片岡英彦のNGOな人々 (Non-Gaman Optimists)生きてきて良かったと思って欲しい
LIFE VIDEO株式会社 土屋敏男
(2013.08.16)
「NGOな人々」”Non-GAMAN-Optimist”とは「ガマン」していられず、チャレンジをし続け、決して諦めない「楽観人」のこと。NGOな人々へのインタビュー第31回目のゲストは、日本テレビの『電波少年シリーズ』『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』『第2日本テレビ』『間寛平アースマラソン』そして、現在は、写真や文章や遺言だけでは収まり切らない、自分の「人生」のドキュメンタリー作品『ライフビデオ』を制作する『LIFE VIDEO株式会社』、代表取締役ディレクターの、土屋敏男さんです。創立1周年を迎えた『LIFE VIDEO』社について、お話を伺いました。
■土屋 敏男 プロフィール
『LIFE VIDEO株式会社』
◆LIFE VIDEOは、新しい時代のテレビ!?
片岡:『LIFE VIDEO』株式会社を設立して一年が経ちました。まず会社を作った経緯からお聞かせ下さい。
土屋:2年前に、関西にひとりで住んでいたうちのカミさんの父親が亡くなったんです。義父は、銀行勤めが長く、その後、二部上場の会社役員を務めました。葬儀は、長女の旦那である私が喪主を務めました。その時に、周りの方から、生前の父親の話を色々と聞くことができたんです。役員を務めていた会社の方からは、リストラしなければいけない時に、その相手の再就職先を面倒みたことや、融資が必要な時には、自分が昔いた銀行に融資を頼みに行ったこと等。その会社に前からいた人みたいによくやってくれたという話を聞き、会社でもとても慕われていた人だったということがわかりました。
生きている間って、実際の仕事の話なんて、義父とはあまりしないじゃないですか。だからその話を聞いて、「こんなに慕われる人だったんだな」、「もっと聞きたかった」と思ったんです。
自分自身を振り返ってみると、 「今自分が仕事でしていることを、息子や娘に伝えないまま死ぬのだろうな」と思いました。こういう仕事をしていると、仕事が人生の中で大きい割合を占める。どちらかというと僕は家庭をないがしろにするタイプだし(笑)。だけど、実際、最後に看取られるであろう家族に、「死に方」という意味でも、自分の仕事のことをちゃんと伝えていくべきじゃないかと思ったのが、会社を作った一番の動機ですね。
インターネットで第2日本テレビをやって、今までのテレビではないビジネススタイルを模索してきました。『LIFE VIDEO』の設立により、「自分たちの資産である『映像を作る能力』を生かした、『新しい時代のビジネスモデル』が見えてきた」と思っています。
◆作品の制作を通して掴んだ手応え
土屋:「個人のための、人生の VIDEO」が、どういう形のビジネスになるのかという不安はありました。義理の父親が亡くなった時からイメージはあったんですが、葬式は突然来るから、その時に「はい、 VIDEOを作りましょう」というわけにはいかない。となると、生前から準備をする人、いわゆる「生前葬」をやる人たちが制作対象になりますが、これはごく少数の方たちとなります。
そんな時に、スタッフの叔母を紹介してもらいました。「主人と一緒に戦後作ってきた会社のことを、3歳の初孫に残したい」というご本人の希望を伺って、その方の『LIFE VIDEO』を制作することになりました。ところが、その時すでに末期ガンの病床におられて、いざ制作準備ができた時には残念なことに病状が悪化し、お亡くなりになってしまいました。それで、この企画は終わったかに思えました。ところが、息子さんから、「母親の遺志で作ることになったので、今からでもいいから作ってもらえませんか」というお話があって、制作することになりました。
ご本人にインタビューは出来ません。代わりに、息子さんやご兄弟、お友達、会社の方たちといった周りの人に、5時間、6時間、8時間……と、お話をお聞きしました。全体のイメージがつかめたところで、ロケの構成を立て、生まれた島に行き、学校や最初に住んだアパートの辺りでインタビューも行いました。ご夫婦が最初に作ったガソリンスタンド、そこで、数年後にうどん屋を始めたということをお聞きしましたが、現在はお店がありません。更に車を走らせて別のうどん屋に行き、うどんを茹でているイメージカットを撮影させてもらいました。
また、ご本人が美空ひばりさんの『川の流れのように』が好きだったということを聞き、美空ひばりさんの事務所に連絡をして、音楽の使用について承諾を得ました。その時に、 VIDEO制作のいきさつについてお話をし、ふと思いついて「もしよかったら、こういう方なんですが、コメントをいただけませんか」とお願いしてみました。すると、「いいですよ。そういうことでしたら母(美空ひばり)も喜ぶと思います」とご快諾いただき、ひばりさんのご家族からご本人に向けてコメントをいただく事ができました。その時に、「テレビ局はこういうこともできるんだな」と改めて感じました。
『LIFE VIDEO』の初の作品が完成し、四十九日で皆さんに見ていただくことができました。私は残念ながら行けなかったんですが、みんなが見て、故人を思い出し泣いてくださったとのこと。『いいものを作ってくださって本当によかった。ありがとう』と言っていただけたんです。『LIFE VIDEO』の制作に対して手応えを感じました。
◆「今もよ。」のひと言に
片岡:今までの作品で一番印象に残ったものはなんですか?
