片岡英彦のNGOな人々 (Non-Gaman Optimists)「あいつ死んだんじゃないか?」
世界の医療団ホームレス支援活動。

(2011.12.26)

「NGOな人々」とは、”Non-GAMAN-Optimist”今の世の中に、とにかく「ガマン」していられず、チャレンジをし続け、決して諦めない「楽観人」です。そんなNGOな人々へのインタビューを毎回コラム形式でご紹介しています。第12回は、フランス・パリに本部を持つ国際NGO『世界の医療団』で「ホームレス」支援プロジェクトに携わる中村あずささんです。

「ホームレス」支援活動の現状。

「ホームレス」の医療支援活動に関心がありますか?と問われて、正直なところ、あまり関心がある人は少ないのではないかと思います。

「自己責任ではないのか?」「選り好みしなければ仕事はあるじゃないか。」「自分に甘えているだけではないのか?」

「ホームレス」の支援活動に関しては常にこうした反論も多く寄せられます。私が現在、広報マネージャーを務めています国際NGO『世界の医療団』では、東北の被災地の方々のメンタルケア等の支援の他に、「ホームレス」の人たちへの医療支援(特にメンタルケア)と自立のためのサポートを行っています。この「ホームレス」支援プロジェクトのコーディネートを行っているのが、今回登場する中村あずさです。

彼女は大学1年生の時から「ホームレス」支援活動を行っています。私がまだ新参者で「ホームレス」支援活動については詳しくないため、彼女から「ホームレス」支援活動の現状をヒアリングする機会をもらいました。せっかくの機会でしたので、私が今まで抱いていた率直な疑問をそのまま彼女にぶつけてみました。

■中村あずさ プロフィール

1981年埼玉県生まれ。大学一年生の頃から「ホームレス」支援活動を行う。2003年、「ホームレス」の自立支援活動を行う特定非営利活動法人TENOHASI(てのはし)を精神科医の森川すいめい氏らとともに設立。大学卒業後、専門学校に通いながら社会福祉士の資格を習得。2009年、フランス・パリに本部を持つ国際NGO『世界の医療団』に参加。同団体が初めての国内で実施した東京プロジェクトのコーディネーターとして、自らが立ち上げに携わったTENOHASIなどと共同し、精神科医や看護士らと共に「ホームレス」の医療支援・自立支援のための活動を行っている。12月29日から1月3日まで連日池袋で炊き出し・夜回り・相談会の活動をおこなう予定。年越しそば、お餅つきなどのお楽しみ企画も。年末年始のボランティア活動への参加を呼び掛けている。

生きているだけで嬉しいということを
お互いに感じ合える活動。
ー唐突ですけど、「ホームレス」の支援活動ってやっていて楽しいですか?

中村 嬉しいと思うことはいっぱいあります。「ホームレス」支援の活動に携わるようになって一番強く思うことは、すごく素敵なプレゼントもらったから嬉しいとか、素敵な体験をしたから特別な人だとかそういうことではなくて、ただその人が生きていて会えるだけで奇跡だといいますか、生きているだけで本当に嬉しいということをお互いに感じ合えることです。

月に2回、「ホームレス」支援のための医療や福祉に関する相談会を行っています。同時に炊き出しも行っていますので、毎回200人~300人程が集まってきます。そこでみなさんの顔が見られます。「ああ、あの人いる、あの人いる」って生存確認ができるんです。しばらく来ないと、「ホームレス」の人たちも一緒になって「あいつは死んだんじゃないか」ってみんなで心配をします。これは冗談じゃなく、本当に死んでいく人もいるからです。その人にその日に会えることだけで幸せといいますか、その人が生きていると分かるだけで喜べます。「ああまた会えたね」ということをお互いに喜べる関係というのは、今まで体験したことがなかったんです。

今は「ホームレス」ばかりでなく誰もがみんな生きていくことの大変な時代です。こうじゃなきゃいけないとか、何ができないあれができないとか、何でも否定されてしまう生き辛い世の中です。一緒に活動する多くの大学生とかサラリーマンとかボランティアの人たちも、支援のために集まるのがみんな嬉しいという人がほとんどです。初めてボランティアに参加した人は「“ありがとう”と言われてうれしかった」と口ぐちに言います。「ありがとう」と言われることが新鮮な体験なんだなと思います。会社とか学校ではすごくたいへんな思いをしているけど、ここではお互いに生きているだけで、ただそれだけで十分なんだって。支援活動に協力することで自分自身もほっとするみたいです。

ー反対に活動をしていて辛いことは?

