片岡英彦のNGOな人々 (Non-Gaman Optimists)“身の丈にあった暮らし方”を学ぶ
『離島経済新聞』鯨本あつこ編集長

(2013.10.17)

「NGOな人々」”Non-GAMAN-Optimist”とは「ガマン」していられず、チャレンジをし続け、決して諦めない「楽観人」のこと。NGOな人々へのインタビュー第33回目のゲストは、「離島に灯りを灯そう」という思いから離島情報専門のWebサイト『離島経済新聞』と、タブロイド型の新聞『季刊リトケイ』を立ち上げた、鯨本あつこさんです。

■鯨本あつこ プロフィール
(いさもと・あつこ)離島経済新聞社 社長兼編集長。1982年生まれ、大分県日田市出身。地方誌編集者、広告ディレクター、イラストレーター等を経て、2010年10月に離島経済新聞社を設立。「離島に灯りを灯そう」というテーマで離島情報を専門に扱うWebサイト『離島経済新聞』と、タブロイド型の新聞『季刊リトケイ』を発行。2012年、ロハスデザイン大賞ヒト部門を受賞『離島経済新聞』『季刊リトケイ』はグッドデザイン賞も受賞した。インタビュアーの片岡は、共通の知人の紹介で取材前にも一度お会いさせて頂き鯨本さんから「離島」について長時間に渡ってお話を伺ったが、それでも話が聞き足らず、今回、改めて取材させて頂くことになった。
離島経済新聞 http://ritokei.com/

離島経済新聞編集長、社長 鯨本あつこさん。
photos / Ryo Watanabe
◆島の普通の人々の営みに興味があります。

片岡:前回、お会いさせて頂いて、伺いきれなかったことで気になったことを、まず、最初に伺ってもいいですか? 忘れるといけないので(笑)。今までに受けた離島に関する質問で、一番、答えにくかった質問はなんですか?

鯨本:答えにくいというか……今でも絶対に答えない質問は、「どの島が一番いいですか?」という質問です。これは人それぞれですし、まだ私自身も全部回ったわけではないので、答えようがないんです(笑)。国土交通省の資料(平成24年10月31日開催国土審議会第8回離島振興対策分科会配布資料「離島の現状について」)によると、平成22年度の国勢調査では日本の有人離島は418島。単純に一日一島いっても一年以上はかかります。とてもとても回りきれないです。小笠原に行くだけでも一週間はかかりますし。(笑)

片岡:今までにいくつくらい島を回られましたか?

鯨本:陸続きも含めて50くらいです。

片岡:次に行ってみたいところはどこですか?

鯨本:どこでしょう。前回の号では、ぐっさん(山口智充氏)にお話を伺ったんですが、ぐっさんは、全て回ってみたいとおっしゃっていました。その気持ちはそのまま私にもあります。行ったことがないところであれば全て行ってみたいです。

片岡:逆に「ここはちょっと……」(笑)というところはありますか?

鯨本:基本はないのですが、行くならば人が住んでいる島がいいですね。小笠原諸島の硫黄島とか長崎県の軍艦島よりも実際に人が住んでいる島に行きたいです。

片岡:島の人に興味があるんですか?

鯨本:そうですね。できるだけ「島の人の営み」を知りたいと思っています。例え、現在は人がいなくなった島でも、その理由を知りたいとは思いますが、遺跡マニアではないので、できるだけ人が暮らしている島に行きたいのです。


「どの島が一番いいですか?」という質問には答えようがないんです。人それぞれですし、まだ私自身も全部回ったわけではないですから。(笑)」

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片岡:でも地球儀で日本を見ると、そもそも日本が「離島」ですよね

鯨本:はい。そう言いますと、国際海洋条約では、グリーンランド以下は全て「島」の扱いになります。オーストラリア以上が「大陸」という定義です。

片岡:日本人というと、良くも悪くも「島国根性」だとみなされたりしますが、日本の中でもさらに離島に住む方たちの島国的な根性はさらに濃いのですか?

鯨本:「島国根性」の「島」という定義と「国」という定義が、人それぞれだと思うんです。例えば、官公庁にお勤めの方の「国」というものに対する考え方と、島の人が考える「国」とはそもそも意味合いが少し違うと思います。奄美大島の島人は集落のことを「シマ」と呼びます。物理的なislandの意味ではない。「隣の島よりも自分のところの方がいい」とか、コミュニケーションはあるけれども島の人でないと深く入っていけないという意味で閉鎖的な部分は確かにあります。それは「島」が元々持っているものなのかなと思います。そういう意味で「島国根性」というものは全ての島にありますし、日本は物理的に島が多いので日本人全体がそういう気質になりやすかったんじゃないでしょうか。むしろ、地理的条件から「島国根性」という概念が生まれたのかもしれません。

◆そこでなければない理由

片岡:初めて行く島で必ず最初にすることって、何かありますか?

