“静かなる音楽<Quiet Music>”の真実。カルロス・アギーレとキケ・シネシ
静かなる熱狂の夢の続き。

(2012.07.23)

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アルゼンチンの音楽家カルロス・アギーレは、
2012年5月に盟友のキケ・シネシとともに再来日を果たし、日本各地で温かく迎え入れられ、
たくさんの思い出を抱えてアルゼンチンに帰国していきました。
2人の間にはかけがえのない友情があり、その強い結びつきの中で互いに楽器を響きあわせ、
まるで静かに対話をしているように繊細な音楽を聴かせてくれました。
情報があふれ配信によって自由に音楽が手に入る時代の中で、
彼らは私たちに“ほんとうに大切なこと”を教えてくれたような気がします。

『Cuentos de Un Pueblo Escondido』キケ・シネシ 7月26日発売

2人の生み出す音楽

キケ・シネシのアルバム『Danza Sin Fin』の中に、2人が共演した「¿Seras Verdad?」と「Danza Sin Fin」という曲があります。その楽曲を初めて聴いたとき、僕はこれまでに接したどの音楽とも違う独自の世界観を感じとりました。そのサウンドは、アルゼンチンのフォルクローレをベースにしながらも、クラシックやジャズ、ブラジルのミナス・サウンドなど、様々な音楽の要素がひとつになり、大地や風や水の音が聴こえてくるようなとても自然な肌ざわりを感じさせました。彼らが奏でる楽器の音色には人肌のぬくもりをもった素朴な温かみがあり、心の奥深いところまで届く稀有な優しさがありました。2人が合奏することによって生まれる奇跡的な響きがこの曲を特別なものにしていたのです。

bar buenos airesのはじまり

2010年の1月、僕と友人のHMVジャズ/ワールド担当バイヤーの山本勇樹は、音楽仲間の河野洋志を誘いbar buenos airesというカルロス・アギーレの音楽から連なる世界の様々な楽曲をかける選曲会を渋谷ではじめました。そして、そこで僕たちがいつもかけていたのが、カルロス・アギーレ・グルーポ(グループ)名義でのファースト・アルバム『Crema』に収められた「Los Tres Deseos de Siemple」でした。その楽曲はカルロスの音楽観を象徴する魅力が凝縮され、かけるたびに必ず問い合わせを受けるほどに人々を惹きつけるbar buenos airesを代表する一曲でした。そして、その曲の冒頭で繊細な音色のピッコロ・ギターを奏でていたのが、やはりキケ・シネシだったのです。

思えば、いま巷で“静かなる音楽<Quiet Music>”と呼ばれている音楽の原点はこの曲にあったのだと思います。当時、いつかbar buenos airesでカルロスやキケの演奏会をしたいなと夢のようなことを考えていました。そして、それが様々な偶然を経て実現したのです。その一連の出来事は、彼らの国内盤をリリースし、ツアーの招聘も担うインパートメントの稲葉昌太さんがここに書き記してくれています。

稲葉昌太さんの記事(2010.12.08)

「Quique Sinesi / danza sin fin」
「Quique Sinesi / danza sin fin」

「Carlos Aguirre Grupo / Crema」
「Carlos Aguirre Grupo / Crema」
カルロスとキケに訊く

僕は今回の彼らのツアーの全行程に同行したのですが、そこで強く感じたのは、彼らの音楽にはその人柄が色濃く映し出されているということでした。特に印象的だったのは、2人が演奏中に互いに目を合わせたり微笑んだりと、とても親密な友情が感じられた場面を何度も目にしたことです。キケが弦を爪弾きながらおおらかな笑顔でカルロスを見つめると、カルロスは温かな鍵盤の音色でキケに応えます。そんな2人の対話のような演奏を聴いていると、こちらまで温かな気持ちになりました。彼らの芳醇な音楽には2人の人間性が大きく作用していたのです。日本各地で彼らに会った人たちは、みな一様に彼らの人柄の虜になり、会った瞬間からまるで微熱をもった子供のような表情で彼らとその音楽に接していました。誰もが2人の音楽に心を動かされ、別れ際には涙を流し、大切な友人を見送るように別れを惜しみました。僕自身こんな光景を目の当たりにしたのは初めてのことです。しかも、その想いを抱いていたのは日本のリスナーたちだけではなく、カルロスとキケもまったく同じ気持ちを抱いていたのです。キケは初の日本公演をすべて終えた山形で言いました。「自分の人生の中でも最高のツアーだった」と。

僕は、公演を終えてリラックスした2人に、ひとりのリスナーとして話を訊きました。特に、キケが初めての日本公演をどのように受け止めていたのかを訊いてみたかったのです。
(通訳:柏倉恵美子) 

***

日本公演を終えたいま、どんなことを感じていますか?
カルロス・アギーレ(C)、キケ・シネシ(Q)

Q&C:(口をそろえて)ムイ・ビエン!(ほんとうに素晴らしい!)

