柳忠之のワインの知恵 江戸時代のシャンパンを味わう。

(2009.03.10)

1811年創業のシャンパーニュ・メゾン「ペリエ・ジュエ」が、再来年めでたく200周年を迎えるにあたり、同社の歴史を振り返るメモリアルブックを作成することになりました。この本はペリエ・ジュエのセラーに現存する最古の1825年(現存するシャンパーニュとして最古のものであることがギネスブックで認定されています)から、同社のプレステージ・キュヴェ「ベル・エポック」にとって21世紀最初のヴィンテージとなる2002年まで、20のヴィンテージについて、日本人写真家Makiko Takeharaのインスピレーションによる作品とともに、英国のワインジャーナリストでサザビーズのワイン部長を務めるセレナ・サトクリフMWのコメントを綴ったものとなる予定です。

それらオールド・ヴィンテージのペリエ・ジュエを試飲するイベントが去る3月5日、ミシェル・ベタン(フランス)、マイケル・エドワーズ(英国)、リチャード・ユリン(スウェーデン)、チン・ポウ・チョン(シンガポール)など、10名余りのワインジャーナリストをエペルネに招いて行われ、日本からは葉山考太郎さんと、不肖・柳が招待を受けました。

ボトルを見つめる筆者(右端)。2人隣はミシェル・ベタン、さらに2人目がリチャード・ユリン
試飲中の葉山さん(右端)

ともかく、世紀のイベントであるので前夜の宴からして尋常ではありません。かつてランスの三つ星「ボワイエ・クレイエール」のシェフを務めたジェラール・ボワイエが隠居の身にもかかわらず登場。ペリエ・ジュエの専属シェフ、ミシェル・デュボワとともに、ベル・エポックの1996、1998、1990、グラン・ブリュットの1979、1978に合わせて、「トリュフのパイ包み、ガストン・ボワイエ風、ソース・ペリグー」に始まるトリュフ尽くしの料理を披露してくれました。

12時間の飛行と8時間の時差。ホテルに着くや1時間後には出発という慌ただしさの中での宴にもかかわらず、葉山さんも私も、官能的なトリュフの香りと同じく耽美的なシャンパンに打ちのめされ、旅の疲れなどすっかり吹き飛んでしまったのであります。

翌日は10時より試飲がスタートです。ペリエ・ジュエのセラーマスター、エルヴェ・デシャン氏とセレナ・サトクリフMWのリードのもと、20ヴィンテージを3つのステージに分けて進めます。ベル・エポックは1964年が初ヴィンテージなので、それ以前のものは通常のミレジメとなります。64年以降のヴィンテージでも75年と76年はグラン・ブリュットと名付けられたミレジメでした。ちなみにベル・エポックとミレジメでは品種構成が異なり、後者の方がシャルドネの比率が少なく、その分ピノ・ムニエが増えるそうです。

それにしてもヨーロッパのワインジャーナリストの質問は鋭いですね。「ドザージュに使用したリキュールは何年のものか」「当時のガスの気圧はいかほどか?」など、矢継ぎ早に質問が飛びます。「法的にミレジメが単一のヴィンテージから作られることになったのは1952年からだ」と、あまり知られていない事実も飛び出しました。こちらは試飲に集中するので精一杯(トホホ)。

この試飲にはもちろん、エミール・ガレ作アネモネ・ボトルも美しいベル・エポックのファースト・ヴィンテージ、1964年も含まれていました。「うちの奥さんの生まれ年か・・・」と思いも複雑。70年代あたりから次第に気泡は弱々しくなってきて、64年はほとんど泡立ちなく、口に含んでペティヤンな感触が残る程度です。一方、香りと味わいは、クレーム・ブリュレのようなカラメル香とアルコールの力強さがあり、複雑な余韻が止めどなく続きます。ファースト・ヴィンテージのベル・エポックはクラマンとアヴィーズの自社畑で収穫されたシャルドネ100%によるブラン・ド・ブラン。次の66年からはバランスをとって黒ブドウが含まれるようになりました。現在のベル・エポックは50%のシャルドネに45%のピノ・ノワール、5%のピノ・ムニエという構成です。93年から造られるようになったベル・エポック・ブラン・ド・ブランはこの64年のオマージュというわけですね。

いよいよヴィンテージが19世紀に突入して、興奮は一気に高まります。ただ西暦を並べただけではピンと来ないでしょうから、日本での出来事も加えることにしましょう。1892年は明治25年。一時、お茶の間を賑わした双子の姉妹「きんさん、ぎんさん」の誕生年です。1874年は明治7年。読売新聞がこの年創刊。1858年は安政4〜5年で、とうとう江戸時代。井伊直弼が大老就任。徳川家茂が第14代将軍に就任したのもこの年。1846年は弘化3年。遠山の金さんが南町奉行をしていたのはこのあたり(時代劇で知られる金さんの北町奉行時代はもう少し前)。そして最古の1825年は文政8年。外国船打払令発布。将軍は11代徳川家斉でした。

唯一、1892年がブショネだったのを除いて、他のシャンパンはすこぶる健全。とはいえ、1846年や1825年はワインという存在を超越して、何か別の液体を飲んでいるようでもありました。

それまで私が口にしたオールド・ヴィンテージのワインは1858年のムルソー・シャルム。33年、記録を更新したことになります。1825年のペリエ・ジュエはセラーにもう2本残っているはずですが、それを再び試す機会は得られるのでしょうか? ペリエ・ジュエが300周年を迎えるまで、せいぜいたくさんの美味しいベル・エポックを飲み、長生きに努めるしかなさそうです。

まるごとトリュフを包んだパイ。10センチほどの大きさ
今回ホストを買って出たセレナ・サトクリフMW(左)とペリエ・ジュエのセラーマスター、エルヴェ・デシャン(右)
1825年のコルクはこんな感じ。ペリエ・ジュエのシャンパンはすべて、瓶詰めから8年後にはデゴルジュマンされている