片岡英彦のNGOな人々 (Non-Gaman Optimists)日本料理と料理人たちのチカラ
辻調グループ代表・辻 芳樹さん。

(2013.07.31)

「NGOな人々」”Non-GAMAN-Optimist”とは「ガマン」していられず、チャレンジをし続け、決して諦めない「楽観人」のこと。NGOな人々へのインタビュー、記念すべき第30回目のゲストは、辻調理師専門学校など、東京・大阪・フランスにも食のプロを育成するスクールを持ち、ニューヨークでは現地の食材を用いた日本料理店「ブラッシュ・ストローク」で和食文化を伝えている辻調グループ代表の辻芳樹氏です。

■辻 芳樹プロフィール

(つじ よしき)学校法人 辻料理学館 辻調理師専門学校 理事長・校長 辻調グループ 代表1964年大阪府出身。1993年学校法人辻料理学館理事長、辻調理師専門学校校長に就任。ヨーロッパ、アメリカの食の最前線を調査研究し、その成果をプロの料理人育成に生かしている。


学校法人 辻料理学館 辻調理師専門学校 理事長・校長 辻 芳樹さん。
photo / 渡辺遼
◆和食の組み立て方

片岡:日本料理、和食の特徴を簡単にご説明いただけますか。例えば豆腐料理を考えた時に、冷奴と麻婆豆腐との違いのように、和食というのは素材の味そのままとかシンプルというイメージがあります。一方、中華料理や西洋料理には味を加えるというイメージがあります。調理法に関して和食の一番の違い、他国の料理との違い はどういう点なのでしょうか。

辻:食材の組み立て方の問題ですね。日本でも中国でも同じ豆腐を使ったとしても、どうやって味に組み立てていくかが違うんです。日本料理というのは口の中に入れた時にすべての要素が並列した状態になって味わえます。例えばお刺身を食べる時は白身魚の味、わさびの味、醤油の味、全部が一緒になるというわけではありません。舌の上に乗っかっていて味が混ざってしまうのではなく、それぞれが並列している場合が多いのです。

これは感性の問題なのですが、例えば醤油と塩で味わってみようとか、わさびでちょっと臭みを消したいなという頭の中のスイッチが入ってコントロールされているんです。お椀なんかいい例ですね。ところが、日本料理以外の料理というのは構造的に組立てられて、混ぜ合わさった状態で口の中に入ってきます。これが一番大きな違いですね。

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片岡:これだけ根幹から違う日本料理というものを、例えばフランスの料理文化で育った人にも認められつつあるというのはなぜなのでしょうか。単にお寿司はヘルシーだからというのとは違うと思いますが。

辻:そういう時代はすでに超えましたね。どの国にも 食文化には独自の歴史がありますが、特に大都市の飲食業界の発展を見ていくと料理がより芸術的に、フードデザインにしてもビジネスとしても、よりかっこよくなってきているように思います。

栄養面もさることながら食のサスティナビリティ、素材自体の味わいというもの、そういった流れに和食というものがピタッと当てはまっているということではないでしょうか。味の綺麗さというものもあると思います。

辻:ちょっと話は戻りますが、日本料理は味そのものを活かす手法、冷奴で言うと通常はだし醤油か三杯酢系で豆腐の味を活かそうとします。 日本料理というのは食感でも味覚でもすでに「あるもの」に対して「反対のもの」「背中合せのもの」を持ってくる伝統があるからです。一方、 海外では素材に「合うもの」を持ってきます。「上に乗っかる」感じになるというのはそのような考え方です。たまに冷奴にゴマソースを使いますが、日本食の 世界ではやりませんね。ところが、海外の人にとってはだし醤油よりゴマソースの方が合うことが多いのです。なぜかというと彼らの味覚が「何かに上乗せする」という考え方を持っているからです。


米・ニューヨーク/日本料理の可能性を探る『ブラッシュストローク』店内の様子。

もう一つの例で言うと、鮎の苦味を引き立たせるために日本食では蓼(たで)酢を合わせることがあります。これは完全に苦いものに酸っぱいものという両極端の組み合わせです。日本人しかやらない事ではないかと思います。海外でもスパイスを使うことは多々ありますが、そのスパイスだけの味というものは絶対に出しませんね。インド料理然り、フランス料理然りだと思います。

片岡:哲学・思想の違いでしょうか?