Q:またすぐにでも日本に戻ってきたい。すごく満足して幸せだよ。

C:日本のみんなとまた会えてとても幸せだった。今回はなんといっても、大切な友達であるキケと一緒に来日できてうれしかったし、しかも彼と体験を共有できたことが何よりもよかったよ。日本のみんなからたくさんの愛をもらって、そのよろこびを分かちあえる友達がいたことはとても大きかった。

日本の聴衆の反応をどう感じましたか?

Q:日本の聴衆の感受性は素晴らしく、ほんとうに尊敬に値するよ。目を閉じて聴いている人も多くいたけれど、ある意味でとても豊かに音楽を楽しんでいることが伝わってきたし、聴いている人の目を観ると、どれほど深く音楽に入り込んでいるかということがすごくよくわかったよ。

C:日本のオーディエンスは、ほんとうに音楽に没頭し、入り込んできてくれるので、そこからすぐに音楽のコミュニケーションをはじめることができるんだ。日本のオーディエンスはまさに理想だね。いつもこんな風に音楽を聴いてくれる人たちばかりだったらいいなと思うよ。それは、単にアーティストに敬意を払うということだけではなく、彼らは音楽に対して深くコネクトしてくるレベルがとても高いので、もはやオーディエンスとアーティストという関係ではなく、私たちの間には、ただ純粋に音楽が存在するだけなんだ。

 
姫路公演 © by Yuki Yamamoto
姫路公演 © by Yuki Yamamoto
姫路公演 © by Yuki Yamamoto
姫路公演 © by Yuki Yamamoto

日本の人たちとアルゼンチンの人たちの感受性は近いのでしょうか? 日本には美しい四季があり、その中で育まれた感受性というものがあるように思います。リトラル(カルロスの住む地域)にも共通するものがあるのでしょうか?

C:リトラルには美しい四季や自然があって、日本の人たち同様に僕たちの感受性や音楽に影響を与えているかもしれないね。けれど、強く思うのは、僕たちが演奏しているようなある特定の音楽に傾倒しているような人たちとはとても感受性が近いのではないかと感じているんだ。それは言ってみれば、世界の見方や視点が似ているのではないかということなんだ。そういう人たちは演奏を聴いているときだけではなく、普段の生活の何事においても気づきや目覚めがあって、常に何かをさがし求めていたり生き方を探求しているんだと思うよ。

Q:アルゼンチンの人がすべて、みなそうだとは思わないんだけど、自分自身は日本の人たちと感受性がとても近いと感じているよ。きっと言葉を超えて共通するものがあるんじゃないかな。

カルロスは2度目の来日ということで、とてもリラックスしているように見えましたが、前回と今回とでは何か感じ方は変わりましたか?

C:初めての来日のときは、日本のことを何も知らずにやって来たら、いきなりたくさんの人に会って、もう自分の許容範囲というものをはるかに超えていたんだよ(笑)。でも2回目の今回は、そのすべてを受け入れることができたよ。自分はもうたくさんの日本の人を知っているし、たくさんの友達もできたので、今回の来日はまさに懐かしい友人に会うような感じだったんだ。

岡山公演 © by Yuki Yamamoto
岡山公演 © by Yuki Yamamoto
 

キケにとっては初めての来日でしたが、日本の印象はいかがでしたか?

Q:日本を知っている友人から、日本のことをいろいろと聞いていてイメージはもっていたんだけど、実際に来てみて出会う人たちの感受性の豊かさに驚いたよ。ツアーの行く先々で似たような感受性をもった人たちと多く知り合ったんだけれど、そんなことは世界中でもそうそうあることではないよ。

とても印象的だったのは、2人が演奏中に互いに目を合わせたり微笑んだりと、とても親密で特別な友情が感じられたことです。2人で演奏することが、他のアーティストとの共演と一番異なる点はどのようなところですか?

