片岡英彦のNGOな人々 (Non-Gaman Optimists)「それって役立つ?」が創造を潰す。
漫画家・里中満智子インタビュー

(2011.09.26)

里中満智子さんはいうまでもなく少女漫画の巨匠。里中さんは、今年3月の震災に限らず、過去には新潟県中越地震や台湾の921大地震の際にも漫画家たちの力を結集し、チャリティー活動を牽引するなど積極的に社会貢献に携わっていることをご存知だろうか。里中満智子さんの目には、今回の震災を通じて垣間見た現代の日本人の姿はどのように映ったのか?「ギリシア神話」につづき出版される長編マンガ「旧約聖書」発売開始直前のお忙しい時期にも関わらずロングインタビューを敢行させて頂いた。

■ 里中満智子プロフィール

さとなか・まちこ
漫画家。昭和23年1月24日・大阪市生まれ。 16歳のとき『ピアの肖像』で第1回講談社新人漫画賞を受賞。高校生活を送る傍ら、プロの漫画家生活に入る。その後、『あした輝く』『アリエスの乙女たち』『海のオーロラ』『あすなろ坂』など数々のヒット作を生み出す。1974年『あした輝く』『姫がいく!』で講談社出版文化賞を受賞、1982年 『狩人の星座』で講談社漫画賞を受賞。マンガジャパン事務局長、(社)日本漫画家協会常務理事、大阪芸術大学芸術学部キャラクタ-造形学科教授など、現在、創作活動以外にも各方面の活動に携っている。


戦後の女性クリエーターの草分け的存在、
漫画家・里中満智子。

16歳で漫画家としてプロデビュー。当時、男性視点での「少女」が描かれていた少女漫画界に新風を吹き込んだ里中満智子さんは、以来、常に「自分の頭で考える女」(男からは必ずしも「可愛い」とは思われないかもしれない少女)を描いてきた。「恋」や「純愛」「心のときめき」だけではなく、「愛と憎しみ」さらには「道ならぬ愛」など、大人の女性も読むようなストーリー性の高い作品を手がけ、戦後の女性クリエーターの草分け的存在となった。

一方、日本のマンガ家たちの親睦団体「マンガジャパン」「デジタルマンガ協会」の要職を勤めるなど、若手マンガ家たちの地位向上のために日々奔走している。新潟県中越地震や台湾の921大地震、今回の東関東大震災では漫画家たちの力を結集し、チャリティー活動を牽引。里中さんには震災を通じて垣間見た現代の日本人の姿はどのように見えているのだろう?

マンガ家にできること。

「被災地からの要請がないと義援金を拠出できないなどおかしなことが現実に起きています。日々困る人がでているということに政治家の想像力が及んでいないのではないか。現地の人たちの将来への不安や風評被害に対して、国の支援が完全に後ろ手に回っている現状をとても憂慮しています。」

里中満智子さんが開口一番に発した言葉は、現在の政治家たちへの手厳しい批判だった。

「マンガ家という仕事は究極的には個人の実力主義の世界です。いつだってマンガ家としての個人の力が試されます。読者の評価が全ての世界です。しかし何人かで集まれば大きなチャリティーだってできます。だからこそ私たちの会が活動を始めました。今回の震災以前にも新潟県中越地震や、921大震災(台湾大震災)の際に、マンガ家たちが力を合わせて被災地に向けチャリティー活動を行ってきました。下世話な表現かもしれませんが、集まるお金は少しでも多い方がいいに決まっています。マンガ家だって力を結集すればこれだけの活動ができます。政治家の方たちには現在の混沌とした日本の状況をもっともっと真剣に考えて欲しいです。一刻も早く現状を何とか打破するように政治家のおひとりひとりが奮起して欲しいです。」

