from 山形 - 8 - 
12/2 Quique Sinesi & Hikaru Iwakawa Duo Japan Tour 山形公演
岩川光さんに聞くキケ・シネシ、
デュオツアーの全貌。

(2012.10.15)

アルゼンチンを代表するギタリスト、キケ・シネシ。
その美しく繊細な音色と幅広い音楽性で、今年5月の来日で多くの観客を魅了した。
そのキケ・シネシが、早くも再来日を果たすことになった。
今回は気鋭の日本人ケーナ奏者、岩川光さんとのデュオで日本各地でツアーを行う。
そして岩川さんと私が同郷と言う縁もあり、山形での公演が決定した。
二人のライブは昨年すでにブエノスアイレスで実現しているのだが、
果たしてこの二人の共演が日本でいかなる音場を創造するのか、興味は尽き無い。
そこで二人の邂逅を体感する前に、岩川さんにお話を伺った。

山形公演のおしらせ
ジャパンツアーのおしらせ

  

岩川光さんロングインタビュー by 石郷岡学
まずキケさんとの出会いを教えていただけますか?

岩川:僕がキケ・シネシという音楽家の存在を初めて知ったのは7年ほど前、一冊の楽譜集に彼の曲を見つけた時でした。当時、僕自身はそれほどアルゼンチン音楽に強い関心があったわけではなく、もちろん聴くのは好きでしたが、実際に演奏してみようという気持ちにはなかなか至りませんでした。ただその時、キケ・シネシの音楽を(僕はギタリストではないけれども)すごく演奏したい、と思ったのです。それから手に入る彼の音源を片っ端から集め始めました。どんどん魅了されていったんですね。

キケの音楽を聴き始めた少し後、僕は修行のためボリビアに渡りましたが、ボリビアにいてもキケの音楽、そしてその周辺、その根流にあるアルゼンチン音楽というものへの興味がどんどん募っていきました。帰国後、Myspaceを通じてアルゼンチンの音楽家とも直接コンタクトをとることができるようになり、コミュニケーションをとっていくなかで、もうアルゼンチンにも渡らなければ!という気持ちになっていました。

帰国から半年後に僕はブエノスアイレスのエセイサ空港にいました。あの旅の目的はアルゼンチン音楽を「聴く」ことであり、多くの音楽家に会うことでした。その行動を起こさせた最初の原動力はキケの音楽でした。けれどその旅の中でキケと直接会って話をするというチャンスは訪れませんでした。

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アルゼンチンから帰国後、Facebookなどを通じてキケと直接コンタクトを取り始めました。僕が彼をどれだけ敬愛しているか、彼の音楽が大好きで、日本でも演奏しているんだ、ということも伝えました。当時はまだキケ・シネシという存在は日本ではそれほど知られていなかったので、彼は日本で僕が自分の音楽を演奏しているということにひどく驚き感動したようです。そして自然と、「いつか、2人で音楽がしたいね。」という話になったのです。

それは昨年12月、僕の南米ツアー最終地ブエノスアイレスで実現しました。最初のリハーサルで僕たちは驚きました。これほどまでに、言葉で何も説明しなくとも、音楽的なコミュニケーションができた経験は希でした。リハは小さなキケのスタジオで行いましたが、窓からこぼれる音を聴いて、鳥が集い、歌っていました。「なんていい日なんだ。なんて素敵な午後なんだ」とキケは繰り返し言っていました。僕もそう思ったし、うれしかった。これが僕らの出会いです。コンサートは素晴らしいものでした。僕らのデュオがプログラムの半分以上を占めましたが、ゲストにはなんとシルビア・イリオンドやルーチョ・オジョス、フランコ・ピンナも駆けつけました。誰もが感動し、誰もが驚き、誰もが僕らのデュオの誕生に喜んでいた気がします。僕がアルゼンチン音楽を猛烈に愛した時間が少しここで結実したし、これからの展望ができました。これはキケの音楽と出会ったからこそ、なしえたことです。

