山本嬢の王道と邪道のはざまで case 8:さよなら我が青春! 六本木のディスコ『マハラジャ・サルーン キング&クイーン』閉店。

(2010.08.20)
六本木『マハラジャ・サルーン キング&クイーン』最終日のダンスフロア。

なんとなーくウワサは出回ってたんですが、それでも実際に判明したのは、なんと閉店まであと1週間切った頃。
ディスコ情報通の友人K嬢から、突然のメールが送られてきました。

『来週火曜日で、閉店するらしいです』

なぬぅっ

日本一有名なディスコ『マハラジャ』の、さらにゴージャス版であった『マハラジャ・サルーン キング&クイーン』(以下『マハラジャ K&Q』)が7月27日(火)を持って閉店、という悲しい事実に打ちのめされたのでした。

なにを隠そう、我が高校の卒業パーティは麻布十番時代の『マハラジャ』で開催。高校生最後の日、ジュースを飲みながらも、まぶしいライトと大爆音に酔いました(バブリーですみません)。おかげで、今でも私のディスコ観は『マハラジャ』が基準なのです。

日本全国に広がった『マハラジャ』が急速に静まり、1997年には完全に消えた『マハラジャ』の火。その火が2003年に六本木『マハラジャ』として再度燃え上がったときには、そりゃもう鼻息荒く出陣! 
その後、2007年にオープンした『マハラジャ福岡』にも遠征。六本木より広いダンスフロアに、『福岡っていい都市だなー』って思いました。あくまでディスコ中心の評価ですが。

気が付けば、『マハラジャ福岡』が思い出の中だけの存在となり、そして今度は六本木の『マハラジャ K&Q』まで消え去るなんて……。
『なら、最終日に行かなきゃね』
と、ディスコ仲間でもあるK嬢と一緒に、最後のひと踊りを堪能すべく足を運んだのでした。
 

ボディコンは永遠なり。若い頃の体型を維持。お見事です。
でも、どこで売ってたんだ、その服?

さすが最終日、フロアもVIPルームも人でギッシリ。常連さんと思しき見慣れた顔が勢ぞろいし、また『マハラジャ』を卒業していったスタッフの姿も。実は、有楽町『CLUB DIANA』名古屋『PLATINUM』など現在盛況なディスコのスタッフも、多くはマハラジャ出身者だったりするわけで。錚々たる顔ぶれがズラリ、これこそまさに『マハラジャ』の卒業パーティですよ。

『それにしても、なんで平日に最終日もってくるかなー』
と二人でボヤいてたら、隣にいたお兄さんが
『俺、先週末から連チャンで来てるよ。有休もとったしね。君たち、先週末は来てた?』。
……あ、私たち、今日だけで……。
『俺、昔は仙台と札幌のマハラジャ行ったことあるけど、仙台がよかったな。ね。君たち、仙台のマハラジャは知ってる??』
……いやもう、まだまだヒヨッコですみません……。

一部のマハラジャ・フリークたちは、全国のマハラジャを行脚し、また真鍮製ライターをはじめとするマハラジャ・オリジナルグッズを大切に保存しています。踊る踊らないに関わらず、マハラジャへの愛にはいろいろなカタチがあるのです。

ダンスフロアでは、マハラジャの社長自ら歌うというビックリ企画で全国に流行したカバー曲が次々とかかっていました。そりゃ、最終日だものね。
 

『マハラジャ』の代表曲『INTO THE NIGHT』がかかると
イントゥーザナアアアィッ♪ ウォーウォー♪

突然、お立ち台の姉さんがポージングして止まったな、と思ったら『TURN AROUND AND COUNT 2 TEN』のイントロ。きっと何百回と同じ曲で踊ったであろう姉さん方。ああ、マハラジャ滅亡後、この人たちはいったいどこへ行くんだろう……。

と、人の心配してる場合ではありませんでした。私たちだってどうするんだ、ストレス発散の妙薬が消えていくというのに。
私の横では、私の100倍マハラジャを愛しているK嬢が
「いや~ん、もう私、号泣しそう……」。

しかし次の瞬間、K嬢の涙腺ウルウルを察したのか、裏からナイスな情報が囁かれました。

「マハラジャの再々復活を願い、奔走している人がいるらしい。」

もしかしたら、マハラジャで育ちマハラジャを愛した誰かが、またマハラジャ帝国を再建してくれるのかも。
よーし、その日まで自宅でコアリズムのDVDでも眺めながらノンビリと……
あ~、いや、いつになるか分からないんで、やっぱり有楽町『DIANA』で待つことにします。
K嬢、泣いてる場合じゃない! さあ行くよっ! 

ふと、『ジーク・ジオン』って叫びたくなりました。なんとなく。