from 北海道(道北) - 6 - ひっそりと眠る炭鉱(ヤマ)物語
〜北海道 羽幌町〜

(2011.12.28)

炭鉱(ヤマ)の歴史

北海道留萌管内羽幌町。北海道の北西部に位置する羽幌町は海鳥の楽園『天売島』、サフォーク種の緬羊といちいの森に心癒される『焼尻島』を有するマチだ。かつてこのマチには炭鉱があった。昭和初期から中期まで開業していた羽幌炭鉱だ。

羽幌炭鉱は昭和15年の開業、翌16年の太平洋戦争勃発から終戦を経て、昭和30年代から40年代の敗戦復興期、経済が急激に成長する時代背景の中、良質の石炭を出炭した。羽幌炭鉱は3つのヤマから構成されている。羽幌本坑、上羽幌坑、築別坑の3つのヤマだ。最盛期には出炭量は100万トンを突破し、炭鉱マン、関連業種の人々や家族を含めるとヤマの人口は3万人を超えるほどであった。出炭された石炭は暖房用・電力用に使用され、良質炭として需要は高かったが、エネルギーの主役が石油にとってかわろうとした時代であったこと、将来に不安を抱いた従業員達の離職が相次ぎ人員不足になり、更に切羽(採掘場)が断層とぶつかり出炭が計画を下回るなどの要因が重なり、経営は行き詰まっていった。最終的には取引会社の経営破綻の影響を受け、資金繰りが急速に悪化したことにより、昭和45年に閉山となった。

30年間のヤマの夢は、あっけないほどにその幕を降ろしたが、当時を知る人々の心の中には、今も鮮明な記憶として生き続けている。

ヤマの記憶

工藤俊也さんは昭和34年に炭鉱で生まれ、4歳までをヤマで過ごした記憶をおぼろげながら持っている。今は地元のタクシー会社で運行管理と羽幌炭鉱のガイドを行っている。

工藤さんがヤマのガイドとなるきっかけは、自身が勤めるタクシー会社での同僚の言葉がきっかけだった。観光シーズンには天売島や焼尻島へ渡る人々で賑わうが、もっとマチの中にタクシーで案内できる場所があれば良いのにというものだった。

それ以前から工藤さんには、いつか羽幌炭鉱が観光資源となるのではないかとの思いがあったため、早速、資料集めに奔走した。羽幌本坑の木材会社に勤めていた父親から聞いたヤマの話、当時を知る人々からの話、残されていた当時の資料や遺産とも言える品々、ヤマを案内するためには膨大な資料や現地の調査が必要であった。

情報を集めると鮮やかなほど、当時のヤマの光景が浮かび上がった。炭鉱住宅の中小路の賑わいや、映画舘や劇場、百貨店さながらの商業施設の充実ぶりは目を見張るものであった。山奥の炭鉱街で生活する炭鉱マンやその家族の娯楽を支えた映画舘では新作映画が東京と同時に封切られ、宝塚歌劇団や三波春夫が公演した記録もあった。山奥の不便な暮らしとは程遠く、活気あふれる炭鉱マチが存在していたのだ。

羽幌炭鉱の社名は、羽幌炭鉱鉄道株式会社。本社は札幌市に置かれていた。本社ビルは札幌の一等地、大通公園のすぐそばに昭和29年に建てられた。都会の喧噪にあっても、威風堂々とその姿を残している。ビル名は「第五ビルヂング」、今ではギャラリーや事務所などが入居し、地元の人々に愛される建物でもある。

スポーツの世界でも羽幌炭鉱のその名を轟かせた。スキー部やバレー部、野球部の活躍、特にスキーのジャンプでは札幌オリンピックで活躍した笠谷幸生選手ら強化選手達らが、合宿し羽幌炭鉱のジャンプ台で練習を重ねたという逸話も残されている。

ヤマの案内人

羽幌炭鉱を観光コース化したのは2005年のこと。「羽幌炭鉱・三炭周遊コース」として、新たな観光資源となった。工藤さん自身がヤマをくまなく探索し、膨大な資料を集約して手製の地図も作成した。これまで50組以上をヤマへと案内した工藤さんには、今も忘れられない出来事がある。

年老いた元炭坑夫とその家族を案内したときのこと。当時、暮らしていた炭鉱住宅街にさしかかると、草むらを指差し「あそこは銭湯だったんだ」とつぶやいたという。工藤さんが草を分け入りその痕跡を探すと、確かにそれらしきものが。集会場、食堂、スキー場などを巡り、当時の暮らし振りまでをあたかも今その場に再現するように、いきいきと話す老人の姿は工藤さんの胸を熱くした。

「ここ羽幌炭鉱には、確かに人々の暮らしがありました。私にとっては第二の故郷です」ヤマの案内人・工藤さんだからこそ、今まさに朽ち果て土に還ろうとする炭鉱を、語り継ぐことができるのかもしれない。

季節は巡り、今や羽幌炭鉱は雪に閉ざされ、人が近づくことさえ許さない。春が訪れるまで真っ白な世界の中に、ひっそりと眠っている。

 

 

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