キケさんの自宅スタジオでリハーサル
2011年12月、アルゼンチンで初デュオ・コンサートを開催

聞いているだけで感動が伝染しそうです。岩川さんのおっしゃる通り、キケの音楽がポピュラリティーを得るようになったのは、カルロス・アギーレやアカ・セカ・トリオなどのコンテンポラリー・フォルクローレ(これは日本のファンが勝手にそう呼んでいるだけでしょうが)が注目されたここ3、4年のことです。かれらの音楽に共通しているのは、フォルクローレという純血に近い音楽に、ジャズやクラシックやブラジル音楽などの多様な音楽を、自然に混血化することによって、結果的に広くジャンル横断的にポピュラー・ミュージックを聴くリスナーの感性に訴えたのだと思います。キケの音楽も純粋で素朴な民族性と、自身の音楽的経験に基づいた洗練とが同居しています。そこで岩川さんから見たキケ・シネシの音楽の魅力について伺いたいのですが。

岩川:まず、前提として、僕自身は、僕が直接現地を訪れ学んだ音楽(ボリビアのラパス、アルゼンチンのブエノスアイレス、エクアドルのキトも入るかな?)を演奏する際に、どうしても「外側の人間」として謙虚さを保たねばならないし、その視点も重要である、ということがあります。どこまで行っても僕は日本人だし、ケーナ奏者ではあるけれども、しょうゆを刺身に垂らして、味噌汁と白飯を食ってきたのです(笑)。

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実は、だからこそできる革新があると信じていますが。(ゲバラはアルゼンチン人なのですよ!)ただ、アルゼンチン、ことブエノスアイレスという街は、言ってしまえばそうした「外側の人」が集まって成り立っているような街なんですね。「南米のパリ」とはよく言ったもので、民族的/文化的に多様な出自をもった人々が集まっている「場」がブエノスアイレスである、という雰囲気がある。おそらく僕がキケとのコンサートで受け入れてもらえたのは、そういう空気の中だったから、というのも大きい気がします。

そして本題に戻りますが、僕の考えでは、日本のリスナーが一方的に想像するような、固定的な「土着性」はアルゼンチン音楽の風土の本質ではないと思いますね。歴史は想像以上にダイナミックなものです。ゆえに僕の友人たちはよく、「誰もがブエノスアイレス人になれる。そこに暮らし、そこに生きることで、その文化の潮流になれる」と言います。そうしてブエノスアイレスの文化、アルゼンチンの文化は培われてきたのです。

今日話題になっているアルゼンチン音楽の特徴はこうした「雰囲気」の中に育まれる「シンクレティズム(文化的融和性)」の体現というところだと思うのです。キケの音楽は、ギターという無限なようで非常に制限のある楽器、しかしピアノが音楽を学ぶ道具としてそれほど普及していない南米大陸の、音楽をする代表的な道具である楽器を用いながら、そうした美しい融合に最も成功した例だろうと思います。彼の音楽的アイデンティティの在り方も、まさに「ブエノスアイレス」なのですよ。スピネッタの影響、ディノ・サルーシの教え、パブロ・シーグレルとの協働、そして常にある「キケ・シネシ」という音楽、全く本当に美しく結実しているのです。

キケ・シネシ
Pablo Zigler & Quique Sinesi with Walter Castro『Bajo Cero』

さて、ここから岩川さんの音楽について伺いたいのですが、無知が故におろかな質問になってしまいますが笑わないで下さい(笑)。ケーナやいわゆる南米土着の笛というと、多くのリスナーはどうしても素朴なものを想像しがちなんです。そこで岩川さんのアルバムを聴いて、何だこれは?全然違うではないかと。もちろん取り上げる楽曲の種類も多様だし、その気迫に圧倒されそうになるのですが、ケーナの奏法的な部分でどう説明して良いのかわからないのです。その辺りのことと岩川さんの指向する音楽的方向性を教えて頂けますか。

岩川:CDというのは『Dialogos sin Palabras』のことですね。聴いてくださりありがとうございます。日本でも、またヨーロッパ、北米、さらには南米大陸の国々の中でも、そのステレオタイプなケーナに対する固定イメージというのがあります。僕はケーナを始めた時(8、9歳ぐらいですが)からそのイメージに抵抗してきました。現在日本で取り組んでいるプロジェクト、またキケとのデュオでの演奏も、そうした既存のケーナのイメージを根底から覆すものでしょう。

技術的には現代リコーダーやバロック時代のフルート奏法などを徹底的に応用し、クロマティック(半音階的)奏法にも対応できるように、またタンギング(舌の用法)のバリエーション、声との重音、新しい運指や倍音を用いた重音など、非常に特殊なものまで含めて、本当に多様な表現をできるように、独自に開拓した奏法を用いています。これが、どれほど特殊なことか、わかりやすい出来事が昨年ありました。エクアドルの国立劇場が、わざわざ僕をケーナのソリストとして呼び、公演をし、現地のケーナ奏者向けにレクチャーを依頼してきたのです(笑)。