辻:哲学・思想というよりも、日本の風土、地理的条件が大きいですね。四季折々の豊かな食材や山から流れてくる栄養分をふんだんに取り込んだ日本近海の漁場の豊かさ。近海そのものがひとつのマーケットみたいなものですね。そこで何百年もの歴史の中で育まれてきたものだと思います。そして、各国と同じように地域独特の特性も含まれていると思います。

◆料理人の技と役割

片岡:日本食を作る料理人の方の「切り方」「焼き方」「蒸し方」などの技術 を研ぎ澄ましている和食文化と、ソースやスープなどの味を「ブレンド」していくことを主とする他国の調理文化では、美味しいものを素材から引き出すという気持ちは一緒でも、背景、地場によって技の部分が違うのではないかと思いますが、いかがですか。

辻:技術の距離というのは確実に近づいていると思います。我々日本人というのは海外に対しての憧れというのがあります。一方で日本人特有の、技術力や学習能力に長けているという点は世界中で知られていることでもあります。海外の人も日本料理に対する憧れというのはすごく持っていました。30年前は食べておいしいとかエキゾチズムで魅力的に感じると言った外郭の方からの興味が強かったのですが、現在はもっと技術交流の方が密接になってきていると言えます。


タイ王国・バンコク デュシタニ・カレッジとの教育連携協定プログラム。
◆和食が世界に与える影響

片岡:和食が海外に与える影響といいますと「素材の良さを活かす」という部分が大きいですか。

辻:「素材」というのが最初ですね。次に「活かし方」です。そして、「活かし方」の次に日本料理の「構造」。

フランス料理と日本料理を融合しようとした時に、その構造を一旦崩して最初から書き直さなければいけない時があります。これは非常に難しいことで、変に融合させようとするとたいていは構造から崩れてしまうんです。ですから全くハイブリッドな 設計図から作らなくてはいけない。それを今の料理人さんはすごくよくわかっていると思います。


同じくタイ王国・バンコクのデュシタニ・カレッジとの教育連携協定プログラムより。

片岡:以前は海外の映画に日本の和室のシーンが 出てくるとなんとも言えない違和感を感じましたが、最近の映画では違和感がなくなってきました。そういう感じですか。

辻:そうですね。なぜかというと和室の本質が理解されてきたからだと思うんです。この角度で見たらこう見えなければならないとか、しつらえがこうでならなければいけないとか、それをいかに変容させていくかという努力を続けてきた結果ではないでしょうか。フランス人でもアメリカ人でも日本料理の本質を理解した上で、「構造」自体を全く根本から崩した上で、一から作り直した料理人しか日本料理の影響を得て成功したといえる料理人はいないのではないでしょうか。

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片岡:最近はそういう方が海外にも増えてきていて、本当の意味でのクールジャパン……日本の和食が海外でも受け入れられているということでしょうか。

辻:日本が世界に与えた本当の影響というのは「見えないもの」だと思うんです。フードデザインとか食材の活かし方、そのくらいなら見ただけでわかりますけど、いかに技術のバックボーンを日本料理が支えているかというのは、見えない 影響が強い場合が多いでですね。

片岡: 見えていないものというのは……

辻:見えていないというのは、だしがどうやって料理の味を支えているのか、山菜の苦味をどうやってフランス料理に取り入れているのか、ソースの作り方、山椒の使い方などが見えない世界ですね。単にバターのソースをかけただけというのでは、これは上っ面の世界です。お刺身で言えばなぜ片刃で切ったら光沢が出て舌ざわりやテクスチャーが全然違ってくるのか、そこまで外国の方が理解するところまで来ていると言えます。

片岡:さらにいいものを作ろうという料理人としての「思い」ですね。

辻:それは交流によって説明しないとわからないものだと思います。啓蒙し合っていく過程でやっとわかるものではないでしょうか。

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片岡:広い意味でのクールジャパン、日本の良さを海外に発信していくという意味では、海外に学校を作られて和食の作り方を教えていらっしゃいますが、どういう工夫やご苦労をされていますか。

辻:なんでもかんでもそのままを海外に出すというのはちょっと押し付けがましいところがあるような気がするんです。海外で着物を売っても着る機会がないですよね。ファッションでもアニメでも、クリエイティブなものを自国の中で作りあげていってそれを発信する。その過程の中で彼らが何を求めているのかをその国の中で揉んでいこうとする。食文化についても同様で、彼らが何を求めているのかを何も考えずに発信するだけでは、僕は「クールジャパン」は長続きしないのではないかと思います。


韓国・ソウル 新概念の料理教育機関「tsuji+ I(ツジワン)」の日本料理授業の様子

片岡:一過性なものですね。

辻:日本食のグローバル化というのはされていると思いますけれども、それ以外に日本料理の本質というものを、教育面で、文化面で、国内で揉んで発信するというのが重要だと思います。