鯨本:あらかじめ役場、観光協会の人など、お話を伺う方を決めて行くことが多いので、まずはその方に会いに行きます。この会社を作ってもうすぐ3年になりますが、島には全て何らかの取材で行っています。まずはその方のところに行って、そこから先はあまり予定を決めないようにしています。

片岡:インタビューで必ず聞く質問ってありますか? 

鯨本:その土地土地の特性や人柄のようなものは全て違いますので、その島の島柄といいますか、例えばですが、役場の方や観光協会の方が「もっと人に来て欲しいんだよね」とおっしゃられた時には、その「もっと」というのは具体的に「何人」来たらいいのかをしっかり聞き直すようにしています。

片岡:最初にインタビューした方の印象と、その後、実際に他の方や島を回った結果、感じる島の印象とにギャップがあったりもしますか? 

鯨本:基本は合っていると思います。対応してくださる方は役場の人が多いので、自分の島をよく知ってもらいたいという気持ちで説明してくださいます。ただ、対応してくださる方にも二通りあって、一度は島の外に出た、いわゆる「Uターン」の人は客観的な目を持っていることが多いと思います。ずっと島に住んでいる人とは、島に対する見方も少し違うかなと思います。


台風で行けなかったことは今のところないです。取材で困ることってあまりないんです。皆さんすごく好意的です。

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片岡:いわゆる離島の方と離島じゃない方の一番大きな違いって何ですか? 

鯨本:自分の中心が島か本土か。島の人は島が中心です。その感覚が当たり前にあるかないかが大きな違いだと思います。

片岡:僕は都内の大きめのマンションに住んでいるんですが、マンション一棟に単純計算で1,000人以上が住んでいます。ある意味「島」なんです。でも、その「島」にあまりアイデンティティというか特別な思い入れはないんですよ(笑)。 もちろんご近所と仲良くしたいので、気持よくご挨拶したり、お互いに迷惑をかけないようにしたりという気持ちは当然ありますが、隣のマンションにライバル意識まではないんです。島の方々持っているような愛着というか、そこじゃなきゃ住めないと思う理由がないんです。島の人にとって、「島じゃないとだめ」という強いお思いはなんなのでしょうか?

鯨本:「その島でないとだめ」という思いは確かにみなさんありますが、それも島によって違うかと思います。意外にも歴史の浅い島は多くて、例えば小笠原は5代前にアメリカ、ハワイ経由で25人が入植して開拓した島だそうです。在東京○○人会という郷友会がある島も多いですが、小笠原にはあまりないそうです。「なぜその島でなければダメなのか」といえば、自分の「ルーツ」だからだと思います。南西諸島以南には祖先崇拝や自然崇拝が色濃く残っていますし、島というのが自分自身のルーツであり、祖先のお墓がある場所であるなら、そこでなければならない理由はあると思います。自分が今ここに存在している理由も含めて、深い理由なのだと思います。

片岡:「島があって自分がある」ということですね。僕の場合「マンションがあって自分がある」わけではない (笑)。

鯨本:そうそう(笑)。 私も離島経済新聞をやっていますが、私のルーツは大分県日田市でして、島ではないのですが、両親も日田出身ですしそこに「縁を持っておきたい理由」は十分にあります。その思いは東京に出てきても同じです。

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片岡:僕の父は熊本出身で、ちょうど他界して一年ですが、大学卒業して以来、東京に50年住んでいたのに、故郷の熊本のお墓に入りたいと言ったんです。僕の代まではそれでもいいけれども、僕の子供の代になったら一体誰がお墓参りに行くのか……。

鯨本:うちはまだ大分に家族がいますし、親族も多いですからまだいいと思うのですが、都会に出ていらっしゃる方には、都会での人間関係が希薄な状況が出てきていて、その結果「無縁社会」と言われているような状況を生み出しているのでしょう。一方、島々に暮らしている人は先祖、ルーツを大事にする。それは日本に元々あったものだと思うのです。ただ都会で忙しく働いていると、親族内の行事よりも仕事の方が忙しくなりがちな現実があって、地域や親族などとの関係が薄れてくるんだと思うんです。でも、日本は殆どが田舎じゃないですか(笑)。その意味では田舎にはまだ当たり前に都会では薄れつつある「人間関係」が残っていると思います。

