田中晃二の道草湘南《犬の鼻、猫の舌》 八ヶ岳のギャラリーと
新蕎麦と軽井沢のアトリエ。

(2011.12.13)

秋の夜長、根津の小料理屋で

パリから細木さんが一時帰国した。細木さんは、パリ郊外ジャンティイにギャラリーとアトリエを持つアーティスト。私がパリで暮らしていた時に画廊巡りや内蔵料理店探検を指南してもらい、このブログの前身『エリアナビ fromパリ』にも何度か登場していただいたことがある。パリのアトリエ中庭の美味しいBBQ、前の晩から煮込んだ羊肉のクスクス、レンコンを練り込んだ鶏つくね鍋など、私にとってはキュイジニエとしての細木さんのイメージが強いのだが……。

かつてパリの細木さんのギャラリーに集った、現在は東京在住のアーティストたちが旧交を深めようと、11月のある夜、根津の赤札堂裏にある飲み屋というか小料理屋に集合。学生の頃からよく通ったという店で、チーズの代わりに穴子の白焼き、赤ワインではなく焼酎、内蔵系では白子にかぼすを絞って、酒と肴は変ってもパリと変らない楽しい一夜を過ごしました。

その席で、細木さんの友人のAOKItakamasa氏が、山梨県の中央高速長坂インター近くにある『TRAXギャラリー』で写真展を開催中なので見に行きたいという話になり、週末のスケジュールや天気予報を考慮して、じゃ、私のクルマで明日行って見ようということになった。

八ヶ岳のギャラリー

朝9時、新宿伊勢丹前で細木さんと待ち合わせる。パリでも東京でもケイタイを使わない主義の細木さんなので、わかりやすい集合場所でなくてはいけない。初台から高速に乗り、中央フリーウェイをひたすら西へ走る。左の窓に見えて来た富士山が、笹子トンネルを抜けるとバックミラーに映って、あっという間に長坂に到着。ギャラリーの所在はクルマのナビに入力したのだが、上手に使いこなせない私はグーグルマップのプリントを見ながらの運転。

しかし、畑の中を迷わず一発で到着できた。アナログの地図の方がアタマに入りやすいのは、世代の問題だけとは思えないのだが。桜の木がある小さな運動場にクルマを停めてギャラリーへ向かうと、な、なんと、締まっていた。

えーっ、東京から来たのに。金曜から月曜までがオープン、きょうは木曜だった。ホームページに英語で書いてあったのを思い出したが後の祭り、くやしい、日本語だったら記憶に残ったのに、諦めきれずに玄関廻りをうろついていたら、女性に声をかけられた。運良くギャラリーのご主人らしく、これから昇仙峡へ紅葉狩りに行くところ。細木さんが経緯を説明して、特別に開けてもらった。ラッキー。

時間が止まったような

廃園になった保育園を改装した正方形のギャラリーは、適度な広さの心地よい空間だ。初めて見るAOKItakamasaの静かな写真を見るのにぴったり。30点ほどの写真をぼんやり眺め、ここへ来た記憶にと音楽CDを一枚買う。そろそろ昼メシ時、近くに旨いもの屋はないかご主人に尋ね、木曜日はこのあたり休みが多いそうだが、山梨名物ほうとうの店と蕎麦屋を教えてもらう。新そばの季節でもあるし、ここは清里にある蕎麦屋だなと細木さんと意見は一致した。

だったら途中にある吐竜(どりゅう)の滝をぜひ見物したらと、観光案内までしてもらった。ありがたい。南アルプスを望む庭でご主人とギャラリーの四方山話をしていたら、ご近所(といっても長野県佐久)に住んでいるギャラリー仲間の澤さんの話題になり、細木さんの友人でもあったので電話をしてみると、清里で蕎麦を食べるんだったら野辺山の天文台まで足を伸ばしたらと、またもやガイドしてもらう。興味もあったし、昼メシ食べてから考えようってことで出発。

今頃はもうストーブが活躍してるだろうな。
時間が止まったような空間で、時間が止まったような写真を見て。



左・枯れてなお鮮やかな色を残したドライフラワー。 右・ギャラリーの庭からは南アルプスが一望。

左・食用菊を干して、お茶にするそうだ。 右・ギャラリーの別棟はハンモック専門店。束芋さんもハンモック派らしい。


信州の新蕎麦

長坂から八ヶ岳の麓を北へ登り、甲斐大泉と清里の谷間にかかる大きな橋を渡った先に、吐竜の滝入口の看板を発見。葉を落として明るくなった雑木林の遊歩道を渓流沿いに10分ほど進み、八ヶ岳高原線の鉄橋を過ぎたあたり、急峻な谷を幾筋かに別れて流れ落ちる優雅な滝が現れた。いかにもヤマメが住み着いていそうな素敵な渓相だ。だが竿も用意してないし、この季節は禁漁だから釣りはできない。滝を見てマイナスイオンを浴び、お腹もすいて、清里の蕎麦屋、『草五庵』へ向かう。

