北原徹のバカ買い! Smells Like Teen Spirit - 29 - 嘘つきは泥棒のはじまり。でも、いいウソは人をなごませ、気分よくさせる。<ジュンヤマン>のデニムも気分よし!
(2009.10.15)嘘つきは泥棒のはじまり。
子どもの頃から、……というか、子どもの頃、親からよく言われたことだ。
別段、雲ひとつない青空のように、とか、曇りなきクリーンな人生を送れ、とは思わない。バカ正直なぼくは、よくだまされては、本当にどん底まで落ち込んだり、校舎のガラスを割ったりしている訳だが、まあ、どんだけ騙されてみても、人を信じることをやめることはできないし、バカ正直でいることだって、変える気などさらさらない。
ただ、そうやって、人を騙して生きていくこと自体、面倒臭いことだと思っているし、嘘をつき始めると、その嘘を隠すため、さらに嘘をつき、あっちでも、こっちでも嘘をつき、いづれ、“本当の、本物の自分さえ見失ってしまう”と思うから、ぼくは、やっぱり、嘘はつきたくないなあ、と思うのだ。
嘘で固めた人生など、微塵も面白いと思わないし、嘘というクリエイティブを、もっと別なベクトルにして、有効活用すればいいと思うし、正直に、自分を信じながら、他人と対峙して生きるほうが、スッキリと筋が通っていて、気持ちよく生きられると思う。
人から何かを巻き上げよう、なんてコスいこと考えたり、誰かに寄生して、生きるフリをするよりも、正々堂々と生きるほうが楽しいし、ビクビクしながら生きるより、ヌケのいい人生が、きっと待っている。
身近な人にきちんと感謝したり、いいことに気付いたら、ありがとうと言えたり、恩がある人にイヤな想いをさせたり、裏切ったりしない。
宗教心はまったくないぼくだけれども、こういうことを書いてみると、宗教の偉大さを知る。
地道に普通に生きることが一番大変だけれど、結局、一番いい! って最後には思える生き方なのかもしれない、と人に嫌な思いをさせたり、恩を仇で返したことも反省しつつ、いま、この原稿を書いているのであった。
とは言え、もちろん、いい嘘というのも、たくさんあると思う。ぼくなんて、嘘……というよりウソかな? をついてみても、三分しないでバレるようなくだらないウソしかつけないし、人をハメるほどの(その方向での)クリエイティビティはないので、まぁ、何とかうまく生きている。
それでも、いい嘘をつく人がいることは確かなことなので、ぼくのアニキ分で、乃木坂で<リストランテ アモーレ>というイタリアンの店で、オーナーシェフをしている澤口知之さんは、ぼくに古い酒瓶をくれたときに、
「これはよぉ、坂本龍馬がもっていたものだぜぇ」
「へぇ、由緒正しいんですね」
「そうよぉ、由緒が正しいのよ」
「って、これ、酒屋の電話番号があるけど」
「おめぇ、オレを疑っているのか。まぁ、細かいことは気にするなよ」
……気にしますよ、ぼくは。
だけれど、こういうウソはとても好きだ。
澤口さんは、作家の福田和也さんに、アメリカ土産をあげたときも、
「これ、ウォーホルのスタジオでパクった、灰皿」
ウソだろう、と思って皿の裏を見たら、片仮名で“アンディ”とマジックで書いてあったというエピソードも持っている。
人を騙したり、陥し入れたり、カネをふんだくったりーーというような、心のいやしさやさもしさのない、きれいなウソ、徹底的に人柄が出る優しきクリエイティビティ。そんなものが澤口さんのウソには感じられる。
で、やっぱり、人を騙すことが目的だったり、人を困らせるようなウソはついてはいけないのだなぁ、と思うのである。
で、今日はそんなウソの話とは、まったく関係なく、<コム デ ギャルソン・ジュンヤ ワタナベ マン>のデニム。
ぼくは、ジュンヤさんのデニムは、<マン>スタート時から、ほとんど毎シーズン買っている。もともとデニム好き、というのもあるけれども、毎度デニムをキャンバスのように、あるいはTシャツのようにプイントしたり、先シーズン、今シーズンだけでなく、ジュンヤさんの得意ワザみたいな、解体して、再構築したり、という、何とも言えないアプローチが好きだ。
このリメイクも、そうとう気合いが入っていて、楽しい気分にさせてくれるものだ、
ストレートにノーマルなリーバイスの505から見れば、ちょっとウソをつかれた(本当は虚をつかれるかな?)みたいなこのデニムも、人の気分をよくさせる、正しいウソなのだと思う。