片岡英彦のNGOな人々 (Non-Gaman Optimists)「無茶」と「足踏み」が育てる私
アナウンサー・沢野有希。
(2012.04.28)
「NGOな人々」”Non-GAMAN-Optimistとは「ガマン」していられず、チャレンジをし続け、決して諦めない 「楽観人」。NGOな人々へのインタビュー第16回は、フリーランスアナウンサーでトレイルラン広報大使の沢野有希さんです。
沢野さんと私が出会ったのは、自分が、当時、務めていた会社の主催する音楽イベントの会場でした。その後、うちの妻や子供たちも交えて家族ぐるみでお付き合いをさせていただいています。私が急にUSTREAMでの生放送を個人的に行うことになった時に、コーナーとコーナーの合間での実況アナをやって欲しいとお願いしたこともあります。まだUSTREAMが登場したばかりの頃で、何をどうして良いのかわからず、予定では3分〜5分のはずだった、沢野さんの出番が15分以上にわたって延々と続いてしまう「放送事故」(!?)のようなナマ中継中のハプニングもありました。ラジオ番組での長いアナウンサー経験から、期待通りに(?)冷静にハプニングを解決してくれた時、ラジオのアナウンサーの底力というのは、すごいな〜と思ったものです。敬意を表して、今回は、若干、「ラジオ風」のインタビューで。
沢野有希・プロフィール
(さわの・ゆき)フリーアナウンサー・トレイルランニング広報大使・bayfm情報アナウンサー(火曜日・木曜日レギュラー)
ケーブルテレビ局や交通情報センターでの勤務を通じて、テレビ・ラジオなどで活躍。2005年にトレイルランニングに出会ってからは、アナウンサーとして活躍する一方で、トレイルランニングの普及に努める。3/11以降は、被災地を支援するための活動にも積極的に行う。O型。
いつも「足踏み」を!?
片岡:いつも最初にプロフィールの確認をするんです。
沢野:プロフィールの確認?
片岡:出回っているプロフィールを写すのがイヤで、オリジナルのを作るんです。原稿できたらお渡しするんで、マズイ所があったら好きなように削ってくださいね。その代わりインタビュー中は何でも聞きますからね。
沢野:あ、はい。
片岡:生まれはどちらですか?
沢野:千葉県です。
片岡:知りあってずいぶん長くなるのですが、実は意外とプライベートを知らないんですよね。地元に生まれ、地元に育ち、地元の高校に行き…?
沢野:地元ではないけれど、自宅から近い高校に入ったんですが、私は高校を中退しています。
片岡:え!? ほら、そういう知らない話があるから改めてインタビューしたかったんです。高校中退は知りませんでした。何年で辞めたのですか?
沢野:2年です。2年と言っても、「進級が出来なくてもう1年」の2年なんで要は1年生を2回やって…
片岡:何か悪いコトをやっちゃったんですか?
沢野:いえ…不登校でした。
片岡:それは知らなかった。高校で辞めてその後は何を?
沢野:1年置いて、通信制の高校にもう1度入ります。
片岡:あ、もう1度入ったんだ。
沢野:当時、通信制の高校って4年制だったんです。卒業して、その後にチョット時間を置いて短大に入ります。
片岡:あ、またチョット時間を置くんだ。(笑)いつも足踏みをするんですね。
沢野:そうですね(笑)
憧れ(?)のメディアの世界に
片岡:短大を卒業してから、就職?
沢野:今のような仕事をしたくて、就職活動をしたのですが、結局、どこも決まらなかったんです。で、派遣社員を1年と3カ月、その後にケーブルテレビ局に入社して、編成部でした。
片岡:アナウンサーではなかったの?
沢野:でも「顔出し」はしてました。編成でも自分で番組を作っていたので、キャスターみたいな感じで。(笑)女の子と2人で…どっちに座っただろ、私が多分こっちで、もう1人の女の子がここに座ってて…でなんかもう、噛み合わない話を延々とケーブルテレビで。(笑)
片岡:ケーブル局だと、自分で企画・構成して、ほとんど自分で色々やるんですよね?
沢野:ほとんどのことをやりますね。
片岡:どんな番組でした?
沢野:代表的な番組…。自分で作ったのは神社仏閣。
片岡:神社仏閣!?
沢野:年末年始に向けて、市内の神社仏閣を紹介するっていう番組を…30分だったかな、作りました。大っきいの小っちゃいの。もう全然人が入ってなくてボーボーになっちゃった所から、ちゃんと宮司さんがいらっしゃる様なキッチリした所までロケで回って。(笑)…で、1年と1カ月で辞めて。
片岡:辞めた。自分から?
