麗娜が見る、日本のファッション 私がファッションモデルを目指すまで。

(2008.11.17)

両親のおかげで幼い頃から同じ年の友達より背が高く、小学校からバレーボールクラブに入り、高校まで練習を続けました。元気で朗らかに成長し、中学生の時に街を歩くと、モデルになりませんか、と度々声をかけられました。でも勉強はとても大切だと思ったので、高校に進学することにしました。

ファッションモデルという職業は、90年代までの中国ではあまり認められていませんでしたが、最近十年くらいですっかり女性に人気の仕事になりました。テレビや、雑誌などで見かけることが多くなり、私も憧れの気持ちを持つようになりました。そんな高校2年生の時、西安工程大学の先生と偶然出会いました。先生の大学には、ファッションデザインとモデルになるための実技を合わせて勉強できる専攻コースがあることを教えてもらいました。その大学に進学して、デザインとモデルになるための技術の両方を勉強出来たら良いなと思い、ファッションモデルになろうと心に決めました。

 

私が目指したこのコースに入るためには、まず初めに専攻の三つの実技試験を通過しなければなりませんでした。身体測定、ウォーキングの審査、それにダンスなどのパフォーマンス、のテストがありました。これらに合格した人が五科目の学科試験を受けることができ、最終試験に合格した私の同期は、22人だけでした。

入学した後はダンス、モダンバレエ、猫歩(中国でのモデルの歩き方の言い方で、マオブーと読みます)、演劇などを習い、たくさんのことにチャレンジできる楽しい大学生活が始まりました。こうしてモデルになるための初めの一歩を踏み出したのですが、当時の私はまだモデルのタマゴでした。早くプロのモデルになりたくて、いつも授業が終わった後に、一つの動作が完ぺきになるよう何度もカガミに写して練習していました。「練習は本番のつもりで」(中国の言い方は「练习时要当正式去练」です)。これは私が自分自身によく言い聞かせる、好きな言葉です。

母親と一緒の3歳の時。

従弟と二人の4歳の時。

小学1年の時の写真。