土屋:先程お話した方はスタッフの親戚でした。「全く知らない人」のところに行って話を聞き、「普通の人」の作品ができるのかということが正直不安でした。
そうした中で、会社として最初に作った、区役所を40年勤め上げた女性の作品が忘れられないですね。「普通の人生なんですが作ってもらえますか」という問い合わせがあって、「もちろん作らせていただきます」と言ってはみたけれど、実は自信なくて(笑)。
ところが、実際にインタビューをしているうちに、その方は実のお母さんの立会いのもとで、自分の娘を産んだという話をお聞きしたんです。その話を素敵だなと思い、その時に、「ああ、良い作品ができる」と確信しました。もう既に「会社を作ります」と発表した後だったし、その時に「ダメだ」と思っていたらどうしていたんだろう(笑)。
片岡:先日『LIFE VIDEO』の会社創立一周年で、今までに制作された方々との親睦会を開き再会されましたが、その方のその後の感想はいかがでしたか。
土屋: VIDEOを制作して数ヶ月後に、うちのスタッフからご連絡を入れたら、「毎日見ています。」とのことで嬉しかったので、親睦会でお会いした時にその話をしたら、「今もよ。」とおっしゃってくださいました。思わず泣きそうになりましたね。
片岡:「宝」なんですね。
土屋:テレビって、みんながみんな前のめりで見てくれないことがほとんどですよね。ところが個人の VIDEOだと、あんなに前のめりになって、自分が作ったものを見てもらえる。本当に幸せだと思います。まるで職人が作った「お茶碗」みたいなものです。
◆ある日、横須賀線で降りてきたモノ
片岡:『LIFE VIDEO』という社名はどうやって決まりましたか?
土屋:具体的に会社組織にしようと活動し始めた頃は、『LIFE VIDEO』という名前も決まってなくて、「生前葬ビデオ」などと呼んでいました。「なんか落ち着きがない呼び方だな」と思いつつ (笑)。
ある日、横須賀線に乗ってその区間を走っている時に、『LIFE VIDEO』という言葉が、すーっと降りてきました。僕の場合、不思議と品川から新橋の間で何かを思いつくことが多いんです。地上から地下に入った感じがいいのかな(笑) 。その時、「『LIFE VIDEO』じゃん!」って(笑)。 その時、最初にしたのが『lifevideo.jp』というドメインが空いているかどうかの確認。空いていたのですぐにそれを押さえました。日本テレビの社長には、以前から会社の構想について相談をしていたので、実際に一本制作をして自信が付き、社名も決まってから報告をしました。一本目ができたのが2012年の1月の末。それから約5ヶ月の準備期間を経て、7月に『LIFE VIDEO 株式会社』を設立しました。
◆自分が生きてきた事がよかったと思ってもらいたい
土屋:テレビは「この時間に見ている人はこんな気分だし、こんな人が見てくれているんだろう」という「漠とした視聴者像」をイメージして作っていました。『電波少年』で言うと、まずは「とんがった高校生」。クラスで「あれ面白いよね」というとみんなが見ちゃうような像をイメージしていました。
『LIFE VIDEO』の場合の視聴者は「依頼してくれた人」。この人が自分の人生を「ああ、生きてきてよかったな」という風に思ってもらいたい。その人の人生に落ちている「輝くもの」を拾い集め、いい形で並べ直して VIDEOにするということですね。テレビとLIFE VIDEOの違いというのは、マスメディアかそうでないかという違いではなく、「視聴者像の違い」です。
片岡:土屋さんがやりたかったことですか?
