片岡英彦のNGOな人々 (Non-Gaman Optimists)「ルワンダ」を知っていますか?
「援助」から「ビジネス」への道。

(2011.11.07)

「NGOな人々」とは、”Non-GAMAN-Optimist”。今の世の中に、とにかく「ガマン」していられず、チャレンジをし続け、決して諦めない 「楽観人」です。そんなNGOな人々へのインタビューを毎回コラム形式でご紹介しています。第9回は、ルワンダ共和国一等参事官のベネディクト・ンシミマナさんです。ルワンダの現状は? はたまたルワンダと日本の関係は?

ルワンダ共和国一等参事官のベネディクト・ンシミマナ氏は、ルワンダ人でありながら難民としてタンザニアで生まれた。当時のルワンダは多数派のフツ族が政治の事件を握る一方で、少数派のツチ族は難民として身の安全を守るため周辺諸国に逃れる状況にあった。難民として隣国で生まれ育ち、今、ルワンダ共和国の外交官として母国の発展のために外交の最前線で活躍するベネディクトさんの目には、現在のルワンダと日本はどのように映っているのだろうか? 両国の関係は、今後良い方向に向かっていくのだろうか?

知人の紹介で、ベネディクトさんとは一度、新宿で焼き肉をご一緒させて頂いたことがある。そんなご縁もあってルワンダ大使館を訪問させて頂き、日本人にはあまり馴染みのない(と私は思っています。)ルワンダ共和国の現状を伺おうと思いました。

■ベネディクト・ンシミマナ プロフィール

駐日ルワンダ共和国大使館、一等参事官 1974年タンザニア生まれ。2001年ダルエスサラーム大学政治学科(国際関係学専攻)卒業。2002年、ルワンダ外務省入省。儀典課、アジア・アフリカ課でデスク・オフィサー、アジア・アフリカ課長を務めたのち、ソウル大学にて修士号取得。専攻は国際開発政策学。2010年7月、一等参事官として日本着任。
ルワンダ大使館ホームページ


内乱、虐殺、収束、発展、近代化。

ルワンダを語る上では「内戦」と「虐殺」について、どうしても触れざるを得ない。1987年、隣国ウガンダに逃れていたツチ系難民を主体とするルワンダ愛国戦線 (RPF) が結成され、ルワンダへの帰還を目指すと、ルワンダ政府との間で激しい内戦(ルワンダ紛争)が始まった。やがて和平協定が調印され、国連平和維持部隊が派遣された。しかし、事態は収まらず、1994年、政府と暴徒化したフツによるツチと穏健派フツに対するジェノサイドが勃発した。約100日間に渡って総人口約730万人のうち、80万人から100万人が殺害されたとみられている(ルワンダ虐殺)。RPFが全土を掌握し事態は終息。フツのパストゥール・ビジムングを大統領、RPFのポール・カガメを副大統領とする新政権が樹立された。

2000年、ビジムング大統領の辞任に伴い、ポール・カガメが大統領に就任。海外へ脱出したツチ族・フツ族(ディアスポラ)のうちの200万人近くがルワンダに帰国し、海外で習得した様々なスキルで国の復興に尽力している。21世紀に入ると近代化が大幅に進み、今日のルワンダの経済発展は「アフリカの奇跡」とも呼ばれている。

ルワンダとアフリカの奇跡。

「ルワンダ共和国は、中部アフリカに位置する共和制の内陸国です。西にコンゴ、北にウガンダ、東にタンザニア、南にブルンジと4つの国と国境を接しています。イギリス連邦加盟国で、アフリカでは最も人口密度が高い国でもあります。」

