそういうちょっとした工夫の連続です。食べ物だけに限らず、色々なことで”工夫する”ことが好きなんだと思います」。
コヤマにとっての「人」とは?
ーお父さんもケーキ屋さんだったそうですね、完全な職人気質だったって聞きましたけど。
「いろんな意味で”職人”でした。最近になって初めて父に聞けたことなのですが、『お父さん、何でケーキ屋やったん?』と尋ねたら、『俺なあ、ものすごい物作るの好きなんや』と答えてくれました。そんなことを今まで一度も言ってくれたことなかったので、『ああ、僕と一緒だったんやな』と思いました。
うちの父の仕事のやり方というのは、まさに職人のやり方でした。人に指示を出して仕事を進めるというよりは、自分でなんでもやってしまうタイプだったと思います。別に、頑固なっていう感じではなく穏やかにそうなんです。(笑)でも、父の根っこにあるのは、『自分で最後までやったほうが早くスムーズに作業が進むんだ』っていうのがあったんだと思います」。
ーコヤマさんはチームでの共同作業を重視されますが、自分でやってしまった方がうまくできるようなことを、人に任すのってもの凄くストレスに感じませんか?
「もちろん僕にもそういう部分がないわけではないです。でも、やっぱりひとりでできることと、チームでできることっていうのは、結果がぜんぜん違う。2人になったり3人になったら説明しないといけないことが増えて大変ですけど、その分、5倍にも10倍にもなることがあります。リズムにのるような”競争感”や、良い”化学変化”が起こることもあります。それは仕事だけではなくてスポーツをやっていたり、友達と遊んでいたりしたときから思っていたことですが、そういう要素を全部含め持ったケーキ屋を開くことがいつかできるような気がしていました」。
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絶対に誰にも負けないもの、を持つ。
ー若手やお弟子さんとはどういう風に接していらっしゃるのですか?
「 60人の社員がいると、僕が苦手なことが得意な子もいっぱいいます。僕よりも特定の分野に関しては優れている弟子もいるんです。だからよく後輩たちに言うんですけど、完璧なオーナーシェフ、完璧な人間を目指そうとすると、それに足りない部分を虚像で埋めようとするんだと。だから、あまり力が入り過ぎて周りが誰も着いてこられなくなる。僕にもそういう時代がありました。20代前半くらいの時でした。でも割と早い時期にそのことに気がついたのではないかと思います。『ちょっと可愛いなあの人』とか、『もう私たちが付いていないとしゃーないな』と思われる上司の方が、結果的にはいいと思います。でもその代わりに、絶対に誰にも負けないもの、『あの人、やっぱりすごいわ〜』というものを、部下を持つ人は一つでも多くもつべきだと思います」。
ーコヤマさんのケーキ作りには、職人としての1人1人の技術の上達とは別に、人としての成長や、チーム全体としての底上げが大事だということですか?
絶対そこですね。だからものすごく時間がかかります。ケーキの作り方の手順を教えるだけじゃなくて、そこに入るまでの前段階にすごく時間がかかる。
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もっと良いものを作ろうという思い。
ーケーキ作りの「前段階」って何のことですか?
「僕には見えているものを、まだ1年目の子に同じように見ろというのは無理な話なのですけれど、そういうことができる素質のある子っていうのは必ずいます。洗い物でも、テーブルを拭く作業でも超一流の拭き方をやっている人って必ずいるんです。その人の持つ技術とは全く関係ない”心がけ”の部分のことです。素直か素直じゃないかっていうことも含め、もっと手前の部分をしっかり僕たちが選び抜いて磨いてあげると、後々の成長が早いんです。
エス・コヤマっていう小山ロールや小山チーズっていう、僕の考えたレシピは、他の店のものとは違いますけど、でも、もっと良いものを作ろうっていう思いが、一人一人に心のベースになければ、見えてこないものがあると思うんです。例えば”気づき”の鋭さっていうのも、その人の持ち味になると思います。そこをうまく教えてやらないといけない。
よしこれだっていうスタンダードと、さらにその階段を一歩昇るためにしなければいけないことが、彼らと最初に出会った時から、今日までの8年間の積み重ねの中でだいぶ変わってどんどん進化しています。だからうちは学校みたいで面白いんです」。
人生をかえた「出会い」とは?
