片岡英彦のNGOな人々 (Non-Gaman Optimists)政治家にも一生懸命な人はいます
衆議院議員・福田えりこ

(2011.08.26)

コラム「NGOな人々」とは、”Non-GAMAN-Optimist”(今の世の中に、とにかく「ガマン」していられず、チャレンジをし続け、決して諦めない「楽観人」)のインタビューをコラム形式でご紹介していきます。第4回は衆議院議員・福田えりこさんです。

「会いたい」政治家

せっかく頂いたインタビューコラムの機会なので、できるだけ色々な分野の方にお会いしたいと思っています。クリエーター、ジャーナリスト、俳優、ミュージシャン……。新しいチャレンジを試みる方。普通とは違った視点で物事を考えている方。どんな困難があっても何とか成し遂げようと、一見、「楽天家」のようにいつも笑っておられる方。お会いしてみたい方々の顔が浮かんできます。ところが国民の声を「代弁」するはずの現職の「代議士」となると、正直なところなかなか思い浮かぶ方がいませんでした。「時代」を象徴するような「ザ・大物」といった感じの方の顔がなかなか見えてきません。ならば「お話ししやすそうな政治家は?」と考え直してみました。福田えりこさん(現職の国会議員ですが「先生」ではなく、あえて「さん」とさせていただきます。)は、ご多忙な中、最後まで私の「突拍子もない」質問にも私と「同じ目線」で応じてくださいました。

■福田えりこ プロフィール

福田えりこ(ふくだ・えりこ)1980年、長崎、生まれ。長崎県立長崎西高等学校卒業。広島修道大学中退。2001年4月に両親の勧めで検査を受けたところ、C型肝炎ウイルスへの感染が判明。2004年(平成16年)4月に実名を公表し、薬害肝炎九州訴訟の原告となる。講演活動の他、各種メディアに登場するなどして精力的な活動を続け、和解に。2009総選挙において、長崎2区より立候補。「『命』を奪うのも政治なら『命』を救うのも政治」と主張し初当選。高校時代に受け狙いで空手部に入部。一方、趣味は刺繍。


防護服着たんですって?

「7月4日に雇用対策ワーキングチームのメンバーで、福島の被災地を訪問しました。福島県庁、福島労働局、福島と平のハローワーク、そしてJヴィレッジに伺いました。今回が3度目です。5月にJヴィレッジに伺った時には、まだ作業員も物資も多く、現場は混沌としていました。その頃と比べると、だいぶ落ち着き始めました。

私達が最初に訪問した時はまだベッドもなくみんな雑魚寝だったそうですが、やっと休憩室を設けることもでき、線量チェックも手書きからバーコードによるデータ管理となっています。防護服を着用しての作業がどんなにつらいのかを少しでも感じるため、実際に防護服を着用させてもらいました。防護服は厚手の紙みたいな材質でできていて一枚の『つなぎ』のようになっています。

マスクを着用し、上からテープで隙間を塞ぐと「完全防備」になります。防護服を着用した上での作業は3時間が限界ということですが、その間は水分も取れませんしトイレにも行けません。実際に自分が着てみて分かったのですが、この格好で活動を続けることは、暑い夏には体力的にも相当厳しいです。14時から17時までの間は熱中症対策として作業を行わないなどの対策がとられていますが、私たちも、作業員の皆さんの健康管理をしっかり出来るように配慮していきたいと思います。」

作業員の健康

「復旧作業員の自己造血幹細胞の事前採取のことが気にかかっています。造血幹細胞というのは血液中の白血球などの源となる細胞のことです。人の骨髄などにあります。万が一被曝したりした際には、血液細胞を作れなくなるなどの障害が起きますが、あらかじめ自分の造血幹細胞を採取し冷凍保存しておけば、それを移植することで造血機能を回復することができます。これはあくまでも「いざ」というときのためのものです。保管する造血幹細胞が他人の細胞だと、その『いざ』という時に『不適合』になる可能性がありますが、初めから自分の細胞であればタイプが合わないというリスクは最小限で済みます。

(万が一にも)白血病が発生した時など、すぐに治療ができます。ところがこの事前採取の問題をめぐって、現在、意見の対立があります。被曝をするような危険な現場で復旧作業しているということになれば、家族や国民の不安感、外国からの不信感をあおることになりかねないという配慮があるのかもしれません。私はたとえその可能性は低くても『絶対ない』とは言い切れない以上、最悪の事態をも考えておくべきだと思います。この問題はまだ現時点では結論が出ていません。

万が一の話だからこそ、安心安全のための提案をしていきたいと思います。『日本はひとりの犠牲もださないでこの非常事態を収束させる』という決意が必要です。これはC型肝炎訴訟の時と同じです。万が一に備えた安全問題に関しては日頃はあまり報道されません。いまは何もなくても何十年か経って発生する可能性までをも私たちは心配していかないといけないと思います。」

僕らはどうすればいい?

