北原徹のバカ買い! Smells Like Teen Spirit - 23 - 2000年S/Sから2009年A/Wへ。<ナンバーナイン>との邂逅。プライベートアイズな丸9年。(その1)
(2009.09.03)黒い闇の海に、黒く服が浮かび上がっては漆黒の闇の入口へと消え入って行った。自分の視力の解像度が落ちて、粒子が荒れた映像のように、脳の隅を疼かせながら、記憶として擦り込まれていく。
その記憶は決して“闇”という映像の記憶ではない。“服”と、そして“スタイル”、さらには“生き方”と呼んでも大袈裟ではない服への愛情と情念を込めた“着こなし”、それが脳に伝達され、いまなおフラッシュバックする“闇”の記憶。
あれは2000年4月18日のことだった。<ナンバーナイン>初のランウェイショーは原宿にほど近い体育館で、その魂を弾けさせていた。
<ナンバーナイン>の動きと呼応したかのように、ぼくも4月の人事異動で女性誌「アンアン」から男性誌「ポパイ」へと、そのステージを移した。まだメンズのシーンを、そこまで知り得ていなかったぼくに大いなる衝撃を与えた。
日本でしかショーを見たことがなかったぼくにとって<コム デ ギャルソン><コム デ ギャルソン・ジュンヤ・ワタナベ><アンダーカバー>に匹敵するショーは本当に初めてだった。
<ナンバーナイン>のショーとぼくの「ポパイ」人生のスタートが、ほぼ同時だったこと(多分、机を物理的に移動した直後だったと思う。辞令が4月1日だったと記憶しているが……)。何かが重なり合い、二重の像をダブラせながら、視力に訴えかけてくる。極度の乱視のように。カレイドスコープを覗いている眼のように。その邂逅をいまでも嬉しく思う。
ただの偶然と言うならそれでもいい。だけれど、その9年後、ぼくらはまた、新たなスタートを切ることになることを考えると、この時の邂逅は、まさしく用意されていた時間なのではなかったか!
信じることが、信じることが、信じることが、人間を深くし、コクを増すことができるのだ。だから信じるのだ、2000年4月こそが、<ナンバーナイン>宮下貴裕さんとぼくのメンズファッションシーンでの、大いなる第一歩だったんじゃないか、と。
ーーと書いて気付く。宮下さんは確かに大いなる第一歩だったけれど、ぼくは……と思うのですが、ここは気持ちを大きく書いていきましょう! って何納得してるんだかーー
今シーズンの服が<ナンバーナイン>の置き土産? となってしまった。このコラムでも、「ポパイ」8月号で書いたエッセイとはまた違った視点、ぼくのプライベート・アイズで宮下くん(いきなり“くん”ですが、親しみという敬意を持って“くん”で書きます!)の記憶を書きながら、バカ買いした<ナンバーナイン>のアイテムを紹介していきます。
トップバッターは、まさにトップバッターなのです! このジャケットは<ナンバーナイン>の2009年秋冬(つまりラストコレクション)のショーのトップバッター=ファーストルックでありながら、ラストを飾った一着です。『a closed feeling』と名付けられたその日のコレクションは宮下くんにとってはすべてを暗示するかのように、まるで歴史や時間を支配し、すべてを決定づけるかのように、気迫を感じたか、というとそうではなく、パリの美術学校「ボザール」という空間は、何かこう“凛”とした空気が降りていて、穏やかな雰囲気があった。
ショーもスピード感がありつつも、いつも以上に一着一着を見せるための美しくもまたゆるやかな時間を産み出していた。
“優雅”という言葉がふさわしいものだった。
そしてファーストルックは、この茶色バージョン。ものすごく悩みました! 茶にするか、黒にするか。宮下くんの茶色の使い方は本当に上手い! チョコレートカラーの上品かつエレガントな佇まいは、世界でも類を見ないと思う。
<コム デ ギャルソン>の川久保玲さんの美しく、ストイックなブルーのシャツをぼくは大好きなのだけれど、この<ナンバーナイン>の茶色使いは本当に“美”というにふさわしいものだと思っている。
だけど、黒を選んだ。
どちらも自分に似合っていたのだけれど、黒を選んだ。いまだに甲乙つけがたいと思っているけれど、黒を選んだ。
あの2000年のショーでのファーストルック。何で買わなかったのだろう……。一番最初と、一番最後。
そう、すべての物事には始まりがあれば、終わりがあるのだ。
朝が来れば夜が来る。終わらないくらい闇に包まれた夜であっても、必ず朝は訪れるのだ。
この本当のラストルックを着る前に、ぼくの「ポパイ」人生は終止符を打ち、いまは書籍部にいる、黒のこのレイヤードジャケットはぼくに始まりを予感させたのかもしれない。
ボタンにかけられた繊細な糸の束。前身頃のホック止めのクラシカルなエレガンス。ポケットに残されたパイピングの誘惑。センターベントから体の動きによって現出するレイヤードの白い上質なシャツ地の快感。そして何より、全体から思わず吐息が漏れそうになる官能的なシルエット。
ぼくは、宮下くんによって、新しいファッションの場所に誘われたのである。
新しい、そして約束されたファッションの地に。
ヴィクトリアン時代のジャケットを切り、同じ様式での柔らかな芯地を使ったこともテクニックを超えた“センス”であり、“エスプリ”なのだということを忘れてはならない。
最後のルックに未来を込めた。そんな服にぼくの未来を重ねて袖を通す。