最近のテレビ業界では「好きなことができない」という話をよく聞きます。周りの人からは、『電波少年』を挙げて、「土屋さんは、好きな事ばかりやってましたよね。」と言われるんだけど、自分では、「テレビで好きな事をやった覚えはない』というのが正直なところなんです。それで、「自分が好きなことってなんだろう」と考えると、結局のところ、「自分が思っている「視聴者像」に対して、喜ばせたいということ」に尽きるんです。
片岡:第2日本テレビでネット上の作品を作る時の方が、「自分が作りたいもの」には近かったですか?
土屋:ネットはテレビと同じですね。常に誰かに向かって作っている、それが「視聴率」という形で見えるのか、「再生回数」という形で伸びていくという形になるのか、見てもらって「その時の反響」とか、そのあと「毎日見ています」と言われるか、自分でも不思議だけれども「常に誰かに向かって作っている」という、そのあたりは一緒ですね。作りがい、やりがいというのを含めて。2,000万人(30%)という世界から、一人しか見ていないネットでも一緒です。
片岡:準備して、撮影して、遅くまで編集して……という制作上の流れは一緒ですしね。
土屋:そうそう。視聴者がひとりだから『まあ適当でいいか、』と思ったことはないし、
自分でできる限りのことはしたいということです。『LIFE VIDEO』についていえば、僕が一番やりたいことは「自分が生きてきた事がよかったと思ってもらいたい」ということなんです。
◆どんなものでも必ず作家性が現れる
片岡:「自分史を映像で作る」ということだけで言えば、テレビ番組を作っている制作会社などがマネしようと思えばマネできてしまうと思います。『LIFE VIDEO』ならではの「排他的」なもの、「独自性」はどこにありますか?
土屋:ない。(笑)
片岡:ない??
土屋:他社にないのは商標登録済みの『LIFE VIDEO』(ライフビデオ)』という名前だけじゃないかな?(笑) みんなどんどん参入すればいいと思います。誰かがもっといい名前を考えついたらくやしいけど(笑)。
片岡:『市場』が拡大していけばいいと?
土屋:僕が作るのと、大塚恭司(『LIFE VIDEO』株式会社 ディレクター)が作るのとでは、全く違う作品になります。同じものは絶対できないと思うんです。興味を持つところが違うから、相手に聞くところも違ってくる。それが「作家性」だと思います。「テレビに作家性はない」とよく言われるけど、人が作ったという時点で必ず、作家性はあるんですよ。だから、他の制作会社が同じことをやっても、違うものができる。僕は一番たくさん作っているからツボも心得ているし(笑)。 あえて言うなら、そこが一番の違いですかね。
◆4回の転校で学んだ能力
片岡:インタビューをする時のコツはなんですか?
土屋:最初は、よくわからなかったというのが正直なところです。作ってみてわかったのは、僕は好奇心が強いから、「あなたの人生を聞きたい」という状態にちゃんとなるということ(笑)。事前にインタビューシートをもらい、細かな内容まで確認してからインタビューに臨むんですが、「この時、こう考えたってどういうことですか?」と聞きたくてしょうがない、という状態でインタビューするから、相手も「そんなに聞きたいなら話してあげる」という感じになるんですよね。
片岡:好奇心が強いのは昔からですか?
土屋:強いね。子供の頃から。
片岡:子供の頃、テレビはご覧になっていましたか?
土屋:幼稚園の時は、近所のお金持ちの家に見に行っていた時代。『三丁目の夕日』の子どもたちが目をキラキラさせてテレビを視ていた時代です。『ひょっこりひょうたん島』とかね。でも、その割に小学校の時は、本が好きでした。卒業文集に『古典落語家になりたい』と書いていました。なぜ古典落語家を目指したかというと、風邪で学校を休んだ時に、自分の部屋にテレビがないからトランジスタラジオを聴いていたんです。そうしたら、古典落語が聴こえて来て、それがエライ面白くて。まあ、なにもそれだけで古典落語家になる必要はないんですけれどね(笑)。
当時は、林家三平さんが「時代の寵児」だった時代ですが、僕は「三平はダメだ、やっぱ落語は古典だ」と思っていました。イヤな小学生だよね(笑)。その時から、人とはちょっと違う道を歩き始めていたかもしれない。へそ曲がりだったかもしれないですね。小学校の時のことって、そのあとの自分を形成するのに大きい影響を与えると思うんです。その頃はオヤジの仕事の関係で引越しが多くて、4回転校しました。そうすると、いかに転校先で相手の顔色を読んで、早く溶け込むかというのが大事なんです。いじめられないようにその場に馴染もうとする、そういう能力に長けざるを得ない状態でした。
それが今、こうやってインタビューして、「あれ、ここ、本当はこういう風に言いたがってない?」とか、「ここテンション上がってきたぞ!」とか、「涙が滲んできた」とか、そういうことが自然にキャッチできる。全く気を逸らさないで平気で5時間くらい話を聞き続けることができる。
片岡:インタビュアーというより「テレビディレクターとして、ドキュメンタリー作品を撮る」という感じでしょうか?
