阿部海太郎さんからふたりへ引き出しの中の日記と、
mama!milkへのお便り

(2013.07.19)

mama!milkの音楽について、これまでも多くの人が語ってきたことでしょう。だから、ここでは同じミュージシャンとして、mama!milkを愛し尊敬する者として、この類い稀なアルバム『Duologue』を前に、独り思ったことを書き留めたいと思います。また、インタビューの代わりとしては、いつも僕とmama!milkが愉しんでいるような短い手紙のやりとりを最後にご紹介いたします。

『Duologue』を聴いた日に思ったこと 7月某日

このアルバムは、mama!milkにとっての、最も大事な何かが含まれています。それは、香りや空気としか呼びようのないものですが、mama!milkのライブでしか味わえなかった何かです。”Duologue”には、かつてない程にその空気が感じられるのです。

ほかのどんなライブでも絶対に味わえないmama!milkの空気。僕は学生を終えたばかりの頃、mama!milkのライブを初めて観たとき、不思議な感慨とともに、この世の終わりかと錯覚しました。大袈裟に聞こえるかもしれません。しかし「こうして音楽は終わるのだな」と正直に思ったのです。それは聞いたこともない音楽世界でした。「音楽の終わり」はまた、幻想であると同時に、一組の男女によって目の前でリアルに演じられる迫真性があったのです。

このアルバムを聴くと、ライブを観ている時のこの鮮烈な印象が蘇ります。それもあって、僕はmama!milkのライブや音楽について、あらためて考えさせられました。

周知の通り、mama!milkの音楽はワルツやタンゴといったヨーロッパのサロン、もしくは20世紀中葉までの商業音楽を通じて国際化した音楽たちを、ひとつの題材としています。いま、単純にmama!milkが「ワルツやタンゴをやっている」と言わないのは、彼らの音楽はそのように単純に成り立っていないからです。そこにこそ、mama!milkの最大の魅力があるからです。

いったい、どれだけの人が、アコーディオンとコントラバスによるデュオであることの意味を重く受け止めているでしょう。一介のミュージシャンとして、なにより感動を覚えるのはこの編成を自ら「選んでいる」ということです。mama!milkは、基本的にボーカルもいないし、パーカッションもいません。それは誰でも知っていることです。しかし、ボーカルとパーカッションを持たずに訴求力のある音楽を作るということが、音楽的感性と知性においてどれだけ困難な領域に踏み込んでいるかは、彼らのチャーミングな音の奥に隠されたままです。僕自身も、およそ8年前から自分が納得するまではパーカッションパートをお休みにすることに決めました。そのほうが困難であるにも関わらず、パーカッションへの依存を乗り越えたとき、ある特殊な魅力を放つ作品が得られることを知っているからです。自分はまだまだですが、その訓練を続けながら、いつもmama!milkのことを考えていました。もちろん、『Fragrance of notes』のような傑作を忘れてはいません。これは純粋な逆説で、mama!milkは、むしろパーカッションはじめアンサンブルのことを真に心得ているからこそ、あのアルバムが作れたのです。

* * *

こうして、あたかも否定神学のように世界から選ばれた二つの楽器の屹立は、音楽を暗闇のキャンバスから、実に洗練された点と線によって灯していきます。ある意味では、たった二つの楽器で世界の音楽と渡り歩こうとしているのです。ワルツやタンゴといった大衆音楽が、たった二つの楽器でこれほど鮮やかに、また豊かな表情で形となっていることの重大さを、僕は強調して止みません。

ここで、mama!milkの音楽はもうひとつの個性を示すことになります。mama!milkの二人は、自らの多感な音楽性をたった二つの楽器で代理させます。代理という意味では、彼らの演奏はplayというよりもplaybackに近いのです。ではいったい、mama!milkは何をplaybackするのでしょうか。

記憶と想像力を、と僕は答えたいと思います。記憶と想像力は、過去と未来を糧としていて、それらは現実ではないと考えることもできるでしょう。しかし、記憶と想像力は、それ自体ですでに現実の可能性でもあります。私たちがたとえば映画を観て得られるシンパシーとは、そのような可能性です。あり得もしない、と思っていることは、ほぼすべてあり得ることなのです。「ない」と「ないかもしれない」の間には大きな差があります。「ないかもしれない」は、敢えて言えば「あった」も同然なのです。このような飛躍を、mama!milkの音楽は演奏という迫真性によって可能にしてくれるように思えるのです。mama!milkの音楽は、さまざまな感覚を二つの楽器で代理しながら「こういうこともあった」、「きっとあなたはこうする」と直接告げてきます。mama!milkは、こうして記憶と想像力をplaybackしながら、聴く者を深く大きく揺さぶり、そして開放して行く。一組の男女からなるその言づては、お客さんの個人史を巻き込みながら、ワタシ、アナタ、彼、彼女といった様々な人称を、物語を予感させながら深く呼び起こして行くのです。これこそが、mama!milkのライブの筆舌に尽くしがたい魅力なのではないでしょうか。

僕が最初にライブを観たときの印象とは、まさに僕自身の追体験であり、僕自身の夢想でもありました。そこでは様々な記憶が呼び起こされ、深く揺さぶられ、音楽の夢想に迷い込む。ミュージシャンでもある僕にとっては、こんなに厳しい音の選択を経て目の前に現れるmama!milkの音楽に、あたかも自分の音楽史を追体験する感覚を覚えました。それは「音楽の終わり」であり、死と隣り合わせの香りすら覚えたーー『Duologue』を聴いて、この時の記憶が蘇ったのです。この記憶は、本当は引き出しにしまっておくべきだったかもしれません。


yuko ikoma @ [ 東京 ] Rainy Day Bookstore & Cafe「読書のための音楽」2012年9月17日
photo by Ryo Mitamura

Kosuke Shimizu @ [ 東京 ] Rainy Day Bookstore & Cafe「読書のための音楽」2012年9月17日
photo by Ryo Mitamura
mama!milkのお二人へ  7月14日

—-阿部海太郎
『Nude』が音楽の作品性への意識を研ぎすませたアルバムだとしたら、このアルバムは作品性と演奏との間を揺らぐ、まさにmama!milkのライブのエッセンスを伝えてくれるものと感じました。アルバムの独特な構成が、その巧妙さを物語っているように思います。どのようにしてこういった構成になったのでしょうか?

