世界を驚かせる音楽教室 エル・システマのキセキ- 2 –ベネズエラ国旗と踊るマンボ、太陽のオーケストラ。

(2014.11.14)
そろいのブルゾンはベネズエラ国旗をあしらったものだ。この明るい色彩と年若き楽団員のみずみずしい演奏が聴衆をノリノリにさせる。photo / Venezuelan Embassy
そろいのブルゾンはベネズエラ国旗をあしらったものだ。この明るい色彩と年若き楽団員のみずみずしい演奏が聴衆をノリノリにさせる。photo / Venezuelan Embassy
今、世界を最も沸かせる指揮者ドゥダメルを生んだことで知られている音楽教育エル・システマ。シリーズ『世界を驚かせる音楽教室 エル・システマのキセキ』ではベネズエラのみならず、日本、世界のエル・システマについてご紹介。第2回はエル・システマそのはじまりについて。

「太陽のオーケストラ」。彼らをそう呼びたくなる。ひと目見て忘れられなくなってしまった。そこでは若い指揮者と奏者が躍動する。何者にも妨げられず、全身で歓喜する若さで満ち溢れている。ここに2007年の映像が配信されている。レナード・バーンスタイン作曲の『マンボ』というアンコールピース。

奏者は楽器を高く揚げ、くるくると回し、宙に投げる。声を張り、立ち上がり、歩き出す。聴衆も立ち上がり、花を投げ、歓声を上げる。黒の舞台衣装でも、ベネズエラ国旗の黄、青、赤をあしらった揃いのブルゾンを着ている時でも、アンコールでは踊る。指揮者は誰をも支配せず、奏者と聴衆とともに喜び、その心身を解放するのだ。この演奏こそがグスターボ・ドゥダメルとシモン・ボリバル・ユース・オーケストラの起こした奇跡。クラシック音楽の数世紀の伝統をわずか2分で変革してのけるパワーがあった。

奏者も指揮者もエル・システマ( El sistema)で育った。5歳で音楽を始め、12歳で自ら指揮台に上り、18歳で音楽監督を担い、30代で世界の交響楽団に呼ばれる若き巨匠ドゥダメルは、エル・システマを太陽に喩える。「ここに帰るたびに、私の方こそエネルギーを与えられるのです」。そして折々で「オーケストラとは家族であり、コミュニティだ」と語っている。オーケストラがコミュニティを創る。芸術と文化が新しい家族を創る。それを実現し、世界規模の共感を獲得したことにエル・システマの価値がある。彼らの育ったエル・システマとは何だろう。

  • 300近くもある「子どもオーケストラ」から選抜オーケストラに入るためのオーディション。随時メンバーの入れ替えが行なわれるため競争も激しい。photo /  El Sistema
    300近くもある「子どもオーケストラ」から選抜オーケストラに入るためのオーディション。随時メンバーの入れ替えが行なわれるため競争も激しい。photo / El Sistema
  • グスターボ・ドゥダメルとシモン・ボリバル交響楽団。このユースオーケストラの指揮台にドゥダメルが立ったのは18歳のときだという。photo /  El Sistema
    グスターボ・ドゥダメルとシモン・ボリバル交響楽団。このユースオーケストラの指揮台にドゥダメルが立ったのは18歳のときだという。photo / El Sistema
  • エル・システマのメインホール「社会変革のための音楽センター」。この施設ではアブレウの考案によりすべてのドアの取っ手を回さなくても、押せば開くようになっている。奏者が楽器や譜面を抱えていても、誰かがドアを押してやれば済むからだ。photo /  El Sistema
    エル・システマのメインホール「社会変革のための音楽センター」。この施設ではアブレウの考案によりすべてのドアの取っ手を回さなくても、押せば開くようになっている。奏者が楽器や譜面を抱えていても、誰かがドアを押してやれば済むからだ。photo / El Sistema
 
奏でよ、そして闘え。エル・システマの理念。

エル・システマとは、ベネズエラで生まれたオーケストラ合奏を伴う教育システムとその思想だ。現在、ベネズエラ国内40万人の子どもたちが300のユースオーケストラに参加している。

はじまりは1975年。ベネズエラのカラカス市街の地下駐車場に、楽器を携えた11人の若者が集まった。指導者で音楽家、経済学者のホセ・アントニオ・アブレウは彼らをこう導いた。「奏でよ、そして闘え」。武器ではなく楽器で社会の困難と立ち向かえと、アブレウは言う。*アブレウによるエル・システマの解説映像はこちら。

ベネズエラは、文化も資源も自然も豊かな、美しい国だ。だが貧富の差は激しく、凶悪犯罪の発生率は高い。エル・システマでは「ヌークレオ núcleo」と呼ばれる教室が国内各地に285カ所もあり、子どもたちは放課後、安全な教室で指導者や仲間と過ごせる。自分だけの楽器を手元に置き、いつでも触れられる環境は奏者に楽器との一体感を育む。演奏されることで楽器もよく鳴るようになる。エル・システマの楽器は子どもたちに無償で貸与され、家に持ち帰ることができるのだ。

また、仲間とともに活動するのもエル・システマの特長のひとつだ。弦楽器教育では個人指導で学ぶ伝統が長くあった。加えてオーケストラには作曲家と指揮者に厳格に従う「楽団」として高い機能性が求められたから、演奏技術を身につけてから参加するのが常だった。ところが『エル・システマ』では、楽器に慣れたら初心者もすぐに合奏の仲間に加わる。異なる楽器を持つ人々が集まり、ひとつの音を創る。オーケストラが、支配者に従属する軍団ではなく、指導者とともに自由を求める共同体だという着想は、ラテンアメリカの文化に根ざしているようにも見える。

