北原徹のバカ買い! Smells Like Teen Spirit - 32 - 写真集という楽園へ。ある日の神保町、そぞろ歩き。老舗の店で人生の奥行きを知る。
(2009.11.05)太陽が眩しい。
それはギラギラというより、光の純度が増し、眼を刺してくるような、そんな“光の質”を感じながら歩いていた。
空は澄み切っていた。青い空は、まるで遠近感を失ったかのように、その青さを誇示していた。時々、白い線のように飛行機がゆっくりと青い空を切り裂いていた。
九段下の駅をから靖国通りを神保町に向って、ショートブーツはビートルズの“Long Tall Sally”を口づさむようにリズムを刻んで、古本屋の入口から中へ、そして外に出て、また次の店へと向う。
肩にかけた帆布の小さめなレッスンバッグが少し膨らみかけたところで、喉が乾いていることに気づく。
“さぼうる”もいいかも知れないが、“ランチョン”で生ビール、というのも捨てがたい。あぁ、生ビールが誘う。
眩しい太陽がぼくをニラんでくるが、生ビールの誘惑は、純度の高い太陽の光より眩しかったのだ。
生ビールを咽喉に流し込み、古本屋街に眼を向ける。古本の街は影の街でもあったのだ、本の劣化を防ぐため、日影になるように店を作る。
そんな街で収穫した写真集や写真論をぼんやりと眺めながら、生ビールをまた喉へと放り込む。
アンドレ・ケルテスの視点に戸惑いを覚えたり、マン・レイの悪戯に心躍らせレ足り、リオット・アーウィットの恋する写真に、一緒に恋をしてみたりしたのはすべてこのランチョンだった。
ふと、何かがフラッシュバックする。
パリの街角。冬の空。小粋なカフェのアウトサイドのテーブルと椅子。
買ったばかりのラルティーグの写真集を小脇にかかえていた。
寒く、透き通った空気の中で、ぼくはビールを飲みながら、冷えきってかじかんだ手で、そのラルティーグの写真集を1ページづつ開いていく。
裕福で、穏やかな写真が並んでいてその写真集を閉じて、そして、抱き締める。
その時も、ぼくの耳の中でビートルズが流れていた。
“All my loving”
パリにはライカを持っていった。パリは写真に撮りたい街だった。そんな街角でラルティーグの写真と会話した。空は晴れていた。
生ビール2杯でランチョンをあとにした。
何軒かひやかして、源喜堂に足を運ぶ。
ここではかつて、ブルース・ウェバーの名写真集“O RIO DE JANEIRO”を買った。あの日は暑かった。幻の写真集と唱われるこの写真集と出会ったことで、ぼくは高揚していたのだろう、と思う。
少し歩いて、神田“まつや”に入って、狭い席で瓶ビールを注文し、ブルース・ウェバーの昂る魂に触れた気がした。
神田神保町の古本屋街をそぞろ歩きをして、“ランチョン”や“まつや”、“さぼうる”、や“神田薮”で休憩をするのは、ぼくにとって、いや多くの古本好きにとっての“至福の時間”なのだ、と思う。
そして、こういう行為は、なぜか一朝一夕には身につかない。店に居る先達を見るにつけ、その奥行くの深さに関心させられるのだ。
人生とはかくあるべき、とでも居えそうな本質に出会った気がする。
薄っぺらな人気の店を探訪するのもいいと思うけれど、老舗飲食店には、そこにしかない歴史があり、文化がある。その文化に触れるだけで、ピリピリとした感触が体を駆け抜け、自分が好きな文化をほんの少しだけ吸収した気がするのだ。
そしてそこには古本屋街という演出とお気に入りの“本屋”という小道具が書かせないことは言うまでもない。
ところで、チチャード・アベドンの、これまだ幻の写真集と表される『MADE IN FRANCE』は本当に、ずっと探していた。パリの古本屋でも、つたない英語で尋ねてみたりもした。「さっきまであったよ」と店主が言った。買ったのは知り合いも知り合い、人気スタイリストの馬場圭介さんである。
本当に一足違い、というやつだった。
しばらくして、中目黒で吉田カバンの桑畑くん、長谷川くんと待ち合わせした。彼らから電話が来て、待ち合わせを駅前からアートバードという古本屋に変えようと言われた。そこには『MADE IN FRANCE』が鎮座していた。
高かったけれど、即内金を払って、購入決定。その日は飲む約束だったので、失くしたりするとイヤなので、取り置いたのだった。
だけれど、そこに写真集はなかったけれど、そのにはもちろうん祝杯だった。
好きな写真は高くて買うことがなかなかできないけれど、写真集を眺めるのは少しだけ無理をすればできる。
その週のうちに『MADE IN FRANCE』を取りに行った。結局、その日も飲んだんだけれど、積年の恋をしてしまった、その写真集は、その日の僕を酔わせてはくれなかった。