ベネディクトさんは、ゆっくりと刻むような丁寧な英語で、私に語り始めてくれた。

「現在のルワンダなどのアフリカ諸国の経済発展を示して『アフリカの奇跡』と呼ばれています。しかし『奇跡』は単に経済発展のことをばかりでなく、たくさんの『奇跡』が重なりあったと思うのです。一番大きい『奇跡』というのは、何よりも一人一人の国民としての意識や国に対する自尊心が芽生えたことです。自分自身や自分の国のことをどう思うかが劇的に変わってきました。このひとりひとりの『思い』が変わらない限り、国というものは何もかわりません。今のルワンダはとにかくダイナミズムに溢れています。しかも一部の都心部だけでの話ではなく、地方都市などなどの至る所にも言えることです。国民はみんな熱心に働きます。子供を学校に行かせるということがどの地域でも当たり前のこととなりました。多くの人が自国の技術や科学、テクノロジーの進歩を信じるようになってきています。とても素晴らしいことです。こうしたことはこれまでには全く考えられなかったことでした。」

ITにより経済立国が進展中。

「実際には感覚的な『奇跡』ばかりではありません。ルワンダの毎年の成長率が7%前後と急成長を遂げています。2010年頃からはIT立国を目指し、ITの普及・インフラ整備に力を注いでいます。

世界銀行が2011年に発表した『Most Improved Business Reformers(DoingBusinessReport 2011)』の結果、ルワンダは『国家改革』の分野で180ヶ国中1位となりました。都市と都市とを結ぶ道という道に光ファイバー網が敷き巡らされインターネットへのアクセスが十分に確保されています。農業の生産性も安定してきています。都市部の治安状態も良い状態です。現在、人口の92%が医療保険にアクセスできます。ルワンダは、食料安全保障が確保されるに至っています。こうした事実はルワンダの発展を如実に示しています。」

『国の在り方』を国民に説明し、
考えさせたカガメ大統領。

ーカガメ大統領が国を変えたのですか?

「2000年にポール・カガメ大統領が就任し、ルワンダに変化が起こりました。カガメ大統領は国民1人1人に対して『同じ国の国民同士が殺し合ってきた悪しき出来事がいったいなぜ起こったのか?』『今後、何をもって正義とするのか?』『どうやって様々なグループを包括した新しい社会にしていくのか?』こうした最も大切な『国の在り方』を自ら国民に説明し考えさせました。ルワンダ国民は実際に過去の暗い体験を乗り越え、やっと明るい光、未来への希望を目の当たりにしました。一度、明るい光を見たら、その明るい光を見続けたいと思うのは誰でも当然です。大統領が誰であれ、その時々の政府をサポートし協力しようと思うはずです。以来、ルワンダという国はそれまでとは全く違う国家になりました。2010年にカガメ大統領が再選された際の選挙での投票率は96%でした。安定した生活を一度経験したからこそ、今の安定した生活を今後も続けていきたいと正直に思っているのだと思います。」

ルワンダでは、あまり知られていない日本。

ールワンダ人は日本に関心ありますか?

「ルワンダ国民がどれだけ日本に知っているかというと、正直なところあまり『日本文化』のことは知らないと思います。一方で『日本』という国のことは誰もが知っています。これは『先進国』というイメージ、進んだ『テクノロジー』、そして「正直」で『真面目』な国民性についてです。こうした一般的な『日本』に対するイメージは多くのルワンダ国民が持っています。」

「一方で日本独特の文化などについてはまだあまり知られていません。むしろこれからそうした文化的な交流が増えていくのだろうと思います。すでにそうした兆しはあります。何よりボランティアや旅行者が毎年増え続けています。ルワンダ人と日本人との文化的な交流がさらに良い方向に進んでいけば良いと私は思います。最もこうした交流は10年前に比べれば劇的に進歩していて、例えば、JICAの支援によって提供された日本の文化を啓発する番組がルワンダの人々によく知られています。」(外務省のODA活動の一環として「ルワンダ国営テレビ番組ソフト整備計画(the Project for the Improvement of TV Programs of Rwanda Television)」が実施された。NHKインターナショナルによって整備された、日本のドキュメンタリーや教育番組ソフトがルワンダ唯一の国営放送局で放映された。在ルワンダ日本国大使館の開館と相俟って、日本への理解促進や両国の関係強化に繋がることが期待されている。)」

ー来日して感じた「日本」とはどんな国でしたか?