土屋:そうかもしれない。わりとこっちもオープンに何でも開いちゃうし。「僕はこういうこともあったけどどうですか?」とか。
◆年表の一行一行に込められた思い
土屋:特にそういった目標はないですね。お客様は選べませんから、頂いたお仕事を、一本一本、一所懸命に作っていくだけです。
片岡:「個人もの」と、「企業もの」を作る上で、作り手としての違いはなんですか。
土屋:「作る目的」と「作って誰に見せたいか」という部分ですね。
個人のものは、「自分の人生を確かめたい」「子供や孫に残したい」という目的があります。
最近、新幹線に乗っていて田んぼの中に一軒家があると、前だったら特に気にも留めなかったのに、「あそこの人の人生どうなっているのかな」と気になります。どこに勤めて何をして……。これまでは自分の目に見えたものしかわからなかったけど、僕も56、57歳になって、この仕事を始めて「こんな苦労があったんだ」「こんな喜びがあったんだ」という話を聞くと新鮮に思う。当たり前だけど、一人一人にリアルな人生があるんだなと実感します。
一方、企業の場合は、「自分の後継者に残したい」という目的と、創業者の「こういう思いで会社を作ってきたんだ」思いがあって、「人生」と「会社」が一体になっています。企業の場合「これを見ていただければ私のことがわかります」「今、こういうことを考えています」という自己紹介的な目的も含まれています。
そして、企業の場合、必ず「年表」が入ってきます。会社の年表って、正直なところ、あまり真剣に見ないことが多いですよね。でも企業の創業者や関係者からすれば一行一行が「宝」なんです。「この年にこれが発売になった」とか「この一行のために、どれだけ大変な思いをしたか分かるか」とか、「この時にどんだけ嬉しかったか」とか、そういった思いが年表の一行一行に詰まっているんです。一行一行がすごく重い。会社の人からすると、「この一行、サーっと行かないで。ここどんなに大変だったか。」「ここで年表を止めたい。1時間でもしゃべれる」ということなんです。そういう思いも VIDEOでも表現していきます。
◆「テレビの天才」がインタビュアーに
片岡:『LIFE VIDEO』の今後についてお聞きします。萩本欽一取締役が、インタビュアーとして出演されるそうですね。
土屋:はい、いよいよ「欽ちゃん」が、インタビュアーとして出演する「デビュー戦」が近づいてきました。既に3本も予定が詰まっています。萩本さんのことは、テレビショーの世界で最大の天才だと思っていますし、尊敬しています。新しいもの好きで、でも何でも自分で体験してないと納得しない方です。番組をやりながら現場で色々なことを拾って掴んでくるんです。そして、そこで得たものを糧にして新しいものを生み出していく。勘がいいので、萩本さんがやりたいと言ってくれたくらいなら、『LIFE VIDEO』には芽があるんだなと思っています。だから、「萩本欽一が掴んだ『LIFE VIDEO』」が楽しみでもあり、それが、また新しい『LIFE VIDEO』として展開していくのだろうなと思います。
片岡:その「欽ちゃん」が加わった将来の『LIFE VIDEO』像はいかがですか?
土屋:「何年後に『LIFE VIDEO』アメリカができる」「いつFacebookを抜ける」か。実際、アメリカにこういうサービスはないし、現地でロケを行った実績もあります。世界中に「人生」はあるわけだから、可能だと思います。そのうち、この事務所が「最初はこんな部屋でやっていたんだよ。今でこそシンガポールに120階建てのビル持っているけど」みたいな「伝説」になる予定です(笑)。
◆「調理人」としてのスタイル
片岡:ちょっとだけテレビ業界的な話になってしまいますが、すごく大雑把に言うと、欽ちゃんは「素人さんを素材としてテレビに出演させて、ツッコミを入れることでテレビ番組を作る。」土屋さんは「どんなタレントさんでもボケ役として使って、画面上の大きなテロップでツッこむ」というスタイルで番組を作ってきたと思います。「視聴者参加」「視聴者がテレビを作る」、「一般の人が主人公」そういう考えが普通になってきつつある気がしますが、今後は、素人さんの人生やキャラクターの方が、リアリティがあって、ドラスティックなものが作れる、そういう時代なのでしょうか?
