遠藤伸雄のAgenda Musicale 第9は第3楽章だ!

(2008.12.16)

今年も年末恒例、ベートーヴェンの交響曲第九番ニ短調作品125「合唱付き」の演奏会が日本全国で数多く開催されています。
「チケットぴあ」のサイト内のリストを覗くと、今年12月に東京を含む関東圏で、第九の演奏会は、実に53公演! にのぼります(ちなみに、最多公演の日は、21日(日)で、東京・横浜・所沢で計6公演も組まれている)。この現象は、作曲家の生地ドイツでも見られない、日本独特のものでしょう。日本人の「第9好き」は、「異常」とさえ言えます。
この現象については、すでに色々語られていますので、当稿ではあまり深入りはしませんが、(N響以外は)財政的に楽ではない各地のオーケストラの重要な(定期)収入源になっていることは、確かです。

この「第9大人気」は、言うまでもなく、副題「合唱付き」の由縁たる、「フロイデ!」の独唱(及び4重唱)と混声4部合唱で大いに盛り上がる目玉の第4楽章のフェスティヴ(祝祭的)な音楽によるものです。

シラーの詩「歓喜に寄すAn die Freude」の「抱き合おう、もろびとよ!この口づけを全世界に!Seid umschlungen, Millionen! Diesen Kuß der ganzen Welt!」と、毎年末に「人類愛」に目覚めることは、悪くはない、とも思いますが、『5千人や1万人の第9』や『「欧米著名ホールで第9を歌おう」ツアー』までになると、「ちょっと悪乗りでは?」と首を傾ける人は私だけではないでしょう。

少し合唱を齧ったものの私見ですが、第九の第4楽章は、演奏が難しい(したがって事前の譜読みや練習が大変)わりには、「合唱音楽」としては、(聴いていて)面白い作品だとは、あまり思われません。合唱の感動を味わう(歌う方も聴く方も)のであれば、同じ作曲者の「ミサ・ソレムニス< 荘厳ミサ曲>」の方が数段優りますし、年末であれば、有名な「ハレルヤ」以外にも数々の珠玉の合唱曲が楽しめるヘンデルの「メサイヤ< 救世主>」やバッハの「クリスマス・オラトリオ」やクリスマスに因んだ数々のカンタータで、愉悦のハーモニーが楽しめます。

といっても、ベートーヴェンの交響曲第9番が音楽史上に輝く傑作の一つであることを否定するものではありません。特に、冒頭の神秘的で空虚なAとEの和音から始まる第一楽章の厳しくも痛切な音楽には、いつ聴いても圧倒されます。「第9の中で、この冒頭の楽章が音楽的に最も優れ、内容も深い」とする識者も少なくありません。

しかし、「第九」で昔から、筆者がいつも楽しみにしている楽章は、なんと言っても第3楽章です。この“Adagio molto e cantabile” は、ベートーヴェンが書いた最も美しい楽章の一つです。それは単に「美しい」と一言では言い表せない奥の深い音楽で、その神々しさ・気高さは言語に絶するものがあります。「言語に絶する」と言いながらも、蛇足的に少しコメントしますと、この楽章は、ふたつのテーマの変奏曲として書かれています。第1のテーマは、「澄みきった純粋さ」(ロマン・ロラン)を持つ崇高なメロディで、第2テーマは、人々の心を慰撫するような慈愛に満ちた旋律です。この二つのテーマがそれぞれ2回変奏されるのですが、その変奏曲が又素晴らしい。特に、第二テーマの第一変奏の終わりから絶妙の転調により、目前の風景が大きく開けて、第1テーマの第二変奏へと続く箇所にはいつも心がときめきます。続く第一ヴァイオリンによる第2変奏の世にも美しくかつ軽やかな旋律の切なさはどうでしょう!

手元のCDでは、やはり定評のある「フルトヴェングラーのバイロイト(1951年)」盤が、この第3楽章でも超絶的な名演を繰り広げています。ゆったりとしたテンポと自在なフレージングが素晴らしく、ベートーヴェンは書かなかったのですが、さらに第3変奏、第4変奏と、いつまでも「第3楽章」を聴いていたい気分になります(フルトヴェングラーを聞き馴染んでいる耳にとっては、最近の古楽系の指揮者ガーディナー、ブリュッヘン、ノリントンなどのCD達は、他の楽章は聴き応え充分なのですが、第3楽章はどれもテンポが速く、あっと言う間にこの楽章が終わってしまい、少々もの足りなさを感じます)。

しかし、次の楽章にて、ベートーヴェン自らは、「こんな音楽ではない!」と、いつまでも「第3楽章」の天国的な花園に留まることを否定し、「フロイデ」の歓喜の歌になだれ込むのです。

年末、「第9」を聴きに来る多くの聴衆は、第3楽章が始まると、「早く「フロイデ」の終楽章が始まらないかなあ」と、ソワソワとし出し、第3楽章の音楽には気もそぞろで、中には「フロイデ祭り」の前にちょっと一服、とばかりに船を漕ぐ人もいたりします。もったいない話です。
生来へそ曲がりの性格なので、これから第9の演奏会に出かけようか、という方々へ「大人気の第4楽章もいいですが、第3楽章も耳を澄ませて虚心坦懐に聴いてごらんなさい。素晴らしい世界が発見出来ますよ!」とアピールするために、今回のコラムでは、ちょっと過激なタイトルを付けた次第です。

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
バイロイト祝祭管弦楽団。
永遠の定番(録音1951年)。

フェレンツ・フリチャイ指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。
フィッシャーディースカウ(Br)のソロが聴ける隠れたる名盤です(録音1957-58年)。

ジョージ・セル指揮
クリーブランド管弦楽団。
オケ(特に第四楽章の金管)が素晴らしい(録音1961年)。

ジョン=エリオット・ガーディナー指揮
オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク。
精緻なコーラスを聴くならこのCD(録音1991年)。