「来日前と後とで私の日本に対するイメージはあまり大きく変わっていません。日本人はとても勤勉で正直。そしてユーモアがある。これは来日前からもそう思っていましたし、来日後も実際にそう思うことが多いです。唯一変わったことと言えば、私自身の日本文化への理解がさらに深まったことです。日本は必ずしも個人主義の国ではない。日本人としての一体感、連帯感を強く持っていて日本人独自の価値観を国民が共有しています。こうした脈々と続く文化や伝統というのは、ある日突然養われるものではありません。これが義務教育によるものなのか、家族(家庭)教育によるものなのか、あるいは地域社会によるものなのか、私にはまだよくわかりませんが、日本人が脈々と持ち続ける文化や伝統の継続性に感心しています。ルワンダも次第に治安や経済情勢はよくなっていますが、こうした日本文化の継続性といったことから学ぶべきものは多いと思います。」


似ているルワンダ人と日本人の国民性。

ールワンダ人の文化・伝統ってどんなもの??

「ルワンダの人の特徴は……日本人と非常に似ていると思います。非常に勤勉でホスピタリティーに満ちています。また他人を愛する気持ち、信じる気持ち、正直さなど、日本人と共通の面は多いです。これらは、ルワンダ建国以来500年間以上にわたり今日までルワンダの中心的価値観としてあり続け、それがルワンダ人の結束やあり方となっているのです。かつて起きた、非人間的なジェノサイドという悲劇を鑑みるに、それおかしいのではないか、と思われるかも知れません。しかし、前述したルワンダの価値観や伝統を持って、ルワンダ人は国と社会を再建することが出来ました。近年の素晴らしい発展が、その良い価値観をきっと証明できるでしょう。そして、それらは今後も世代から世代に引き継いでいく必要があります。」

ーすでに何か実践されていますか?

「現在、国の主導で2つの取り組みを行っています。1つはルワンダ国民の『エッセンス』を取り戻すための施策です。建国当時からルワンダが持っている良い価値観など、現在、損なわれつつある伝統を取り戻すため、青年期の若者たちにキャンプなどに参加してもらい浸透させていく活動です。Ingandoは、政府の主導によって行われる和解プロセスの一部です。」

「もう1つは『Itorero』というものです。伝統的な価値観とは別に、現代のルワンダにおける『ヒーローイズム』などの研修をしています。『何をもってヒーローなのか?』『国の外に出ても通用する日々のコミュニティーや学校での正しい振る舞い』というエッセンス教育に取り込んでいます。『愛国心』『持続可能なルワンダの精神』『気高さとヒーローイズム』『国の発展を阻害タブー』この他、『ルワンダの文化的な価値を活かした開発の機会促進』『戦いの暴力と腐敗を不処罰の文化を根絶』『寛容を強化する結束と和解』『ルワンダ人の英雄的な側面』(ibigwi)こういった研修を通じ、若者たちに伝えて行くことで、ルワンダ本来の文化や伝統をさらに次世代に継承していってもらいたいと思っています。」

近年、欧米やアラブ、アフリカ周辺国からルワンダへの投資が活況を浴びています。
「千の丘の国」と称される国、ルワンダの大使館は自由が丘駅から徒歩15分の住宅街にある。

国が国として『一つの国』であるために。

先に紹介したとおり、ベネディクト氏は、タンザニアで「難民」として生まれ、幼少期を過ごした。

「私は難民の一人としてルワンダの隣国であるタンザニアで生まれ、幼少期を過ごしてきました。そこで痛感したのは、難民として生きることの厳しさです。国が国として『一つの国』であることの大切さを私は何よりも感じています。このために大切な事は3つあると思います。1つは過去を受け入れること。きちんと目を開いて過去を見ること。そして過去から学ぶこと。また、学ぶだけでなく学んだらエネルギーを発揮して常に前に進むこと。過去がなければ現在は空虚なものになるはずです。あなたは何者なのか、この国はどこからきたのか、全ては過去からつながっています。」

