片岡英彦のNGOな人々 (Non-Gaman Optimists)清純派、演技派……
「多面性」を持つ女優、奥菜恵。

(2011.12.03)


今の世の中に、とにかく「ガマン」していられず、チャレンジをし続け、決して 諦めない 「楽観人」、それが「NGOな人々」、”Non-GAMAN-Optimist”。毎回コラム形式で、NGOな人々へのインタビューをご紹介しています。第11回は女優の奥菜恵さんです。

■奥菜恵 プロフィール

奥菜恵(おきな・めぐみ)女優。1979年8月6日 広島市生まれ。血液型 O型。1992年放送のフジテレビの番組『パ★テ★オ』で宝田明の娘役としてデビュー。1996年ミュージカル「アンネの日記」に出演。その舞台での演技が高く評価され、同年、第34回ゴールデン・アロー賞演劇新人賞を受賞。以降も、ドラマ、映画、舞台などで活躍。デビュー当初は清純派役が多く、後に金スマで魔性の女を演じてからは演技派とも呼ばれる。女優、役者、歌手としての「多面性」を発揮した。2000年以降、『キレイ』(演出:松尾スズキ)、『大江戸ロケット』(演出:いのうえひでのり)など、名作と呼ばれる舞台に数多く出演。2008年ハリウッド映画「Shutter」が全米と日本でも公開。2009年3月、妊娠・入籍を発表。同年9月、第一子となる女児を出産。今年5月、第二子となる女児を出産。現在、二児の母。2012年2月16日から劇団ペンギンプルペイルパイルズ「ベルが鳴る前に(仮題)」 作・演出:倉持裕(場所:下北沢 本多劇場)に出演予定(劇団ペンギンプルペイルパイルズ 公式サイト


photo / 井澤一憲


女優・奥菜恵さんは
どのように成長してきたのか?
「恵ちゃん、立派に大きくなって……。」

奥菜恵さんへのインタビューが終わり席を立った時、私は彼女に親戚の「おじさん」が言うようなことを言ってしまいました。それは、幼い頃に会ったきり長いこと会っていない姪っ子に、久しぶりにあった親戚のおじさんが発するような陳腐なフレーズでした。

’96年に、私は彼女の初舞台であるミュージカル『アンネの日記』を観させて頂きました。その時、彼女はまだ17歳でした。純情な少女の役柄の中に凜とした奥菜さんの女優魂が感じられました。その年、奥菜さんは『アンネの日記』での演技が認められてゴールデン・アロー賞の新人賞を受賞。

その後、彼女が出演する番組の広報をいくつか担当させて頂きました。当時、「Gスタ」と呼ばれていた広いスタジオに併設された狭い控え室で、収録の合間に宣伝素材用にお話を伺ったことが何度かあります。奥菜さんは、言葉遣いなどとても丁寧で礼儀正しい方でした。一方「なんて頑固そうな(芯の強そうな)女の子なのだろう」と私は直感的に思いました。(実際、ご自身がそうだとおっしゃっているので間違ってはなかったようです。)


あれから10年以上が経ち、その間、僕には僕の事情で色々なことが起こりました。彼女にも彼女の事情で色々な出来事があったようです。私が私なりに成長してきたのと同じく、彼女は彼女なりの経験を積み成長を続けてきたのだと思います。

守られる側から守る側に。

ーお二人のお子さんは元気に成長されていますか?

奥菜 下の子がこの5月に生まれました。女の子です。上の女の子はもう2歳になりました。「魔の2歳」です。(笑)2人ともとても元気です。なるべく、のんびり育てたいとは思うのですが、育児はけっこうハードですね。下の子はまだ動き回りはしないですけど、3、4時間おきくらいにミルクを飲ませなければいけません。上の子の方は、今度は動き回るという大変さがあって、どっちもものすごく大変な時期です(笑)。

ー2人目が生まれると、上の女の子は妹に嫉妬とかしませんか?