ーコヤマさんは、スイス菓子で有名な『ハイジ』で会社員も経験されていますが、大切な事は『ハイジ』での会社員勤めから学んだのですか?
「『ハイジ』という会社に入社した理由はいろいろありますけど、当時の前田社長もから学んだことも含め、あらゆる事を会社勤めから学びました。当時は与えられる仕事に別に疑問を感じることなく、その瞬間、瞬間に与えられた仕事を一生懸命にやっていました。純粋なケーキ作りは2割くらい、あとの8割はケーキ作りとはまた違う部分の感覚が必要だという考えは、『ハイジ』に務めていなかった得られない感覚でした」。
ーケーキ作りがたったの2割?
「『ハイジ』でケーキ作りに携わったのが2割で、あとの8割が他の仕事だったんです。でもケーキ作りが2割っていうと、あまりケーキを作っていなかったと思われるんですけど、実際にはおもいっきりケーキを作っていたんです。それ以上に、他の仕事があまりに多過ぎたっていうか(笑)」。
ーケーキ屋さんのケーキ作り以外の仕事って?
「ケーキを作ったらパッケージも作らなないといけません。ケーキを作ったら今度は販売の人にちゃんとこれを言って、どうやったら売れるかという仕組みも考えていかないといけない。ケーキの世界の”仕組み”を全部経験したような気がします。あとは、例えば会議をすることや、朝礼も頻繁に行いました。でも、それが個人店だったら、朝礼やっている間にまずケーキ作れっていう話になる(笑)。
『ハイジ』という会社の中で、前田社長との出会いやご縁もありながら、俺だったらこうするとずっと考え続けていました。これは父親に対する時と同じなんです。『ハイジ』のスタンダードをずっと守りながら、俺やったらこうすると気が付いたことや、その時の自分の立場でできることって何だろうということを考えて色々と変えていきました。でもどうしても自分の立場では変えきれなかったこともいっぱいあります。それを今やっているのだと思います」。
コヤマにとっての「洞察力」とは?
ー先ほどのテーブルを一生懸命拭くっていう話にもつながるかもしれないのですが、あんまり先々のこと考えるよりも、コヤマさんがハイジの前田社長にお会いできたことなど、そういう偶然の縁になかなか気付かない人がいます。気がついても活かせない人が大勢います。その「嗅覚」のようなものって鍛えれば磨けるものなんでしょうか?
「それは、必ずしも僕がハイジに入社してからのことではないと思うんです。もっともっと子供のときの遊びとか。例えば、僕、”虫採り”が大好きだったんですが、一緒に虫採りに行ってもぜんぜん虫を採れない子もいるわけですよ。見ているところがそもそも違っている。”虫採り”だけでも一人一人確実に差がでます。”蜜の臭い”っていうか、要するに「勘」なのですが、ぜんぜん虫のいないところを探している子とか、そういう”勘所”や”嗅覚”を養う機会が子供の頃にあったんだと思います。子供の頃に得たものをそのまま活かせているような気がします」。
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好きなもので”勘所”や”嗅覚”を養う。
ー「勘」や「嗅覚」を養う努力や能力って興味深いニュアンスですね。
「最近、息子が『AKB48』のことが大好きで、テーブルの上にAKBの資料がいっぱいあるんです。それを僕がずっと見ていたら、息子が好きになる気持ちもわからんでもないと思って息子と一緒にテレビを視ていました。そうしたら、僕、総選挙で選ばれるメンバーをほとんど全部当てたんですよ(笑)。息子に「何で全部当たるんや」って言われて、『お前なあ、AKBのこと好きなるんやったら、これくらい好きになりや。ファンなのに当たらへんこと自体おかしいやないか』と言ってやりました。”勘”とか”嗅覚”っていうのはそういうことに近いような気がするんです。
