新岡淳のトラディショナル・コスチューム 春が来る前に。

(2010.02.17)

暦の上で春になると何だかホッとするのと同時に気持ちが華やいできませんか? 私は豆まきが終わるとワクワクしてきます。外の空気は最高に冷たい時期なのに。

冬が来る前に色々なことを片付けて という話はイソップ物語の蟻さん談義で小さな頃から刷り込まれ、皆さん理解出来るのですね。今から起こるであろう困難を凌ぐための準備。この国の国民性に大変合った寓話として受け入れられるのでしょう。いや、キリギリスは翌年まで生きていないからせっせと備蓄に励まなくて良いのだ という話はさておき……。

ところが春を迎える準備となると何故か語り継がれるものが思い当たりません。
それは農耕と密接に季節を過ごしてきた昔から春の準備も冬を迎える前に済ませておくという律儀な前提からかもしれません。暑い夏、せっせと働いて実りの秋を迎え、冬はおろか春の準備まで済ませた後は、作物と一緒に長い
休暇だったのでしょうか。そこには、この国独自の前準備と段取りを整えるというひとつの文化が見え隠れしていると私には感じます。

きものの世界も季節の先取りといって、例えば柄に桜が入った帯や、きものは桜の花が咲く前から、牡丹は夏から、サンタクロースがモチーフ(!)のものは11月に入れば・・という様にシーズン前から着用すると言われています。多分に茶道の影響の強いルールのようですが、これも文化と言えるものですよね。

文化というものは隔絶されたエリアで育まれる と言われます。島国根性などと揶揄されますが、島国だから仕方ない。逆に島国だからこそ今を生きながら次の準備をするという素晴らしい国民性が培われたのではないでしょうか。

グローバルスタンダード。それは果たして何処の国の標準なのでしょう。
私は遠い外国で行われる戦争の報道、餓えに苦しむ子供たちのドキュメント、市井で乱射される銃世界の実態を捉えた写真を見るたびにこの国に産まれたことを感謝します。

和を以て貴しと……から始まる条文を今も気持ちの何処かに内包している社会と人を尊ぶことを一番に考えられている衣装をまとった心優しき人たちで構成されるこの国、きものが似合う国に生まれて良かった と。
 

シースルーコート着用時。カワイイでしょ。
光にかざすと透けて光が通ります。

話がズレかかって来たので修正です。
帯やきものの春が来る前にすること。

今年は羽織や道中着に気を遣ってみては如何でしょう。
きものは、帯が周りから見えるがままの姿で自己完結している衣装ですが、帯ときもののコーディネート以外に、その上に羽織るものが加わることで更にオシャレが身近になります。

近年、低迷し通しのきもの業界で好調なのが、羽織などに代表される薄いコート類。数年前から帯やきものが薄く透けて見えるシースルータイプのコートが流行りだしています。
昔は塵避け(ちりよけ)という何となくその道を極めた人が持つ付属品のイメージがあったものですが、パステル調の柔らかい染めが入ったものが、とてもオシャレで一昨年くらいから沢山見かけるようになりました。確かにこれを纏うとかわいい、いやすみません。可愛く見えます。いやもっとすみません。
 

シルクレースのきものコート生地です。
シルクレースの透け具合をごらんあれ。

昨年くらいまでは、色や柄が固定気味でしたので、そのシースルータイプのコートを着た方が数人集まると、何処かの制服かしら と見えたものですが、今年は色も柄もたくさんのバリエーションが出来てきています。やはり流行りものは3年経ったくらいに買うのが……。
今までに買われた人、ごめんなさい。
春を迎える準備、タンスの中からきものに風にあてるときに、かわいい羽織を思い描いてみては。