漫画家によるお宝オークション。

「チャリティーオークションでは、こういう時のために普段は決して世間に出さないような『お宝』『複製画』『限定版』まで大勢の漫画家たちに出品してもらい、みんなで協力していくことになりました。こうした活動はチャリティー活動であると同時に社会への強いメッセージにもなります。結果的にマンガに関連する仕事仲間たちが大勢集まって協力し合い、『形が見える支援』となりました。ヤフーなどのネットメディアの協力もあって間口が大きく広がり、読者の皆さんばかりでなく、実際に苦労をされている現地の方々の目にも留まり知ってもらうこともでき喜んでもらっています。私たちはこうした支援金集めを、ターゲットを2つにわけて考えています。被災地が絞られている場合は直接現地に援助金を届けます。一方、被災地域が広範囲にわたる場合は赤十字を通じて支援するようにしています。」

焼け石に水。
でも、いつか必ず冷める。

「今回は復興に長い時間がかかることも考え活動しています。宮城県では地域と協力してアンテナショップで長期的な支援活動を行いました。震災で孤児となった子供たちのため全国各地での活動も開始しています。石巻市にある石ノ森萬画館とも協力し様々な支援活動を開始しました。館内にマンガ家らが描いた色紙の展示会をして被災地のことを忘れられないように情報発信をしようと萬画館に協力しています。

全国のイオンでの展示も展開されています。マンガ家である私たちは自分たちでできる支援を行うことで、被災した石巻市の方たちにとっての精神的支援になればと思います。電子書籍の売上げを全額支援に回していくなど、ひとつひとつの活動は細いかもしれませんが長く継続的に行っていきたいと思います。日本はかつて戦争でいったん国として崩壊しかかりました。そしてそこから今日まで立ち上がってきました。

今回の震災で日本がダメになってはいけません。『焼け石に水』のような活動かと思われるかもしれませんが、『焼け石』にも『水』をかけ続ければ必ず冷めます。継続していく気持ちが肝心です。日本人、特に若い人たちには自分が社会に参加しているという意識、社会の中に生きていることをチャリティー活動やボランティア活動を通じて思い出して欲しいです。」

クリエイティブの源泉とは?

16歳でプロデビュー以来、50年近くに渡り創作活動を(まさに「ペン一本」で)続けて来られた里中満智子さんの力の源泉が一体どこにあるのか、今までにも何度かお会いさせて頂いてきましたが、私は一度正面からこのことを伺ってみたいと思い続けていました。

「バブル崩壊後、既成の日本のシステムではやっていけない時代がやってきたことはすでに明らかだったはずです。けれど、人は必ず失敗を恐れます。何かをやるなら、『うまくいきました』と人に言えるようでないと、それは『失敗』したのだと思い込んでいます。最初から成功が約束されていないとみんな足を踏み出すことができません。そこにクリエイティブ思考を阻む本質があります。

『結果を出す』『成果をあげる』『役に立つ』ということはあくまでクリエイティブ活動の1つの『過程』にすぎません。『うまくいかなかったらどうしよう』などといちいち思っていたら、仕事、ボランティア、恋愛……何もできなくなってしまいます。最終的には人はみんな死んでいく訳です。せっかくの自分の人生なのだから失敗しても決して『マイナス』なんかにはならないはずです。若い人たちが見た目に分かりやすい『結果』を求めるあまり、クリエイティブな思考が奪われ閉塞感が漂っているのだと思います。みんな必要以上に縮こまってしまっているのだと思います。」

私だって明日食えるか分からない

「そんな時にイメージトレーニングをしてどう『言い訳』をするか準備しておくのも一つの手です。ズルイやりかたかもしれませんが、『一生懸命やったんだから失敗しても経験になった』という一言でもいい。『若い人たち』というけれど、私たちの世代だってどんな時代も常に安心して生きてきたわけではありません。バブルまでの経済発展の時代には、みんなにとって選択肢が多かったのでしょう。バブルが崩壊したのに、現在は選択肢の多さだけが残った。戦後の混乱期に比べれば今はまだましですが、『成功』へのプレッシャーやすぐに『役に立つ』ことに固執する考え方が、クリエイティブな考え方を妨げます。

マンガ家の場合、『成功』だったかどうかは読者が決めます。私だって明日食えるか分からない世界です。あとは個人としての力の問題です。どん欲なまでに自分を叱咤して、どうすれば読者の心をつかめるか考えていくしかありません。」

「アトムの子」?

