遠藤伸雄のAgenda Musicale アルベニス没後100周年を前に。

(2008.11.06)

来年2009年は、スペインの作曲家・ピアニスト、イサーク・マヌエル・フランシスコ・アルベニス(1860-1909)が49回目の誕生日を目前に、療養中のフランス・ピレネー山中の町 カンボ・レ・バンで生涯を閉じてから100年目に当たる。

「神童」と騒がれた幼少時代からピアノの名手であったアルベニスは、その後のカザルス、ダリなどカタルーニャ生まれの天才的な芸術家と同じく、若い頃からフランスはじめヨーロッパ各地で活動続けた(遥かキューバやアルゼンチン等中南米にまでも足を伸ばしている)のだが、当初は作曲家というよりも、ピアニストとしての名声が極めて高かった。その真否が音楽史での議論にもなっているのだが、大ピアニスト、フランツ・リストにも個人的に会って、妙技を披露したことになっている。

作曲家としては、オペラや協奏曲など管弦楽曲も残しているが、アルベニスの作品の真骨頂は、やはりピアノ作品群に見られる。組曲『イスパーニャ』や『イベリア』など、イスラムの影響が色濃いスペイン民族音楽特有のリズムが横溢したピアニズムと「南欧のショパン」とも言うべき詩的リリシズムが融合した傑作を多く残している。両組曲とも、その名称に「スペイン」あるいは「スペインを含む大(イベリア)半島」を衒いもなく冠し、「自分の創る曲がスペイン音楽を代表するものだ」というアルベニスの自信が窺える。

来年の没後100周年に向けて、そのピアノ曲集の素晴らしいCDシリーズが現在日本人の手により着々と進行中である。昨2007年からは始まった上原由記音さんのピアノによる『アルベニス ピアノ作品集』シリーズ(全4巻)で、間もなく<Vol. 3>がリリースされる(ALM RECORDS ALCD-7129 11月7日発売)。

これまでも「スペイン音楽のスペシャリスト」として楽壇に確固たる地位を築いて来た上原さんだが、今回のアルベニスのピアノ曲のシリーズでは、一段とその表現に深みと輝きが増し、既に発表されている第1集・第2集とも、識者より極めて高い評価を得ており、「レコード芸術」誌上でも「特選盤」となっている(ちなみに、この二集ともスペイン政府の助成金を得て制作されており、上原さんがアルベニスの母国でも「スペイン音楽の使徒」として厚い信頼を寄せられている証左であろう)。

この4枚のCD(第4集は、来年発売予定)で、アルベニスのピアノ曲の代表作が殆ど聴けるが、全4集を通じて柱になっているのは、作曲者の「白鳥の歌」ともいうべき「イベリア」である。本シリーズでは、上原さんがアルベニスの自筆譜を綿密に研究した成果をもとに演奏・録音している。又、ご承知の通り、『イベリア』は、4巻全12曲にわたるピアノ組曲だが、上原さんのプログラミングでは、各CDに各巻の3曲を配し、それぞれのCDの中心に据えている。

但し、注目すべきは、CDの<Vol. 1>に曲集「第1巻」を、<Vol. 2>に曲集「第2巻」を、といった具合に録音していくのが普通だが、上原さんは、そういった機械的な配置を善しとせず、『イベリア』に関しては、敢えて<Vol. 1>を曲集「第2巻」から始めている。これは、第1巻の第1曲「エボカシオン」が、「死を目前としたアルベニスの赤裸々な告白のように聴こえ、(イベリアの)最初にご紹介するには、あまりにも痛ましすぎるのではないかと考えた」からである、と述べている。
このように、選曲や曲目配置ひとつをとっても、周到な配慮とパースペクティヴでもって、本シリーズ全体を世に問いたい、というこのピアニストの意気込みが感じられる。

最新作の第3集でも、スペイン(ならびに中南米)音楽の大家として名高い音楽評論家濱田滋郎先生が、「(上原さんは)まさしく本物のアルベニス弾き」と絶賛されている(ついでながら、スペインものに限らず濱田先生のピアノ曲のCD評を昔からいつも筆者の指針とさせていただいている)。
やはりこの<Vol. 3>でも『イベリア』(第3巻)の成熟した解釈と表現が圧巻で、ドビュッシーが激賞したというメランコリックかつ情熱的な旋律が印象深い『アルバイシン』をはじめ、知的かつピアニスティックな熱演が各トラックで披露されている。今回は、アルベニスの曲で最もポピュラーな曲の一つ『タンゴ』が聴けるのも嬉しいが、同じ『エスパーニャ、六つのアルバム・リーフ Op.165』の中のチャーミングな曲『カプリーチョ・カタラン』の仄かな懐かしさと近代的な響き(ちょっとフランシス・プーランクの匂いも感じる)や『秋のワルツ T.96』のショパンにも負けない洗練されたサロン風音楽を再発見できたのも大きな収穫だった。

最後となってしまったが、このCDシリーズ(全4巻)で演奏とともに特筆すべきは、上原さん自らが執筆している綿密な曲目解説であろう。単なる演奏者のライナーノーツに留まらず、このピアニストの長年のスペイン音楽ならびにアルベニス研究の成果がギッシリ詰まった充実した解説となっている。
これら4冊のCD解説書は、同じく上原さんの著書『粋と情熱 Gracia y Pasión ~スペイン・ピアノ作品への招待』(ショパン刊 この本もスペイン文化省の「グランシアン基金」の助成を受け出版)とともに、音楽愛好家はもちろん、プロのピアニストにとっても、貴重で示唆に富んだスペイン音楽への良き指針というべきものである。

アルベニスの作品は、日本ではピアノリサイタルにのぼる回数はまだそう多くはないが、その独特のリズムと節回しの効いた旋律に溢れる音楽は、日本人の琴線に触れる要素が多く、ここのところ人気の高いピアソラやジャズ(チック・コリアなど)への影響も感じさせるところがある、と筆者は見ている。

ショパンやシューベルトも素晴らしいが、来年は、上原さんのこのシリーズの完結や没後100周年を契機として、多くのピアニストがアルベニスの作品を頻繁にプログラムに乗せ(アンコールピースとしてだけではなく)、アルベニス再評価の年になることを望みたい。

 

▼ピアニスト 上原由記音さんのサイト

http://members2.jcom.home.ne.jp/yukine/


来年没後100周年を迎える
イサーク・アルベニス。

スペイン音楽のスペシャリスト
上原由記音さん。撮影/井村重人

『粋と情熱 Gracia y Pasión ~スペイン・ピアノ作品への招待~
』
(ショパン 刊)

『アルベニス ピアノ作品集』第3巻
上原由記音(Pf)
(ALM RECORDS ALCD-7129:
11月7日発売)