Creators 日本の品質を世界に伝える
JAPAN QUALITY REVIEW 。

(2011.06.28)

■篠塚 順 プロフィール

『JAPAN QUALITY REVIEW』発行人兼編集長

(しのづか・じゅん)1959年生まれ。学生時代に文藝春秋や光文社の写真週刊誌でパシリとして業界デビュー。1985年に編集プロダクション『デジタルライツ』を意図せず設立。『週刊プレイボーイ』(集英社)、『DIME』(小学館)、『DAYS JAPAN』(講談社)、『日経ビジネス』(日経BP社)、『中央公論』(中央公論新社)など、多くの雑誌の記事制作に関わる。2000年7月に雑誌の総合情報サイト『zassi.net』を立ち上げ、雑誌情報をWEBで紹介するサイトの草分けとなった。2011年4月、日本を世界に伝えるWEBマガジン『JAPAN QUALITY REVIEW』をローンチ。早くも世界各国に日本好き読者を獲得している。

JAPAN QUALITY REVIEW


日本PRのWEBマガジンのあり方とは? 

日本語、英語、フランス語、中国語の4カ国語で伝統や文化、製品やサービスなど、様々なmade in JAPANを紹介するWEBマガジン『JAPAN QUALITY REVIEW』がこの4月創刊されました。美しい写真、レイアウト、充実した内容で、Facebook、Twitter とも連動しながら世界に向けて日本を発信しています。編集長・篠塚 順さんにお話をうかがいました。

  
 

日本の高いクオリティを海外に紹介。

ーー『JAPAN QUALITY REVIEW』(ジャパン・クオリティ・レビュー 以下『JQR』) の第3号が配信されました。創刊号は「ニッポンのお菓子」、第2号は「ユネスコの無形文化財に登録された小千谷縮」、第3号は「包む TSUTSUMU」が特集されています。製品、文化、生活にフォーカスし、美しい写真、レイアウト、読み応えのある記事が印象的です。『JQR』のコンセプトを教えてください。

 

『JQR』のコンセプトは日本の上質を紹介することですね。新しいものばかりでなく、我々日本人には当たり前の事柄についても取り上げていきます。無料で毎月7日に配信し、今のところ40〜50ページ程度のボリュームです。サイトにアクセスするとPDF版がそれぞれの翻訳バージョンでダウンロードできます。

 

 

 

「ジャパンPR」の必要性と
雑誌を取り巻く環境の厳しさ。

ーー創刊までのいきさつを教えてください。
 

リーマンショック後、景気停滞から市場を海外に求める機運が高まりました。ですが物を売るには、積極的にその物の価値や情報を海外の人々にも知って貰わなければなりません。しかしそこの所、つまり情報戦略がすっぽり抜け落ちているんですね。そこで私は「ジャパンPR」の必要性を代理店や出版社に投げたのですが、興味を持ってもらえませんでした。

同時に、雑誌制作の仕事はとても落ち込みました。広告出稿が激減したため、出版社は採算の見合わない雑誌を次々に廃刊。編集者がだぶつくので当然社内で記事作りを行うようになります。仕事はこの3年間で驚くほど減って、知り合いのフリーランスが次々と業界を去っていきました。雑誌を取り巻く環境は厳しく、先が見えません。

そんな閉塞感を吹き飛ばしたいとの思いもあって、『JQR』をスタートさせたのです。


 
 

海外の日本ファンに向けて情報発信。

ーー第3号では「包む TSUTSUMU」をテーマに特集が約20ページ。ブックインブック「おめかし」はファッションの特集で、ISSEY MIYAKE(イッセイ ミヤケ)を大きく取り上げています。
 

「包む 」という日本独特の行為・美意識にスポットを当て、風呂敷の結び方からデパートのお包みスタッフ、ホテルの宿泊客向けラッピングサービス、精密機械を省スペースかつ軽量で安全に梱包する技術、そして美術館の伝統的な包装コレクションを紹介しています。

また、この号からファッションページをブックインブック(WEBなので意味があるのかと自分でも疑問ですが)の体裁で作りましたが、これも特集の「包む」と連動させています。取り上げたISSEY MIYAKEの『132.5 ISSEY MIYAKE』は、折り紙のように畳まれた生地を広げると立体的なフォルムが現れ身を包むことができる、非常にユニークなプロダクトです。