『ハイジ』の前田社長が僕の持ち味を察知してくれたといいますか、それはきっと何気ない仕草であったり、何気ない言葉であったりとか、その程度のことだったのだと思います。当時、社長が僕に新商品を2品作ってみないかて言ってもらった時に、僕は5品か6品作りました。今考えると、2品でいいと言っているのに、何で5、6品も出したのだろうと思います。普通、内容的には薄くなりますよね。でも僕は同じ時間のなかで6品とか出したくなるタイプなんです。でも社長は、「6品も出すんやったら1品でいいからきちっとしたもの出せ」とは言わなかった。でも絶対に薄かったに決まっているんです。社長は僕の気持ちを汲み取ってくれました。『お前が一番声でかいから、おまえに任してみる」とか、「一番おまえが忙しいから、おまえに任してみる』とか、『忙しいやつに任すのが絶対間違いないんや』とか。当時はそういう風に言われたんです。
良い意味かどうかはわからないですけど、僕は浮いていたと思います。小さいときから浮いている部分はあったと思いますね。でも、今になってものすごく前田社長の気持ちが分かるんです」。
「目立つ」からこそ与えられるチャンス
ー「浮いている」ということは「埋没していない」っていう意味でもありますよね。
「 僕、昔から目立つタイプだったんです。学校などでは『落ち着きがない』ってよく書かれていました。今しないといけないことをしていない場面がよくあるんです。それって目立ってしまうんですよね。でも目立つからこそチャンスがあるんですよ。そのチャンスをものにできるかっていうのは、「なんやかんやいうても最後にお前はよく収めるな」って言われるようになることです。きっかけとしては、『あんた落ち着きがないよね』って言わるけれど、最後にはちゃんとそれをプラスにかえる工夫を子供の頃からしてきたんだと思います」。
コヤマにとっての「販売」とは?
ーコヤマさんはハイジに就職してすぐに喫茶店に配属になったんですよね。
「はい。その時は、ケーキ屋になろうと思ってハイジに入ってきたのに、とショックでした。でも、喫茶部だったら人より早くえらくなれるかも?っていう下心が沸いてきて頑張れました。ただ1つだけ嫌だったのが、他の店から買ってきたトーストにただ四角く切ったバターをのせて出すという事。自分の手が何もかかっていない単純な仕事は、僕にとっては許せない作業でした。それで僕は黙ってバラの花をバターで作って出しました。それは父親がずっとやっていたことだから見よう見まねでなんとなくできたのです。それを店で出した時、社長に見つかって「クビや〜」と言われると思ったらどういうわけか褒められました。それが僕と社長の本当の出会いのようなものでした。そこから社長に注目されるようになりました」。
ー「目立ったこと」が、まさに幸いとなった。
「その数年後、新店の店長になれと言われました。僕は何でも「無理です」とはあんまり言わないのですが、あの時は、全くケーキなんて作れないわけだから、正直、無理だと思いました。そうしたら、「ほな、オープンまでに覚えたらいいだけのことや。ケーキ覚えるんならまだ時間はある」と社長に言われて、単純な僕はそれならがんばろうと思いました」。
ーそして21歳の時、若くして自分の任されたお店がオープンするわけですよね。どのような事をして売り上げを伸ばしていったのですか?
