池田美樹のLOVE♥ CITY WALK 旅写真の極意。

(2009.02.24)

 皆さんはどんな人と旅に行っているだろうか。同世代の女性達に聞くと、
「旅は絶対1人!」派から、「誰かと一緒に行かないなんてあり得ない!」派までさまざまだ。

「誰かと一緒に行く」派も意見が分かれる。同性の友人と2人で、複数で。必ず男と一緒に。という人から、母親と一緒に行って、何でもおごってもらう、というちゃっかり者まで。

 さて、私はというと「断然1人!」派だ。
 目的地の空港や駅に降り立ち、一歩、外に踏み出したとたん感じる、「私は私でしかないんだ」という、不安の混じった、しかし確かな実感。それは同行者がいると味わえない、何物にも代え難い快感だ。

 ところで私は長いこと、旅先にカメラを持って行かなかった。だから、ほとんどの旅は私の記憶の中にしかない。
 写真を撮ると、その瞬間、周囲への意識が途切れる。それが惜しい。そのうえ、帰ってきてから見ると、写真を撮った時のことしか思い出せなくなっていく。それがいやだったのだ。

 ある時、『Hanako』や『anan』在籍時代に取材で何度もお世話になった、精神科医・心理研究家のゆうきゆうさん(http://sinri.net/)のメールマガジンを見ると、「辛い気持ちを癒してくれる効果の高いもの、それは過去の楽しかったシーンの写真」とあり、記憶を写真で残すことを勧めていた。

 なるほど、そうか。ではそういう場合のために、次回から、カメラを持っていくことにしてみようか。そう思い、旅にデジタルカメラを持参することにした。
 しかし案の定、バッグからカメラを取り出すことはほとんどないし、ふと気がついた。
「私が写らない!」
 そりゃそうだ。1人で行っているわけだから。

 そこで、カメラをいじっているうちに偶然撮れたのが、自分の足先の入った写真。おお、これはまごうことなきわらわの脚じゃ。というわけで、その後、あちこちで自分の足先の入った写真を撮って、旅先のメモリイとしている。

 自分の足先の写った写真が、将来、なんだか辛い気持ちになった時の私を癒すのか? ということはさておき、この写真、案外、おもしろいものが撮れるのである。自分を中心にした定点観測とでもいおうか。

 先日、『仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか』を書いたトレーナーの山本ケイイチさんにお目にかかったとき(引き締まった見事な体と軽やかな動き、キレのあるお話が素敵でした!)、「フライトもホテルも、向こうで何をするかも決めていくのは“旅行”。“旅”とは、なーんにも予定を決めず行くことですよ」とおっしゃっていた。
 確かにその通りだ。

 でも、学生時代にやったようなバックパッカーはもうできないし、休暇だってそんなに長く取れるわけではないから効率的にあちこち行きたいし、私にはもう“旅行”をするという道しか残されていないかしら、と思ったけれど、ハタと気がついた。

 人生とは誰にとっても旅、そして自分はその旅における定点観測者なんだってね。
 今さらだけど、大きな発見だという気がする。

栃木の簗(やな)にて。焼いた鮎を食べました。
ニューヨークのとあるホテルのスパにて。水着で温浴。しかし風呂にはやはり裸で入りたいものだと思った。
フランスのとある海岸にて。早朝、ショートパンツで波打ち際を歩いてみた。