from 北海道(道央) – 12 - 北海道の炭鉱遺産《小樽編》。

(2009.10.19)
現在も日本海の厳しい波浪から小樽港を守っている「小樽港北防波堤」。

鰊からはじまる小樽の「夜明け」。

現在「YOSAKOIソーラン祭り」として札幌の初夏を告げる風物詩となっていますが、その原点は 「ヤーレンソーラン」という掛け声から始まる「ソーラン節(沖揚げ音頭)」に振り付けをして踊るという札幌や小樽などの小学校の運動会にありました。

踊りの練習と平行して歌詞の意味を授業の中で教えられ、北海道における「鰊(にしん)」漁の盛衰を通じて歴史を学ぶために、とてもよい機会であったように思っています。

「場所請負制度」による鰊漁場の発展という形で、江戸時代の1710(宝永7)年以降、現在の小樽市街から見て東から西へとオタルナイ、タカシマ、オショロという3つの漁場が「和人」によって開拓されていきました。

明治時代に入り「場所請負制度」は廃止され、漁業の民主的経営がスタートするとともに、経済的価値のある鰊を求めて、小樽は天然の良港である「手宮港(てみやこう)」を中心として1872(明治5)年に小樽港へと改称され、手宮側から順次港湾整備が進められることとなりました。

廣井勇の像などが立ち並ぶ「運河公園」。正面の建物は、歴史的建造物としての指定を受けている「旧日本郵船(株)小樽支店」。

小樽港の父、廣井勇。

小樽港の父とも言える「廣井勇」の功績を称える像。

現在の近代的な小樽港の整備は、1889(明治22)年の「石炭」を含めた特定5品目の輸出が認められる「特別輸出港」としての指定からであり、1897(明治30)年の小樽築港第一期工事着工、1908(明治41)年の延長1,289mの北防波堤完成が一つの契機となっています。

なぜ北防波堤が重要であったのかと言えば、手宮を終点とする石炭輸送、それに引き続く石炭輸送のための船舶停泊の安全確保には、小樽港内の静穏度確保が必須の課題であったからなのです。

この頃の小樽港開発に活躍されたのは、日本の土木工学の重鎮かつ世界的権威とまで言われる廣井勇(ひろい・いさみ。1862-1928)氏でした。廣井勇氏の活躍は、小樽市在住の作家・蜂谷涼先生が、『海明け』(講談社。『小樽ビヤホール』(改題:講談社文庫))の主人公荻原勲(おぎわら・いさお)の姿を通して、活き活きと描いておりますので、機会がありましたら是非ご一読くださいませ。

 
旧日本郵船(株)小樽支店

我が国3番目の「一般営業鉄道」。

さて、現在のJR小樽駅を出て、まっすぐ小樽運河方面へと歩いて行くと、数分で「手宮線跡地」に辿り着きます。これこそが、新橋・横浜間、神戸・大津間に次ぐ我が国で3番目の一般営業鉄道として1882(明治15)年11月13日に開通した、幌内炭鉱と小樽の手宮とを結ぶ全線91.2kmの鉄路の「跡地」なのです。

既に石炭を運び出すための役割を終えて、手宮までの線路は廃止され跡地だけが残っていますが、様々なイベントに活用され、小樽市民のみならず、観光で小樽の街を訪れる方々にとっても観光スポットとなっています。

前回ご紹介した空知地方の炭田、特に「幌内炭鉱」の開発は日本の近代化を図るためには必要不可欠との明治政府の方針の下で進められることとなりましたが、問題はどのようにして石炭を道外などへと運び出すかにありました。

その当時、開拓使お雇い外国人として、開拓顧問であったホーレス・ケプロン(Horace Capron、1804-1885)が招聘した2人が活躍することになります。一人は地質学者ライマン(Bnjamin Smith Lyman、1835-1920)、もう一人が鉄道技師であるクロフォード(Joseph U.Crawford、1842-1924)です。