片岡:海外でどうのこうのという前にまず国内ですか。

辻:ちょっと話がずれるかもしれませんが、食文化の海外への発信においては「文化的な変換」というものが必要だと思っています。例えばアニメというのはそっくりそのまま向こうに持って行っても若者に十分に共通言語があるわけです。ところが、食文化はそうはならない。それは食文化がサブカルチャーではなく、それぞれの国、文化に根付いたかなり長い歴史があって作られてきた、文化の根幹に位置するものだからだと思います。

片岡:「たまに食べるなら日本食もいいけれど、毎日食べるのはちょっと……」という海外の人が思う気持ちのことですよね。

辻:でもまあ寿司は海外のスーパーマーケットに並んでいますけれどね。そんなに変換作業が必要ないものもありますね。寿司のように大衆的に輸出できるものもあれば、文化として変換装置をつけて輸出しなければならないものもあるということです。

片岡:以前のインタビュー記事を読ませていただいたら、海外の料理人に昆布だしをそのまま出したら彼らはまずいと言い、塩を入れたらうまいと言い、さらに醤油を入れたらもっとうまいと言ったというお話がありました。日本食 の本質が海外で根付いているかといったらまだまだで、日本でのラーメンやカレーのようには、まだ「変換」されていません。日本のだし文化が海外に根付いたなんていう話は、確かに一度も聞かないです。

辻:(笑)

◆ご自身の食の原点

片岡:ご自身の原点をお聞かせください。小さいころどんなものを食べていましたか。割と普通のものを食べていたのかそれとも……。

辻:金のナイフとフォークですか(笑)そんなことしてないですよ。うちの家庭の場合は美食を教育する学校としてあって、子供の頃からそれを見ていたわけですけれども、「普通の僕の食生活」と「美食文化を学ぶための食べる行為」というのは完全に切り離されているんですよ。ですから朝昼晩こうして食べてお祈りしていつも美味しいものを食べているというわけではなくて、「美味しいものを食べている時にどういうことに視線を向けなければならないか」その辺りの教育は多分他の子供とは違うと思いますけれども、普通の食生活は非常に質素なものでした(笑)。

美味しいものを食べる時には、特別な集中力を要求されました。この料理のポイントはここだとか、この料理、食材はこういうものなんだというのは随分聞かされました。

片岡:では、毎日魚を食べる時に「魚とはね」という教育ではないんですね。

辻:そんなことしたら僕、家出していたでしょうね。(笑)


「美味しいものを食べている時にどういうことに視線を向けなければならないか。この料理のポイントはここだとか、この料理、食材はこういうものなんだというのはずいぶん聞かされれました。」

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片岡:お箸の持ち方とかそういうのは厳しかったですか

辻:マナーとか所作というのは後でくっついてくるものですからね。うちの父も母もあんまり所作的なものでの食育というのはしてなかったです。ただ一回、コーンフレークスを全部食べなくて、怒った父親がテーブルを激しく叩いてヒビが入ったことがありましたけれどもね。

片岡:テーブルにヒビが入る?

辻:ちょうど小学校2年の時なのですが、朝、父が仕事に出かけて、なにか忘れ物があって帰って来たんですよ。で、僕がテレビを見ながらだらだらコーンフレークスを食べていて・・・30分位経っていたのかな、コーンフレークスがグジュグジュになっていたんですよ。で、それを見た父が野球のバットを持ってテーブルを割ろうとしたんです。

片岡:バットでテーブルを!?

辻:そこで父が言ったのが「コーンフレークスは2分で食べるものなんだ!シャリシャリで食べるのがコーンフレークスだろう!」

片岡:(笑)

辻:それはもう……。(笑)かなり嫌なこともあったとは思うんです。よくいう「ちゃぶ台ひっくり返す」という状態ですから。うちの場合はちゃぶ台じゃなくてダイニングテーブルだったのですが。(笑)僕はスプーンと器だけ持って呆然と見ているだけでした。ただ、本気になって料理の説明してくれる時の父は誰よりも真剣でしたね。それ以外は普通の質素な食生活です。

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片岡:ちょっと安心しました。(笑)子供の頃の食べるものって大人になってからも大きな 影響与える と思います。ご家庭では普通のものを食べながら調理学校としてのおもてなしとか豪華な食事とかをファミリーとして教育されたということですね。