沢野:会社から研修として派遣されたNHKのケーブルテレビのセミナーに参加して、今の職場にはプロフェッショナルな人がいないと気づいてしまったんです。それがきっかけで、ここで仕事を続けて、私は果たしてどうなるんだろうって疑問に。
片岡:で、それを辞めて?
沢野:それを辞めて、その次が交通情報センターなんです。初めてラジオの世界に入りました。
片岡:交通情報センターのお姉さんって社員なの?フリーなの?
沢野:基本的に、メインで出る人は職員ですね。私は契約職員的立場でした。私はテレビではなくてラジオの担当を。
片岡:ナマ放送ですよね?
沢野:全部、ナマです。いきなり「20秒で!」と言われて、20秒なら、このネタで、と再構成したりしていました。
***
片岡:ゴマカしがきかないね。
沢野:何を言うかは預けられているんです。情報ソースは一杯あって、その中からどれを選ぶのかは自分。ある意味、編成権があるんです。神奈川に務めていたのが半年、神奈川県警から。東京に移動してからは警視庁からでした。ニッポン放送、TOKYOFMとラジオ日本など、毎日かけもちで。
片岡:局は違っても、伝える情報は同じ情報ですよね。
沢野:エリアに分けて、ラジオ日本だったらちょっと神奈川寄りの交通情報を入れるとか。その間に文化放送のレポーターを2年ほどやりました。自動車会社(supported)のラジオのレポーターで、最初の1年は女の子がいっぱい出ている番組で、もう1年は、もうチョットしっかり車に寄ったという感じの番組でした。2年の間に、試乗車に乗って来ました、とかモーターショーに行って来ました、とかF1を観て来ましたとか。
片岡:今、肩書は「アナウンサー」と「トレイルランニングの広報大使」とあるけど。これで何となく…プロフィールは大丈夫です。
沢野:まだありますよ。
片岡:え、まだ続きが?
沢野:私ヘリコプターからの交通情報もやっていました。
片岡:それはラジオ?
沢野:ラジオです。平日の朝とかお昼に上空を飛んで行って、この辺が渋滞です、とか、チョット怪しいな、と思う所とかを見に行って、ここは工事やっています、とか。ヘリからそういう情報をレポートしていました。交通情報センター時代、電光パネルや端末で得ていた渋滞情報を、自分の目で取材して、放送し、リスナーにお伝えし、前職の経験が生かすことが出来ました。
フリーアナウンサーとして
片岡:沢野さんは基本はフリーなんですよね?そういう意味では。ラジオ局にもプロダクションにも所属せずに。
沢野:そうですね。一番長いのはフリー。
片岡:フリーは大変ですか?
沢野:今まではあまり考えてなかったんですけれど、やっぱり大変と言えば大変だし、面白いと言えば面白いと…という所もあるかなあ。
片岡:自分から売り込んだり企画を持ち込んだりもするんですか?
沢野:はい。トレイルランニング絡みで少しずつ形になってきています。これからもっとアクティブにやっていきたいと思っています。仕事をしていて、最近特に感じるんですけれど、やっぱり人との出会いとか接点から広がって行く事ってすごく多いですよね。いずれ「人と組んで何かをやる事」をしたいなあって…いう思いが強くなっています。
片岡:現在のbayfmはどういうキッカケで始めたんですか?
沢野:普通の公募です。ちょっと大掛かりな改編をするので、DJとかアナウンサーを公募をしたんですよ。出演したい人の募集みたいな。
片岡:DJオーディション?
沢野:パーソナリティーって呼ぶ局もあるんですけれども、bayfmではDJと呼びます。DJオーディションだったんですが、私はアナウンサーとして採用されました。
片岡:DJとアナウンサーって何が違うんでしたっけ??
沢野:DJというのは、番組に出て喋って番組の司会進行です。アナウンサーというとニュース原稿とかを読む、というコトです。報道の方です。ニュースを読んだり、天気予報を読んだり、交通情報で交通センターに呼びかける側ですね。
「ラジオ」との出会い
片岡:昔からラジオってよく聴いてました?
沢野:ラジオは大好きでした。一番最初はTBSの子供電話相談室。
片岡:無着先生?
