田中晃二の道草湘南《犬の鼻、猫の舌》 神奈川県立近代美術館 鎌倉60年代喫茶室から
八幡宮の源平池を眺める。

(2013.01.29)

クレーとシャガール

以前このコラムで県立近代美術館 鎌倉の思い出を語ったが、昨年暮れに『シャガールとマティス、そしてテリアード』という版画作品と美術本の展覧会を見に40年ぶりに再訪した。シャガールの『ダフニスとクロエ』全42葉のリトグラフを一度に見るのは初めて。美しい。殆ど忘れかけたフランス語のタイトルを読みながら2年ぶりに語学の勉強をしつつ、さらに昔来た時の美術館内の記憶を呼び覚ます作業は、歳とった私のアタマには目が回るような重労働だった。中庭を中心に回廊のような構造の展示室は、むかし『クレー展』を見た時の記憶の中の美術館よりも小さかったことに驚く。2階の展示室を出て平家池に面した喫茶室renconへ入り、陽当たりのいいテーブルに座ると、疲れたアタマが徐々に元気になってくる。なんだか、故郷にある昔の実家の居間にでも帰って来たような不思議な感覚。

大雪のあとも寒い日が続き、日影には雪が残った。
平家池に張り出した近代美術館の2階に喫茶室のテラスが見える。
『女の一生』という壁画

喫茶室内の内装は1951年の開館当初のままだと言う。白いレースのカーテン越しに冬の暖かい陽が眩しいほど射し込み、無造作に置かれたフリッツハンセンのセブンチェアのオレンジが壁のボードの色と良く合っているし、カウンターの計算された曲線も素晴らしい。厚紙のような方形のボードに白い絵の具で描かれた天女のような壁画は、第一回の安井賞を受賞した田中岑(たかし)氏が1957年に制作したという『女の一生』。その後この作品は白い壁で覆われてしまったのだが2003年の改修で再び出現したというミステリアスな運命を持つ作品だ。壁画とこの室内の全体がアート作品として丁寧に保存されているようで、そんな空間に身を置く愉しみを体ごと感じ取ることができる。

さて、カウンター奥にある黒板のメニューを見て、私は「天然酵母のパンピザとキノコのスープ、ドリンクセット」850円を注文する。ピザを一口噛んで、もしやと思い店の人に尋ねると、やっぱり鎌倉の連売(農協連即売所)の市場にある「パラダイスアレイ ブレッドカンパニー」のパン生地だった。しっかりと美味しい。コーヒーも飲み終わり、カーテンの向こうのテラスに出てみた。眼下にすぐ平家池、左には八幡宮の赤い鳥居と浄明寺の山も遠望でき、気持ちいい。春になったら、テラスでランチしたいなあ。夏には今年も蓮の花が咲くだろうか?

陽当たり抜群、心地よくて居眠りしそう。
パラダイスアレイ ブレッドカンパニー勝見淳平さんの作品。
イサム・ノグチのコケシ

神奈川県立近代美術館 鎌倉は、ニューヨークのMoMA、パリの市立近代美術館(パレ・ド・トーキョーの東館)に次ぐ世界でも三番目に古い近代美術館だ。60年を経てあちこち老朽化しているのが目に見える。今となっては“近代”美術館としては小さいが、なんとか保存して、このスペースに合った展覧会を続けて欲しいと思う。美術館そのものが作品なのだから。正方形の中庭の中央にはイサム・ノグチのコケシの石像が池に向かって立っている。開館当時の1951年、彼は鎌倉で新婚生活を送り、魯山人と作陶活動をしていたそうだ。カップルのコケシはいつも微笑んでいる。渡り廊下近くの平家池の中にはアントニー・ゴームリーの鉄の彫刻《インサイダーVII》が立っていて、県立近代美術館 葉山のリアルな肉体の作品とは全く違う作風が面白い。その他にも池に面した1階テラスなどに彫刻作品があるのだが、私が密かに興味を引かれるのが正面階段下(1階入り口)にある水道の水飲み台だ。人造石の色と造形がノグチの《コケシ》を連想させて、もしかして彼のデザインじゃないかと想像してみたりする。

お互いにそっと差し出す手の表情が何とも言えずいい。イサム・ノグチ《コケシ》1951
この曲線のボリューム感がグッドデザイン。
坂倉準三デザインのシンプルで軽快な建物。還暦とは思えない若さ。
池の水を落とした時のゴームリーの彫刻と足組の錆びた鉄。アントニー・ゴームリー《Insider Ⅶ》1998
池のレンコン

正月三が日の八幡宮は大混雑するので敬遠していたが、関東に大雪が降ったあとで初詣に出かけた。小町通りは観光客や修学旅行生で相変わらずの賑わい。八幡宮境内は除雪されて日影に少し残る程度。暮れに行った時は池の水を落としてダンプカー一杯の古いレンコンを掘り出していたが、浚渫作業は一時中断していて、景色がしっとりと馴染んでいた。お参りした後で美術館の喫茶室へ寄った。入場しなくても窓口でカードを貰えば喫茶室だけの利用が出来る。ここを運営するのはROOT CULTUREというNPO法人で、源平池に根ざす蓮にちなんで喫茶室を「rencon」と命名したそうだ。蓮の根のように、鎌倉に根ざす文化の池、交流の場を作って行くのが目的だという。鎌倉は巨大な東京に飲み込まれそうなエリアではあるが、これからは地方が独自性を打ち出していく時代だと、この地に住んでみて私も思う。

残雪の平家池、蓮の花は今年も咲くだろうか?
境内を直進すると八幡宮、左へ曲がれば神奈川県立近代美術館 鎌倉。

神奈川県立近代美術館 鎌倉

現代への扉 実験工房展 戦後芸術を切り拓く

開催中〜2013年3月24日(日)
神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-53 TEL:0467-22-5000(代表)
開館時間:9:30〜17:00(16:30最終入館) 月曜休館(祝日の場合は開館)

喫茶室 rencon(レンコン)
営業時間:美術館の開館日に合わせ、11:00〜17:00(土・日・祝日10:00〜、ラストオーダー16:30)で営業
※ renconは2013年3月24日(日)で営業を終了。喫茶室は4月6日(土)から新たな形態で営業する予定です。