田中晃二の道草湘南《犬の鼻、猫の舌》 横浜大桟橋まで、ぶらぶら歩いて。

(2011.08.26)

横浜のモダンな文楽

近松の『曾根崎心中』を横浜で見た。杉本博司の現代的な演出と美術は、奥行きのある神奈川芸術劇場の舞台を上手く生かして、小さな人形が暗く大きな空間を生き生きと動き、私が持っていた伝統的(平面的)な“文楽”の概念はきれいに打ち砕かれた。久しぶりに聞く浄瑠璃の太夫の声にうっとりし(それにしても日本語とは思えない難解さ)太竿三味線の野太い音色とバチの弾ける音にドキドキしながら、エルメスのスカーフで仕立てたという天満屋お初のエスニックだが和風な衣裳に目を奪われ、人形ならではの繊細な身のこなしと壮絶な道行きの大団円まで、たっぷり楽しみました。いやあ、日本の伝統芸能はいいなあ。

やっぱり中華街へ

興奮冷めやらぬまま劇場を出ると、外は熱暑炎天地獄。近松の世話物に『女殺油地獄』なんてあったなあ、江戸時代の油商人って嫌われ者だったのかなあなどと、沸騰しつつあるアタマでぼんやり考えながら、蝉の声も暑苦しい山下町からふらふらと中華街へ移動する。市場通りのいつも行く店でシウマイとサンマーメンの遅い昼メシを済ませ、そのまま帰るのもなんだし、腹ごなしに大桟橋までちょっと涼みに行って見ようか、もうじき日も暮れるし。

 

クジラのような大桟橋

横浜大桟橋はきれいになってもうだいぶ経つが、私の個人的な横浜八景でも上位を占めるスポットだ。こんもりしたシロナガスクジラの背中のようなウッドデッキと緑の芝生が公園の巨大な遊具のようで、歩いているだけで童心に帰り何故か口元が緩んでくる不思議な桟橋だ。山下公園や氷川丸も見えるし、反対側には赤煉瓦倉庫も一望。真夏に来るのは初めてかなあ、昼間の熱気が残って海のそばとはいえやっぱり暑いなあと桟橋を頂上へ登って行くと、やたら人が多いのに気がついた。桟橋の両側には5階建てのビルのような巨大な客船が停泊していたのだった。


出船入船

桟橋のデッキに三脚を立てて一眼レフを構えている老人(といっても私より若そう)から聞いた話によると、5時の出航がちょっと遅れているらしい。出航する飛鳥Ⅱは5万トンクラスだが世界には10万トン以上の客船もある、などと船舶事情にいろいろ詳しい。こういうのもテッチャンの一種だろうか? やがて目の前の飛鳥Ⅱはタグボートに引かれ、桟橋から静かに離れて行く。船が大き過ぎて、桟橋のほうが動いているような錯覚。別れのテープがあれば銅鑼も鳴るかと期待したが、大きな汽笛だけだった。このデカイ船、果たしてベイブリッジの下を通り抜けられるんだろうかと余計な心配をしながらしばらく見送ったが、余計だった。飛鳥Ⅱが出航するのを待っていたように、沖合に停泊していたにっぽん丸が入れ替わりで桟橋に横付けされる。5万トン級の後で見ると小さく感じるが、十分に大きな2万トンだ。


国際信号旗

『コクリコ坂から』というアニメが上映中だ。東京オリンピックの頃の横浜が舞台とされ、見に行った友人の評判はなかなかいい。ポスターに描かれているタグボートの通信旗が、横浜大桟橋の通りにも掲げてあり、どういう意味なのか気になっていたら、寄港したばかりのにっぽん丸のマストにも同じ旗があった。カメラを向けたら乗組員がその旗を降ろし始めたので慌てて撮影した。あとで調べてみたら、UW旗といって、航海の安全を祈るという意味らしい。先ほど入れ違いで出航した飛鳥Ⅱへのメッセージだったのかな。港の夏の夕暮れ、日本大通り駅へ向かう私の頭の中から、ブルーライト・ヨコハマの歌詞がなかなか離れない。“歩いても歩いても小舟のように 私はゆれてゆれてあなたの腕の中”