奥菜 上の子は、もうお姉さんとしての自覚が芽生えてきているのか、下の子の面倒をよく見てくれるようになりました。ミルクあげてくれたり、あやしてくれたり、時には寝かしつけてくれたりもしてくれます。

ーブログを拝見すると家のこととか、料理とかすごくきっちりやられているようですけど。お料理への手間のかけかたとか半端じゃない感じが伝わってきますよ。

奥菜 そんなこともないんですよ。料理もそんなに得意というわけではないですけど、でも家族たちにとって大切なことですし、きっちりとせざるを得ないというか。できるときはなるべくきっちりとやるようにしているだけです。

『アンネの日記』が転機に。

ーすいぶん前になりますが、ミュージカルを観させて頂きました。『アンネの日記』は、奥菜さんの初舞台でした。

奥菜 本当にお恥ずかしいです。(笑)あの時はまだ17歳でした。初舞台でいきなりミュージカルに挑戦しました。『アンネの日記』は、自分にとっては本当に大きな転機となった作品でした。あの舞台はお芝居に対する私の考え方を根本から変えてくれました。自分の想像の世界でしか分からないアンネという役を、どう理解し、表現したらいいのか。アンネの気持ちや置かれていた環境をいくら想像しようとしても限界がありましたし、お客さんの目の前で何かを表現し演じるっていう意味での自分の経験不足や、まだまだ足りなかった感情の表現の仕方など、とにかく学んだことや気付かされたことがとても多かった作品でした。

ーその後も良い作品や演出家の方に恵まれました。

奥菜 20歳のときに『キレイ』という大人計画の松尾スズキさんの舞台に出させて頂いたことも、その後の自分を大きく成長させてくれました。当たり前のことなのですけど、人間は「多面体」で、誰にでも色々な部分があって、それが当然なことなのだと気付かされました。それまでは自分に「多面性」があることをいけないことだとさえ思っていたのです。とにかく自分は「いい子」でいなくちゃいけないとどこかで思っていた部分がありました。

ー「アイドル」からの脱皮ですか?

奥菜 デビューしたての10代の頃には、まだ自分の中に、嫌なものを嫌だとは言ってはいけないという、そういう気持ちがありました。でも、その『キレイ』という舞台に出させてもらったときに、ああ何ていうか、私が今まで見てきていない世界があり、まだまだ人間には色々な側面というものがあって、それが人間というものなのだと、初めて自分の中で正面から人間の持つ多面性を受け入れた瞬間でもありました。

人間の持つ多面性を受け入れ、
自分も多面的に。

ーその後、どんどん難しい役を与えられて、演技も自分自身も「多面的」になって成長していく…。

奥菜 本当にお芝居は奥が深いなって思うんです。まだまだ自分の中の未熟な部分もいっぱいあります。何らかの作品に出会って、新たな役に出会い、その時々でまた新たに学ぶことも多いです。あの時はあの時で今よりも、未熟だったと思いますし、でも今思うと当時はものすごく楽しんで演技をさせてもらっていたのかな。すごく楽しかったという記憶で一杯です。

ー舞台作品自体から学ぶことが多いのですか?それとも役を作り上げていく過程で自ら何かを掴んでいくのですか?

奥菜 両方ですね。その作品を通して、作家が何を訴えたいのかという観点から読むと同時に、その登場人物にどういう経緯があって、どういう思いでその言葉を発しているのかっていうことをなぞりながら読み進めていくんです。この人は何でこの言葉を発するに至るのだろうかとか、そういう登場人物の心情の波といいますか、心の流れのようなものを探しながら読んでいます。だから、台本上には出てこない前後の文脈や、台本に描かれているその裏では何が起こっているのかとか、そういうことを色々と考えながら、ゆっくりと読み進めていきますね。

「本当の自分」という「軸」を探した10代。

ー奥菜さんは、確か12歳の時にテレビドラマでデビューをされて、役作りや演技などの基本のようなものは、どこで学んだのですか?

奥菜 10代のそれこそデビューしてまだ間もない頃、半年間くらいレッスンに通ったんです。学校が終わってから電車を乗り換えて、毎週、野中マリ子先生のご自宅の地下にある稽古場に通いました。そこでお芝居の基本となる発声練習や早口言葉や歩き方まで。ありとあらゆる基礎を学ばせていただきました。テクニックや技術よりも前に、自分の感情が心につながっていて初めて表現になること、表面的なものではなく、「心で演じる」ということがどれだけ大切なことかを叩き込まれました。

ーお芝居の稽古に限らず、いわゆる仕事場での礼儀など、当時は厳しく教育されたのですか?

奥菜 自由なところは自由でしたが、厳しいところは、ものすごく厳しかったです。当時は本当に厳しく色々なことを教えてくれる大人が周りにいっぱいいてくれました。ただ、自分の中で思っていたのは、芸能界って一見すごく華やかな世界に見えるし、実際、自分も甘やかされていた部分もあったと思うのですけど、大人になってから、料理もできない、自分一人では電車にも乗れないみたいな、そういう大人にだけはなりたくなかったです。

感覚が麻痺してしまうことに常に危機感を持っていました。それは一人の人間としてもそうですし、自分が様々な役を演じていく上でもそういう「普通の感覚」といいますか(そういうと「普通の感覚」の「普通」って一体どういうものってことになるかもしれないですけど)一般的な常識みたいなものがわかっていないと、結局、何も演じることができないのではないかなという思いは、心のどこかにありましたね。

***

ー僕なんかこの年になってもプライベートと仕事がこんがらがっちゃうことがよくあります。まして10代の頃で、しかもアイドルというか女優のような仕事をされていると、どこまでがプライベートでどこからが仕事かなのかって、こんがらがってしまいませんでしたか?