中村 地域の人も福祉関係の人もだんだんと「ホームレス」支援活動について理解してくれるようになってきています。でも、中には今でもほんとうにひどい病院があります。ある時、急病にかかった「ホームレス」のおじさんがいました。急いで救急車を呼んで、受け入れてくれるかどうかの確認をして、私も救急車に乗って病院まで付き添って行ったんです。すると到着した矢先に「何でこんなやつ連れてきたんだ!」という罵声を医師から浴びせられたことがありました。私だけじゃなくて、本人がそこにいて苦しんでいるのに。「こんな汚いやつ連れてきてどうするんだ」って大声で怒鳴られました。その医師は処置をした後、「処置はしたからもう返す」と言って、まだ歩けもしない患者を病院から追い出しました。その追い返された「ホームレス」の人は、結局、亡くなりました。その病院は今でもあります。

他にも、路上で出会った人が亡くなる経験というのが何度かありました。そのひとつひとつの出会いと別れが、自分を変え、自分を突き動かす原動力になっています。そういう経験をするまでは、支援活動に参加しても、私は受動的でした。活動に参加して「ホームレス」の人たちの話を聞いて、ちょっと付き添うようなことしか行っていなかったんです。でもやっぱりこのままじゃ駄目だという思いが湧いてきました。福祉制度に対しても社会に対してもこのままでは本当に嫌だなと思い、もう一歩自分が踏み出して活動に関わろうと思いました。


「あいつは死んだんじゃないか」ってみんなで心配をします。これは冗談じゃなく、本当に死んでいく人もいるからです。(中村)
高校卒業後、ボランティア活動に興味。

ー「ホームレス」支援にはいつから関心が?

中村 高校のときに自分が病気になって、1年間、学校を休みました。最初は病気の原因がわからなくて、半年くらい入院したり、自宅で療養をしていたりしていた時期がありました。もう自分は生きていけないんじゃないか、社会に必要とされていないんじゃないか、もう何もできないのかと思って過ごした時期がありました。その時に感じた「無力感」が私にとっての転機になりました。やがて元気になった時に、これからはやりたいことはなんでもできるなと思いました。どうせなら人のために役に立つことをやりたい。そして自分以外の病気の人たちのことが気になりました。自分自身が無力感を味わったので、生きていけない状況にある人たちのことがすごく気になったんです。

高校を卒業した頃から医療や福祉などボランティア活動に興味を持つようになり、ハンセン病の施設ですとか、色々な医療団体の活動現場を見学させてもらったりしました。私が通っていた大学のターミナル駅の周辺に多くの「ホームレス」の人たちがいたこともあり、そのうちに「ホームレス」支援に興味を持つようになりました。

大学1年生のときに「ホームレス」支援のボランティアを始めました。とにかくすごく楽しかった記憶があります。新しいことを始めることがとにかく楽しかったこともあります。同じ大学生や色々な人を巻き込んで、あんなことやりたいね、こんなことやりたいねって皆で話し合いました。初めて池袋に「ホームレス」の活動に来たのが2001年でした。ですからかれこれ10年この「ホームレス」支援の現場にいます。

当時、池袋に「ホームレス」支援をしているグループがありましたが、「ホームレス」自身による組織と、支援者らによる組織と別々に分かれていました。当事者と支援者たちが別々に分かれて活動している状態はあまり良くありませんでした。目指すべき方向は一緒なのに組織が対立し、支援の輪がなかなか広がらずにうまくいっていませんでした。そのうちに支援活動をしていく上で医療分野のニーズがあるということに気づき、「ホームレス」支援活動の中でも医療支援のための新しい活動を立ち上げたいと思うようになりました。

もっと人とお金を集めて活動しないと、このままではいつまでたっても大変なままだということになり、精神科医の森川すいめいさんらと共に2003年に「てのはし」というボランティア団体を立ち上げました。こうしたボランティア活動をしているうちに、もっと福祉の知識が必要だと思うようになり、大学卒業後、福祉関係の専門学校に改めて通い始めました。

ー ご両親は何と?

最初はあんまりいい顔をしていなかったです。「いったいうちの娘は何やっているんだろう」と思っていたと思います。社会福祉士と介護福祉士とを勘違いしているみたいでしたけど、将来、自分の介護もやってもらえるんだろうかくらいに思っていたようです。

一人一人の生活が変わっていくことが、
全体として大きな力に。

ー実際に支援活動に深く関わるようになって感じたことは?