片岡:そういうものに惹かれているんですね。

鯨本:そうですね。島だからというのではなく、元々の日本にある原点のようなものを追求していたら、たまたま島に出会ったのではないかと思います。島の日常の様子を眺め、日本の原点的なもの……まだ自分の中で問いや迷いは多くあるのですが、紙面を作りながら、みんなに聞きながら探し続けています。

片岡:日本の原点的な自然崇拝は「アニミズム」と言うのでしたっけ?

鯨本:そうですね。「八百万の神」(やおよろずの かみ)という言葉があるように、自然を尊敬し、尊重するのが日本らしい考え方だと思います。

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片岡:大分で生まれ、東京で起業されたので東京に住んでというのはわかりますが、例えば離島ではなくて、日本の原点を京都や奈良に求めなかったのはなぜですか?

鯨本:それは……たまたま島に出会ったからですね。(笑)

片岡:京都、奈良、飛鳥という方が「日本」のルーツという気もしたのですが。

鯨本:いつの時代でも武士や貴族よりも「普通の人」の営みに興味があります。あとは島というものの在り方。「ガラパゴス」と同じで本来のものがそのままの形で残りやすいのです。場所柄、外的要因が入りにくい。そう考えると離島エリアは日本の中でも「外来種」が入りにくかったエリアと言えます。

片岡:守られている?

鯨本:どちらかと言うと「残ってきた」ものです。今の世の中にとってはすごく貴重なものだと思っています。例えば離島の人口は全部足しても70万人なんです。私のオフィスがある世田谷区は88万人。あの狭いエリアで88万人を回そうという経済システムの中で生きているんです。スーパーがいっぱいあったり、マンションの中に何千人も生きていたりしている。でも、本来は「住めない」はずなので、その土地で生産できない水や食べ物は外から持ってきたりしてます。島の場合は500人が生きていくシステム(生態系)が古くからあります。そういう本来の自然な在り方が島には存在しています。都内だと地震が起こると3日ぐらい都市機能がストップしますが、島の人たちは半日後にはちゃんと普通に生活していたりします。自然の中で生きている「普通の人」の営みに興味があります。


島には全て何らかの取材で行っています。まずはその方のところに行って、そこから先はあまり予定を決めないようにしています。
◆情報メディアは静かにブランドを作る

片岡:『リトケイ』についてお聞きします。最初はWebサイトだけで始められたんですよね。

鯨本:そうですね。一年ぐらいはWebだけでした。

片岡:それをタブロイド版の刷物にするのは大変だったんじゃないですか。

鯨本:印刷物にしたのは、島にいる人に届けるというのが目的でした。インターネットだと読まない人もいますし、情報がたくさんあるネットサイトからわざわざ情報を引き出して読もうとする人はそんなに多くはないのです。島で電波が通じないところでも島の人に読んでもらうために、Webだけじゃ足りないと思いました。

片岡:ビジネス的に成り立ちますか?

鯨本:成り立たないですね(笑)。でも情報メディアは元々静かにブランドを作るしかないと思っていました。これだけ多くの情報が溢れる中で稼げるメディアになるのは簡単ではないです。ただ唯一救われるのは、他に似たようなものがないということです。色んな可能性を秘めているというのはわかっているので、あとは認知してもらうことと、マーケットを見つけること。だってそもそもどのくらいのマーケットが離島にあるかって皆さん誰もわからないですよね(笑)。

片岡:最大70万人ということですね。

鯨本:私も最初はそう思っていたんですがそれだけとも言いきれないんです。高校がある島が現在でも35島しかなく、ほとんどの人が島を出て、関西や東京や九州に行くんです。そして7~9割は戻ってこないんですね。本土では島の情報を知ろうとしてもなかなか手に入れられない。だから「縁故者」ということを考えると、離島在住者以外にもマーケットがあります。東急ハンズの「離島のフェア」をお手伝いしましたが、売り場の方に聞くと、島の出身者の方がお友達を連れてきて「これ、うちの島」って紹介していたりする方が多いそうです。奄美群島の出身者郷友会だけでも本土に100万人いらっしゃると言われています。そういう縁故者も含めると大きなマーケットになると思います。