私は物心ついたころ、多くの本を読みました。その頃は『知識を得られ自分が強くなれる』と思っていました。作者を問わず、多くの書物や翻訳を通じて、多くの人(直接会えない作中の登場人物や作家自身)と作品を通じて出会いました。一方的な私の思いですが(笑)、私の当時の行動規範は『鉄腕アトム』でした。何かに迷ったとき、常に、『アトムだったらどうするだろうか?』そう考えると気持ちよく色々なチャレンジができました。きっとアトムに感情移入していたのでしょう。

しかし、当時はまだ学校などからは『マンガは教育に悪いから読んだらいけない』などと言われていた時代です。『ロボットが壊れるシーンが残酷だ』『機械にすぎないロボットが人間の心を持つわけがない』まだこんなことを言われていた時代でした。科学というものは突拍子もない夢がないと発展しません。宇宙開発に税金を使おうとすると目先の予算のために反対する人がいますが、『はやぶさ』などの宇宙開拓の活動がどれだけ素晴らしいことか、もっと大きな視点で政治家の方々には認識して欲しいです。突拍子もないようなマンガや科学者たちの、まさに『夢のような』発想こそが、実際に食料や技術エネルギー問題の進歩につながっています。月面探査もどんどんやって欲しい。本当の税金の無駄遣いはもっと他の所にたくさんあるはずです。」

日本人とクリエイティブ感覚

僕の悩みのひとつに、自分の子供(8歳と4歳の男の子)がどうやったらもっと「クリエイティブ」な子供に育つかというものがあります。そのままストレートに里中さんに伺ってみました。

「日本の若い人たちや子供にとって、現在はクリエイティブな発想を持って育つというのはなかなか難しい環境ではあります。でも15、16歳くらいかまではとにかく人のマネでいい。憧れたものをただマネするだけでもいい。やがて15、6歳になると必ず『自我』に目覚めてきます。自然と『人と一緒ではいやだ』と思い始めます。あとは自分の頑張りと心がけが勝負です。」

「20年前、アジアの若者たちの漫画分野でのパワーに期待しました。アジアと日本の若者たちの『感性の共有』を目指しました。特に韓国はパワフルでしたし、中国の作画技術は素晴らしかったです。その時、日本では考えられないような天才漫画家の卵が100人、1000人がすぐに世に出てくると思っていました。

でも、日本人が持つ漫画への情熱や思いは特別でした。漫画は決して『絵』だけではありません。そのことを改めて認識しました。日本の若い漫画家に『漫画家でなければ何になりましたか?』と尋ねると、映画監督、作家、シナリオライターなどと答える人が多いのです。でも世界的には『画家です』と答える人が多い。デフォルメ能力がある絵の上手な人の一部が世界的には漫画家の道に進むようです。アジアは全般的に作画の技術は高度ですが、日本の場合は『その人にしかけない絵』というものがあり、その人なりの作品が完成します。海外の漫画家は作画に力を入れますが、日本人はシナリオや画面構成にもエネルギーを注ぎます。日本の漫画家は「漫画」として見せる(魅せる)という思いが強いです。」

「日本」の持つ独自性・排他性

「日本の若いクリエーターの人たちは、もっともっと自分たちの能力に自信を持っていいと思います。最終的に自分がこうしたいと思う方向に作品をもっていく力などにおいては日本のクリエーターは突出した才能を発揮することが多いです。海外の漫画家に関して言えば、今後はもっと独自性を持たないとだめでしょう。アメリカンコミックなどは出版社が作品の版権ごと買い上げることが多く、出版社が制作活動を分業させています。メインの漫画家が死んでも『絵描き』としての職人が制作を続けていきますが、いずれこうした人たちの中に独自性を発揮する方たちが出てくるでしょう。