中村 もともと私も何にも知らなかったので、どんな生活をしているのかという好奇心から入っていったというところも正直あるんですけど、知れば知るほど「ホームレス」の方々の残酷な状況を知りました。1週間2週間全く何も食べていないとか、役所に行っても生活保護を断られたり、救急車に乗っても追い返されたりとか。でもちょっとしたプロセスを踏んで、ちゃんと使える公共のサービスを使えば、その人のその後の生活が大きく変わっていきます。普通の社会生活に戻って本来の自分らしい生活に戻れることもできます。

本当は変われるはずなのに、誰からも放ったらかしにされていて戻れるものも戻れないことが実際には多くあります。私はその頃はまだ大学生で、社会人経験も福祉関係の知識もあるわけではなく、個人としての力もなかったので、こういう活動はもっと社会的に力のある人がやるべきことではと思っていました。何で私みたいな人がやらなきゃいけないんだろうと思いながら、でもやる人がいないからしょうがない、やるしかないなという意識で続けました。

ー「焼け石に水」とは思わなかったの?

そう思ったことはあります。実は、今でも思うことも時々あるんです。ですけど、ただ数をこなすことよりも、ひとりひとりとじっくりと向き合い付き合っていくことを大事にしています。一人一人の生活が変わっていくということが、全体として大きな力になっていくのだと思います。

できるだけ対等なコミュニケーションを目指す。

ー活動をする上で一番気をつけていることは何ですか?

中村 「支援者」として関わるというのは、どうしても相手に対して「パワー」を持ってしまうのです。特に気を付けているのは、できるだけ対等なコミュニケーションを目指すことです。「支援」を全面に押し出すと失礼なコミュニケーションになってしまうことがあります。

でも幸いなことに、私が活動を始めた時に私はまだ十代でしたし、しかも女性で背が小さくて(笑)、同じ事を年配の男性に言われるのと、私に言われるのとでは、雰囲気が全く違ったのでしょう。私が「ホームレス」の人たちから受け入れられたのは、特に素晴らしい支援をしたからというわけではなく、娘のように可愛がられたというか、支援する者と、支援されるものという目線ではなく、 むしろ「あいつ大丈夫か?」と心配される存在だったからなのかもしれません。

ー支援活動をしていく上で大切なことは?

その人の中の動機付け(モチベーション)がないと、何かのケアという意味では、何も始まらないのではないかと思っています。また信頼関係をつくるための、コミュニケーションは何よりも大切です。コミュニケーションを積み重ねお互いに信頼できるようになり、やっとサービスが提供できるようになります。


「支援者」として関わるというのは、どうしても相手に対して「パワー」を持ってしまうのです。特に気を付けているのは、できるだけ対等なコミュニケーションを目指すことです。(中村)
どうしたいのかという気持ちを支えていく

ーまずはどういう風に話しかけるのですか?

中村 基本的には私達が聞くのは「あなたはどうしたいの?」っていうことです。まずそれをしっかり聞いて、どうしたいのかという気持ちを支えていくことによって支援は成立していくんです。お医者さんがいくら薬を与えたとしても、本人がその気がなければぜんぜん良くならないし、最初は薬を飲んでも途中でやめてしまったりします。

「どうしたいの?」ということを丁寧に聞いていくことによって、聞かれた人自身が、自分がどうしたいかっていうことに、次第に気がついていきます。「ホームレス」の人たちって社会から見放されているというか、ひどい言葉でいえば、見捨てられているんです。「あなたはどうしたいのか?」などと誰からも聞かれたこともなく社会から拒否されて追い詰められてしまっています。だからこそ、自分がどうしたいかなど考えもしていないんです。だれも聞いてくれる人がいませんから思いつきもしないという人もいるのです。でも、それでも「どうしたいですか?」って聞いていくと、やっと何をしたいのかがわかってきます。そこから全てが始まっていくんです。

ー「どうしたいの?」って尋ねた結果、何と答える人が多いですか?

最初はなかなかでてこないですね。でも、やっぱり仕事したいっていう答えが一番多いですね。仕事して収入を得て、ちゃんと家に住みたいって。

ーそれを聞いた後にどういう風にサポートしていくのですか?

「そうしていきましょう」「そのために使える社会的な制度はこれですよ」「どれがいいですか?」と。急には全部のことはできないから、まずは住まいをどうしましょうかとか、まずは身体を治しましょうとか。就職活動をしたいのであればそういう施設を紹介したり、その人のやりたいということを中心にプランを設計して導いていきます。


私達が聞くのは「あなたはどうしたいの?」っていうことです。まずそれをしっかり聞いて、どうしたいのかという気持ちを支えていくことによって支援は成立していくんです。(中村)
住まいを手に入れること。
それぞれの地域の福祉政策。

ー「ホームレス」支援のいま一番の課題は?