土屋:日本のユーザーのリテラシーが高まってきています。リアリティを感じるだけの力があり、見分けることができるようになったのだと思います。テレビ番組も、今は実際の企業の内部に食い込んで入っていくものが多いですよね。例えば、アイスクリームを作る会社のドキュメンタリーを見て面白がれる。これは、世の中のサラリーマンがリアルにやっている世界を面白がれるということで、ユーザー側が進化したということだと思います。
テレビバラエティの歴史、欽ちゃんから始まり電波少年という流れは、ある種のドキュメンタリー化の流れだと思っています。そうはいっても、ただの会社の一日や一般の方たちの一日の様子をドキュメンタリーとしてそのまま垂れ流しで放送したら、「どこを面白がっていいの?」ということになります。なので、そこのところは、欽ちゃんを始めとしたプロのテクニシャンたちが、持ち上げたり、面白がり方を抽出したりして、笑いに昇華していくということになります。
片岡:「料理する」ということですか?
土屋:そう。例えば、猿岩石の有吉は、電波少年に出始めの頃は、「売れてない芸人」というジャンルでしたが、実際はまだ「素人」つまり「素材」そのものだったと思います。それを、ヒッチハイクの旅を通じて面白く「味付け」し、ちゃんと「料理」にするのがプロとしての僕の仕事でした。
片岡:「素材」は素朴な方がいいですか?調理人としては。
土屋:素朴な方がいい、というのはあくまでも僕のスタイルです。僕は和食の料理人だから魚をさばいたり蒸したり煮たり焼いたりといった和食の調理法でやりますけど、フランス料理のようにソースで味付けすることはできません。
今人気の『あまちゃん』は、クドカン(宮藤官九郎)という脚本(調理人)があって、小泉今日子や宮本信子という「素材」であり、かつ「調理人」がいて……というプロの技の連続で、プロ中のプロがやっていますが、そういうスタイルは僕にはできません。要するに、料理の「ジャンル」の違いだと思います。
◆『LINEはやっとけ』
片岡:最後の質問です。クリエイターとしてテレビの仕事をやりたい人、ディレクターを目指す人に、「やっておけ」「今のうちに磨いておけ」というものがありましたら教えてください。
土屋:「LINEはやっとけ」ですね(笑)。僕はツイッターもFacebookもやっている。だけど、LINEはやらない。ここに、僕はすごく限界を感じるわけです(笑)。
片岡:スタンプとか苦手そうですね(笑)。
土屋:そう。スタンプというコミュニケーションツールを流通することは、自分としてどうしても割り切れないんです。だけど、今、LINEというコミュニケーションツールを面白がっているわけでしょう? だから、その真っ只中にいないと、「LINEを面白がる人達」に対して、「もの」は作れないと思うんですよ。だから、「今の時代の中に生きろ」ということが一つ目です。
そしてもう一つは、「プロをなめんなよ」ということです。先日、日テレ社内で、『風立ちぬ』の試写会がありました。後ろの方で「こういう映画って、『鉄道員(ぽっぽや)』に感動する人達が感動する映画よね」って言う若い社員がいたんです。要はゲーテも読み、LINEもし、夏目漱石も芥川龍之介も読み、村上春樹も読み……両方に好奇心を持つ。今の時代のものと、長く生きてきた作品に対して、「なんでこんなに長く生き続けてきたんだろう」と考え、その上で今の時代のフワフワしたもの、その両方を持って欲しいです。「ちゃんとしたものに対して尊敬をしなさいよ」と言いたいですね。
片岡:「今の時代を生きろ。でもプロをなめんなよ」ですね。ありがとうございました。
◆インタビューを終えて
理由は、番組内で何が起こるか全てがサプライズなので、事前に雑誌や新聞などに情報を多くは提供できなかったからです。仮に何があったか知っていても、事前に情報を出してはいけない。だから文化部やテレビ誌の記者やライターの方々に、何で情報くれないんだと、日々、「怒られる」。そして番組で「何か」が起こると、一斉に電話や携帯が鳴り質問攻めにされる。そんな感じの日々でした。その後、私が日テレを退職し、(決してそのことが辛くて退職したわけではありませんが……)『アップルコンピュータ』や『MTV』や『マクドナルド』、『mixi』などで様々な宣伝広報の経験を積み、自分なりに宣伝広報の業界では「バージョンアップ」してきたつもりでした。10年以上の時を経て、『LIFE VIDEO』という全く「新しいテレビ」にご協力させて頂けることを、何より嬉しく思っています。
カメラマン:井澤一憲