日本では手塚治虫先生がマンガという表現手段を使って『自分はこういうものを訴えたい、伝えたい』という自己表現を行いました。若い人のパワー(パワーという表現はあいまいですが)はアジア、台湾、に決して負けていません。ところが今は国が世界に向けての『売り込み』の支援をあまりしてくれません。国をあげてマンガ文化を支援している韓国や、膨大な人口の中国にはどうしても敵わないこともあります。ただ、そうした国家戦略で勝負を賭けてくる国と比べて自信をなくす必要はありません。日本は日本の独自性に自信をもって、どんどん出して世界に向けて発信していけばいいのです。」

日本人の発想力

「日本人ってなんでこんなに発想力が豊かで素晴らしいのだろうと思うことがあります。何でも外の世界のものをまずは受け入れ、次にオリジナルに変えていくバイタリティー。『これでいいだろう』では納得せず、次々と新しい開発を行っていきます。

調味料1つをとっても、世界中の調味料がこんなに家庭に揃っているのは日本くらいです。パスタ、カレー、中華料理、あらゆる国の食文化が日本独自にアレンジされています。文字が日本に伝わった時でさえ、あっという間に『カタカナ』『ひらがな』を使って忠実に自分たちの言葉を表現してしまいます。さらに漢語の熟語を開発して、今度は欧米に向けて日本流の表現方法を再輸出します。何でも日本に入ってくると日本独自の文化となり、まるで日本のオリジナルであるかのように消化してしまう日本人の間口の広さ。宗教もそうです。あらゆる宗教宗派を全部受け入れています。八百万の神、仏教、キリスト教……。いいものは共存できるという発想です。

こうした精神を『いい加減だ』と言って卑下する必要は全くありません。万葉集の世界をみると、万葉集には全く身分差がないことに気がつきます。当時、日本は近代国家になろうとして、農民、貴族一緒になって、独自の歴史や税のシステム、独立国であるためにみんなが苦労していました。中国の暦を見ると暦の中にその国独自の記念日がありますが、中国の周りの国は中国の記念日受け入れて祝った。

でも日本は中国の暦にある季節の祝いは取り入れましたが、中国の民族的なの神話伝説などに基づく祝日は受け入れなかった。都合のいいところだけを取り入れました。今こそ日本は一度日本人の原点に帰り、自分たちの姿、文化、美しさを見直すチャンスです。日本人の持つ豊かな発想力は決して『役に立つ』とか『役に立たない』といったレベルではなく、もっと自由で創造性の高いものです。」

■■インタビュー後記■■
よい『緊張』させていただきました。

職業柄、いろいろな分野でご活躍中の方とお会いしてお話しさせていただける恵まれた立場にあります。私も人間ですので、どうしても緊張することもあります。里中満智子さんにインタビューをさせていただき、正直、とても緊張しました。なぜ私は緊張したのか? 恐らく、今までに、「商業的なパワー」で生み出された一過性の「ブーム」や「見せかけの実力/人気」を多く見てきたからでしょう。(時に自分が、それを「仕掛ける」側だったりもします。)

里中満智子さんのように、「ペン一本」での実力勝負の世界を生き抜いてこられた方を前にすると、その言葉の一つ一つの迫力に、「オーラ負け」(気負け)してしまうのです。厳しい世界を「ピン」で生き抜いてきた方ならではの、強い意思や迫力ある言葉。私はせっかく事務所の方に出して頂いたアイスコーヒーに最後まで手を付けることもできず、雛っこのように、自分の役不足を感じたのです。

私はもう今からマンガ家やクリエーターになることはありませんが、里中満智子さんのような『クリエイティブ思考』で日々を臨んでいこうと思います。先生にお会いできて光栄でした。里中満智子さんはNGO(Non- Gaman Optimists)なクリエーター(マンガ家)でした。