向後千里のArt Life ごはんがおいしい、かまどのある土間の風景。

(2010.03.24)

先日久しぶりにロケに出かけた。ちょっとワクワクしたのは、出かけた先が東京郊外にある昭和初期の農家の食卓。タイムスリップしたような気分で土間に設置されているかまどでごはんを炊いてきた。
映画など映像の中では見慣れたかまど炊きの風景ではあるが、実際に薪でご飯を炊くのはなかなかにおもしろい。まさに “初めちょろちょろなかパッパ、赤子泣いても蓋とるな”、薪に火をつけ湯気が上がるまでゆっくりと時間が経過、その薪がパチパチと勢いよく燃えていく。そういうかまどの風景を眺めるのはなんとも暖かく幸せな気分だ。ご飯好きとしてはたまらないおいしい気分を味わわせてもらった。

江戸東京たてもの園内 八王子千人同心組頭の家。

しかし、今の時代に毎日のこととなると正直大変なことだと思う。当時のキッチンは土間に設えられたかまどと水場。そこに外の井戸から水を運びこむ仕組み。何やらゆっくりとした時の流れを感じずにはいられない。外とつながっている場所が土間。農家では土間の存在が重要で以外に遅くまでこうした食環境が続いている。土間を眺めていると土のついた大根などの野菜や果物、下ごしらえの必要な野菜がおいしそうに土間で下処理されていく様子が目に浮かぶ、支度ができたら、土間から一段上がった板の間で食事をいただく、箱膳や卓袱台の時代だろう。あるいは囲炉裏を囲んだのだろうか。きっと冬は寒かっただろうと思うが、梅が咲く頃には水もぬるんで、春の訪れを心の底から楽しんだ暮らしがそこにあったように思えた。生活のコンパクト化が進み始めた時代、残念ながらガスが普及するのと同時に、茅葺屋根の家は姿を消していくことになる。

私の曽祖父は東京郊外で茅葺屋根を葺く親方だった。農家でもあった曽祖父の家は、そういう訳で私が赤ん坊の頃まではぎりぎり茅葺の家が残っていた。母屋もお風呂場も茅葺で母が子供の頃は土間が遊び場だったと言う。だが、流石に私が物心ついた頃には茅葺屋根ではなくなっていた。というのも毎日かまどで火を炊くことで煤が立ち上り、屋根が燻炎され、虫がわかないという仕組みで保持されていた茅葺屋根。ガスの普及によりキッチンは便利になり、食を預かる主婦は楽になったものの、かまどを使わなくなってしまったため、茅葺屋根は自然と姿を消していくという運命だったのだ。

さて、そういう訳で“江戸東京たてもの園”では定期的にかまどに火をくべて茅葺屋根を維持しているそうだ。火をくべるのはサラリーマンを引退してボランテイアで働いているという植松さん。昔ながらの暮らしは楽しいと、うれしそうに話してくれた。