C:キケとの間にはものすごく大きな友情があるんだ。音楽的に言えば、誰かと一緒に演奏をするということは、その人からものすごく“力”をもらうことだと思うし、みながそれぞれに異なった“力”をもっていて、共演するということはその人の知らない側面を知ることだと思う。キケは、僕に心の平安をもたらしてくれるんだ。これは、誰とでも起きることではないんだけど、彼と演奏していると、何か大きな“力”に包まれているような感じがして、それによって自分がよりよい人間になったような気がするんだ。キケはそういう不思議な力をもっているんだよ。

Q:カルロスと演奏することはいつも大きな喜びだよ。今回、カルロスとのツアーの話をインパートメントの稲葉さん、NRTの成田さんからもらったときに完璧だと思ったんだ。カルロスはとても大切な友人で、何度も共演してきたし、もちろんずっと敬愛している。2人が一緒になることで化学反応のようなものが起きて、“魔法の瞬間”が生まれてくるんだ。それは、誰とでも起こるわけではなくて、カルロスとは音楽を超えた結びつきが根底にあるからこそそういうことが起こるのだと思う。

福岡公演 © by Yuki Yamamoto
福岡公演 © by Yuki Yamamoto
福岡公演 © by Yuki Yamamoto
福岡公演 © by Yuki Yamamoto

今回の来日によって、今後2人でのデュオ・アルバムのアイデアが形になるかもしれないと言っていましたが、ツアーを終えてアイデアは具体化しそうですか?

C:2人でのデュオ・アルバムを早く実現したいと思っているよ。以前キケがパラナ(カルロスの自宅のある街)に来たときに2人でインプロ(即興演奏)をはじめて、小さなスタジオで録音したんだけれど、その後互いの活動が忙しくなってしまって中断してしまっていたんだ。今回の来日をきっかけに、ぜひ2人のアルバムのために曲をつくりたいと、キケと話しているところだよ。

前回の来日で、カルロスに遊びに来てもらったbar buenos airesに、今回初めてキケにも遊びに来ていただきましたがいかがでしたか?

Q:『SARAVAH東京』でのbar buenos airesは、僕にとって大きな驚きだった。アルゼンチンでは演奏を聴くのではなく音楽だけを聴くためにこのように人が集まることはまずありません。bar buenos airesは僕にたくんさんのインスピレイションを与えてくれたね。世界の様々な美しい音楽をみんなが聴くということはほんとうに素晴らしいことだし、アルゼンチンでもこんなことができたらいいのになと思ったよ。

C:久しぶりの選曲会に来てみて、僕は1回目の来日でbar buenos airesに集まった多くのお客さんに素晴らしい歓迎を受けたことを思い出したんだよ。自分にとってこのイベントはこうした人と人との結びつきをより強固なものにしてくれると思っているし、ほんとうにみんなに感謝している。

bar buenos aires ミニライブ © by Yuki Yamamoto
bar buenos aires ミニライブ © by Yuki Yamamoto
bar buenos aires ミニライブ © by Yuki Yamamoto
bar buenos aires ミニライブ © by Yuki Yamamoto

日本のファンのみなさんに何かメッセージをお願いします。

Q:みなさんからいただいたすべての愛情に心から感謝しています。先日カルロスにも話したんだけど、日本からもらった愛は、まさに心の糧となっていて、それによって自分の人生は大きく変わったとさえ思っているんだ。日本に来る前と後では、自分が大きく変わったと感じているよ。

C:キケとまったく同感。日本に来る前と後ではまったく違っているんだ。音楽を通じて、心を通じての絆やつながりができて、こらからもずっとこの関係が続いていくということに希望を感じているよ。日本のみなさんに対しては、言葉に言い表せないくらいの感謝の気持ちをもっています。

Q&C:ムイ・ビエン!

カルロス・アギーレHP:http://www.carlosaguirre.com.ar/
キケ・シネシHP:http://www.quiquesinesi.com/
  

カルロス・アギーレとキケ・シネシの音楽が残してくれたもの

以前カルロスが僕たちに話してくれた言葉に「音楽は人と人との出会いの可能性を広げてくれるものだ」というものがあります。僕たちは、カルロスやキケの音楽を通じて、まさにこの言葉を身をもって体感したのです。ツアーの先々では、自分たちと同じように彼らの音楽の虜になった人たちに数多く出会い友達になり、そこからさらに音楽の輪が広がっていきました。それが彼らの音楽が僕たちに残してくれた財産だったのです。僕たちは、そのことに対する感謝の気持ちを込めて、2011年11月に『bar buenos aires ~カルロス・アギーレに捧ぐ~』という、カルロスにまつわるカバー曲や客演曲を集めたコンピレイションCDをリリースしました。そこには、冒頭に触れたカルロスとキケの共演曲や、カルロスが初来日の際に日本のために愛情を込めて作曲してくれた名曲「Hiroshi」を収めることができました。