辻:うちのモットーは、学校のモットーでもあるのですが、「さらにいいもの」「どうやったらもっとよくなるのか」「6皿、7皿食べる時に、食べ手としてどう思うのか」「作り手としてどうして欲しいのか」「もっと料理として昇華できるだろう」「洗練されていくはずだろう」そういうことを延々と話してくれました。

片岡:変な質問ですけれども小さい頃にそういう話を聞くことは楽しかったですか。

辻:それはとんでもない刺激でしたよ。あらゆる文化人をお招きして僕は3時間それを聞けるわけじゃないですか。とんでもない知識が入ってくるわけです。(笑)開高健さんから料理に関するひと言を聞くとか、作家の谷沢永一さんが料理に対してだけではなく、食材の前後の話も含めた話をされるのを聞かせて頂くとか、それはそれは横で聴いていて喜び以外のなにものでもなかったです。また、財界の方がいらっしゃった 時には、料理と料理の間にどういう話題を提供しているか、どういう話に繋げていってそれをどこで終わらせるのか。 これは別に文化人、著名人でなくても、 人がものを食べる時の反応を見るというのはすごく興味深かったです。その方が本当に料理に興味があるか、すぐにわかりますから。(笑)あるいはわかっているか、わかっていないかはだいたいわかりますね。

片岡:食べながらですか。

辻: 目の動き。輝きとか。本当に輝く時もあればそのままスルーしてしまう人もいらっしゃる。でもそれは、その人の感性とか人間の豊かさとかは関係ないんです。あくまでも「この人は料理をわかっているか、わかっていないか」という部分だけです。今でもすぐわかります。この人料理に興味あるかどうかというのは。

片岡:怖いです。(笑)

◆「おもてなし」について

片岡:日本の「おもてなしの心」というのは、
職人の技とはまた別に海外でも通用するものでしょうか。

辻:装置としてのおもてなしというのは確立されて受け入れられて評価されていると思います。ただエモーショナルな意味でのおもてなしというのはフランスの最高のサービスとなんら変わりないですよ。それは見えないところで気がつくこと。人がして欲しいことを察して行うこと。これは日本もフランスもイギリスも最高のサービスは全部同じです。日本人だけが上手だということはまずないです。これは僕が海外をずっと見てきて言えることですね。「押し付けない」、「やってほしいことをやってほしい前にやってくれる」これはホテルでもレストランでもラウンジでも同じだと思います。

僕は「おもてなし」というものをソフトとして海外に出していこうとして、変に体系化しようとすることには賛成しません。

「お客様がやってもらいたいことをやってさしあげる」のがサービス、ホスピタリティの本質であって、あまり体系的、マニュアル的に整備されすぎると「やりたいことを押し付けがましくやっていく」ようなことになりかねないですね。

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片岡:「型」として「マニュアル」のようになるのは違うと。

辻:茶道の作法から来たものなのか、茶の文化自体がそのような形式的な美から生まれたものな のか、日本人が何かを学ぼうとする時に体系化しなければならないと思うのかはわかりませんが、「型」から入るというのは、異文化間の文化伝達においては、マイナスの形で輸出されているケースがとても多いと思います。

片岡:先ほどおっしゃっていた「装置」というのは、その「型」のことですか。

辻:おしぼりであったり、色、匂い、さりげなく置いておくものとか、伝統文化が創る、こんなにいいものがあったのというものを、おもてなしの世界にふっと置くというのは、それは見事です。世界中探したって日本ほど優れた国はないです。こうしたおもてなしにおける「装置」は見事です。でも、ハードもソフトもごちゃごちゃにした「おもてなし」の精神、ということには僕は懐疑的です。

片岡:もっと内面的で、パーソナルといいますか、カスタマイズされたもの……。

辻:その話を始めたら僕1時間ぐらいしゃべりますよ(笑)。

◆「普通の人」と和食との良い関係 とは

片岡:普通のサラリーマンが日常生活で和食に接しようと思うとなかなか難しいかと思います。時間がなかったり夜に行ったら高かったり。そういう人たちにとっての「良い和食との接し方」というのはありますか。

辻:いい質問ですね(笑)。 僕は、一週間の食事を粗末にして、お金を貯めてでも、いいカウンターの割烹に行ってもらいたいという気持ちが強いです。変にいいものを食べ続けるよりも、特別にいいものを食べるためだけに一週間節約していいと思っています。そして何よりも「こだわる」ということでしょう。なかなかできないことでしょうけれども。例え、安いお店でもお惣菜屋さんでも、おばんざいでも、こだわる人もいれば全くこだわらない 人もいますよね。食べるということにこだわりを持ち続けること。これは値段の問題ではないと思うんです。