「こうやったら売れるだという発見を見つけたらすぐにやりました。たとえば5台しか売れないからケーキを5台並べるというのは僕のサービス精神的にはとても嫌なことなんですよ。5台並べるのだったら10台並べたい。焼き菓子だっててんこ盛りに並べたい。でもついつい売れ残りが出ることを思うと売れ残らない程度のギリギリの台数だけ並べればいいという発想になる。そうしたらその店はまるでバーゲンの終盤戦みたいな状態になる」。
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オープン当初は8万円の売上が……。
ー全部が「残り物」みたいな。
「そうそう。そんな風に見えるのが僕は感覚的に嫌だったんです。だから学んだ訳ではなく、「あっ、この店の見え方は好きじゃない、大人しく整列しているようなお店は面白みがないなぁ、もっと盛りたい。」という感覚で、それをずっと続けました。確かにロスはありました。でも、仮にそのロスのことを細かく社長に注意されていたら、良い結果は出ていないと思います」。
ーでも大抵の人はそこで「お小言」のひとつをどうしても言いたくなる。
「前田社長は我慢されていたと思うんですよね。特にロスに関しては随分と我慢をしていただいた。僕はそんなロスを出していることよりも、まず僕が気に入る店を作らないといけないと思いました。僕は子供のときから、自分がやりたいようにやって人が驚いてくれるという感覚が好きなんで、すでに存在する『ニーズに応える」』っていう発想は苦手です」。
ーまさに新しい需要を産み出すという発想ですね。
「お客さまが全く考えてもいないものをゼロから考えてきました。その頃は今のようにケーキを作り出す事は全く出来なかったけれども、毎日自分が感じる違和感を探し続けました。ハイジの店長時代に売上げが上がったのはそういうことだと思うんです。『おまえ、どこまで盛るねん』というくらいお菓子を盛ったから。(笑)そしたら「売れる」というどこかにあったスイッチが入ったんですね。出来る事が少なかったから、出来る事=てんこ盛り、そんな感じです。
もちろん、まだ若かったので今ほど美味しいお菓子も作れなかったです。会社にはレギュラー商品も沢山ありました。だから『たまには自分の新しいお菓子も作ってもいいよ』って言われて色々な実験をさせてもらえました。そういう環境の中で、『売れるお店』『楽しいお店』『人が集まっていいなって思ってもらえるお店』が出来ていきました。前田社長から後に言われたんです。『あのときに俺は決めとったんや』と。『お前に任せて失敗するんやったらぜんぜん俺も悔いはない』と。そういった社長の後押しもあって、オープンして最初は8万円くらいの店の売上げだったのが、そこから離れて違う店行く時には、平日は30万、休日は60万くらいになっていました」。
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流行やニーズに応えるのではなく
『自分がおいしいと思うもの』を届ける。
ー社長の力量というか胆力というのは偉大ですね。
「今、プロデュースの仕事をやらしていただいているのも、まったくそのときの感覚と同じです。売れないお店っていうのは、そのとき僕がやったこととはまったく逆のことをやられているんです。どうやれば売れるかが僕には分かるんだけど、売れるスイッチが入るまで社長が我慢できるかどうかという話なんです。だからプロデュースしていてうまくいくかどうか、結局はそこの社長次第ですよ」。
ー今回の出展作品も現在の世界的な流行や、コンクールのこれまでの受賞作品の傾向などに囚われずに考案されたのですか?
「『C.C.C』のこともフランス人の味覚のことも考えずに作りました。自分の今の味が評価されないのだったら、いろんなこと想像して作っても仕方がない。僕が美味しいと思うもの、表現したいって思うものを出します。今まで日本では通用してきたけど、世界となると、世界は広いから通用しないかもしれない可能性もありました。でも流行やニーズに応えるのではなく、『自分がおいしいと思うもの、よいと思うもの』を届ける。ニーズというのは過去の形だと思うからです」。
コヤマにとっての「尖り」とは?
ーあまりチョコレートのこと聞けなくてすみません。ケーキとも関係ない話が多かったでしたね。
「話をしていて僕分かったことがあります。あんまり意識してなかったけど、『想像を超える』って、やっぱり『自分自身のこと』なんですよ」。
ー自分自身のこと?
