片岡英彦のNGOな人々 (Non-Gaman Optimists)「どんな死に方をしたくない」か?
大石美耶 / ドイツ医療マッサージ師。

(2013.12.11)

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「NGOな人々」”Non-GAMAN-Optimist”とは「ガマン」していられず、チャレンジをし続け、決して諦めない「楽観人」のこと。第38回目のゲストは、ドイツのベルリンで、ドイツ医療マッサージ師、パーソナルトレーナーとして活躍中の大石美耶さんです。本インタビュー企画が開始して約2年が経過しましたが、初の海外ロケ(!?)取材となります。大石さんのご好意で、インタビューを開始前に「ベルリンの壁」など、ベルリン市内を案内して頂きました。

■大石美耶 プロフィール
(おおいし みや)1978年生まれ、神奈川県出身の35才。早稲田大学人間科学部スポーツ科学科へ入学するが、2年で退学。スポーツジムでインストラクターとして勤務した後、ロンドンへの語学留学を経てドイツに渡る。ドイツ語を学びつつ職を転々としながら、ドイツ医療マッサージ師の資格を習得。現在は、日本語、英語、ドイツ語、イタリア語、ラテン語の5ヶ国語を駆使しつつ、医療マッサージ師とパーソナルトレーナーとしてベルリン市内を拠点に活躍中。

■「いつか船に乗って海の向こうに行く」と思い描いて

片岡:はじめに、現在の職業に就こうと思ったきっかけを教えてください。

大石:私は神奈川県出身ですが、家庭の事情により各地を転々としておりました。高校生の時にまた神奈川に戻ってきて、早稲田大学に入学しましたが、人生に迷って(笑)2年で辞めました。その後、3年間、日本のスポーツジムでインストラクターとして働きました。スポーツができるわけでもなく、他にできそうなことはないと思いつつ…(笑)漠然と「スポーツに興味がある」くらいに思って始めたのです。ただ、年をとってからも続けられる仕事ではないですし、それとは別に中学生の頃から「将来は海外で自分のお店を持ちたい」という夢もあって、結局、両方の夢を忘れられませんでした。

片岡:子供の頃から海外で働きたいという思いと、スポーツを通じて人に接するということに「つながり」はあったのですね。

大石:「つながり」というよりは、どちらかというと、いろんな思いがあってどうしたらよいか迷って、とりあえずいろいろなものに手を出してみて、その中から自分に向いている道がうまく選択できればいいなと思っていました。

片岡:海外に単身で出てみようと思った動機は何ですか?

大石:私は子供の頃は体が弱くて、幼稚園も好きだったのにほとんど行けなくて、家で本を読んだりして過ごしていたんです。その頃住んでいた家の二階の窓から海がよく見えました。いつも一人で時間を過ごしていたので、「いつか船に乗って海の向こうに行くんだ」と思い描いてました。それが原点だと思います。大学を中退し、しばらくロンドンに滞在した時にヨーロッパのいろいろな国籍の人に会いました。中でもドイツ人と一番気が合って、一度住んでみたいと思いました。

片岡:他にはドイツに知り合いはいなかったのですか?

大石:全くいなかったです。ただ、ドイツに行くと言ったら、スポーツジムで働いていた時のお客様が御友人を紹介してくださいました。

片岡:不安はなかったのですか?会社員で転勤するだけでもドキドキしたりするじゃないですか。ドイツ語はできたのですか?

大石:いつも好奇心が優っていました。ドイツ語は、ワーキングホリデーで来て1ヶ月が経った頃「ただ住んでいるだけでは、ドイツ語ができるようにはならない」と気が付いて、滞在2ヶ月目に語学学校に通い始めました。

■ドイツ医療マッサージ師という仕事

片岡:「ドイツ医療マッサージ師とパーソナルトレーナー」をされていますが、なかなかそれだけで生活できるようにはならなかったと思います。仕事として成り立つようになったのはいつからですか?

大石:学校は自分の意思で通い始めましたが、ビザの都合により「会社で雇われている」身分を保つため、フルタイムの学生をしながら契約社員のウェイトレスとして働くという生活を2年半続けました。最近まで週7日、学校と仕事合わせて週70時間強の肉体労働続きだったので、たまには軽い病気もしました(笑)。社員として勤務を続けたことで2011年の5月にようやく念願だった自営業許可がおり、それ以降は本来の仕事とウェイトレスの仕事の比重がだんだん変わってきて、今年の夏からは専門の仕事のみで食べていけてます(笑)。ここまで9年かかりました。

片岡:「ドイツ医療マッサージ師という資格は取得が大変なのですか?

