Par-delà le Pont – 7 - ノートルダム橋(Pont Notre-Dame)
どんな姿になっても、希望を与え続ける橋。

(2011.03.18)

東北地方太平洋沖地震の被災者のみなさま、心よりお見舞い申し上げます。
みなさまに元気と希望が回復すること、
そして被災地の一日も早い復興をお祈り申し上げております。

これを読んでくださっているみなさま、ご無事でしょうか。ご無事であることを願っています。
大変な震災でしたね。

インターネットで見られるフランスのテレビ局「france2」のニュースでも、震災当日から連日、地震をトップで長い時間かけて扱っていました。いつもは明るく元気よくニュースを読んでいるキャスターたちが、聞いたこともないような悲痛な声で、遠い日本の地震の惨状を報道していました。その後に流れるサッカーのニュースなんかでも、暗いトーンのままでした。

ただ痛ましい出来事の一方で、人々の優しい気持ちに気付かされることもあった気がしますよね。日本の人々、それから世界中の人々の優しさ。たくさんの国が遠い日本の地震に胸を痛めてくれて、暖かい支援を申し出てくれましたね。

一面で、日の丸のデザインと一緒に日本語で「がんばれ、日本。がんばれ、東北」という見出しを載せたイギリスの新聞(産経ニュースの記事)。震災の災害支援を「トモダチ作戦」と名付けて、たくさんの物資を運び支援活動をしてくれたアメリカ。「国連は日本国民と共にある。われわれは全力を尽くす」と言ってくれたのは国連の事務総長(時事ドットコムの記事)。意外なくらい(?)多い、海外の人々からの寄付(グルーポン)。そして、動画サイトで見られるたくさんの一般の人々からの暖かいメッセージ

この地球人の暖かさは、宇宙に誇れるのではないかという勢い。そしてもちろん、日本人の優しさと日本の素晴らしさも。

募金、節電、傷ついている周りの人たちに笑ってもらうこと──出来ることを出来る限り、やりたいなあと思っています。私がこの記事を書いている今はまだ震災から4日目ですが、みなさまに読んでいただいている頃には、少しでも明るい希望が戻っていますように。

さて、セーヌ川に架かる、パリ市内30本の橋を追っていく連載。「マレ/シテ島地区」シリーズ・第7回目の今回は、ノートルダム橋を渡ります。どうぞよろしく、お付き合いいただけたら嬉しいです。

前回ご一緒したアルコル橋を右岸からシテ島に渡り、パリ市立病院を左に見ながら東へ歩いてみましょう。数分もしないうちに辿り着くのが、ノートルダム橋なんです。

セーヌ川に架かるパリの現存している橋の中で一番古いのは、もう少し後でご一緒することになるポンヌフ橋(1607年に竣工)ですね。では、現存していない橋も含めると、一番古い橋はどこに架かっていたのでしょうか。

今回のノートルダム橋のある場所には、ポンヌフ橋が架かるずっと前から橋が架かっていました。竣工の年月日は不明ですが、建設したのはローマ人で1世紀にはすでに橋があったというので、かなり古い感じです。このシテ島と右岸をつなぐ橋は当時グラン・ポン(大橋)と呼ばれ、グラン・ポンからシテ島を横切った先で島と左岸をつなぐプチ・ポン(小橋・現在も同じ名前)とともに、セーヌに架かったもっとも古い橋として親しまれました。この2つのうちどちらの方が古いのかは、「技術面から考えるとプチ・ポンの方が古いんじゃないの?」と言っている人もいますが、まあ今となっては分からないって感じみたいです。

残念ながらグラン・ポンは9世紀末、バイキング船でセーヌ川を上ってきたノルマン人に壊されてしまいます。その後しばらくは「ミルブレーの板橋」と呼ばれる板の橋を架けたりしていましたが、ついに1413年に長さ106m、幅27mの立派な木の橋が完成。橋の上には60の家や建物が並び、その美しさに由来するノートルダム橋という名前が初めて使われます。かっこいい建物にあこがれる物見遊山な人々から、橋の上にあったパリで最も大きな本屋さんに用がある知的階層の人々まで、様々なジャンルの人間でごった返し、「急いでいる時は通らない方がいいよ~」と言われるほどいつも混雑していたというこの橋。でもやっぱり混雑しすぎたのか、1499年に崩れてしまいました。

1507年に再建された橋は5つのアーチを持つ石造りで、凱旋門に似せた装飾が施されました。20メートルほど長くなった橋の上には、68の家や建物が前の橋よりもさらに豪華になって並んでいたそう。革命の間は「理性の橋」とも呼ばれていました。

一部改修が行われた1853年以降は、どうも船と相性が悪くなっちゃったのか事故が相次いで起こるようになり、中央のアーチに「悪魔のアーチ」というあだ名がついてしまいます。ちょっと前まで理性の橋なんてクールな感じだったのに、気付いたら悪魔です。だいたい聖母マリアって意味のノートルダム橋に悪魔のアーチがついているって、それでいいんでしょうか。

やっぱり悪魔のアーチはよくないということになって、船を通りやすくするために1912年、5つあるアーチのうち真中の3つを鋼鉄製のアーチ1つに置き換えました。こうして、中央のアーチはアカンサス模様の鋼鉄製、両側に残る2つは支柱も含めてルネッサンス時代のままの石造り、という現在の姿になりました。

右岸、橋の東から。対岸はシテ島。手前は商事裁判所、奥がコンシェルジュリー
アルコル橋から。橋の右端の、中世に作られたアーチの下には車道が通っている

ところで、ノートルダム橋を右岸に渡って通りを2つ超えると、サン・ジャック塔に着きます。レースのように繊細なゴシック風の装飾をされたこの真っ白な塔は、16世紀にはサン・ジャック・ド・ラ・ブシェリー教会の鐘楼として使われていました。そしてこの教会は、聖ヤコブの骨が見つかったスペインの街サンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼路の出発点の一つでした。1998年には、この巡礼路とともにサン・ジャック塔もユネスコ世界遺産に登録されています。

巡礼路では、サン・ジャック塔の次が、ノートルダム橋の先のノートルダム大聖堂。つまりサンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼に向かう人にとって、ノートルダム橋は出発後すぐ、最初に渡る橋だったわけですね。

もっとも古くからあって、たくさんの人々で賑わう建物たちを支えたり、聖母マリアの名前を付けられながらある時は「理性の橋」と呼ばれたり、ある時は「悪魔のアーチ」と呼ばれたりと、いろんな姿を経験したノートルダム橋。しかし巡礼者たちは橋がどんな顔をしている時にも、神を信じて淡々と巡礼をしていたのかなあと想像します。あるいは橋自身も、何があっても聖母の微笑みでわりとひょうひょうと眺めていたのかもしれません。我々も、周りの状況がどんな風に変化しても自分のペースを崩さないで、明るい希望を信じ続けられるといいですよね。

震災からの日本の復興と、被災者の方々の身体と心と笑顔の回復に、たくさんの巡礼者たちの通った聖なるノートルダム橋が、力を貸してくれますように。

シテ島から右岸に架かるノートルダム橋、いかがでしたでしょうか。次回は、ノートルダム橋の西に架かる、シャンジュ橋を渡ります。

Pont Notre-Dame
ノートルダム橋

竣工:1507年(1853年および1912年改造)
長さ:105m
幅:20m
建築家:ジャン・レサル
形式:アーチ橋
素材:鋼鉄・石
最寄駅:Cité駅(メトロ4号線)
付近の観光スポット:サン・ジャック塔、テアトル・ド・ラ・ヴィル