平日だったが昼時で満席だ。駅近くのパン屋のカフェで時間をつぶす。静かだ。この半世紀、清里はずいぶん変わった。私が知っているのは新宿発の夜行に乗って小淵沢に早朝到着、小海線に乗り換えて清里へという40年以上も昔の時代。友人と新宿のジャズ喫茶に遅くまでいて、なんとなくの流れで夜行列車に乗って清里へ、というのがあの頃の気分だった。広くなった国道沿いの『草五庵』に戻り、鴨せいろを注文する。美味しい。十割と書いてあったので固めと思ったら更科のように白く、さらさらと口当たりが良かった。鴨の付け汁も濃くなく上品。二人とも満足して、佐久の澤さんにもう一度電話してみると、図書館がある公園で会おうかということになったようだ。天文台は今回パスして、旧交を深める方を優先する。

吐竜の滝を眺めていたら、ちょうど高原線の鉄橋を電車が通過した。
浅間山の麓、束芋さんのアトリエ

八ヶ岳の麓を高原線(小海線)と千曲川に沿って北へ走る。図書館で落ち合った澤さんと細木さんは、ヨーロッパで一緒に仕事をした(遊んだ?)仲間だということだ。澤さんの提案で、軽井沢の山の上に住んでいる束芋さんのアトリエに遊びに行こう、という突然の展開になった。私は束芋さんの絵を新聞の連載小説で見たくらいだが、二人にとっては旧知の仲間らしい。澤さんを助手席に乗せ中軽井沢へ向かう。

星野温泉を過ぎ、雑木林の丘陵をくねくね登った山の上に束芋さんのアトリエがあった。玄関から広いサンルームを覗くとフレンチブルとボストンテリアが飛び出し、束芋さんと一緒にギャラリー屋上の広いテラスに走って行った。手摺の無い舞台のようなテラスは開放的で見晴らしが良く、浅間山に手が届くようだ。高所恐怖症の細木さんはへっぴり腰だったが、ここでBBQをしたらさぞや楽しいだろうな。サンルームへ戻ると温室のように暖かい。

コーヒーをご馳走になり(なんと手土産も持たず、突然遊びに来た私たち)、束芋さんと澤さん、細木さんがヨーロッパの昔話などしていると、ブヒブヒとワンコが合いの手を入れる。周りは360度雑木林、山の中の一軒家。こんな静かな場所で制作をすると、集中し過ぎて煮詰まっちゃうんじゃないですか?と尋ねたら、最近はテレビの朝ドラを見たりして平気です、という答え。『カーネーション』私も見てます。陶芸家の母上(田端志音さん)の作業場と斜面に建つ窯を見て、作品を展示したギャラリーへ行くと、中には茶室が設えてあった。日本の伝統模様を染め付けた皿や、乾山写しの豪華な赤絵など、見飽きない。夕陽が沈む頃、妹の芋々さんが買物から帰って来て、2階の束芋さんのアトリエも見せてもらった。いろんな面白いオブジェがあちこちにあって、部屋全体が作品みたいだ。私が一番気になったのは珍しいナナフシや怪しい蝶など、昆虫の標本箱。姉の束姉さんと誕生日のプレゼントをし合ったそうだ。

屋根の上のテラスは冬枯れの雑木林の海に浮かぶ桟橋だ。浅間山まで船で行けそう。
静かな静かな、軽井沢の山の上のアトリエ。



左・大胆な模様の染め付けは、手に馴染んで使いやすそうだ。 右・五人囃子の笛太鼓、志音さん作のかわいい雛人形。

左・春になれば、いろんな山菜とか、山野草が茂るんだろうな。 右・アトリエ隣りの窯の小屋には、薪が壁のように積んであった。


旧中山道、夜の賑わい

すっかり暗くなるまで仕事の邪魔しちゃったので、そろそろおいとましようと外に出ると、足元も見えないほどの真っ暗闇。懐中電灯を用意してもらい、丘の下に停めたクルマの所へ戻る。空を見上げると、星がいっぱい。北斗七星も北極星もくっきり見える。エンジンをかけたらアラーム音がするので何かと思ったら、いつの間にか気温は2度になっていた。束芋さん、突然の訪問なのに、案内をありがとうございました。とても楽しい時間でした。緑の季節に、また行ってみたいなあ。

澤さんを佐久まで送る途中、もう一度、信州信濃の新蕎麦を食べて東京へ帰ろうと、澤さんの案内で新幹線の佐久平駅近く、『磊庵(らいあん)はぎわら』という蕎麦屋へ向かう。『ライアンの娘』って映画があったね、と私が言うと、「ライアンエアー乗ったことある?」と細木さん。駄洒落はパリの稲葉さんに任せて、天ぷらと鰊の煮たのに、せいろを注文。澤さんが取った手碾き蕎麦を一口もらったら、太く色も濃く、腰も強い。細木さんは、せいろ一枚お代わり。昼の蕎麦屋とは甲乙付けがたく、これは好みの問題か。信州の蕎麦はやっぱりレベルが高い、と実感。だが心残りなのは、山梨の鶏もつ煮込み。こんど行くときは是非食べましょう、細木さん。旧中山道沿いにある岩村田本町商店街の賑やかな灯りを後に、佐久インターから上越道へ入り、関越の練馬から環八の井荻駅で細木さんを下ろし、逗子に着いたのは夜10時半、550キロの楽しい道草ドライブだった。