中村 私達の活動はみんなボランティアでやっていて、みんな仕事をかかえながらぎりぎりのところで生活しています。全く仕事をせずにボランティア活動をやっている人もいます。きちんと対価が支払えて、その人たちがしっかりとした「サービス」の担い手になれたらぜんぜん違うなって思うことはあります。

あと、当たり前ですが「「ホームレス」」の問題っていうのは「住まい」の問題なので、住まいをどうするかということが重要です。住まいの他にも社会的な色々な課題はありますが、まず、住まいさえ手に入れられれば、それぞれの地域の福祉政策とその人とをつなげていくことができるんです。

例えば、ある地域で障害者や高齢者の福祉サービスを受けようとしても、その人が「ホームレス」だというだけで、担当者の仕事の管轄外だと思われて、結局、行政からの支援が受けられないといったことが実際にあるんです。その人に家があるかないかの違いだけなのに。だから、住まいのあるなしというのは、思っている以上に大きな問題です。

ー極論ですが1万人分の仮設住宅(ハード)が建設されれば解決する話?

中村 住宅はあればあるほどいいと思います。でも東北の被災地の人たちがいつまでも仮設住宅に住み続けたいとは必ずしも思わないのと同じように、やっぱり「詰め込み」という発想だとうまくいかないと思います。「ホームレス」の人たちにも様々な経験や能力を持っている人がいます。例えばすごく細かい配慮ができる人とか、すごく体力のある人だとか。なので、例えば町の掃除役とか配達係だとか、高齢者の人の見守りとか、いろんな人がいろんな場で地域に溶け込んでいけるというのが一番の理想かなと、私は思うんです。「役割」があるって、生きていく上で欠かせないことだと思うのです。現実には、今はなかなか役割というものが一人一人に与えられていないです。

ー自分が「ホームレス」なのにボランティアをしてくれる人がいますが、そういうのも役割のひとつですか?

はい。「自分も参加していいんですか?」って言いながら喜んで支援活動に協力してくれる「ホームレス」の人が大勢います。先週、夜回りで出会った人が、今週は支援者のほうに回っていて、一緒に活動をサポートしてくれたりします。そうするとぜんぜん先週とは表情が違っています。すごく幸せそうというか。先週会ったときは、本当に死んでしまいそうな顔をしていたのに、今週出会ったら生き生きとした顔をしている。人の役に立つという経験は、「ホームレス」の人に限らず、大切なことなのだなと思います。

不登校や引きこもりが
ホームレス化。

ー「ホームレス」問題はどうすればもっと多くの人からの関心を集めることができるのでしょう?

中村 難しいですけど、私は「ホームレス」問題っていうのはぜんぜん特別な問題じゃないと思っています。日本の中にある色々な社会的課題や福祉の問題と同じ土俵にあると思います。例えば高齢者の「ホームレス」の人の中に、昔はとてもお金持ちだった人がいます。少し前までは良い家族に恵まれていた人もいます。

家族がいなくなって支える人がいなくなったとたんに「ホームレス」になってしまったり、認知症にかかり迷子のようになってさまよっているうちに「ホームレス」として扱われ、結局、路上で亡くなってしまった人とか。あとは不登校や引きこもりの問題もあります。今、日本に100万人以上いるって言われていますが、その人たちがこれからどんどん高齢になり、支える家族がいなくなったら「ホームレス」化するんじゃないかと心配する専門家もいます。

実際、フィールド(路上など)にはそういう人たちが増え始めてきています。「ホームレス」というだけで、その人たちはただの「怠け者」とか、むかしの「乞食」のイメージとかを持つ人がよくいますが、実際は違います。今、発達・知的障がいや精神障がいの人たちには支える家族がいますが、その支える家族がいなければ「ホームレス」になってしまうことだって考えられます。現在の日本の福祉的な課題は「家族の負担」によって成り立っていることだと思います。でもその家族がとてもしんどい思いをして成り立っています。「ホームレス」問題を解決しようと思ったら、まず、社会的に支えあうしかけをつくることで色々な負担を負っている「家族」の負担を少しでも減らしていくことにつながっていくと思います。

中村 この間、私、秋田に友達がいて秋田に行きました。その友達に仕事の話をしてと言われたので、東京で「ホームレス」支援をしていますと話をしたら、「東京の「ホームレス」に秋田の人たちはいるんですか?」という質問がありました。実際、たくさんいるんです。トップ5に入ります。東京の人に話す時と、秋田の人に話すときとぜんぜん受け取られ方が違うなって思ったんです。秋田の人にとっては簡単に想像が出来るんです。自分の近所の何さんは東京に出稼ぎに行ったきり戻ってこないとか。「ホームレス」問題っていうとどうしても都市の問題であって、東京にいるその「ホームレス」の人たちをどうするかという問題だと思われがちです。でも本当は、地方では暮らしていけない現状があるから、その問題が東京に集まってくる。地方では仕事がなくて家族と一緒に生きていけない状況があるから東京に出てくる。でも東京でも普通には生きてはいけない。

ーインターネットの力は役に立つ?

