from 北海道(道央) – 54 - 「素の木」に触れ、
そこに何かを感じてみる。

(2011.09.17)

生まれ育った札幌の下町で、杉材店を発見する。

とある昼下がり、生まれ育った札幌の下町を散策。

「おや。ここに材木屋さん、昔からあったかなぁ」。

一枚板の立派な木に目を奪われ、心が惹かれ、幾らくらいするのだろうと考えていると、年配のお母さまが「何かお探しですか」と声をかけてくださった。
 
「立派だなぁと思い眺めていたんですけど、ここのお店、昔からありましたか」と尋ねると、「もう何十年にもなるんですよ」と笑顔でお母さまは答えてくれる。

「ちょっと待っててくださいね。今、社長を呼んできますから」と事務所へと戻っていかれたお母さまに続いて、とても穏やかな雰囲気の大竹康彦(おおたけ・やすひこ)さんが現れた。
 
お聞きすると、札幌市東区のこの土地に、杉材店を営んでから75年が経つというではないか。自分が住んでいた家から、直線距離にして僅か300m程度。

「地域の皆さんをはじめ多くの方々に、木のよさ、素晴らしさをもっともっと知ってもらいたいと思い、これまで色々とプランを練っていたのですが、今年の4月に今まで閉じていた表通りのシャッターを開けてみたのです」とのこと。
 
なるほど。そうだったとすれば、自分がこの地に生きていた約17年間に、『大竹杉材店』さんの存在を知る由はなかった。


『聖書』と木。

「木のよさ、素晴らしさ」。

自分自身、今この原稿を書いている最中も、鉄筋コンクリートのマンションの骨格等を除けば、ほとんど木製の家具に囲まれて生活している。なぜだか、「木」とともに生活していると心が落ち着く。
 
ワイン文化史研究家として身近に触れることのできる「木」の存在は、ワインに使われているポルトガル製の「コルク樫(かし)」、ワインを熟成するために使われるフランスやアメリカ製の「オーク樽」だろうか。

ポルトガルのコルク樫は、ヨーロッパ全体の砂漠化を防ぐための「防砂林」として役立っているのと同時に、木の保護の観点から、9年に1度だけ樹皮の伐採が許され「コルク」として利用されている。

また、「樽」はワインの運搬や熟成に必要な道具となっているが、木製の船を作るという造船技術が確立されなければ、樽の屈曲や隙間のない接合といった技術を産み出すことはできなかった。

面白いもので、ごくごく当たり前のように手にしているモノが、歴史の中で人々の知恵と工夫とによって、今日我々は「そこにあって当たり前」のように使っている。
 

ところで、『聖書』の中に出てくる木の種類で、最も頻度の高いものは何だろうかと考えてみた。

色々と思い浮かぶ。自ら数えることは困難だろうが、恐らく、旧約・新約通しても「葡萄」の木が圧倒的に頻度が高いはず。聖書とワインとは切ることのできない関係にあるとすれば、葡萄はキリスト教社会においては忘れ去ることのできない存在であり続ける。

「和心」なのだろうか。

一方、我々日本人にとって、「木」とは一体いかなる存在だったのだろう。
 
759年以後に成立したとされる『万葉集(まんようしゅう)』。書名の由来は数多語られているが、しっくりくるとすれば、「万の言(こと)の葉」というタイトルに、当時の日本人と木との極々自然な関係を伺い知ることができるようにも思える。

『万葉集』よりも古く712年に完成された『古事記』。最近刊行された『現代語古事記』(竹田恒泰著。学研)には、「木の神」としての久久能智神(くくのちのかみ)が記され、最初に登場する具体的な木として、蔓草(つるくさ)から「葡萄の実がなった」という記述がある。こちらも葡萄というのが不思議なのだが、セパージュが気になる。

また、おおまかに930年頃に編纂されたといわれる『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』には、「木霊(もくれい)」について、木は神が天から降りてくる「依り代(よりしろ)」とも記されている。
 
建築という側面から眺めてみても、石の文化圏とは異なり、日本人は明治という時代に移ろう前まで、木の文化を大切にしてきた。というか、まさに身の回りに存在していた拠り所=「和心」でもあったのだと、自分は思っている。
 
翻って今日、平成22年における「木材(用材)自給率」は26.0%で、輸入木材への依存度は高く、そうした中でも、「木材生産」の都道府県別産出額シェアは、北海道がトップで17.4%(329億円)なのだ(農林水産省・「平成21年生産林業所得統計報告書」及び林野庁「平成22年木材需給表」参照)。


目に見え、触れることのできるもの。

今年の3月11日以降、我々は、ひょっとすると「そこにあって当たり前」と思う感覚に、多少なりとも違和感を持つようになったのではなかろうか。

目に見えない「電力」。目に見えない「電波」。目に見えない「お金の動き」。ほかにも、目に見えないが、人間が社会的営みを続けていこうと突き進んでいた原動力。実は「そこにあって当たり前」な存在によって、今日の「文明」が成り立っていたのではなかろうか。
 
「木には節(ふし)があるのですが、節があるからこそ、その木の存在を我々は身近に感じることができます。何とも言えない温かみさえ、感じませんか」と、大竹康彦さんは自分に語りかけてくださる。

「決して北海道産材にだけ拘るわけではありません。国内産、輸入木材だって、それぞれの木の種類によって個性があるのです」とも。
 
確かにプリントされた合板木地やスチールとは異なり、素材としての質感があり、それぞれの木が何十年もかけて描いてきた個性ある年輪、ずしりとした重みがある「家具」や「建物」を見たり、触れたりすることを通じて、我々は「生きる」ことの分け前を、自然から少しだけ恵んでもらって生きているということを、肌身に感じることができる。

そんな思いを、75年目にして開かれた表通りのシャッターの内側から、教えていただいたような気がしたのであった。