北原徹のバカ買い! Smells Like Teen Spirit - 21 - 文筆家にはなれないぼく。ノートワークスに流れる“古び”の技。『彼女のいる背表紙』

(2009.08.20)

文章を書くのは好きなのだけれど、いかんせん、頭の中のある部分が才能を出し惜しみをしているらしく、子どもの頃からあまり本を読まなかったという脳みそゆえ、文筆家になれる気がまったくしない。

それはおそらく、言葉の使いかたと、言葉の置きかた、文体、メタファーの技術……、数えきれないので、一言で才能というものが文筆家に達していないのだろう、この脳みそは、と思っている。

いろんな文筆家がいるけれど、同じ学年とか、同じ年の生まれとなると、ただ文章に憧れたり、読んでいてファンになったりといった“尊敬の念”に加えて、何とも言えない悔しさみたいな想いが沸き立ってくる。男ともなれば、やはり、敵わないとわかっていても、(というか、端から敵わないが尊敬しているんだけれど)ライバル心が星飛雄馬と花形満の眼の中の炎みたく、メラメラと勢い立ってくる。(勢い立つなんて言葉はないかもしれないけれど、そんな感じかな、と)

ぼくにとってリリー・フランキーさんは、昔から適わぬライバルとして、いつも尊敬し、彼から原稿をいただくことを生き甲斐にさえ感じていた。彼の原稿は、数年経っても、その時事性におけるネタの古さなど、まったく関係なく古びることなく、読む者を笑いの中へと誘うのであった。

あんな風に文章が書けたら、きっとぼくも文筆家を目指したかもしれない。そう思える素晴らしい文章である。

誰にも真似できない、書き手というプロの魂を感じてしまうのだ。

 

最近堀江敏幸さんの文章をいくつか読んでいて、すごく上手い文章の方だなあと、感じ、ぼくの文章・尊敬リストにしっかり永久欠番として、野球ならぬ文章の殿堂に勝手に入れた、入れたのではあるが、何か心がムズムズしてしまったのである。

そのムズムズはプロフィールを見て、原因がわかった。そう、同じ年の生まれだったのである。それを目にするまで、ぼくは堀江さんを50代か60代の“美しい文章を書く人”と勝手に思い込んでいた。

だって、物事を表現するときに、何かこう静謐(せいひつ)なんだもん!

まるで、テーブルの隅に本の角を合わせて置いたみたいに、ストンと言葉を置く感じ、そう、そこにまるでぼくらが生まれる前から置かれているみたいなあまりにスゥッとした言葉の置き方が、ある種の年季を醸し出していたのだ。

だから、年上だと思っていた。

『彼女のいる背表紙』

ここに描かれている小さな物語も、もはや随筆などを越え、小さなフィクションとでも言えるような幻想へと読者を誘う。それは堀江さんの物語の中に入り込んだ読者が、いづれ、書評というもうひとつの使命である、その“本”の中に迷い込んでしまうのだ。誘われたはずの場所はやがて“本”という大きな迷宮になっていた、というわけだ。

悔しい。

そんな堀江さんの文章に何か合うものはないか、と思ったのだが(『彼女のいる背表紙』は弊社から出ているので買ってない。だからバカ買い! 対象品ではない)、ノートワークスというご機嫌な二人組のフォトフレームを紹介する。何年も古びないであろう、堀江さんの文章に対して、ナイーブな古びの技を駆使して作る気の味わいが気に入って、このところいくつか買ってしまっている。

どうやらかわいい物好きの堀江さんにも気に入ってもらえるかな……と。

 

 

原稿はクリックで拡大します。写真は今回もBlackBerry。堀江さんの本のタイトルは『彼女のいる……』というわけで背表紙写真も。
御原稿は毎度のごとく万年筆で伊東屋の原稿用紙に。クリックで拡大します。
写真のノートワークスのフォトフレームは北原家の玄関に。
ノートワークスのHPはこちら。とってもカワイイので見てみてください。
暑いのでビールばっかり飲んでいる、カレーソーセージのお店が最近できたみたいなのでので行きたい……。