「『自分勝手にやっている』と言われるか、『想像を超えた挑戦をしている』と言われるかの違いというのは、単に尖っているだけで完全にあかん方向に向かってしまっているとダメだということなんです。だけど、僕、最後はマシなほうにまとめてきたと思います。というのは、悪く思われたいとは思っていないので、どっちかいうと良く思われたいほうですから(笑)」。
ー「尖り」の方向の問題でしょうか?
「色々なケーキのプロフェッショナルがいる中で、お子様からおじいちゃんおばあちゃんまでお客様がおられる中の、ど真ん中を貫いているかいないかっていう問題なのでしょう。その”尖り”の方向が単に自分勝手な方向に向かっているか、真ん中に向かっているかという意味です」。
コヤマの「物作り」の原点とは?
ー最期にもう1つだけ変な質問させてください。世界が滅びて自分以外の人類がひとりも地球上にいなくなったとします。自分のお店だけが残ったとしたら、それでもケーキを作りますか?
「作らないと思いますね。いや、絶対に作れないと思いますよ」。
ー「作らない」ではなく「作れない」?
そうですね。「作れない」です。僕は誰か食べてくれる人がいなかったらあかん人です。例えばカラオケとかいっても人が多ければ多いほどノリます。講演とか行って人がものスゴク多かったらぜんぜん緊張しませんけど、人が少なかったら、めっちゃ緊張します。
ーやっぱり人に食べてもらうためにケーキを作っているからですか?
「食べてもらうためっていうか、『どうですか?どうどうこれ?』って言いたいんです。子供の頃に『お母さん、これどう?』ってよく母親に聞きましたが、要するに褒めてもらいたい(笑)」。
ーわかります。
「『よう作ったねー』ってびっくりしてほしい。その思いの塊だと思うんです。ケーキ作りも空間プロデュースやお店作りも全部一緒です。自分だけが褒められて嬉しかった子供のときと違うのは、自分に関わる人が褒められるともっと嬉しいということでしょうか。自分以外の店の人のことや、違う会社の人のことでも、自分に関わる人たちが褒められると嬉しいです。あいつ評価されている、すごい褒められているって嬉しくなります。だから地球上に人がいなくなったら、僕は絶対にケーキを作れないですよ」。
※1「Club des Croqueurs de Chocolat」:1981年に食の評論家やジャーナリストによって設立された、フランスの最も権威のあるショコラ愛好会。直訳すると「チョコレートをかじる人たちのクラブ」で、「C.C.C.」と略される。定期的にデギュスタシオン(試食品評会)が行われており、基準に基づいた判定によって1~5枚のタブレット(板チョコ)マークの数で評価される。その判定結果は、大きな影響力をもつことから、“チョコレート版ミシュラン”とも呼ばれている。
■インタビューを終えて
今回、あえてコヤマススムさんにケーキ作りの「プロセス」以外の部分、を中心にお話して頂いたのには理由があります。それは、私がコヤマさんが、顧客ニーズに作品を合わせるのではなく、どうやって新しい需要を生み出しているのかを知りたかったからです。似たようなプロセスで作られるケーキなのに、なぜ世界一流といわれるものと、そうでないものとに分かれるのか?ご自身がインタビューでおっしゃっているように、卵を泡だて、砂糖を入れ、小麦を入れ……。一見、単調なそのプロセスの中に、本当の「違い」があるだと思いますが、同時に私はコヤマさんの「もの作り」の原点である「価格」(Price)、「立地」(Placement)、「開発」(Product)、「人」(People)、「販売」(Promotion)といった視点で改めてお話を伺ってみたかったのです。お話を伺って分かったことがあります。一般的なマーケティング的な発想(4Pや6P)は、もちろん新規需要を生み出す上で重要な要素ではあります。でも、それ以上に大切な要素があることを教えられました。それは、「洞察力(インサイト)」と、「やる気(モチベーション)」でした。
この日、コヤマススムさんにお会いできて良かったです。コヤマさんは世界を代表する、NGO(Non-Gaman-Optimist)な和製パティシエでした。