ホセ・アントニオ・アブレウ。エル・システマの創設者であり精神的支柱でもある。「この国のすべての子どもたちが、無料で思う存分音楽を楽しめるようにするという目標を達成するまで、エル・システマは拡大し続ける」と言う。photo / El Sistema
ホセ・アントニオ・アブレウ。エル・システマの創設者であり精神的支柱でもある。「この国のすべての子どもたちが、無料で思う存分音楽を楽しめるようにするという目標を達成するまで、エル・システマは拡大し続ける」と言う。photo / El Sistema
  • ベネズエラといえばボリバル。ラテンアメリカ独立の英雄シモン・ボリバルの名を冠した山もある。photo / Venezuelan Embassy
    ベネズエラといえばボリバル。ラテンアメリカ独立の英雄シモン・ボリバルの名を冠した山もある。photo / Venezuelan Embassy
  • 小さな町のエル・システマの練習風景。2歳半を過ぎたら「ヌークレオ」と呼ばれる音楽教室に通うことができる。つまり、どんどん演奏者たちが増えていくのだ。photo / Venezuelan Embassy
    小さな町のエル・システマの練習風景。2歳半を過ぎたら「ヌークレオ」と呼ばれる音楽教室に通うことができる。つまり、どんどん演奏者たちが増えていくのだ。photo / Venezuelan Embassy
 
ベネズエラ-米国-日本、世界の『エル・システマ』。

エル・システマの教育思想に世界の巨匠が共鳴した。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者や奏者が次々とベネズエラを訪れ、子どもたちを愛情深く指導して、世界の舞台へ連れていく。2013年のザルツブルグ音楽祭はベネズエラ大特集だ。もっとも幼い児童交響楽団も招かれ、ベルリン・フィル首席指揮者サイモン・ラトルが指揮している。ラトルは長大なマーラーの交響曲を弾き遂げたチェロ首席の子どもを讃え、高く抱き上げた。ラトルの前任者故クラウディオ・アバドは、200人の子どもが乗る大編成オーケストラ用舞台の建材をベネズエラへ贈り届けている。

創設からおよそ40年。エル・システマは今、35カ国を超える世界の国々で取り組まれている。どの国もそれぞれに社会課題を背負う。

米国の大都市ロサンゼルスでは人口の46.5%がスペイン語を話すラティーノで、ギャング組織対策と若者支援が社会課題だ。この街に根ざす交響楽団『LAフィル』は音楽監督にドゥダメルを迎え、YOLAというユースオーケストラで子どもたちの笑顔と意欲を引き出している。
一方、日本の福島県相馬市。3.11の地震、津波、原発事故が重く跡を引く。『エル・システマジャパン』代表理事の菊川譲さんは最初の活動場所をここに決めた。学校では先生が「海」と口にしただけで子どもが泣き出したという。屋外の放射線量が気がかりな親にとっては、音楽ホールは子どもの心身を被ばくから守る居場所だった。

ドゥダメルはエル・システマを「コミュニティ」といい、LAフィルのデボラ・ボルダ代表は「帰る場所」といい、菊川穣さんは「生きる力、居場所」という。三人はそれぞれの困難に向かいながら、同じ地平を見つめているのではないか。

  • テレサ・カレーニョ・ユースオーケストラの指揮者クリスチャン・バスケス。1984年生まれの彼もまた、エル・システマで育ちアブレウのもとで指揮を学んだ。ドゥダメルのみならず、続々と才能あふれる若者が世界に現れているのだ。photo / Venezuelan Embassy
    テレサ・カレーニョ・ユースオーケストラの指揮者クリスチャン・バスケス。1984年生まれの彼もまた、エル・システマで育ちアブレウのもとで指揮を学んだ。ドゥダメルのみならず、続々と才能あふれる若者が世界に現れているのだ。photo / Venezuelan Embassy
  • ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者兼芸術監督を務めるサイモン・ラトルは次のように述べた。「クラシック音楽の将来にとって、最も重要なことが起きているのはどこかと聞かれたら、私の答えは決まっている。ベネズエラだ」。photo / Venezuelan Embassy
    ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者兼芸術監督を務めるサイモン・ラトルは次のように述べた。「クラシック音楽の将来にとって、最も重要なことが起きているのはどこかと聞かれたら、私の答えは決まっている。ベネズエラだ」。photo / Venezuelan Embassy

*YOLAのリハーサル風景。

次回予告

ハル「おまえさ、お手紙を書け。」

黒猫「誰にさ。」
ハル「エル・システマジャパンの人にだよ。子どもオーケストラの練習を見学させてくださいって。」
黒猫「返信だ。どうぞどうぞ歓迎しますだって!」
ピート「シュネルシュネル! レスポンス、早いですね!」
学者「ところで相馬市について、ここでいちど確認しておきませんか。相馬市。
人口35989人。 福島県北部の太平洋沿岸にあり、海と山に囲まれています。3.11の震災では約450人が亡くなり、住宅被害は1800を超えました。市内に小学校10校中学校5校があり、5〜19歳の人口はおよそ5千人です。」

エル・システマジャパンの子どもたちは、ヴァイオリンを肩に置き、自力で立てるだろうか。福島県相馬市に取材&見学にいってきます!

***

エル・システマを生んだ国、ベネズエラについてもっと知ろう! ということで日本で大活躍のベネズエラ出身のあの人、「ラミちゃん」について。BSYO ハルによる記事はこちら

BSYO / 黒猫 プロフィール:メーカー人事、ネットコンテンツ&コミュニティ開発を経てサイト企画制作へ。ライフワークはピアノ指導。)