外国人から見た日本の文化考察。  

ーー特集以外の読み物、フランソワーズ・モレシャンさんによるエッセイ「私と日本」(p54,55)の外国人から見た日本文化考察も読み応えがありました。
 

外国人が日本文化を「ここが素晴らしい、ここがおかしい」と語るテレビ番組を最近よく見ます。僕も好きで観るのですが、それを日本人向けだけにやっているのがもったいないですね。日本にいる外国人が日本をこう評価している、ということを海外に伝えた方が、より有益だし反響があると思うのです。

『JQR』6月号では、「ニッポンを話そう」(p21,22)という在日外国人による鼎談を行いました。通勤電車事情について話してもらったのですが、やはり国が違えば視点も違い、とても面白い話が聞けました。次号以降では東日本大震災のボランティアに参加した外国人の鼎談や手記を掲載したいと考えています。


Twitter、Facebookで
海外読者にアピール。

ーー『JQR』のサイトのトップにはFacebookへのリンクが表示されていて、ファンがすでに3500人超います。またTwitterへのリンクも表示されていて、4カ国語で最新号の内容もツイートしています。海外のファン、フォロワーの反応はどのようなものですか?
 

Facebookの『JQR』サイトでは、日本人より海外からのアクセスが多いですね。特に東南アジアが多く、続いてアメリカです。フランス語に翻訳されているのに、フランス語圏の人が少なくて残念です。当然ですが、やはり日本が好きで、日本に興味を持っている人たちが多いですね。


『雑誌ネット』の経験を活かす。

ーー元々雑誌の編集者、記者として大手出版社の雑誌の企画を手がけていた篠塚さんが、紙媒体ではなく、WEBメディアで『JQR』をスタートさせたのはなぜでしょうか。
 
現在の雑誌流通の仕組みでは、大きな資金がないと雑誌を刷ったり本屋に並べたりすることはできません。でも、WEBの環境が整った今は、誰でも作ったコンテンツを配信=流通させることができます。

私は2000年に雑誌の情報サイト『雑誌ネット』を立ち上げました。当初から、雑誌を海外で売れればいいな、と思っていたのですが、当時は雑誌のような大容量のデータを配信することは不可能でした。ところが2003年にアメリカのスパイ衛星で使用している画像圧縮技術を利用した『DjVu』というソフトに出会い、2004年に『SAPIO』編集部に話を持ちかけて海外在住日本人のモニターを募り、『SAPIO』のWEBテスト配信を試みたのです。33ヵ国254名が参加し、それぞれの元へ発売と同時に『SAPIO』を配信しました。評判は上々でしたが、著作権や肖像権、その他様々なクリアしなければならないことが多く、結局試験配信だけで終わってしまったのです。

その頃からWEB環境は大きく変わりました。様々なデータ圧縮技術やビューワなどが登場し、雑誌そのものを配信することすら可能になったわけです。ある意味、私の夢の舞台が到来したわけです。あとは、その舞台に上がるのか、それとも観客でい続けるのか。それが思案のしどころですね。

クリエイター主導のWEB作りを目指したい。

大手食品会社から仕事を受けたから「料理の写真を撮れるカメラマンを紹介して欲しい」と、WEB制作会社から頼まれた、なんてことも度々です。一方、WEB制作会社と仕事をしたカメラマンからは、「素人の集団で何も知らないし何も決まらない」なんて愚痴を聞きます。

WEBは未知のメディアでしたから、どうしてもクライアントは丸投げになるのですね。一方、出版社はWEBは“敵”と当初から忌み嫌っていました。つまり、WEB側は出版社側から協力を得られないため、コンテンツを自ら作らなければならない状況でもあった訳です。そうなると、WEB制作側は必死に勉強してコンテンツ作りのノウハウを学びます。対する雑誌制作側は“敵”のことなんてどうでもいいと、何も知ろうとしません。雑誌はメディアの王道だと。

よりよいクリエイティブという側面から見れば、出版社や編集プロダクションがしっかりしたコンテンツ素材を作り、それを基に、WEB制作会社はより適切な表現でサイトを構築する。そうあるべきだと思います。出版社はその黎明期からWEBを警戒しすぎたんですね。しかも、相手を学ぼうともしなかった。当初からWEB環境下でのコンテンツ制作に協力し、積極的に新しいメディアの土壌に進出していたら、今のような雑誌が売れない時代になってもWEBに対応したコンテンツ作りの主力になれたはずです。出版社が雑誌編集の技術は、WEBにこそ活かされるということを証明してこなかったことはとても残念なことですね。

私は『JQR』というコンテンツをWEBメディアという土俵で世界を相手に展開したいと考えています。WEBか雑誌か、なんて不毛の論議はやめて。というか、このところ雑誌はWEBに大負けしているのですから、そろそろ巻き返さないと消えて無くなるだけですよ。