清水恒輔
『Nude』が裸なら、『Duologue』はmama!milkの屋台骨といった感じでしょうか。

今まで行ってきた実に様々な演奏会の様に、空間と時間の流れに寄り添いながら、時には空想の旅に出るかのように演奏していきました。

二日間の録音でしたが、この濃密な時間を70分に収められたと思います。

生駒祐子
そうですね。mama!milkのライヴ、例えば寺院や海辺のカフェで黄昏から夜の闇が濃くなってゆくのに合わせて演奏したり、街角のバーで賑やかな夜の更けてゆくのに合わせたり、ホテルや廃墟の夜明けの移ろいに合わせたり。そんな演奏会と同じように、このアルバムも構成されています。

このアルバムの録音をしたのは京都の flowing KARASUMA の2階の大きな窓の気持ち良い空間で、階下のカフェレストランのざわめきも届く午後のはじまりから、賑やかなディナータイムも終わった静かな夜更け、そして翌日の清々しい朝、新しい1日のはじまり……と、移ろう気配にあわせて1曲ずつ演奏してゆきました。それがほぼそのまま構成の軸になっています。

そう、このアルバムに収録している21曲は、リスナーの皆さんが新旧のアルバムの中から選んでリクエストしてくださった曲なんです。ですから演奏中は色々思いおこされて、まるで、ゆっくり景色が移ろう中を贅沢に旅しているようでした。その旅の景色に合わせて構成の細部も自然に決まってゆきましたよ。

* * *

—-阿部海太郎
僕は言葉が苦手なので、音楽で表現することが好きです。音楽の可能性を信じています。でもときどき小説を読んだり、絵や舞台を観て、やはり音楽で表現できないことはたくさんあり、嫉妬すら感じることがあります。お二人は音楽以外にそのような嫉妬を感じたことはありますか?

清水恒輔
音楽では表現しきれないこと、たくさんありますよね。海太郎さんのその感じ、とってもよく解ります。

嫉妬と憧憬は紙一重なのかもしれないけど、音楽でしかあり得ない可能性も信じています。

森羅万象という言葉、好きなんです。

生駒祐子
誰かの表現に心ざわめき嫉妬するとしたら、私のそれはやっぱり音楽かもしれません。

海太郎さんの音楽に心鷲掴みにされた時にだって、どこかで少し嫉妬してしまいましたから。笑。

舞台のように、音楽も合わさってさらに広がる素敵な景色に心揺さぶられたら。やっぱり、演出家や俳優へではなく音楽家に嫉妬してしまいます。「私もこんな音楽を奏でたい!」って。

小説や絵は、そうですね、音楽とは全く違う分かえって私には、心おきない友人や、美味しい食事のように嬉しく大切なものです。

どうしても音楽以外に、ということでしたらスポーツですね。ボクサーやランナーには心震えるほどの嫉妬を感じます。

あんなふうな美しさを湛えた音楽を奏でられたら、と憧れるばかりです。

それから、植物を育てる人、料理人や、猟師さんのように、生命の循環や土に直接ふれている人たちも眩しくて、どうしたって憧れてしまいます。

Duologue (デュオローグ)
mama!milk (ママ!ミルク)

2013年7月19日発売
二種の仕様で発売
Deluxe edition (Limited Edition SHM-CD) 2,857円(税別) 仕様:上製リボン装
Simple edition 2,400円(税別)
発売元:WINDBELL

Simple edition

【Track list】
[I]
1. waltz, waltz, invitation
2. intermezzo, op.28
3. anise
4. andante, Coquettish “kuroneko”
5. 幸せな日々, Heureux Jours Sous Le Ciel
6. Tricky Crown Round Midnight

[II]
7. Parade, waltz
8. sometime sweet
9. an Ode

[III]
10. August
11. Greco on Thursday
12. Gala de Caras
13. rosa damascena
14. kujaku
15. Nude

[IV]
16. Landfall
17. Parade
18. flowers
19. ao
20. sometime sweet
21. flowing
22. waltz, waltz

公演予定
9月7日(土)京都 法然院
9月8日(日)京都 flowing KARASUMA
10月13日(日)、14日(月・祝)東京 原美術館 
詳細近日発表

mama!milk
生駒祐子(アコーディオン)、清水恒輔(コントラバス)によるデュオ。
世界各地の古い劇場、客船、廃墟、寺院、美術館等でのサイトスペシフィックな演奏を重ね、異国情緒溢れるその音楽は「旅へいざなう音楽」「 Cinematic Beauty 」あるいは「Japanese New Exotica」とも評される。折々に多様なアンサンブルを編成し、数々のアルバム作品や映画、美術作品等のサウンドトラックを発表している。今年6月には白井晃演出舞台「オセロ」の音楽担当として各地の劇場で演奏した。