片岡:『リトケイ』の販売はどこで行っていますか? 手に入れるにはどうしたらいいですか。

鯨本:代官山TSUTAYA書店さんの旅コーナーなど大きな書店さんにて販売しています。買ってくださる方は離島ファンもしくは縁故者が多いですね。もちろん、弊社のWebサイトからもお申し込みいただけますし、サイトで販売店情報を見ていただくこともできます。後はアマゾン等のネットストアですね。


タブロイド型の新聞『季刊リトケイ』。06号「島の幸」(2013年9月5日発行)680円。『リトケイ』は2012年代官山蔦屋書店旅コーナー売上第1位。2012年グッドデザイン賞受賞。

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片岡:企業スポンサーも募集していますか?

鯨本:今やりたいキャンペーンがあります。旅行客のマナーアップや島に暮らす人の自治意識向上を目的にしており、賛同いただけるようお声掛けしています。離島エリアでビジネスをしている企業の方は島が無人化すると仕事がなくなりますから、島にちゃんと目を向けることは島にも企業の人にも大切なことだと思います。

片岡:編集取材で苦労することはなんですか。例えば天候とか?

鯨本:台風で行けなかったことは今のところないです。取材で困ることってあまりないんです。皆さんすごく好意的ですし、著名な方も取材に協力的です。ただ、流通には悩みがあって、弊社が取り扱っている商品が世の中には流通していない、流通させきれないということがあります。本誌もそうですし離島産品のように量の少ないものは世の中に広くは流通しにくいんです。どうしても効率的なもの、量の多いものが安く市場に出回ってしまう。でも離島は小ロットかつ流通コストがかかり、例えば産品を梱包するためのダンボールを本土から島に運び入れるにもコストもかかります。だから何重にもコストがかかり価格も高くなってしまいます。効率はめちゃくちゃ悪いけど、売れなかったら仕事にならない。だからといって安く売っても仕事にならない。これらはリアルな離島経済の課題です。

◆離島の”経済”を考える

片岡:「離島”経済”新聞」にした理由はなんですか?

鯨本:私が前職で経済誌にいたことから、最初はその「経済」を文字ったところから来ています(笑)。真面目なところでは、島に住んでいる人たちの営み、文化や経済をもちゃんと伝えたいという思いからからです。読者の皆さまには島の課題がなにかを知っていただいた上で、例えば流通コストをどうしたらいいか考えたり、ある島の良いアイデアを他の島にもシェアしていくことで、うまく島の経済に貢献してきたいです。

片岡:離島の情報を離島じゃない人たちに知らせつつ、離島の人の情報を離島の人たちにシェアするという「ハブ」の役割ということですね。

鯨本:島の人は、案外、隣の島のことを知りません。でも東京で流行りを知っていても島のマーケットとはスピードも違うので、そのまま島で役に立つとは限らない。それよりも隣の島でやっていることの方が、本当は役に立つ場合があります。

片岡:離島をもっと良くするにはどうしたらいいですか?

鯨本:今現在でもいいものはたくさんありますけれども、例えば人が住み続けるために考えるべきことでいえば、もう少し冷静にどうやったら儲かるか、それには何人必要かということを考える必要があります。例えば500人養うための経済力を考えれば分かりやすいが、実際にはみんなその日暮らしの考えになりやすいものです。会社の事業計画と一緒で、近くの島を研究しつつ、島ごとに最適な計画を考えていく。

片岡:マーケティングですね。そういうコンサルティングをやる予定はないですか?

鯨本:今現在奄美の方の小さい島に住んでいる人にOJT(企業内教育)を行っています。彼女たちが創る新聞を見ているんですが、そういう良き「聞かれたら答えられる人」になりたいと思います。


東京で流行りを知っていても、そのまま島で役に立つとは限らない。それよりも隣の島でやっていることの方が、本当は役に立つ場合があります。

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片岡:島の人と交流していて一番楽しいことはなんですか?

鯨本:島に行った時はほとんどみんなと飲んでいます(笑)。OJTで行っている奄美では新聞を作ってもらっていますが、方法は教えて、みんなでテンション上げて、でも私はできるだけ実働はしないようにしていて、それで皆さんがどう動くかなと見ていたら、一所懸命やってくれている。それが一番嬉しいですね。

片岡:NPOじゃなくて株式会社にしたのはなぜですか。

鯨本:最初はNPOでという話もあったんですが、それだと「バラける」のではないかと思いました。最初、クリエータ何人かで始めたんです。NPOだと補助金をもらうことに専念してしまう気がしたんです。でもできれば堂々と儲け、ビジネスとして回るような形を目指しました。なにも社員数百人の会社にしたいわけではなく、自分たちの生活が回り、お仕事が成り立たせられて私たちが食べていければそれでいい。それが理想です。

片岡:自分が離島に住みたいというふうには思わないですか?

