Par-delà le Pont – 6 - アルコル橋(Pont Arcole)
光も闇も、平等に慈しむ橋。

(2011.03.07)

こんにちは!

寒かった今年の冬ですが、やっと春の気配が感じられるようになってきた気がします。
やれやれですね~。
みなさまはお元気ですか?

先週は、東京マラソンがありましたね。
寒いのに~と思ってしまいましたが、たしかホノルルマラソンも12月。
マラソンは確かに冬の方がいいのかもしれないです。

一方で、パリマラソンは春。35回目を迎える今年は、4月12日に開催されるみたいです。
マラソンのコースを見てみると、数々の観光名所はもちろん、
このコーナーで紹介しているパリのセーヌ川沿いの地帯もほとんど網羅しているんですね。
春のセーヌ散歩──。素敵っぽいです。
って、セーヌ散歩というか、マラソンですけど……。
今年のエントリーは締め切られたみたいですが、
また来年、パリを走りたい方はぜひ参加してみてくださいね!

さて、セーヌ川に架かる、パリ市内30本の橋を追っていく連載。
「マレ/シテ島地区」シリーズ・第6回目の今回は、アルコル橋を渡ります。
どうぞよろしく、お付き合いいただけたら嬉しいです。

サン・ルイ島の西端から。左はシテ島、右は右岸。

前回ご一緒したサン・ルイ橋をサン・ルイ島から西へ渡ると、そこはシテ島。正面に見えるノートルダム大聖堂の後ろ姿に心惹かれつつも、右へ曲がって島の北にまわってみると、すぐに右岸へと架かるアルコル橋が姿を現します。

アルコル橋の名前の由来には、二つの説があります。

一つは、ナポレオンが1796年にオーストリア軍を破ったという伝説の場所、アルコル橋(イタリアの北東部)にちなんだという説。もう一つは、1830年七月革命の時にこのパリのアルコル橋で銃殺された若きヒーロー、共和主義者アルコルくんにちなんだという説。前者だとナポレオンのアゲアゲ勝利に歓喜するパリ市民の喚声が聞こえそうだし、後者だとイケメン(多分)なヒーローの死に号泣するパリ市民の嗚咽が聞こえそうだしで、どちらが正解かによって橋のイメージが正反対になりそうな気もしますが、いずれにしてもパリの人々の心に深く刺さった出来事を思わせる橋みたいです。

この場所に初めて橋が架かったのは1823年。12個のアーチを持つ鉄の橋でした。それが1828年、パリでは初の吊り橋のフォルムをした歩道橋、「グレーヴ歩道橋」として生まれ変わります。

さらに1854年、橋の技術者だったキャディアが、「この橋をさらにエレガントにしてやるぜ」と気合を入れ、最新技術を駆使した工事が始まります。そんな彼のおかげで1856年、橋はさらに変身。当時としてはかなり斬新な造りで、ギリギリまで低くした楕円アーチのエレガントぶりに、パリの人々は惚れ惚れしたそう。また、セーヌ川に架かる橋の中では初めての、橋桁を持たない橋でもありました。

その後1888年にたわみが見つかって補強されたり、その時に橋を長くされたり、1994年にも改修工事をされたりしつつ、アルコル橋は現在でももっとも長い鉄の橋として、そしてフランスでもっとも古い鉄の橋の一つとして、人々の心を打つ風景を作り出しているんですね。

右岸から。橋の先の黒い建物はパリ市立病院(Hôtel Dieu)
サン・ルイ島の河岸から。ルイ・フィリップ橋のアーチの向こうに見えるのがアルコル橋

ところで、シテ島と右岸を繋ぐこの橋。右岸側へ渡るとすぐ、パリ市役所前広場に出ます。かつて呼ばれていた「グレーヴ歩道橋」という名前は、パリ市役所前広場の昔の呼び名「グレーヴ広場」から取ったのですね。市役所というとパブリックでドライな印象がありますが、このグレーヴ広場は中世から刑場に使われていました。ギロチンにかけられた世界で最初の人──強盗犯ニコラ=ジャック・ペルティエが処刑されたのも、こちらのグレーヴ広場です。当時は処刑は公開だったので、パリ市民も見物していたとか。……ちょっとぞっとしない感じですね。

口直しに、今度は橋をシテ島側に渡ってみましょう。渡ってすぐ右側に目立つ大きな建物は651年に建てられたパリ最古の病院、パリ市立病院です。原語では「オテル・デュー(Hôtel Dieu)」、神の邸宅という意味で「なるほど、1400年も前からここには神が住み着いて、癒しの奇跡を起こしてたのかな~」なんて思いながら橋から続くアルコル通りを歩いていくと、今度は左にノートルダム大聖堂が現れます。「ノートルダム」とはご存じ、処女懐胎で神の子キリストを産んだという聖母マリアのこと。というわけで、「神の邸宅」が建っている裏にさらに「聖母の大聖堂」が建っているというこの近辺では、きっとパリ市民たちも聖なる存在を感じながら、病人やあるいは自分が救われるように治療したり祈ったりしたのでしょうね。

かつて死を願う場所だった右岸側と、生を願う場所であり続けるシテ島側。誰の心の中にもある、闇の側面と光の側面を、アルコル橋は平等に繋ごうとしているようにも見えます。闇にかたよって光のことを忘れてしまったり、逆に闇から目をそむけて光ばかり求めている時、橋の風景がそっと警告してくれるのでしょう。

とはいえ、闇しか見ないのはともかく、光しか見ないのは別にいいんじゃないの?という感じもしますが、でもきっと、ネガティブな面もポジティブな面も同じようにあるのが自然な姿だから、二つがケンカせずにお互い調和している状態の方が、バランスがよくて美しく見えるんじゃないかと思うんです。アルコル橋の美しさが人々の心を揺さぶるのは、光にも闇にも恐れず両方を尊重して慈しんでいるからなのかもしれませんね。

シテ島から右岸に架かるアルコル橋、いかがでしたでしょうか。次回は、アルコル橋の西に架かる、ノートルダム橋を渡ります。

Pont Arcole
アルコル橋

竣工:1856年
長さ:80m
幅:20m
建築家:アルフォンス・ウドゥリ
形式:アーチ橋
素材:錬鉄
最寄駅:Hôtel de Ville駅(メトロ1号線、11号線)
付近の観光スポット:ノートルダム寺院、パリ市役所