北原徹のバカ買い! Smells Like Teen Spirit - 19 - 記憶というシステムが愛を深くする。世界で一番憧れている人とすれ違う。
(2009.08.06)自分の肉体がまるで部品交換されたみたいになる感触を持つことは、だれしもが経験することではないのかもしれない。
だけれど、その感触は、海辺に訪れた突風のように、人の肉体にするりと入り込んで、先天的にあったもののように居座ってしまうのだ。アナログな機械のように、カチャカチャと音を立てて、時々機械オイルでも注してやらないとならないタイプの場合もあれば、コンピュータ器機のように音もなく、かと言って動いていない訳ではない。それはとても精密な作業をして、人のカラダに染み込んで正確に働くタイプもある。もちろんネジだけの場合もある。
ぼくの場合は、眼がカメラ(それもアナログでかなり古いタイプ。もしかしたら、まだフィルムではなく、乾板といったと思うけれど、板に薬剤を塗布して一枚づつ作るタイプの頃のもののような気さえする。)になった。
このカメラが、ぼくを“恋”の世界に誘う。
女性だけでなく、あらゆるものに恋してしまう、このどうしようもない性質は、どうやら、このカメラがよく撮るのである。そして記憶というフィルムに焼き付けて、抽斗(ひきだし)にきちんとしまい込むと、ぼくの恋は始まるのだった。
カート・コバーンが“愛しすぎる”と言ったように、どうやら僕も“愛が深すぎる”ようだ。その深さは記憶に起因しているとしか思えないのだ。
そんなの当たり前じゃない! と言われるかもしれないが、ぼくは人を好きになったり、ものを好きになったりするとき、最初に出会ったときのシーン、初めて食事をしたり、初めて袖を通した時のシーン、ケンカしたり、とても幸せな時間を過ごしたようなエピソードや、赤いワインやらしょう油やらこぼしたり、釘か何かに引っかけて、糸がびろろろんと出てしまったりしたシーン……。そんなシーンがきちんと記憶の中で、まるでワインの澱のように溜まっていく。
そのようにして溜まったシーンの数々毎、ぼくはその人をもっと好きになったり、その“もの”に愛着を感じたりしている。
だから、ぼくの愛は、色褪せるどころか、深くなってしまうのである。
深くなってしまった愛は、ぼくの中で何ものにも代えられぬ、上等なものになり、やがて、その人に嫌われたり、何かの拍子にゴミになったり、人に差し上げたとしても、ぼくの中ではずっと好きなのである。
そんな深い愛を持って、憧れ、尊敬し、もはやその人になりたい! とさえ思った人に先日、都内の路上で“すれ違った”。
本当にすれ違っただけなのに、ぼくの手は震えが止まらなかった。
この文体を読んで、それが誰なのわかる人がいたら、ぼくの文章力も大したものなのだが……。
村上春樹さん。
ぼくのカメラは瞬時に彼を捉え、その姿(身につけていたものはすべて記憶しているのだけれど、ご本人の承諾もなく書かせていただいているので書きません)は鮮明にぼくのフィルムに納められた。
もしかしたら、もう二度と逢えないかもしれないけれど、ぼくは、お声をかけることをしなかった。いやできなかった。
「ファンなんです」
というのもだんだかなぁ、と思ったし、
「編集をやっています。村上さんの原稿をいただくのが夢なんです」
というのも、ものすごく変だ。
という訳で、村上春樹さんとは、ただのすれ違った人というだけの関係に終わりました。
が、いつかは……。
この記憶が、村上春樹愛をまた深くさせたのです。
そんな記憶に服もあった。
色褪せて、そこらじゅうに汚れすらあるこの服。古着じゃないんです。
展示会で出会った時から、ぼくの抽斗に入っていたような、このオーバーオールとジーンズは<MARKA WEAR>のもの。
ディレクターの石川さんのこだわりは、何と言えばいいのだろうか、本物を本物として作ってしまうのである。
これは簡単そうで、なかなかできない。
ぼくは<MARKA WEAR>の服は、“記憶を重ねたような作り”なんじゃないか、と勝手に思っている。
銀座の街中に小さな公園があって、芝生がきれいに刈り上げられ、深い緑の匂いが鼻をついた。
記憶の中で“匂い”はもっとも脳にこびり着くのだと聞いたことがある。
<MARKA WEAR>の服の最初の記憶。