沢野:ううん、誰にお答え頂いたか覚えてないけど。うちにずっとラジオが流れていて聴いていたんです。それで祖母が「おばあちゃん、ちょっと知りたい事があるんだけどね」って言いまして。「知りたい事…教えてもらいたい事があるんだけれど、おばあちゃんはちょっと電話かけられないから、かけてくれない?」と頼まれて、かけて…それが小学生1年生の時。その時はちゃんと答えてもらえなくて、でも、後で電話がかかってくるんですよね。フォローの電話が。で、こうこうこうですよって答えてくれました。
片岡:放送されなくても答えが返ってくるんですか?
沢野:そうです。後から必ず解答が返ってきて、で4年生の時にもう1回かけたら、その時はオンエアにのって…何の質問したかな…確か星の事で質問したんですけれど。
片岡:ラジオならでは「インタラクティブ」ですよね。今でもラジオにこだわっているんですか?
沢野:きっかけはラジオだったわけですが、今は色んなメディア…インターネットとかUstreamとか色々出てきて、何かそれに限定する必要は無いのかな。トレイルランニングを初めてから、様々な人とか団体とかとの接点を持つようになって、いろんな表現の場を見聞きするようになって、あまり特定の媒体に絞ることもないかなと思っています。
トレイルランと番組との融合!?
片岡:交通情報とかって事実を伝える。放送枠も決まっている。だけど、司会者(パーソナリティー)って、いかようにでも自分の裁量で「料理」ができるじゃないですか。今一番関わってみたいコンテンツって何ですか?ラジオに限らず。
沢野:今はやっぱり、トレイルラン絡みで。トレイルランニングから波及して、アウトドアとか環境に広がって行くと思うんですけれども、そこに絡めて、例えばイベントをやるとか…。
片岡:別に番組じゃなくてもいいの?
沢野:イベントもやってみたいでですし、いずれメディアに乗って番組になればいいなと思っています。そこにいく前の段階として、まずは自分で始められたらとも思っています。例えばですか…私がトレイルランの番組をやるとしたら、私が面白いな、ぜひ紹介したいなと思う人をクローズアップして、インタビューしていく…そんな形でまず始められたらと思っています。
なぜ「無茶」をするのか?
片岡:最近行ったチャレンジは?
沢野:最近のネタはこれですね。(ペンダントを取り出して見せてくれる)フルマラソンを久々に走りました。ロンドンオリンピック女子の最終選考レースだった、「名古屋ウィメンズマラソン」。一般のレーサーも参加でき、完走賞がこのティファニーのペンダントだったんです。
片岡:完走したんだ。
沢野:はい。タイムは確認していません。私、今年に入ってから故障したりなんだりで、一回も走ってなかったんです。本当に全然山に入ってなくてロードも走ってなくて…でも一応完走できて。
片岡:完走する事のスゴさって、やった人はみんな言うよね。歩かなかった?何キロ走ったんですか?
沢野:40キロ走りました。40.195キロ走って、2キロはちょっと切れて歩きました。
片岡:マラソンとトレイルランって基本的に違うモノとして扱った方がイイんですよね?
沢野:そうですね、今は両方やる人が増えてきてるんですけれど、私の中ではやっぱりロードとトレイルは別のものです。
片岡:何が違う?
沢野:気持ち良さが違います、私の中では。五感に受ける刺激を思うと…。トレイルって旅なんだなあ、と思います。
片岡:トレイルランってイマイチ知らないんですけれど、山あり谷ありで、やっぱり持久力の勝負?
沢野:持久力ですね、まあ走力もあった方が絶対に楽しいとは思いますけれど、でも私は走力が無くて始めたので。
***
片岡:続ける事が大切なんですか?
沢野:大切というか、楽しいからいまも続けているんだと思います。
片岡:トレイルランってゴールしないとダメですよね?途中で辞めたら山の中で取り残されて迷っちゃうワケですよね。マラソンって途中でダメだったらリタイアできるじゃないですか?
沢野:レースだったら離脱もある程度出来ますけれど、プライベートで行って離脱するとなると、どこかの町とかに降りて行かないと、トレイルの場合は…例えばバスが走っている所まで降りるとか、駅まで降りるとか。
片岡:下手すると遭難?
沢野:そのままだと遭難する可能性もありますね。
片岡:じゃあ、初心者でもとりあえず最後までやらないとダメ、みたいな?