中村 インターネットの力のおかげで良くなっていることは、今までとてもつながれなかった人とつながれるってことです。これはすごいことだなって思います。でも路上にはまだまだネットの本当の力は届いていません。逆に路上には路上ならではの可能性がものすごくあって、ネットの世界には登場しない人たちが生きています。こうした人たちがみんなでつながれれば何か起こるかもしれなみたいなことは思うんです。私はネットをどう構築すればうまく生かされるというのはわからないんですけども、例えばGoogleなどが都市の路上に関心をもってくれて、何かプロジェクトをやろうとかっていったら面白いことができるのではないかとは思います。

ー尊敬する人、それは…

中村 路上や公園で支援活動をしていると、酔っ払ったサラリーマンに「おまえは何でこんなやつらを助けるんだ」って絡まれることがよくあります。私たちも人ですから、こんなことを言われるとショックを受けることもあります。こうした人たちにも実際に「ホームレス」の人たちと出会って、まずは話をしてみて欲しいと思います。路上生活ってめちゃくちゃ過酷なんです。毎年、冬には何人もの人が亡くなります。みんな日々の食事を得るために必死に何らかの方法で収入を得ています。アルミ缶集めたり日雇いのバイトに行ったりして収入を得て必死で命つないでいます。機会があれば仕事をしたいと思っている人がほとんどです。本当に自堕落な人や軟弱な人では生きていくことは無理な世界だと思います。

今一緒に支援活動をしている人「べてる」の向谷地生良さんに、路上にいる「ホームレス」の人たちを案内して回ったことがあります。向谷地さんが言ってくれた言葉が忘れられません。「日本の希望はここにあるね。路上にあるね」って。今、何か社会がおかしいからその流れに乗っていけない人たち、忘れられちゃう人たちが大勢いて、だからこそこの人たちには可能性がある。だから今の社会を変えていくとしたらこの人たちの中にキーがあるのかなって思います。私が尊敬する人は、こうした人たちです。

ーこのインタビューを読んで、もし、あずささんと一緒に「ホームレス」支援活動をしてみたいと思った人がいたら、まずどうすればいいの?

私宛に連絡ください!ホームページに連絡先があります。募集はいつでもやっているので。パートナー団体の『てのはし』が私たちと一緒にやっている「炊き出し」は、出入り自由でアポなしでもOKです。


ホームページに連絡先があります。ボランティアの募集はいつでもやっているので、私宛に連絡ください。「炊き出し」は、出入り自由でアポなしでもOKです。(中村)
インタビューを終えて

私が今回のインタビューを中村さんに依頼したとき、まず彼女に言われた言葉が「私、お話しするのは苦手ですよ。」でした。学生時代から「ホームレス」支援活動をやっている方だと聞いていたので、私はいわゆる市民活動家のような、もっと気性の激しい方をイメージしていました。インタビュー記事からも伝わる通り、中村さんは、口調もゆっくりと柔らかく話すタイプです。性格やものの考え方、コミュニケーションの仕方も、物腰が柔らかく、とてもおっとりとした印象を受けます。もちろん穏やかさとはまた別の芯の強さなどもあるかもしれませんが、その姿を見た通り、彼女はごく普通の「社会人」です。私が何を言いたいかといいますと…最近は震災のこともありNGOやNPOで働くことがそれほど特殊なことではなくなりました。NGOやNPOの活動は国や行政を相手に連日戦って、弱者の権利を「勝ち取る」ことが目的ではありません。いかに国や行政を巻き込んで一緒に結果を出していくか、より現実的でタフな活動が求められています。どうやって多くの人を巻き込み、行政や国を動かし、支援活動の結果を出していくのか、社会人として(人間として)の力量が正面から試されます。「立派な社会人」であることによって「立派な支援活動」ができる、ごく当たり前ですが、そんな当たり前の時代です。

この日、世界の医療団、中村あずさと、ゆっくりお話しできて良かったです。中村さんはNGO(Non- Gaman Optimists)な人でした。