奥菜 10代の頃は本当の自分がどこにあるのか、とにかく「軸」というものが分からなかったですね。自分が一体何が好きなのか、何をしたいのかということさえ分からない、ただ演技が楽しいというそれだけの想いで突っ走っていて、ひたすらアウトプットする日々に心が枯渇している状態でもありました。自分と会話する時間もなかったっていうのもありますけど、毎日、午前中に撮影に行って、午後は学校に行って、放課後にまた撮影に行って、撮影現場に宿題を持って行ってテストの勉強をして、そのまま夜中まで仕事して、2、3時間寝て、次の日、学校にいって……そんな毎日でした。

清純派、魔性の女、演技派……
「多面性」を持つ女優。

ーデビュー当時、奥菜さんは「清純派」と言われ、その後は「魔性の女」とか「演技派」とか呼ばれるようになりましたね。でも、結果として、今はいいお母さんになって、お子さん2人を育てながら女優業も続けている。こういう人間の持つ多面性は、なかなかマスメディアを通じては伝わりにくいのかもしれません。女優さんの場合、「本当のプライベート」と「役のイメージ」と「報道によるレッテル」とが一緒になって伝えられるから、「真実」が理解されにくいのだと思います。

奥菜 そうですね。当たり前ですけど、他人の中にある「真実」を感じたり想像したりすることは出来ても、その人の中の「真実」はその人にしか分からない。勿論理解された方が嬉しいけど、でもそれが歪んでようが真っ直ぐであろうが、そこを理解される・されないに囚われて自分らしく在れないことが一番悲しいなと思います。それよりも有意義な時間の過ごし方をしたい。

***

ーその気持ちよく分かりますけど、言葉で表現するのって本当に難しいですよね。

奥菜 「清純」と言われ、そのイメージを崩さないように感情に蓋をしてきた時期も、「魔性」と言われ、風刺的な意味で敢えて煽るように反抗的になってしまった時期も経て、結局、私は清純でも魔性でもその時々のイメージを演じようとしてきたのだろうし、本当の自分が例えどちらであるかなんてそんなことはたいした問題ではなくて、私は恐らくどちらの資質も持ち合わせているのだろうし、もしかしたら持ち合わせてないのかもしれない。人間関係を築いていく上で少なからず演じる部分は誰にでもあると思うから、そんなことを気にして心が狭くなって大切なものを見失ってしまうよりは、今はこのまんまの自分をマイペースに愛でてあげたいと思っています。

今、子供ができて生活の中心が子育てになって、そのことだけに自分の思考が集中している状況を客観的に見た時に、何か怖くなるといいますか、これだけではいけないのではないかって。子育てに一途に没頭する自分のことを突き放して俯瞰して見るような別の視点の自分も持っていないといけないのではないだろうかと。

ー自分を俯瞰して見る別の視点?

奥菜 本当に何て言ったらいいですかね。そういう自分の多面性を常に意識していくということも忘れちゃいけないなと思います。もちろん家庭を大切にすることや、子育てを第一に考えることは、すごく大変だけれど、とても大切なことです。すごく幸せなことでもあるのですけど、でもそうではない部分の自分というものも意識していたいと思います。子育てだけが全てになりすぎないようにしないと、っていうと何か本当に曖昧でおかしな表現になりますけど。

女優(表現者)という「キャリア」と「育児」。

ー僕の知り合いの子供を持ちながらバリバリ働く女性でこんなことを言っている人がいます。「自分は子育てと仕事との両立くらいなら簡単にできる。でも、子育てとキャリアとの両立になるとしんどくてどうにもならない時がある」って。

奥菜 ちょうど長女が産まれて4ヶ月くらいで、舞台に復帰したのですが、その時もまあなんとかはなったのですけど。何かやっぱり…まあ、やればなんとかはなるのですけど。

ー育児が気になってもう一歩仕事にのめり込めなかったっていうことですか?

奥菜 周りのサポートのおかげで集中して携わる事は出来たのですが、戦争で被爆した女性の役で重いお話だったので精神的にもきつかったし、身体が本当にしんどかった(笑)。

ー育児の合間に少しはくつろげているのですか?

