田中晃二の道草湘南《犬の鼻、猫の舌》 手筒(てづつ)花火を見に、
遠州浜松まで。

(2012.08.27)

花火の伝来

今年の夏は、逗子、葉山、鎌倉と、ご近所の花火をすでに3回も見物した。去年は大震災に自粛して各地の花火大会が軒並み中止になったが、そもそも花火は江戸時代から享保の大飢饉や疫病コロリの大流行など、厄災を払って死者を弔う目的で、両国の川開きに合わせて打ち上げたのが始まりだとも言われる。慰霊と鎮魂というコンセプトからすれば昨年も開催すべきだったと思うのだが、震災だけでなく原発事故の被害の甚大さに、花火を打ち上げる気持ちの余裕が無かったというのが実情だったと思う。隅田川の花火も今ではお祭り行事となったが、花火の歴史を調べると鉄砲伝来時の黒色火薬が原点とされ、1613年には家康が駿府で、外国人が打ち上げる花火を見物した記録が残っている。この時の花火は、玉を筒に入れてドーンと打ち上げる現在の花火ではなく、火薬を筒に詰めて噴水のように吹き上げる手筒花火だったらしい。この外国伝来の技術は徳川の砲術隊に伝わり、三河や遠州では合戦の狼煙(のろし)に使われたそうだが、戦国の世も終わると五穀豊穣を願って神社に奉納される花火と変わる。外来の花火は一方で江戸にも伝わり大人気となり、「玉屋〜鍵屋〜」など日本独自の菊や牡丹と呼ぶ割物の打ち上げ花火に進化発展することになる。

2人揃いの手筒、右の人はそろそろ鎮火
炎の芸術
姫街道の三ヶ日宿

東海道を江戸から京へ上ると、遠江の見付宿(静岡県磐田)から三河の御油宿(愛知県豊川)までの間は、浜名湖の北側を“姫街道”と呼ばれるバイパスが通り、当時は女旅人たちで賑わったそうだ。ところで東名高速道路が今年の春に御殿場から三ヶ日まで第2東名として部分開通したが、これは“姫高速”として女子ドライバー専用と言うわけではないだろうが、トンネルは明るく車線も広く走りやすいのでスピードに注意だ。まあそれはともかく、江戸時代に姫街道の宿場町として栄えた三ヶ日で8月初めに『三ヶ日祭り』があり、手筒花火が奉納されるということを友人から聞き、花火好きの私としてこれは見逃すわけにはいかない。祭りは三ヶ日の姫街道沿いにある濱名惣社神明宮の例祭で、3日の晩に『花火迎え』、4日の『宵祭り』には神明宮に6町の屋台が集合し、少女たちの舞と手筒花火が奉納される。5日の『本祭り』では6町の太鼓台が神明宮に集合し、奥浜名湖では打ち上げ花火大会もあるそうだが、4日の宵の手筒花火に注目だ。

姫街道は旅がしやすい安全な道路だったという
上神明町の屋台の上で子どもたちは太鼓を叩く
火炎放射器かロケット弾か

手筒花火とは、火薬を詰めた1メートル程の竹筒を人が抱えたまま打ち上げる危険な花火だ。そのため、竹を切って筒を作るところから火薬を詰める工程までのすべてを、花火を上げる本人の責任で製作するという。筒にする太い孟宗竹は割れないように油気を抜き、節を抜いて削り、飼料用の厚い袋紙や畳表で何重にも巻き、最後に荒縄で巻き締める。黒色火薬に鉄粉を混ぜ、焼酎で適度に湿らせ、棒で突きながら筒に詰め込む。この時の湿度の加減や詰め方で花火の勢いが決まり、下手をすると爆発する恐れもあるそうだ。竹の節にあけた花火の噴出口は粘土で補強し、最後まで節が高温で焼けない工夫がされる。穴の直径と花火の火柱の高さは比例して、小さ過ぎると爆発の危険が高くなるそうだ。火薬の底には「ハネ粉」と呼ばれる小粒の黒色火薬を少量詰めることで、ズドンと爆発する大音響と閃光で花火が終わる。これはもう花火というより武器弾薬に近い。製作から打ち上げまで戦闘態勢で緊張の連続だ。

この勇姿、誰に見せよう?
ハネ粉が破裂した瞬間
花火の原点は祈り

4日の宵祭り、手筒花火は緑深い神明宮の境内で奉納されるが、その前に街道筋を曵き歩く屋台を見物に行った。東町、西天、東天、上神、下神、西町と6町の屋台と太鼓台が、町の子どもや老若男女の半纏姿の人たちに曵かれて宵の旧街道を神明宮へ向かう。寂れた小さな町の何処からこれだけの人たちが祭りに集まって来たのか、旅行者の私には不思議な光景だった。神明宮の境内に集まった花火を上げる若者たちは神主さんからお祓いを受け、いよいよ手筒花火が始まる。町名と名前が告げられると、若者が手筒を抱きかかえて登場する。点火するなり相撲の四股を踏むような姿勢で筒を抱え、上向きに固定すると勢いよく火の粉が吹き出す。シャーッという火柱が立つ音、パチパチ爆ぜる音、火の粉は炎となり天を焦がす。長い時間に感じたが30秒ほどだろうか、火勢が弱くなると手筒の底が閃光と大音響で爆発して花火は終わる。間近で見たので、煙が目にしみる。打ち上げる若者は火の粉にまみれそれどころではない。なんと単純で豪快な花火だろう。背中合わせの危険に官能的な匂いも感じた。この夜は200本あまりの手筒が、6町の若者(女子もいた)たちによって順番に奉納された。最後には6町が工夫を凝らした大筒の仕掛け花火も打ち上げられた。花火は見て楽しむものというこれまでの概念が少し変わったが、じゃあ手筒花火を打ち上げてみたらと言われても腰が引ける。しかし花火の原点に触れる思いで見飽きなかった。来年も見に来ようかな、最終日、本祭りの花火大会では奥浜名湖で2尺玉の打ち上げもあるようだし。

東町の大筒と仕掛けは、火災現場のよう
纏にも仕掛け花火が

左・陽も沈む頃、太鼓台が神明宮にやってきた
右・6か町が揃う。本殿には火の粉が被らないよう覆いが

左・花火というか、火祭りというか
右・微動だにしない仁王立ち