大石:大まかに分けて、「国の医療保健で受診できるマッサージ」と「私費でのみ受診ができるマッサージ」の2つに分かれます。前者は国家資格の理学療法士、医療マッサージ師などで、処方箋を医者からもらうことも可能な「治療」にあたります。この資格を取るために、ベルリンで二年間勉強しました。学生の間に2か所で実務を経験し、卒業後半年間の医療研修期間を経て資格取得となります。私が研修をした病院は精神科と神経科、中でもパーキンソン病と多発性硬化症の治療で有名な病院でした。「研修生」という名札はついていましたが、研修内容は、ほぼスタッフと一緒です。もう一カ所はプロテスタント系の医療老人ホーム付属の理学療法室です。

■「患者さん」と「お客さん」

片岡:「パーソナルトレーナー」というのは、どういったお仕事ですか。

大石:こちらはフリーランスの仕事としてやっています。マッサージとストレッチ、筋力トレーニングを組み合わせたものです。お客様の職業や年齢、身体の状況に合わせて、身体機能向上などのお手伝いします。この写真(写真上)の車いすの方のマッサージは医療マッサージですので、私にとっては「患者さん」にあたります。(※ご本人の承諾の上で掲載させて頂いています。)パーソナルトレーニングは、ヨガ、バレエ、ボクシング、フェンシングの要素を組み込んだプログラムを考案、実践しています。(写真下)こちらは「患者さん」ではなく、私にとっては「お客さん」になります(笑)。 

パーソナルトレーニングは主に筋トレが中心ですが、ドイツ人は身体が硬い方が多いので、マッサージとストレッチも重要です。一方で、医療マッサージに関しては処方箋(病院などの医療機関を受診した結果、医師が作成した書類)で患者さんが来ます。


大石さんは医療マッサージ師の資格を取るためにベルリンで2年間の勉強をした。


パーソナルトレーニングは、ヨガ、バレエ、ボクシング、フェンシングの要素を組み込んだプログラムを考案、実践しています。

片岡:医療マッサージとパーソナルトレーニングのニーズはどちらが多いですか?

大石:パーソナルトレーニングは、これからも「お客様」を獲得していけると思います。一方医療マッサージは、ドイツも医療費がどんどん削られていますので、最近は医師も医療マッサージの処方箋は出さないですね。ですから、医療マッサージの資格だけでは生き残れません。理学療法士という資格があって、その一部のことしかできないのが医療マッサージ師です。ただし医療マッサージの資格を取得後、追加で1年半学校に通えば理学療法士の資格が取れるため、ステップアップできる仕組みになっています。

片岡:心療内科医はまた違うのですかね。あれは精神科なのかな?

大石:私が研修した病院には、サイコソマティック科がありました。日本でいうところの心療内科にあたると思います。あとはアルコール依存症の治療施設があって、私の担当した患者さんは、アルコール依存症、人格障害、適応障害、パニック障害やうつ病の方などです。施術内容は、運動やストレッチ、マッサージです。例えばうつ病の患者さんの場合、身体の特定の部位が特に硬くなっていることがよくあります。心を治すのは大変かもしれませんが、だったらまず身体をほぐして治したらいいじゃないですか。「鶏が先か、卵が先か」という言葉がありますが、私は身体から先に治せたらいいなと思っています。

片岡:パーソナルトレーニングというのは「運動療法」に近いのですか?

大石:パーソナルトレーニングは、基本お客様が病気ではないということが前提ですが、体に対する考え方は同じです。精神科で研修をしていた時に、うつ病の患者さんたちに何がいいかといろいろ考え、自分の身体で実験をしました。食事を変えて、筋肉を変えて、そうしたらものすごく元気になって(笑)、体の何か根本的なものが変わった様な感覚でした。だから、神経/精神科の患者に相応しい食事や運動方法などは、他の人にも応用できるのではないかと思いました。

私はプロボクサーのパーソナルトレ—ニングに興味があるのですが、ボクシングは傍から見ているとただの殴り合いですが、実は細やかな神経を使う繊細なスポーツです。神経の働きが鈍くなっているうつ病の人に適した食事は、ボクサーにもいいと思いませんか。

バレエやボクシングというのは指先まで神経を集中する運動です。細かいところまで意識がいく能力というのは病気の方だけでなく、一流企業で多大なストレスにさらされながら成果を求められているビジネスマンにもいいと思っています。

■ドイツ人とのコミュニケーション法

片岡:患者さん、お客さんは、どいういう形でアプローチを始めましたか。

大石:始めてすぐの頃は、現地で知り合った方たちが宣伝してくれた口コミでした。海外で出来る日本人の友達というのは、日本での付き合いよりも多くの苦楽を共にします。例えば外人局でひどい目に合ったり人種差別でイヤな思いをした時は愚痴を言い合って、お金が無い時はご飯を食べにきたりとか、助け合ういいところが残っています。

片岡:実際の治療はどこでやっていますか。

大石:まだ専用の診療所は借りていません。先程の方の場合は、学生の時に2度お世話になった研修先の医療老人ホームの理学療法室でしたし、呼ばれて行った先で行うことが多いです。