ケーナ奏者はエクアドルにたくさんにいるんですけどね。面白いですよね。要は未開拓な部分が非常に多く残されている楽器だと思います。僕はケーナという楽器の歴史的/考古学的研究と同じぐらいのエネルギーを持って、そうした奏法の開拓にも力を注ぐべきだと思います。いつまでも“コンドルを飛ばして”るわけにもいかないし、“インディオの哀愁の笛”なんて嘘っぱちを並べるわけにもいかないでしょう。

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ただ、今となっては僕にとってはそうしたことはあまり重要ではなくなってきました。もちろん奏法の開拓は進めていますが、音楽を作ることがやはり面白いでしょう。ここ数年で日本での僕の周囲の音楽家仲間、音楽環境もだいぶ変わり、僕がやりたい音楽、作る音楽の「雰囲気」にも変化が出てきました。僕はこれがすごく良い方向に向かっていると信じています。キケとのデュオでも僕の曲もいくつか取り上げます。キケも気に入ってくれていると思います。

来年3月頃から僕はしばらくブエノスアイレスに渡る予定なのですが、今言ったように、技術的な制約を一つ一つ丁寧に解消していき、多様な音楽に入り込める楽器としてケーナを用いていれば、きっと向こうでも僕を触媒にして面白い化学反応が起こるでしょう。優れた音楽家は、決して彼が演奏している楽器が全面に出ることはないように思います。楽器の向こう側、本当に触れるべき「本人」が音楽として鳴るのです。キケだってそうでしょ? ギターがなくてもキケはキケですし、キケの音楽はキケ・シネシそのものです。僕もそういう在り方を常に心がけているし、ケーナというのはきっと僕の最も使い慣れた声だけれども、その声を発する自分自身が常に音楽なのです。そういう意味で僕の音楽は常にライブであり、今じゃないといけない。

Dialogos sin Palabras
岩川光さん

なるほど。キケさんにしろ岩川さんにしろ、ジャンルと言う縛りを感じさせないのは、音楽家自身の個々の在り方が、文化的に多様なものを自己の中に確かな形で内包しているからなのですね。従ってそこから表現される音楽は本人自身であって、狭小な枠に囚われない、自由なベクトルが生まれるのでしょう。そしてその多様性同士の邂逅が、また新しい化学反応を産み出すのでしょうね。我々リスナーは簡単に「ジャンル横断的」などと言ってしまうのですが(笑)。さて、そんなお二人の今回のツアーですが、一体どんな音楽を奏でてくれるのでしょうか?

岩川:今回のツアーのテーマは「Encuentro Magico」です。これはキケがブエノスアイレスで企画してくれた僕らのライブのタイトルをそのまま用いています。日本語にすると「魔法の出会い」といったところでしょうか。まさに僕らの出会い、音楽的な邂逅は「魔法」のような奇跡です。

ご存じのように、キケはマルセロ・モギレフスキーやチャーリー・マリアーノといった偉大な管楽器奏者と、素晴らしいデュオ・アルバムを作りました。それらを聴くとすぐにわかりますが、キケのギターには、管楽器の呼吸にものすごくなじむ、というかまるで笛を吹いたり、歌を歌ったりしているかのような息遣いがあるのです。ですから、僕が演奏するケーナとも驚くほど溶け合うでしょう。

sinesi-moguilevsky『solo el rio』
mariano & sinesi『Ecos Del Alma』

またケーナはキケも言うように、サックスやクラリネットなどといった西洋の管楽器とは全く異なった出自を持ち、よりプリミティブな楽器、粗野/素朴な楽器というイメージがつきものですが、僕の演奏がそうしたイメージを払しょくし、さらにはキケの音楽に徹底的に寄り添って、新たな地平が開ければこのツアーは成功だろうと思います。

キケの音楽、それもおそらくアギーレとのツアーでは演奏されなかったであろう、管楽器とのデュオ作品をメインに取り上げますが、僕の作品、またクチ・レギサモンやアリエル・ラミレスといった、アルゼンチンの偉大な先人作曲家の音楽も僕たちなりの解釈で演奏したいと思っています。みなさんにはぜひこのデュオの魔法に全身で浸ってほしいですね。また東京での2公演にはそれぞれレオナルド・ブラーボさん(13日)、鬼怒無月さん(14日)という、日本在住/日本を代表するギタリストのゲスト参加してもらうことが決まりました。このコラボレーションも楽しみですね。