片岡: 好きな食べ物のためにどこまでこだわって追求するかですか。

辻:うちの教職員は皆すごくこだわりますよ。料理を作らない人も。一方で、世の中には、食に全く興味のない、こだわらない人というのもいますね。食事中もタバコ吸い続け、お酒飲み続ける。出された食事を置きっぱなしにして、話に夢中になってしまう。それは、1万円だろうが3万円だろうが接待であろうが、皆同じことになってしまいます。

◆良い料理店・料理人とは

片岡:最後にいい料理店、いいお店の見分け方を教えてください。それから、お答えしにくいかもしれませんが、食べる前にいい調理人を見分ける方法も教えてください。

辻:カウンターをお水で磨いているところと、日本酒で磨いているところ、これは絶対香りが違いますね。本当にいい杉の木を使っている時に数ヶ月に一度でもそれを日本酒で磨くと杉の木の香りというのはすごく出てくるんです。すぐにわかりますよ。水で磨くと必ず臭みが残りますから。日々のお店の手入れの仕方でわかりますね。入口からいうと植え込みの植物や植木の手入れがきちんとされているか。店内ですと天井を見たらすぐにわかりますね。温泉の個室の木と木がちょっとでもずれていたら、立派な旅館というのは確実に組み直します。香りですぐわかりますからね。どれだけ手入れしているか。

あとは作る側のカウンター。カウンター越しに見える調理器具などが、どれぐらい整然と置かれているか。その様子を見るだけで、どのぐらいの料理を出すのかというのは確実にわかります。まな板の状態、色。例えば食材によって全部まな板を変える人と全部同じのを使う人で、まな板ににじみ出る色が違います。

あとは料理人さんの顔つき、人格、人となり。良い悪いでなくて料理の人格が見えてきます。目つき、笑顔、白衣がどれだけきれいか、ネクタイをされているか、肌つやとか。

***

片岡:その人の全てですね。

辻:先付け、椀さし、八寸、焼き物、煮物、酢の物、ご飯ものと続くわけですが、最初の先付けで、もうわかります。ここから始まっている人はずっとこうですよね(同じ高さを手で指す)フランス料理の場合はこれ(高さの上がり下がり)があるんです。日本料理の場合は急に焼き物から美味しくなることは絶対ないです。料理人の人格が最初から最後まで出ます。全部一人の料理人の感性ですよね。好きかどうかは好みなので主観ですから別の話です。めちゃくちゃ上手なのに、もうこれでいいと思ってしまっている人。もっといいものあるぜと言って、海外の料理なんか勉強しなくても日本の中だけでいくらでも新しい引き出しを作れるという自信に満ち溢れている人。

でもやはり料理人さんの顔ですね。良い料理を作る人はものすごく格好いいですよ。 目つきがきりっとしていますね。これは昔からそういう風に教えられてきました。良い悪いは別にしてその人の人格と料理というのは切り離せないものです。

片岡:貴重なお話をありがとうございました。

◆インタビューを終えて

映像や画像、音楽や文章、あるいはそれらの組み合わせ、メディアによって人々に伝達され、多くの人に観賞されるひとまとまりの「情報」のことを、最近では「コンテンツ」と呼ぶことがある。私はテレビ局に長く関わってきたこともあり、一括りに何でも「コンテンツ」と呼んでしまうことには抵抗がある。 「番組」は「番組」、「作品」は「作品」、「楽曲」は「楽曲」と通常は呼ぶ。私にとって「和食」は「和食」である。あまり「料理」を「コンテンツ」として考えるのは相応しいとは思えない。一方で、 「日本文化」全体の「パワー」「情報発信力」を語る上では、「和食」も 「コンテンツ」であるという視点も必要になるのではないかと思う。

海外映画の中での「和室」の扱われ方(映画監督が和室の本質を理解しているかどうか) と、海外の料理家が「和食」の本質(構造)を 理解した上で、和食の良さ を取り入れているかという点には、少なからず「コンテンツ」という視点での共通点がある。 「和食」を日本が誇る「コンテンツ」だとあえて呼ぶならば、料理人は「プロデューサー」でもあり「ディレクター」でもあり、時に店では「出演者の1人」でもある。料理人が料理を提供する「店」は、すなわち「メディア」であり、「店の持つチカラ」とは「メディアのチカラ」のことになる。インタビューを終えてふとそんなことを考えた。


辻さんと。