片岡:患者さんは日本人とドイツ人、どのような割合ですか。

大石:医療マッサージの場合、お会いした患者さんは95%ドイツ人ですが、トレーニングのお客様はドイツ人が4割、EUアメリカからの駐在員が4,5割、そして日本人が1割程度です。

片岡:意外と日本人が少ないんですね。接し方で工夫していることはありますか。

大石:ドイツは娯楽が少ない国なので、「面白さ」を提供するようにしています。テレビ番組はつまらないし、日曜日は法律でお店が開いていない、代わりに森を散歩やら読書やら、何だか健康的。日本人にとってこれはキツイ(笑)。ドイツに来て以来、人生の本質とは面白くないのかな、と思いました。人生とは本来面白くないもの、だからこそ自分で面白くしなければいけませんね。それに、仕事において面白さに特化すれば、ドイツでは1人勝ちです(笑)。

初の海外ロケ(!?)取材。大石さんのご好意で、インタビューを開始前に「ベルリンの壁」など市内を案内して頂きました。

片岡:接し方で苦労したことはないですか。

大石:ドイツ語と英語、日本語、イタリア語を少々話せますが、特にドイツ人の場合は論理的に話をする必要があります。ドイツ語の文法は日本語と似ているところがあり、場合によっては動詞が文章の一番最後につきます。で、ネイティブの日本語の場合、言いたいことを言って最後に動詞をつければいいですが、外国語だと言っている間に何を言ったのか忘れてしまって、論理的に説明したかったのにオチがない(笑)。そんな時ドイツ人は、そこに入れたい動詞はこれだろう、と助けてくれます。

片岡:ドイツの生活全般を通じて、日本との大きな違いはなんですか。

大石:一番不便なのは役所の仕事がひどいことですね。この間も資格の証書をもらうために書類を集めて行ったのですが、自分には全く不備はないのに担当者○○さんのところに行ったら、「それ私の担当じゃないのよ、Bさんのところに行って」。Bさんのところにいったら、「それは○○さんの担当よと」いうわけです。そして○○さんのところに行ったらほかの人がいて、要はたらいまわしにされたわけです。

■2020年の自分の姿
片岡:それはひどい(笑)。日本で今の仕事をしようとは思いませんか。
  
大石:今年になって自分の脚のリハビリのためにフェンシングを始めました。フェンシングは細かい手先の動きと、秒単位で変化する状況に対して戦略を立てる能力が求められるスポーツです。これは子供の知能の発達に良いと確信していますので、もし日本でやるのなら例えば高校のフェンシング部の監督になって、子供がスポーツを続けつつ一流大学に進学する、といったことに興味はあります。が、多分日本ではやらないと思います。
 
片岡:「日本ではやらない」というのは、何かベルリンで別の目標があるのですか。
 
大石:今年に入って、スポーツ科学に接する機会が増えたタイミングで東京オリンピックが決まったので、2020年までは東京オリンピックのドイツ代表選手を担当できるようになりたいです。第一志望はフェンシングで、第二志望はボクシングです。また、研修中に出会った、かつて冷戦時代にトップ選手で現在中高年の患者さん達との経験から「アスリートのその後の人生」に関わりたいなとも思います。
 
片岡: 2020年以降もドイツで働いていたいですか。
 
大石:私は少なくとも70歳までは働くと決めています。日本もドイツも、スウェーデンでさえ「私たちの世代は年金はもらえない」って言ってますからね。今の夢は、60代で発展途上国の医療に貢献する事です。そのためには、現在はフリーランスで活動していますが、会社組織にして人を雇える立場になることと、健康管理が必須です。
■「言いたい放題」言われる日本人

片岡:ベルリンに暮らしていると日本の情報はどのぐらい入ってきますか。

大石:インターネットもあるし、みなさんが新聞や雑誌をくださったりしますので、不便はありません。ドイツ人は政治に関心の深い人たちなので、会社勤めしている人なら安倍首相の名前を知っていると思います。民主になった時は重大なニュースとして紹介されていました。あと震災後の、世界各国から援助があった時ですが、ドイツ国内での日本を助けようという動きは、かつてないほどのものでした。その前にハイチ、チリ、スマトラでも地震があったけれども、日本を助けようというドイツ人の思いは尋常ではなかったと思います。寄付に対する広告も盛んに見られ、他にも私の好きな鞄メーカーが日本モチーフのデザインバッグを作って援助したりと、様々な活動が行われました。

片岡:それは日本に伝わってなかったですね。アメリカ軍や台湾の人びとの話はすごかったですが。ドイツ人と日本人の違いはどんなところですか。

大石:日本人は、よその国から言いたい放題されて、おとなしすぎますよね。ドイツ人にそれは絶対にないですね。日本って、「島国」という独特な価値観が生まれる国なんだな思います。アイデンティティを強く持たなくてもよその国から孤立しているじゃないですか。それに対して、ヨーロッパ大陸は人の行き来が激しいから、イタリア人なんて愛国心どころか「自分の故郷がベストだ、ミラノじゃない、ローマじゃない自分の故郷がすばらしいに決まっている」と言い切ります(笑)。そういう日本人はあまりいないですよね。

片岡:愛国心?