岩川さん長時間ありがとうございました。ますますツアーが楽しみになりました。本番に大いに期待しています。

拙いインタビュワーではあったけれど、岩川さんの熱い言葉一つ一つに完全に助けられた。岩川さんの透明な意思と、清々しい野心を感じた。これほどまでに自己の目的に対する行動を躊躇無く、思慮深く実行し得るアーティストは多くは居るまい。12月にはこの二人の日本ツアーが始まるのだ。その頃にはキケのギターと岩川さんの笛とで奏でられる魔法が、多くの観客を魅了しているだろう。

キケ・シネシ Quique Sinesi

ギタリスト/作曲家。1960年、ブエノスアイレス生まれ。アルゼンチンでもっとも重要なギタリストの1人と称され、タンゴとフォルクローレをベースに、ジャズ、即興、クラシック、ワールド・ミュージックなどのエッセンスを取り入れた独自の演奏スタイルは唯一無二。7弦ギターをメインに、チャランゴ(南米アンデス地方の フォルクローレに使われる弦楽器)、ピッコロ・ギター(通常のギターの約半分のスケールの、高い音域のギター)、そしてアコースティック・ギターを自在に弾き、豊かなイマジネーションと、確かなテクニックに裏付けられたその音色は、瑞々しい情感と 精緻な表現を併せ持つ。
14歳ですでにプロとして活動を始め、20代前半でバンドネオン奏者ディノ・サルーシ・カルテットのギタリストとしてヨーロッパ・ツアーに抜擢されて以降、アストル・ピアソラ・バンドのピアニストだったパブロ・シーグレル、アルト・サックスの巨匠チャーリー・マリアーノ、マルチ・リード奏者マルセロ・モギレフスキー、ペドロ・アスナール、ルーベン・ラダ、フアン・ファルー、そしてカルロス・アギーレなど、アルゼンチンから欧米まで多数の音楽家と共演し、作品を吹き込んできた。ソロイストとしても、数々の大きな国際ギター・フェスティバルに参加。1989年発表の初ソロ・アルバム『Cielo Abierto』、98 年の名作セカンド『Danza Sin Fin』を始め、これまでに5枚の作品を発表している。

岩川光 Hikaru Iwakawa

国内のみならず、世界市民的に活動することを志向する日本人ケーナ奏者。9歳でケーナを吹き始め、12歳ころから地元での演奏活動を始めた。同時にバロック・リコーダーを北村正彦氏のもとで学び、西洋音楽を修めた。作曲法や指揮法も学び、様々な音楽に触れていく中で、また自身の演奏活動を通じて、既存のケーナに対するイメージに違和感を覚え始め、現代のリコーダー奏法やバロック時代のフルート奏法などを応用した独自のケーナ奏法を開拓。20歳でボリビアに渡り、ロランド・エンシーナス、オスカル・コルドバ両氏に師事。翌年、アルゼンチンにも渡り、現地の音楽調査などをした。帰国後、1stアルバム『Dialogos sin palabras』を発表。昨年11月、エクアドルのスクレ国立劇場から招聘を受け、ワールド・ミュージック・フェスティバルにキト・アンデス楽器オーケストラのソリストとして出演。これを皮切りに、キト、アンバト、ラパス、エブノスアイレスを廻る南米ツアーを敢行。多くの優れた音楽家と共演し、驚きの声と称賛を集めた。

Quique Sinesi & Hikaru Iwakawa Duo Japan Tour 山形公演

日時:2012年12月2日(日)、16:30開場、17:00開演

場所:こども芸大「こども劇場」

料金:前売り 3,500円、当日 4,000円。全席自由。150席限定。
後援:山形新聞・山形放送、東北芸術工科大学、VigoFM

主催:キケ・シネシ&岩川光デュオ ジャパン・ツアー実行委員会

共催:山形ブラジル音楽普及協会

お問い合わせ:山形ブラジル音楽普及協会:bossacur@ma.catvy.ne.jp

チケット販売所:新星堂山形駅ビル店、Espresso、Bar Saudade、Rough roLL、そば吉里吉里、台湾你好

ジャパンツアー公式サイト