from 山梨 – 16 - 山梨花便り~韮崎市~
わに塚(王仁塚・鰐塚)の桜。

(2011.04.23)

人間というのは勝手なもので、冬の間は「ああもうこんなに毎日毎日寒いなんて我慢できない。真冬と真夏なら、真夏のほうがまだ我慢できる。もう冬は嫌だ」と思い、夏になれば「ああもうこんなに毎日毎日暑いなんて我慢できない。真夏と真冬なら、真冬のほうがまだ我慢できる。もう夏は嫌だ」などと思ったりしてしまう(…のは私だけかしら)。

エネルギーに食糧、はたまた環境や経済など、様々な視点から見れば、地球は温暖なほうがいいとか寒冷なほうがいいとか、興味深い多様な見解があるのだろうと思います。

人間もホッキョクグマもジュゴンも軍隊アリも自然の一部であるという意味では対等であり、それぞれが自然の中から必要なものを必要なだけ享受して生きているのだと考えたとき。
必要ではないものまで取り上げるのは自己中心的な行いであるし、また、自然というものに対して何かを働きかけて”あげなくては”ならないとか、人間が自然をコントロールして”あげなくては”ならないという驕りもまた自己中心的であると、私は考えています。

自然は言葉に出して何かを語りかけることはしないけれど、ホッキョクグマもジュゴンも軍隊アリも、自分自身を含む自然からのメッセージを自らの本能で感じ取り、受け入れながら、しなやかに生きています。
ですが、自然を前にしては何の根拠もない万能感によって、人間はそのしなやかさを失いつつあるような気がしています。

自然と寄り添い、自然と同調するしなやかさをなくした人間が「地球に優しくしてあげなくてはいけない」という言葉で急激に舵を切り、自身の環境適応能力を超えたことによって自らが発する極論に踊らされている様子に、地球は呆れているのではないだろうか、「地球の事はどうでもいいから、人間はまず人間に優しくしなさいよ」と思っているのではないだろうか、なんてことを思います。

 

樹齢300年の桜。

樹齢300年を超えるエドヒガンザクラ、山梨県韮崎市の『わに塚の桜』。

樹高17m、根回り3.4m、幹囲3.3m、枝張23m。
『わに塚』のいわれについて、横にある看板には

わに塚(王仁塚・鰐塚)
甲斐国志に「芝地十五間に十間、塚の形神前にかかる鰐口に似たり。
後の人囚りて名付けたるか。古墳なることを知りぬべし」とあり、土地の口碑によれば、日本武尊の王子武田王が、諏訪神社の南西桜の御所で治を行い、薨じてこの地に葬られ王仁塚と云うと。又、王は武田武大神として武田八幡宮に合祀されている。後、源太郎信義がこの地にあって、姓を武田と改め武田氏を起こす因となったのである。
(昭和五十六年十月 山梨県韮崎市)

と記されています。

樹齢300年。
「300年て、すごいわねー。想像もつかないわ」

でもね。
 
甲斐源氏四代目当主であり、甲斐武田氏初代当主である武田信義が戦った富士川の合戦が1180年、そして甲斐武田氏第19代当主である武田信玄が没したのが1573年。
武田信義も武田信玄も、この桜を知らないんです。
人間のモノサシが、いかに小さくていかに曖昧で、いかに主観的であるのか。
樹齢300年の巨木が、支えもなくこれだけの花を咲かせていることにただただ驚くばかりです。