『bar buenos aires ~カルロス・アギーレに捧ぐ~』
『bar buenos aires ~カルロス・アギーレに捧ぐ~』

© by Ryo Mitamura
© by Ryo Mitamura

いま、“静かなる音楽<Quiet Music>”と呼ばれているサウンドが注目を浴びています。カルロスとキケが参加したフェスティバル「sense of “Quiet”」で新たに興味をもった方も多いと思います。しかしそれは、ある特定の音の傾向やジャンルを表すものではなく、演奏家やリスナーの感受性に深く根ざした“心の在りよう”を表している音楽だと思うのです。どんなに熱い演奏や、どんなに静かな音楽であっても、自己の内面を深く省みるところから生まれる表現にこそ、“静かなる音楽<Quiet Music>”の真髄があると感じています。

また、今回のカルロス・アギーレをめぐる一連の動きは、ある特定の誰かが生み出したというよりも、世の中に漂う閉塞感の中で“心の在りか”を探すような時代の気分に対し、誰もが似たような気持ちであったところに自然に入り込んできたのがカルロスたちの音楽だったという、言わば同時多発的なものだったのではないでしょうか。それは、1950年代の終わりにリオデジャネイロで起こったボサノバ誕生の気分にも重なって見えてきます。それを示すかのように、カルロスやキケの音楽と共鳴する日本のアーティスト、中島ノブユキや伊藤ゴロー、鈴木惣一朗や藤本一馬たちも、時を同じくして自己の内面を省みるようなセンシティブな音楽を発表しました。アーティストもリスナーも同じことを感じていたのです。

それらの音楽の在り方は、カルロスの言葉を借りれば「もはやオーディエンスとアーティストという関係ではなく、私たちの間には、ただ純粋に音楽が存在するだけなんだ」というとても根源的なところに行き着くのだと思います。

山形公演 © by Ryo Mitamura
山形公演 © by Ryo Mitamura

2012.05.13 岡山公演

 

『Cuentos de un pueblo escondido』Quique Sinesi

2005年にリリース、入手困難だった名作ソロ・アルバムの国内盤。アルゼンチン・フォルクローレを独自の演奏法と解釈で美しくも静かに聴かせる、独奏による作品17曲を収録。独創性あふれるキケ・シネシの世界をじっくりと楽しめるアルバムです。

2012年7月26日発売 2,300円(税込み)RCIP-0174 レーベル:Inpartmaint Inc

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【Track List】
01. Voces tempranas(夜明けの歌声)
02. Candombe del arco iris(虹のカンドンベ)
03. Canción hacia vos(君への歌)
04. Tormenta de ilusión(幻想の嵐)
05. Contramarea(引き潮)
06. Espacio azul(青の空間)
07. Dos soles(2つの太陽)
08. Despertando de otro sueño(もう一つの夢から目覚めて)
09. Yorugua(ジョルグア)
10. Imágenes naturales(自然の情景)
11. El abrazo(抱擁)
12. Altas paz(至上の平和)
13. Terruño(大地の恵み)
14. El colibrí entre suspiros(そよぎの中のハチドリ)
15. Manantial de luz(光の泉)
16. Berliner tanghuísmos(ベルリナー・タンギスモス)
17. Llama viva(鮮やかなる炎)

Quique Sinesi(キケ・シネシ)

1960年、ブエノス・アイレス生まれ。アルゼンチンでもっとも重要なギタリストの1人と称され、フォルクローレをベースに、クラシック、ジャズ、即興などの意匠を取り入れた演奏スタイルは唯一無二。7弦ナイロンギターをメインに、チャランゴ(南米アンデ地方のフォルクローレに使われる小型の弦楽器)、ピッコロ・ギター(通常のギターの約半分のスケールの、高い音域のギター)、そしてアコースティック・ギターを自在に弾き、豊かなイマジネーションと、確かなテクニックに裏付けられたその音色は、瑞々しい情感と精緻な表現を併せ持つ。

14歳ですでにプロとして活動を始め、20歳でバンドネオン奏者ディノ・サルーシ・カルテットのギタリストとしヨーロッパ・ツアーに抜擢されて以降、アストル・ピアソラ・バンドのピアニストだったパブロ・シーグレル、アルト・サックスの巨匠チャーリー・マリアーノ、マルチ・リード奏者マルセロ・モギレフスキー、ペドロ・アスナール、ルベン・ラダ、フアン・ファルー、そしてもちろんカルロス・アギーレなど、アルゼンチンから欧米まで多数の音楽家と共演し、作品を吹き込んできた。

ソロイストとしても、数々の大きな国際ギター・フェスティバルに参加。1989年発表の初ソロ・アルバム『Cielo Abierto』、98年の名作セカンド『Danza Sin Fin』を始め、これまでに5枚の作品を発表している。