「2つ目はどうやって全ての人やコミュニティーを包括的に受け入れる『システム』を築いていけるかです。古今東西、老若男女の人々が社会の一員としてしっかりと『システム』として国家に組み込まれることが肝心です。誰もが国家の一員となるためのそのプロセスが何よりも大切です。『1つの国家』になるまでのこの『プロセス』において偏見や差別が存在してはならないのです。決して差別を存在させずにいかに国家という『システム』を築いていくのか。」

「3つめは『社会の価値』『国の価値』という観点です。とにかく国が1つの単位としての『価値』がないと意味がありません。屋根がない家、骨がない家と同じになってしまいます。国というものには人と人とをつなぎ合わせる強い共通した価値観がないといけないのです。人と人を一緒にさせる共通の考えがなくてはなりません。それさえあれば逆にどういう局面においても、例え辛いことがあったりしても乗り越えられます。人と人とをつなぎあわせる強い共通した価値観が必要です。その上でさらに必要なのが『リーダーシップ』なのです。船にのっただけでは目的地に着かない。どっちの方向にどうやって進めばいいか。この強力な『リーダーシップ』というのが、これら3つに加えて大事な要素です。」

ベネディクト氏は難民の家族の子どもとしてタンザニアで生まれました。

ーところで日本企業はルワンダに進出できるの?

「もちろんです。海外からの投資に対してルワンダは非常にオープンです。大歓迎します。これは現在のルワンダの大きな外交ポリシーの一環であり、在日大使館の大きなミッションでもあります。もちろん利益追求に偏りすぎた投資や一過性の投資を集めるだけの行為などにはグローバルスタンダードに基づいた会社法などによって規制されることもありますが、基本は日本企業からの投資に対し、ルワンダではとてもオープンな基盤が出来上がっています。たった1日でルワンダに会社を作ることだってできるのです。グローバルスタンダードの法律や規制の整備、安定かつオープンな経済情勢、勤勉で粘り強い国民性、今回のインタビュー記事を通して、日本の人たちに現在の本当のルワンダの本当の姿を知ってもらい、現在のルワンダは日本企業にとっても非常にビジネスをしやすい環境にあることを少しでも伝えたいと思います。」

■インタビューを終えて
「変わる世界」と「変わらない日本」

お恥ずかしいことなのですが、これまでの私にとってルワンダ共和国という国はアフリカの中のどこにあるのかさえもよく分からない非常に「遠い国」の一つでした。そもそもアフリカの国々というのはどこの国も同じようなイメージでした。そのイメージとは「砂漠」「野生動物」「貧困」「援助」「部族」「内戦」「コーヒー」「資源」といった典型的な「アフリカ」のイメージでした。ベネディクトさんとお話しをさせて頂き、まず何よりも感じたことは「ルワンダは変わっていく」ということです。近年になって中国・インド・ブラジルなどが経済発展を遂げていますが、まさに今、ルワンダがアフリカを『代表』しその道を歩み始めようとしています。

一方で、そのアフリカ大陸の中にも激しい「格差」が存在しています。「アフリカの角」と呼ばれている地域では干ばつに襲われ多くの人々が飢餓に晒されています。中学生の時、社会科の授業で「南北問題」という用語を習ったことをふと思い出しました。そして同時に「南南問題」という言葉が頭をよぎりました。さらに「北北問題」という言葉も確かあったなと思い出しました。ますます複雑化する世界。ダイナミックに変わっていこうとするルワンダ。果たして日本はこのままの調子で大丈夫なのでしょうか?

この日、ルワンダ共和国を代表して一等参事官ベネディクト・ンシミマナさんからルワンダの「今」のお話しを伺えて良かったです。