奥菜 自分の勉強もあるので昼寝する時間はあまりありません。まあ、たまに気絶したように眠ってしまいますが(笑)

舞台、チャリティー、子供たちのために。

ーこれまでに舞台もテレビも映画も歌も、すでに色々なことをやられてきましたけど、今後はどういう活動をしていきたいですか?

奥菜 TVや映画は勿論ですが、舞台が好きなので舞台は続けていきたいです。舞台は自分が出させて頂くのも嬉しいのですが、観に行くのもすごく好きです。観に行ったときに、自分の目の前で役者さんがお芝居をしているこの瞬間、この瞬間がなんて贅沢な時間なのだろうかって思います。

ー観るのと舞台に立つのとはやっぱり違いますか?舞台を観ていると、自分が舞台に立っているような錯覚に陥ることありませんか?

奥菜 そういうときもありますね。そこに立っていないことがすごく悔しくなってくるときもあるし、そう、いろんな刺激をもらいますね。

ー生で舞台に立つ時に恐怖心のようなものって感じませんか?

奥菜 それはもう恐怖ですよね。でもその恐怖がたまらないのではないでしょうか。ストイックな日々を送るのも自分としては好きなのだと思います。私は役作りにしても台本を読み込むにしてもとにかく時間がかかります。少しずつ自分の中でイメージを咀嚼してろ過して解釈して少しずつ積み上げていくので、なんにしてもとにかく時間がかかるのですよ。(笑)

今はまだ、子供がまだ大変な時期なので、やれることってすごく限られていますけど、ボランティアなどにもいつかチャレンジしてみたいです。もともと興味はあったのですが、今、震災でこんなことになって、本当はすぐに被災地に行きたかったですね。出産直後でもちろん行けなかったのですけど、今後、何らかの活動をやってみたいです。子供ができて初めて分かることってやはり沢山あります。子供のためにできること。すごく漠然としてはいますけど、そういう今の気持ちをうまく生かしていけないかなと思っています。

震災以降、あきらかに日本人の意識は変わったと思います。自分の中の意識も変わったとは思います。でもやっぱり軸となるような、私のこれまでの考え方はあまり変わっていません。変わらない部分は変わっていない。今は子供たちがいるので、何よりも子供たちを一番に守りたいと思います。親の目でちゃんと見て、確かなものを与えてあげたいっていう思いもあります。ただやっぱり現在の日本中のどうにも出来ない困難な状況を、ある程度は受け入れないといけない部分もあって、それはすごく、残念だけどそう思います。

***

ー奥菜さんの場合、何か困難な状況にぶつかった時に「なんとかなる」と考えるタイプですか?それとも「なんとかする」と考えるタイプですか?

奥菜 そうですね。どうあがいてもどうにもならないことってありますよね。そこはもう受け入れるしかないし、そこをなんとかしようとは思わない。でも少しでもどうにかなる余地があるのなら、それは全力で取り組みたい。基本は「ケセラセラ」「なんくるないさ」精神です。結局、物事はなるようにしかならない、懸命に生きていたらなるようになっていくのだと思っています。

ー「なるようになっていく」ですか。確かにそういう切り口もありですね。まさに多面的な答えでした。(笑)

インタビューが終わり席を上った時、私は親戚の「おじさん」のようなことを言ってしまいました。久々に会った姪っ子に発するような、どこか懐かしいフレーズでした。

「恵ちゃん、立派に大きくなって……。」

■編集後記

インタビューの後、これまで読んだ本の中で最も自分に影響を与えた本を奥菜さんは教えてくれました。ニール・ドナルド・ウォルッシュの『神との対話』(サンマルク出版)という書籍です。さっそく買って読んでみると、その書籍の中に以下のような一節がありました。

「最高の考えには、必ず喜びがある。くもりのない言葉には真実が含まれている。最も偉大な感情、それは愛である。喜び、真実、愛。この三つは入れ替えることもできるし、互いにつながりあっている。」

この一節が奥菜さんに影響を与えたのかどうか、ご本人に確認していませんが、「恋愛」「愛社精神」「愛国心」「郷土愛」「夫婦愛」そして「母の愛」…「愛」というのは、またずいぶんと多面的で表現や自己PRの難度の高いテーマでもあります。

現在、彼女の人生のテーマは「愛」だとのこと。

この日、奥菜恵さんにお会いできて本当に良かったです。奥菜恵さんはNGO(NonーGaman Optimists)な女優(表現者)でした。