鯨本:今は特に思ってないですね。

片岡:東京に住んで離島を取材するのが楽しいから? 

鯨本:役割として色んな島を見て役に立つ情報を島の人たちに伝えていく。そういう仕事は自分が島に住んでいたらできないです。でも、自分が島を守るという気概ができたら住むかもしれません。(笑)


島に行った時はほとんどみんなと飲んでいます。(笑)
◆「島」は300人から500人の塊

片岡:30年後は、大分と東京と離島のどこに住みたいですか。

鯨本:難しい質問ですね(笑)。 もちろん大分もありですが、私は次女だし100%大分に戻る理由がないんです。でも東京ではないのは確かです。それぐらいの歳になるとそれなりにちゃんと地域の仕事をしたり、身の丈にあった生活をしたりしたいです。安心してある程度の田舎や島、自分の地元みたいに顔の見えるコミュニティーに住みたいです。地元は過疎化地域なので、だいたい街の人はわかりますし。(笑) 島の仕事の傍らで世田谷区のポータルサイトのプロデュースもお手伝いしていたのですが、そこでずっと商売をしている人に話を伺うと島の人と同じことを言うんです。「昔はこうだったけど今はシャッターが多くなって……もっと活性化してくれる人がいるといいんだよね」と。人のコミュニティーは、私の感覚では赤ちゃんからおばあちゃんまで含めて300~500人が適正だと思っています。なぜなら島をみていてもそうなんですが、1500人の島でも実際には300~500の集落が3つあるような感じなのです。多分、町内会も細分化すると同じような感じだと思います。日本の殆どが300~500人島の集まり、つまり「島」というものの概念が300人から500人の「塊」を指すのではないかと思っています。

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片岡:今、日本人が離島から学ぶとしたらなんですか?

鯨本:身の丈にあった暮らし方、自分と自然と周りの方との暮らし方、日本に元々あった暮らし方の原点が島に残っていると思います。300~500人になると、単にお金を稼ぐことだけじゃなくて、集落のための仕事、周りの人とうまくやっていかなければいけないかなど、本来やらなければいけない事はたくさんあります。そういうことが東京や大きな都市に暮らしていると見えにくくなる。やらなくてもごはんは食べられるし、生きてもいけます。でも島だと誰とも喋らないと魚さえ手に入れられず、それはもらうものだったりする。そういうところが今の日本人にとってお手本になると思います。

片岡:興味深いお話をありがとうございました。


身の丈にあった暮らし方、自分と自然と周りの方の暮らし方、日本に元々あった暮らし方の原点が島に残っていると思います。
◆インタビューを終えて

冒頭にも書かせて頂きましたが、鯨本あつこ編集長には、この取材の前にも知人を通じてお会いする機会を頂き、何名かではありましたが3時間以上に渡り離島のことなど、話をさせて頂きました。それでも聞き足りず、今回、改めて1時間の取材時間を頂きました。それでもまだ伺いきれないことが沢山残った気がします。これは、今回伺った話ではなく、以前、書籍か何かで読んだのですが、現在、「方言」と呼ばれている地方の言葉の多くは、もともと地方で生まれたわけではなく、奈良や京都などの「都」で使われた日本古来の言葉が全国に「同心円状」に伝播し、その後、「都」では使われなくなった結果、当時の言葉が地方に「残った」ケースがあると聞きました。 だから、「都」から遠く離れた東北と九州のような離れた地域同士に、近い言い回しが今でも使われている(残っている)ことがあると。今回、「離島」の話をさらに詳しく伺ううちに、そうした「都」では失われてしまった「日本の原点」「ルーツ」が、ひょっとしたら「離島」にはまだ残されているのではないかと、ふと思いました。その「原点」とは、恐らく現在の「個人主義」を超えた「人間関係」(間柄)なのかと思います。これからの「日本人のあり方」「あるべき姿」について、さらに深く感じたいと思いました。


島々に暮らしている人は先祖、ルーツを大事にする。それは日本に元々あったものだと思うのです。