ライマンが行った北海道内の地質調査結果を受けて、幌内炭鉱からどのように石炭を本州へ回航するか、1873(明治6)年以降、様々な検討が行われました。幌内から石狩川沿線に鉄道を敷き、石狩川を利用した水運を用いて小樽経由で運ぶ案や幌内からダイレクトに室蘭港まで運ぶ案などが検討されました。

1879(明治12)年4月に発生した石狩川の氾濫は水運の不安定さを懸念させることとなり、札幌・手宮間までの予定だった鉄路を、クロフォードの助言により、結果として幌内まで延伸して「鉱山鉄道」+「乗客運搬」という形での鉄道経営へと方向が定まったのです。

「手宮線跡地」を示す看板。
手宮線跡地は夏には写真展、冬には「雪あかりの路」の会場などとして活用されているが、現在その有効活用が模索されている。
小樽市総合博物館に設置されている「クロフォード」の像。
小樽市総合博物館の外観。
幌内鉄道第8番目の蒸気機関車「しづか」号。小樽市総合博物館内に展示されている。

「小樽市総合博物館」は楽しく学べる場。

現在、手宮にある「小樽市総合博物館」には、幌内鉄道に導入された蒸気機関車のうちの第6号である「しずか」号が展示されています。博物館には北海道の炭鉱・鉄道開発の歴史が数多く展示されるとともに、子供たちが楽しく科学全般について学べる場となっています。また、動態展示として「アイアンホース」号が毎日、博物館の敷地内を子供たちや鉄道ファンを乗せて運行しています。

小樽市総合博物館内に展示されている「幌内炭鉱地質調査図」。当時の北海道内の鉄道路線図なども展示されていて、北海道内の交通政策の「拡大」と「縮小」という、歴史の縮図を感じることもできる。
実際に「幌内炭鉱」で採掘された石炭の標本も展示されている。
北海道内を走っていた特急や急行の「プレート」類も数多く展示されていて、鉄道ファンには堪らないことでしょう。
赤平名物「塊炭飴」も小樽市総合博物館の売店では購入することができる。石炭や鉄道の歴史を、小樽だけではなく広域的・複眼的に捉えようとする工夫の表れ。
博物館の敷地内を実際に人を乗せて走っている「アイアンホース」号。今年生誕100年を迎えた。
「アイアンホース」号には、連日老若男女が楽しみに乗り込んでいる。
今も使用されている機関車の方向転換を行う「プレート」に乗り込み、「アイアンホース」号は機関庫へと格納される。

さらに、前回の《空知編》でご紹介した赤平の「塊炭飴(かいたんあめ)」は、この小樽市総合博物館の売店でも買うことができ、ここでは鉄路を含めて空知の炭鉱遺産をも一体として、「広域的・複眼的」に紹介しようとする工夫がなされていることに気付かされます。

なお、博物館の外には古い客車を利用した「リストランテ トレノ」があり、ランチを含めて豊富なメニューが用意されていて、ワインの種類も豊富に準備されています。

なぜか室内(車内)には自分の大好きなイタリアの「チンクエ テッレ(Cingue Terre)」の写真パネルが掲載されていて、雰囲気がとてもよいのです。博物館に立ち寄ったとき以外でも、気軽にワインを飲みに足を運びたいと思わせてくれる『リストランテ トレノ』がある「小樽市総合博物館」に、北海道近代史の断片を知る契機として、皆さんも是非一度足を運んでみてくださいませ!!

小樽市総合博物館

リストランテ トレノ(魂美のちょこっとフードマイスター日記)より

 

使用されなくなった古い客車をレストランに改造した「リストランテ トリノ」の外観。
「リストランテ トリノ」の内部は、カウンター席とテーブル席とが用意され、インテリアも工夫された洒落た空間となっている。小樽運河に沿って西へ西へと向かって歩き、徒歩約30分程度で到着することができます。