実際に被災地を訪問して直接みなさんのお話しを伺ってみると、『全国からの援助や応援にありがたいと思っている。でもいつまでもお客さん気分でボランティアに頼ってばかりではいけないから、そのための支援をして欲しい。』『自分たちが自分たちの力で自分たちの町を復活させたい。』という声が多かったです。とにかくみなさんは忍耐強いです。

今回の震災を通じて日本は一つにならないといけないと多くの方が思ったと思います。被災地から学ぶことや気づかされることが多くあります。今まで私たちは、自分さえ良ければ良いと思う人たちがみんなバラバラな方向を向いてきました。今のような行き過ぎた競争社会が生みだした格差社会にも原因があると思います。日常の中では自分たちの要望ばかりを押し通そうとすることがあります。

その点、被災地ではみなさん譲り合って支えあって生きています。目に見えてつらい人たちには当然自分のものを分け与えたいと思う。これは緊急時だけではなく平時だって同じ日本人としての気持ちです。生きていくのが困難な人たちがいれば、支えていく社会を創っていきたいです。昔の日本にはごく普通にあった良い社会をもう一度取り戻せるのは今だと思います。国会議員の中にも政局のことで足の引っ張り合いをする愚かさにすでに気付いている人は多くいます。もっともっと誰もが変わっていかなくてはいけないと思います。日本人が日本人として日本に生き支え合う精神、互助倍増の精神が今求められていると思います。」

「声なき声」を代弁?

「医療や社会保障を通じて『命をつなぐ政治』を実現させたいと思います。医療や社会保障は『ほどこし』ではありません。今おかれている状況が悪いのは『おまえの頑張りが足りない』と言って何でも自己責任に転嫁する過去の政策は間違いだったと思います。いくら頑張ってもどうにもできないような様々な状況の個人や家庭が多くあります。何らかの理由で両親がいない子ども、病気にかかったり障害があったりする方、とにかく色々な状況に置かれた方たちのことを考えていきたいです。

本当に必要なところに光をあてていきたいと思っています。陳情や要望が私達のもとに届くことがありますが、もちろんそれが全てではありません。東京にいる私達の元に要望が届くという時点で、その要望というのはすでに『強いパワー』を持っています。陳情さえできないような方たちの声をも拾わなくてはならないと思っています。『どうにかしてください』ということさえも言えないような『声なき声』をどうやって拾えばいいのか。自分があちこち聴いて回り想像力を働かすしかありません。それが今の私の課題です。」

「代弁する」から「代議士」です

「ふと取り残される少数の声がいつも気になるのです。原告団だったころの自分たちの声がまさにそうでした。私たちの声が届かなければ薬害肝炎の問題自体が『なかったこと』にされていたかもしれません。後々同じ事が起こらないためにも、弱者を『守る』という視点ではなく、あくまで『同じ目線』『同じ視点』で声なき声を『代弁』していくつもりです。だって『代議士』っていうくらいですから。」

尊敬する先輩

「私がまだ議員に当選する前に薬害肝炎訴訟の原告団の活動をサポートして頂いた先輩の現職議員の方がいます。その方は初めて私たちの声なき声に耳を傾けて最初から真剣に取り組んでくれました。私たちと泣き、怒り、喜びながら、あらゆる現場を一緒に走り回ってくれました。当時7キロも痩せてしまったほどでした。

役所に何度も出向いても『係争中の案件だから』と言われてなかなか役職者にはお会いできず、要望書を届けようとしてもエレベーターの前で受け取るくらいの軽い扱いでした。国会議員も最初はそうでした。私たちは『政治家=国』だと思っていたので、諦めかけていましたが、必ずしも政治家みんながそうではないということを教えてくれたのはこの方です。『薬害肝炎の問題はみんなが知らないだけだから』と言って、私たちと一緒になって多くの人に私たちの思いを伝えていきました。こんなに熱く寄り添って戦ってくれる政治家がいた結果、薬害肝炎訴訟は解決に結びついたのです。

