田中晃二の道草湘南《犬の鼻、猫の舌》 2011年、遅い春、東京の桜。

(2011.04.13)

 

震災と桜。

東北を襲った地震から1カ月が過ぎた。意地悪くカレンダーでも見たように、容赦ない大きな余震が起きる。東北で被災された人たちの気持ちは、東京に住んでいる私の想像を超えるほどの厳しさだと思う。毎日の生活のなかで地震の話題が早く消えることを願っていたが、今回の巨大震災と原発事故は、私たちが災害に対処する時の(日本人的な)心構えを根こそぎ変えさせようとしているように思えてならない。テレビで繰り返し見た津波の映像が私の頭から消えることなく、底のないような無力感に囚われ、始めたばかりの当コラムを少し休んでしまいましたが、先日、陽気に誘われて家の近くに花見に出かけたら、道行く人たちが楽しそうで表情も明るくなっているのに気がつき、このコラムも休んでちゃいけない、少しでも歩き始めなさいと、花を見る人たちから背中を押されるような気がした。それも、桜の花の力かもしれない。

呑川緑道の桜並木。

東横線、渋谷行き各駅停車の電車が、中目黒駅から代官山方面へホームを離れるとすぐに目黒川の高架鉄橋がある。川の両側には桜並木が続いている。毎年4月はじめ、電車の左側の窓から、一秒もないほどの一瞬だが、雲のように湧き上がる桜を見下ろすことができる。晴れた日など、飛行機が雲の中を飛ぶ時のような、まぶしい浮遊感も味わえる。薄いピンクの雲の中、天国なんてこんなところかもと思ったりする。東京の目黒区から世田谷にかけては、意外と桜並木が多いなあと、毎年春になる度に思う。農業用水路が都市化とともに暗渠となり、“緑道”と名前を変えた桜並木が住宅街の中に残っている。通勤の時に、花を見ながら一駅ぶん余計に歩いたりするのも、この季節ならではの贅沢な楽しみだ。

九品仏の桜と閻魔さま。

誰もが自分だけの花見スポットや、記憶に残る花見体験を持っているものだ。

この4、5年、私のお気に入りは九品仏・浄真寺境内です。出勤前に寄り道することが多いのだが、山門をくぐると、参道や境内にほどよく案配された桜が見事だ。朝の時間帯は寺の僧が庭の掃き掃除しているだけで、参拝客や花見客にも殆ど会わず、ひとり静かに楽しめる。花びらが風もないのにひらひらと舞い落ちて、高い梢からはシジュウカラの春を告げるような美しいさえずりが聞こえ、東京にいるとは思えない。寺の境内に三つ並んだ仏堂(それぞれに阿弥陀如来が三体ずつ、3×3で九品仏)の窓に顔を寄せて、薄暗い堂内の仏像を観察するのも面白いが、なんといってもお薦めなのが、山門横の焔魔堂。エンマさまの怖い顔と1対1で対面していると、私はすごく気持ちが安らぐ。もう何度もここに来ていろんなお願いをしたので、なんだか顔なじみになったようで、表情に優しさも見えるような気がする。

千年に一度と言われる大地震が起きた異常な春も、ようやく歩みを早め、世田谷の緑道には山吹、ユキヤナギ、花ニラ、タンポポなどが目立つようになった。桜前線はこのあと東北へ向かう。地震で被災された人たちも桜を見て、少しでも元気を取り戻してもらえるといいなあと思う。