沢野:ダメって事は無いですけれど、山を降りて来ないとダメって事ですよね。走る必要は無いですけど…。
片岡:マラソンが駄目な人は抜けられますからね。途中でタイム的に切られたり、ギブアップしたり。
沢野:ああー、そう言えば山は簡単にギブアップ出来ないですね。特に深い山に行っちゃうと。
片岡:途中で抜けられないからトレイルは続けられるのかなあって、ふと思った。続けざるを得ないと。
沢野:ああー、なるほど、そういう事か。
片岡:最後はゴールに到着するでしょ?遅かれ早かれ。
沢野:うんうん、そうか…そういう事なんですかね。言われて気付いた。
震災時に感じたこと。行ったこと。
片岡:ところで震災の時はどこに居ました?
沢野:震災の時はたまたま自宅に居ました。
片岡:何を思いました?
沢野:まず家族の安否を確認した後に、局の人に連絡を取りました。多分、人が足りないんじゃないかなと思って。ラジオ付けたら震災特別番組になっていたんで、これは多分大変だと思って。
片岡:行った?
沢野:行きました。
片岡:読んだ?
沢野:読みました。
片岡:iPod nanoを、たまたま、その日に持っていて…あれってラジオが入るんですよ。それを聞きながら歩いて帰宅したんですが、ラジオのアナウンサーってスゴイなって思って。全く動揺せず、映像もノイズもない中で、淡々と報道を続けていた。沢野さん、あれをやってたんですね。
沢野:はい、やってました。
片岡:やっていてどうでしたか?
沢野:普段だったら原稿が早めに来て、下読みしてタイムを出してみたり、かなりレギュラーになっていて、ルーチンだったんですけれども、その時は本当に突っ込み突っ込みで…それで突っ込んでいる間にも揺れるし…現場にいながら揺れている中で原稿突っ込まれて読んで…それのもう繰り返しで…とにかくでも、今の伝えられる情報をどんどんどんどん伝えようという、スタッフ・全社員含めた「思い」でやっていましたね。
片岡:bayfmまで、地震の直後に行ったって事ですよね。あの辺もけっこう大変でしたよね?
沢野:大変でしたね。車で行ったんですけれど、途中から大渋滞で車が動かなくなっちゃって、国道14号に入ってからは、道路が大渋滞の上に、歩道の両サイドをたくさんの人が都心方面から千葉に向かって歩いているんですよ。信号が消えている所とかもあって着いたのが夜の12時過ぎかな?
***
片岡:その後、個人的に被災地支援活動を始めたというツイートを見たのですが。
沢野:マラソン大会とかのTシャツって、大体出ると皆さん頂くんですね。沢山出ている人であればあるほど、着てないTシャツがどんどん増えちゃって。震災が起きた時に、まあとにかく物資が足りないというコトで、何か出来ないかと思った時、そうだTシャツだったら肌着にもなるし、最悪雑巾とかにもなる。布物はあっても困らないだろうと思って。3か所集められる拠点をお願いして集めたのを、たまたま向こうに物資を運んでいる人がいたので、それをその人に託して持って行ってもらったんです。
片岡:何でそんな事をしようと思ったんですか?
沢野:何かしたいなって思ったんですけれど、そもそも、まず現地に行くルートが当時は無かったっていうのと、私が動いて何か出来る事ってなった時に…もうヒラメキですよね。あ、Tシャツ!と思って。物資が無いあの段階で、半袖の物なのでどうかとも思うけれどもマラソンやトレイルランニング大会の参加賞や完走賞のTシャツって、速乾性で、軽くて、洗ってもすぐ乾くし、重ね着も出来る。今なら多分ニーズはあるんじゃないかなと思って。
片岡:早かったですよね。1週間くらい?
沢野:初回が3月26日なので、震災の15日後です。2日開催して、合計720枚のTシャツを被災地に送りました。
人生のターニングポイント
片岡:働き初めて、ざっくり20年ぐらい経つと思うんですけれども、自分のターニングポイントなった大きな事とは?何ですか?
沢野:やっぱりトレイルランとの出会いでしょうか。
片岡:トレイルを始めたのが2005年くらいでしたよね。広報大使になったというのも、何かキッカケが?
沢野:当時はトレイルランといってもスポーツ関係の人とかショップに行っても知らない人ばっかりだったんです。実際に始めたいとかっていう話を聞いても、情報も無い。余りにも何も無い状態。自分は楽しんでるけれども、その楽しんでいる人がいるよ、という事を何か外に向けて発信出来たらいいなと思って。
片岡:すごく意地悪な質問なんだけれど、それがもしスキューバだったら、スキューバだったかもしれない?