この方がいなかったら、私は国会議員になろうなどとは思わなかったです。私利私欲のない国民のために動いている立派な国会議員のひとりです。とかく政治家もジャーナリストも何でも一括りにされて批判されることがあります。でも一生懸命やっている人が必ずいます。政治家にも一生懸命な人は確かにいるのです。」

運命のヨーロッパ一人旅

「私の運命大きくが変わったのは大学を休学して海外一人旅に向かった時でした。大学では心理学を専攻していました。人間を科学する実験心理学で人の心を科学的に解明しようという分野でしたが、『そんな理屈一辺倒で解明できるのか?』『黒板や教科書で人の気持ちがわかるのか?』と正直なところ疑問に思いました。『このまま大学で勉強をしていて本当にいいのだろうか?』と思いました。『生真面目』だったのかもしれません。休学してヨーロッパに一人旅に出ました。これが運命でした。

あそこで海外に行かなかったら全く今とは人生が変わったでしょう。帰国後、実家がある長崎にいたからこそ親に言われて病院にC型肝炎の検査に行きました。(2001年、国会で肝炎問題の追及が行われ、厚生労働省は血液製剤を血友病以外の患者に投与した可能性のある医療機関の名を公表しました。このリストに福田さんが出生時に血液製剤を投与された病院があり、両親の勧めで検査を受けたところ、福田さんのC型肝炎ウイルスへの感染が判明しました。福田さんは、翌年、大学を正式中退してインターフェロン治療を開始し、治療の結果、現在は完治しています。)過去のことはあるべくしてあった出来事だと感じています。」

「実名公表」は勇気がいりました?

「意外になんてことなかったです。『なぜ名前を隠さないといけないの?』『私は悪いこと何もしていないし』と思いました。逆に実名を公表しないことによる差別や偏見の方を恐れました。『私が名前や顔を隠したら隠さないといけないような病気だと思われるのではないか?』20代で感染してしまった人もいるということを堂々と伝えたかったです。他に若い人が多くはいなかったので全く迷いはなかったです。実は親にも相談しないで『実名公表』したのです。」

30歳になりましたね

「私は今まで自分の運命に逆らわずに生きてきました。別に自ら望んでいるわけではないけれど、次から次に色々な問題が起こります。治療がまだ終わって治ってないときに訴訟の原告になりましたが、もしすでに治っていたら原告団には加わっていなかったかもしれません。誰でも自分が動けばきっと何かが変わります。様々な出会いや別れがその人の人生を変えることが多くあります。まずはとにかく何かをやってみること。出会いを正面から受け入れること、そうした姿勢が、例え失敗しても次につながるのだと思います。今後も医療や福祉、社会保障の問題を通じて、『何かあっても諦めずにもう一度チャレンジしようと思える社会』を創っていきたいです。」

■■インタビュー後記■■
巻き込む力と影響力

私がかつてテレビで薬害肝炎訴訟のニュースを視ていて、訴訟問題の「潮目が変わった?」と思った瞬間があります。議員になる前の福田えりこさん(当時、肝炎訴訟原告団)がコメントする映像を初めて視た時です。これまであくまで「情報」として知っているという程度だった「薬害肝炎訴訟」のニュースが、彼女のインタビュー映像を視てから、どういう訳か私にとって「人ごと」から「自分ごと」に変わったような気がしました。テレビ映像の持つ「魔法の力」だったのかもしれません。決して福田さんの「強い指導力」「明確な論理性」などを画面で視た訳ではありません。彼女の持つ彼女ならでの「パワー」がいったい何だったのか? 

お忙しい中、貴重なお時間を頂き2人きりでお話しさせてもらいましたが、結局、私なりの答え(彼女の持つ「パワー」の源泉)は出てきませんでした。一つだけ言えるのは、彼女は「政治家」でも「原告団」でもなく終始一貫して、30歳のひとりの人間として、私と「同じ目線」で話をしてくれたことです。これからの政治家にとって一番大切なことかもしれません。福田えりこさんに初めてお会いできて良かったです。福田さんは不思議な力を持った、NGO(Non- Gaman Optimists)な方でした。