田中晃二の道草湘南《犬の鼻、猫の舌》 波佐見と書いて、はさみと読む。

(2012.03.08)

梅の開花

3月1日、昨日の雪とは打って変わって、うららかな春の日だ。通勤電車が北鎌倉駅に停まった時にふとホームに目をやったら、梅が咲いている。3分咲きぐらいだろうか、今年は首都圏ばかりか全国的に梅の開花が遅れているのがニュースになる程の2月の寒さだった。今年の冬は特別だ。休日は冬眠を決め込んでいるわけではないのだが、散歩してみようかという気分になかなかなれず、結果このコラムも滞っている(と、天候のせいにするのは、やっぱり良くないな)。水仙が咲いているのは正月頃から見かけていたが、梅のことはもうすっかり忘れかけていたよ、やっと咲いたか。

陶器の里

2月中旬、法事で長崎へ帰った時も空港は小雪が舞っていた。長崎は南国のイメージを持たれがちだが、住んでみると裏日本っぽい気候であることを実感することが多い。空港まで迎えに来てもらったクルマで、大村湾を左に見ながら長崎とは反対方向、佐賀との県境の山道を進む。嬉野温泉を過ぎて、もうひとつ峠道を超え、着いた所は長崎県の波佐見(はさみ)町。この辺り、すぐ北には有田、さらに伊万里と、江戸時代からの焼き物の産地だ。去年の暮れ、東京でちょっと変った(というか可愛い)陶器のボタンを見つけ、その工房が波佐見にあるということを聞いて、長崎へ帰るついでに寄ってみようと思った次第。事前に場所を調べて行ったのだが、目的地は県道から畑の中の脇道を入ったところで、目印もなく見つからない。付近で唯一目立つ骨董屋のオヤジさんに聞いて、ようやく辿り着いたが、久しぶりに聞く“ジゲモン(地元の人)”の長崎弁というか、佐賀弁のリズムが心地よかった。

谷間に広がる波佐見の窯元。正面に巨大な登り釜の跡が見える。
波佐見焼きの植木鉢かなあ?


焼き物と生き物

長岡千陽さんの工房の2階にあるギャラリーで、件のボタンと再会することができた。小さな手鞠のような繊細なボタンもいいが、いっしょにあった泳ぐ人の箸置きもユーモアがあって面白い。レース模様がレリーフ状に浮き出した一輪挿しの制作工程の説明を聞いたのだが、曲面の型をつないでとる手法が、理屈はわかってもなかなかイメージ出来ない。根気のいる作業だということはわかったのだが。千陽さんの作品に繰り返し出て来るモチーフが、海の動物や植物のフラクタル構造みたいだ、などとおしゃべりしながら小一時間もお邪魔してしまった。いっしょに行った妹は鮮やかな青の皿を、私はナマコのようなユニークな蓋付きの壷と、レモンの形のレモン色の長皿を求めた。帰りの荷物が重くなってしまうなあ。

レリーフ状の模様が繊細な一輪挿し
クロール、背泳、バタフライ、足を突き出したシンクロもあるのだが。


ブローチの繊細さ、軟体動物のようなユーモラスなオブジェ
フラクタル構造の、海の生き物?


民芸の原点

波佐見は日常使いの染め付け皿や青磁の生産で、江戸後期には全国一を誇ったそうだ。精緻な伊万里(鍋島)の染め付けもいいが、筆の勢いで描かれたような波佐見の染め付けには、民芸本来の飽きのこない味が感じられ、歳とともに好きになってきた。古い窯元が残っている川沿いの道を中尾山へ登って行くと往時が偲ばれ、焼き物好きにはたまらない。中尾山のふもとの西の原に、廃業した窯元の倉庫や事務所をそのまま生かしたカフェや雑貨店があったので寄ってみた。天井の梁には白い碍子と電線が走り、ホンモノの昭和(いや大正?)ノスタルジーに浸りながら暖かいカフェオレを飲んでいたら、先ほど別れたばかりの長岡さんとばったり会った。コーヒー豆を買いに来たらしい。カフェも雑貨屋も、東京の恵比寿あたりにでもありそうな今っぽいインテリアで、私は日本の西のはずれの小さな街にいることを忘れるところだった。

廃業した製陶所の広い敷地に残った木造の建物。
雑貨屋やカフェに再生。