沢野:まあ、そうですね。うん。
片岡:その出会いが、何で2005年だったの?出会うものって他にも沢山あるじゃないですか?トレイルランに2005年に初めて出会って、その後、飽きずに7年も続くのってどうして?ひょっとしてその年に何かあったんですか?
沢野:ありましたね。そのちょっと前に私、失恋をしてるんです。
片岡:そうなんですか。
沢野:トレイルが含まれているイベントに申し込んだのは失恋するちょっと前だったんです。その後、失恋が確定しました。だから、その時はもう行く気無かったんですよ、そんな失恋してそれどころではなくて。でも、せっかくだし、まあ行ってみるかと。で、…山の中を走らされて、「何でこんな所走らされるの?」みたいな感じだったんです。1日目は。2日目に山の中を初めて1人で走ったんですよ。たまたま1人になっちゃって。そしたら、木漏れ日があったり、葉が風に吹かれてさやさやしていたり、森の中の甘い匂いとか…そういうのを五感で感じた時に、「あ、なんか楽しい!」って思ったんです。
***
片岡:心が浄化されたんだ。
沢野:元々ドライブ行って紅葉を見たりとか林の中を歩いたりとかが好きでしたが、ドライブだと道路があって行けてもその辺までなんですね。それが、トレイルだとかなり奥地まで行くから普段見られない景色とか普段会えない動物とかに会えます。そのディープさが私にとってはスゴく新鮮でした。
片岡:失恋がトレイルとの出会いによってプラスに変わった!?
沢野:私は去年1年そのTシャツを集めるという活動をした後ぐらいから、何かしたいんだけど何をしていいか分からない…その、被災地の人に対してです。何かもどかしい気持ちのまんま1年を過ごしたんです。ずっと何か動きたいんだけど動けないみたいな、何して良いか分からない。
縁があって震災から丸1年の日にマラソン大会に出て、苦しいながらも完走した時に、あ、なんか色々こう考えていたけれども、とにかくまず自分が「やってみる、動いてみる」事が大事なのかなあと思って。そのマラソン大会も、後から周りの人から見たら無茶なんですよ、全くトレーニングもしないで(笑)普通トレーニングをして出るものをトレーニングもしないで出るっていうのは、今考えると無茶なんですけれども…でもそこを、無茶して完走した事で、このペンダントを頂けた事で…何かこう1つ宝物が出来たというか、自信が出来たというか。
片岡:次は、何の無茶しますか?
沢野:無茶は…これはあまり人に言いたくはないんですけれど、5月に82キロのトレイルの大会があるんで…
片岡:82キロ?!
沢野:富士山の周りを走るトレイルです。長いのは156キロあるんですけど、私は一応短い方にさり気なくエントリーしていて。
***
片岡:1日じゃ無理ですよね?どこかに一晩?
沢野:寝ませんね。多分寝ちゃうと冷めちゃうと思います。身体が冷えちゃう。
片岡:うわーきつそう。何も訓練しないで?
沢野:今は一応ちゃんと走ってはいるんですけれど。
片岡:なぜそんな無茶をするんですか?
沢野:私は多分、無茶する方が向いているんだと最近思います。多分無茶が好きなんです。いまアナウンサーという喋る仕事と、身体を動かすという事をしていますが、それを融合させて、いつか何か出来ないかなあと思っていて。すごく漠然としてるんですけれど、それを何かカタチに出来たらいいなあと思っています。
片岡:身体を動かす事と、話す事とを融合?
沢野:はい。
片岡:分かりました。ありがとうございました。
沢野:??ありがとうございました?
片岡:中途半端な感じがするでしょ、でもこういうのってラジオっぽくっていいんじゃない!?また続きを聞きたくなるような。
沢野:これで原稿になります?
片岡:大丈夫。ちゃんと組み立てますから。
沢野:そうですか?分かりました。ありがとうございました。
インタビューを終えて
沢野:片岡さんにこれまでの自分のあれこれをあぶり出され、煙に包まれたまま、約1時間のインタビューが終わりました。「足踏み」と命名するセンスはさすがです。いつの頃からか座右の銘は「七転び八起き」。落ち込んでも、なにかがあっても、時間の経過とともに、いつしか起き上がりたち立ち上がってまた一歩を踏み出してきました。これからも、なにかがあったとき「足踏み」するかもしれませんが、これも自分! そのうち「起き」のタイミングがやって来る! と、でーんと構えていきたいと思います。片岡さん、あぶり出しインタビューありがとうございました。いつか片岡さんをインタビューさせてくださいね。