大石:外国に住むことで揺れる自分のアイデンティティを保つために、逆に愛国心が強くなるというのは誰でもあると思います。例えばイスタンブールのトルコ人女性よりも、ドイツに移住している女の人のほうがブブカをかぶっているんですよ。イスタンブールの女性はジーンズとキャミソールで歩いていますね(笑)。


私は少なくとも70歳までは働くと決めています。日本もドイツも、スウェーデンでさえ「私たちの世代は年金はもらえない」って言ってますからね。

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片岡:何か日本的なことをされていますか。
 
大石:今は特にありませんが、高校生の時に将来海外に行くには、日本の武道をやっておいた方がいいと思って、空手道部に入部しました。外国人から「お前は日本人なのか。空手を知っているか?」と聞かれ、「うん、黒帯」と答えるとそれだけで尊敬される。複数の言語を話す能力もそうですが、白人、男性優位の社会でアジア人女性が仕事でモノになるには尊敬されるポイントを作っておくのは重要です。おかげで私の話を真面目に聞いてくれる(笑)。
 
また、指圧マッサージについて言えば、指圧をやっているドイツ人もたくさんいますが、「本場の人がやっている」ということで私のところに人が来るんです。イタリア人がやっているピザ屋に行くのと同じですね。自分の実力ではなく、先代の方々が築いてくれた技術に対する信頼感です。私がすべき事は、その期待に答えることです。
■「どんな死に方をしたくない」か?

片岡:外から見て日本のよいところはどこですか。

大石:キメの細やかさ、心遣い。あとチームで働くときに、仲間を助けることですね。こちらでは、例えばポジションが違ったら手伝わないというのが基本です。日本人同士だと忙しかったら手伝いますが、同じ事をドイツ人にすると怒られたりする。ブンレスリーガーでプレーしている日本人選手のインタビューで見かけましたが、それはフィールド上でも同じらしく「俺のポジションでお前何しているんだよ」と。

片岡:悪いところは何かありますか。

大石:私個人が思うには、だれかが何か大きな目標を立てたときに反対する人がすごく多いと思います。かつてアントニオ猪木氏がブラジルの農園で働いていた時に、日本人から栽培方法を習ったらそれが嘘で、大失敗したそうです。日本人というのは海外に限りませんが足を引っ張り合うというか、ほかの人が違うことをしようとすると、全力で阻止したがる文化だと思います。

片岡:ドイツ人は、一般的に日本人が好きだということですがそれは本当ですか。

大石:そうですね。特に医療研修中は戦争経験者のおじい様、おばあ様が多く、とてもかわいがってもらいました。年配の方は共に敗戦国ということもあって、とても好意的に接してくれます。若い人だと日本を知らない人もたくさんいて、「日本の首都は香港だよね。」とか「犬食べるんでしょ。」と聞かれた事も。そういう人たちは全く興味がないのだと思います。

片岡:最後に、日本の同世代の若い人達、震災後、何とかしないといけないと思っていても、なかなか自らアクションを起こせない人も多くいます。そういう人達にメッセージをお願いします。

大石:結局、悶々と過ごしていても何の解決にもならないですよね。「何のために生きているかわからない」というのもあると思いますが、それだったら、例えば老人ホームで無料のボランティアなどがおすすめです。それで「どうやって生きたい」かはわからないかもしれませんが、「どんな死に方をしたくない」かはわかると思います。

片岡:ありがとうございました。

●インタビューを終えて

学生向けの講演会や、大学生の就職活動を支援する団体の活動等を通じて、私は比較的、現役の大学生の方たちと接することが多くあります。その時に感じることは、まずは皆さん「優秀」そうだということ。次に皆さん「不安」そうだということ。

そして、「優秀」で「不安」なせいか、皆さんとても「安定志向」だということです。今回、大石さんのお話を伺っていて、まず感じたのは、うまい日本語が見つからないのですが、この「安定志向」とは真逆の「志向」でした。単なる「チャレンジ精神」とも、またひと味違う「偶然の力」といった本来、自分の力ではコントロールできないはずのものを、自ら引き寄せてしまうという人間性の魅力でした。その時々の一つ一つのエピソードはごく普通なエピソードなのですが、全体を通じて感じる彼女の「引きの強さ」のようなものは、なかなか真似しようとしても真似できないものを感じるのです。